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November 23, 2008

砂漠の森―――木を植える人 #1

 熱々の茹で上がったばかりのアルデンテのパスタにエキストラバージンオイルをたっぷりかけ、塩コショウをし、皿に分ける。
スモークサーモン・カイワレ大根をちらし、輪切りのレモンを載せ、さらにキャビアを全体にちらす。サラダはアスパラとカリフラワー。
果肉を取り出したオレンジは冷えたガラスの器に入り、カリカリに焼いたバタートーストも皿の上。ミルクはピッチャーの中で湯気を立てている。
今日はノリタケの梨の模様のセットで用意した。簡単なブランチ。

「で、なんで、あの子、このうちで、あんなことしているの?」
「今日は一緒に出かけるんだ。それに、最近、よくご飯作ってくれるよ」
歩夢は「それがどうしたの」と言う。
それはおかしいと理沙は思う。
 久しぶりに高岡理沙が伯父の結城家を訪ねると玄関先まで良い匂いが漂っていた。
伯母は海外滞在中なのに、誰がと、キッチンを覗くと・・・・・
岡祐一がエプロン姿で奮闘中で、従弟の歩夢はダイニングで掃除機をかけていた。
歩夢の愛犬、ゴールデンレトリバーのルーは一足先に、食事をするためにテラスに出したテーブルの側に寝そべっている。
尻尾が相変わらず、上機嫌だ。

岡祐一は、理沙が一年と持たず辞めた一流企業の社長のひとり息子だ。
理沙の従弟の歩夢とは、ある事件で知り合い、それ以来この家に出入りしている。
というか、入り浸っているという表現のほうが正しい。
 
「リー、リーの分もあるよ。一緒に食べようよ」
祐一は、楽しそうにエプロンを外して、なぜか見慣れないテーブルクロスまで掛かっているテラスのテーブルにつき、コーヒーをカップに注いでいる。
さらさらの髪に、つるつるの肌、まつげの長いきらきらの瞳、骨格が分かるくらいの細さ、長く細い指、そんなものは最近の男の子の標準装備だが、この岡祐一の場合、IQ160という特殊な装備もしている。
敵には回したくないタイプだ。
だが、従弟の歩夢はさらに上を行っていると理沙は評価している。
IQについて言えば、少し、というか、かなり落ちるけど・・・・
歩夢のやさしさや自然な思いやりに勝るものなどあるもんか!

「今日は、スモークサーモンのパスタにしたんだけど、なぜか予感がして、たくさん茹でたんだ。
リーはたくさん食べるもんな」
(リーリーって鈴虫じゃないんだから、だいたい、なんであなたが私のこと、リーって呼ぶのよ。そう呼んでいいのは、歩夢だけなんだから)
と心の中で理沙は文句を言う。
祐一はそんな理沙をさりげなく無視して
「歩夢、早く食べて。遅れちゃうぜ」
「あ、そうだった。リー、食べよう」
一言、言おうとした理沙は、なんとなくその雰囲気に呑まれて、席についてしまった。
「うわあ、すごいね。祐一、こんなのも作れるんだ」
歩夢がはしゃいでいる。
「たいしたこと無いよ、歩夢、たくさん食べなきゃ駄目だぞ。
お前って、本当に食が細いんだから」
祐一に仕切られ、理沙は朝食を食べたにもかかわらず、しっかりと一人前を平らげてしまった。
見かけだけでなく、味もしっかりして美味しい。
お坊ちゃまと思っていた祐一が、簡単とはいえ、料理を作るというのに驚いた。
理沙の弟の要など、カップラーメンしか作れない。
コーヒーのお替りまでしてしまってから、はっと気づいて
「ところで、今日はどうしたの?伯父さんは?」
「パパはゴルフ。
ママがいないから、このところ我慢してたんだけど。
今日、僕が祐一と出かけるって言ったら、出かけた」
「伯母さんから連絡あった?」
「おととい。今日から湖水地方に出かけるって言っていた」

歩夢の母の香澄は、去年、いろいろあって・・・・
今年の春から、イギリスへ出かけている。これで一ヶ月になる。
花の勉強のために、向うであちこちのスクールや庭などを見歩いているようだ。
帰りは未定。
「兄さんは香澄さんを甘やかしすぎ」と母は言うが、理沙には伯母の気持ちがわかるから、それもいいと思っている。
伯母の仕事を手伝うつもりで会社を辞めた理沙としては、少し困ったことなのだが…

「仕事、見つかったの?」
(祐一、君が言うなよ!)
失業中の理沙にはタブーの言葉だ。
「まだ、ハローワークに通う日々よ」
「会社、辞めなきゃ良かったのに…」
あなたのお父さんといるのが辛かったのさ。
という言葉をぐっと飲み込み、「そうだね。少し早まったかもね」
「もうすぐ、ママが帰ってきたら、忙しくなるよ。今のうちに骨休みしているといいよ」
歩夢の口から出る言葉は、いつも、南風のようだ。
 
結構、強気な理沙だが、大企業の社長秘書(勤め始めた頃は専務秘書だったが、半年の間に上司が出世した)という恵まれた仕事を「えいやっ」と辞めて、もう、三ヶ月。
仕事を手伝うつもりだった香澄が、イギリスに行ってしまうのは計算外だった。
それではと、出かけたハローワークは人の山。
結構、理沙の年でも思うような仕事は無い。
派遣で、食いつないでいる現状だ。
 
その派遣も、最近は、1時面接、筆記試験、二次面接、下手をすると三次面接まである。
そして、そこまで行くと、今度はコネが決め手になる。
理沙はある自動車メーカーの本社の受付の仕事を、ついこの前、落とされた。
三次面接で争った相手が、その会社の創業者一族からの紹介状を持っていたのだ。
その裏事情を派遣会社の担当者は、「僕を恨まないでくださいよ」と言って教えてくれた。
少し、うんざりしている。
―――この競争をいったい何時まで続けなければならないのか…

「伯母さん、花の仕事辞めたりしないかな」
萎れている理沙の様子に気づいたのか歩夢は
「それは無いと思うよ。あの人、花が命だから…」
「それに、辞めて、僕のこと見張るようになられちゃ困るし」と歩夢は付け足した。
赤ちゃんのころから、保育園に授けられて育った歩夢には弱々しい外見とは違う芯の強さがある。
それは、あの伯母から受け継いだものかもしれないと理沙は思う。
伯母は誰になんと言われようと、笑い流して、花の仕事を続けた。
その点では、理沙の母のように、習い事を転々としている専業主婦とは根性が違うと思う。
―――でも、祐一が入り浸っているのは、香澄がいない気楽さからかもしれないから、この状況は良くないかもしれない・・・・
そんな理沙の心を見透かしたように、祐一はにやにやして理沙を見ている。
 
理沙は祐一の歩夢に対する感情がただの友情以上ではと疑っている。
だとすると、このとんでもない害虫は早めの退治が肝要だ。
歩夢のお嫁さんには、本当の弟・要の奥さんに対する以上にうるさい小姑になってしまうだろうと、自分でも自覚している理沙にとって、祐一は天敵だ。
 
「これから出かけるの、アー君?」
「うん、今日はQを見に行くんだ。祐一が切符取ってくれたからね」
Qはこの春から始まったパーフォアマンスで、なかなか評判が良い。
「えー、いいな。じゃあ、今晩遅いの? 
ママがたまには伯父さんや歩夢と一緒に夕ご飯しようっていってたんだけど」
「パパも遅いって言ってたし・・・・
今日はごめんね。また、今度。
今日は祐一んちのおばさんがご馳走してくれるらしいから」
「え、さやか奥様が、料理、作るの?」
岡さやかはリードの創業者一家出身で現社長夫人、理沙の元上司の妻で、華やかでゴージャスな美人だ。
あのルネッサンスの名画から抜け出たような奥様が包丁を持つ姿を、理沙は想像出来ない。
「うちのオフクロ、結構、料理上手だよ。
時間がかかってしょうがないけど。
なんたって、すごい料理教室に通っているからね。
茄子一個料理するにも、揚げて、蒸して、オーブンに入れるなんていう工程の料理を作るから、一日がかりさ。
茄子だってくたくただと思うよ。
でも、今日は、外食。
ラーメン食べたいって言うから、中目黒の汚ったないラーメン屋に一緒にいくことになってんだ。
ひとりじゃいけないっていうからさ」
「祐一のママとラーメンなんてミスマッチだよね」
歩夢が無邪気に言う。
「ほんとに…」
それは例えば、故ダイアナ妃がラーメンを啜っているというのに近いものがある。
だが、理沙の危惧は別のところに有る。
さやか奥様は平気なんだろうか…
そんな理沙の心配をよそに
「でも、あそこのラーメンと餃子は最高だよね。雅文さんに感謝しなきゃね」
歩夢が嬉しそうに言う。
「雅文に?」
―そんなラーメン屋、覚えが無いぞ。
「あれ、連れて行ってもらったことないの?」
理沙の声が尖る。
「ないわよ」
―――角が出て、牙が生えたのを見たような顔をしないでよ。
 
歩夢と祐一は顔を見合わせ、祐一が口ごもる。
「そう、それは・・・・」
「じゃ、僕たち急ぐから」
と、二人はそそくさと片付けに掛かって、理沙はなんとなく帰らざるを得ない状況になり、表に出たとたん、雅文にメールした。
「雅文、私もラーメン食べたい」

 

恋人の理沙が従弟の歩夢の家でパスタを食べている頃、雅文は渋谷の駅前から表参道に抜ける道を歩いていた。
ゴールデンウイーク明けの渋谷の町は、もう、アスファルトの照り返しがきつい。
雅文は渋谷北署の刑事として、ひき逃げされて意識不明のホームレスの老人の身元を調べている。
老人は駅の構内に住み着いたが、トキさんという通り名がわかっているだけで、ねぐらとされている駅の柱の側にあった荷物にも、何も手がかりになるものがない。
ただ、表参道に抜ける道のコンビニエンスストアのパートとトキさんが知り合いのようだというホームレス仲間の情報があり、雅文とベテランの今井が向かっている。

コンビニは忙しい時間帯のようで、二人は外でしばらく待っていた。
駐車場の一角で高校生くらいの少年三人と少女二人が、地面に座り込んで、パンやおにぎりを食べ、ペットボトルのお茶を飲んでいる。
それぞれ、携帯で話していたり、メールを打っていて、その場にいる友達との会話は無かった。
「不思議な世界になったもんだな」
と今井が彼らを見て言う。
雅文は彼らよりも十才くらい上になるのだが、自分にも理解できない人種を五十過ぎの今井に理解しろというのは無理だろうなと、苦笑いした。
食事を親に与えて貰わなくても、金がさえあれば簡単に買える時代に、親というのは、どういう存在になるのだろう。
仕事柄、非行に走る少年少女たちを見ていると、彼らが一番恐れるのは、お金が無くなるということだと思うときがある。
彼らは親がいなくてもお金があれば生きていけると思っていないか?
援助交際や喝上げなどに走る少年少女を見ていると彼らの価値基準は金なのだ。
それは食事が簡単に外でお金さえあれば取れるということに繋がっていると雅文は思う。
お金さえあれば、この国では飢えずに生きていけるのだ。
今、あそこで地べたに座って食事を取っている子供たちは、まるで難民のように見える。

やがて、パートの女性が裏口から出てきた。
その太田綾子という女性はがっちりした背の低い女性だった。
三十歳半ばだろうか。化粧が濃い。
「あの人、私の実家の近くでお米屋さんをしていらした方じゃないかと思うんですけど」
見かけよりは物言いがやさしい彼女が言うには、
「この近くなんですけど、小さなお米屋さんで、一時はコンビニに改装して流行っていたんです。私が結婚する頃には閉めていました。
なんでも、地上げにあって、倒産して、奥さんと別れて、夜逃げしたと言う噂もありましたけど。
今は、お店の跡は駐車場になっています。
この前、ここで廃棄するお弁当を取りにいらしたときに、見たことのある方と思って。
他の方に聞いたら、トキさんと言っていたので、それじゃあ、やはり、トキノさんかなと思ったんですけど」
「トキノさん?」
「あの、絶滅寸前の、鳥の」
「ああ、朱色のシュに、鷺…」
「そうじゃなくて…」
彼女はエプロンのポケットから紙を探し出して「鴇」と言う字を書いてくれた。
「奥さんは埼玉のほうでお亡くなりになったと聞いてますけど…」
「でも、おかしいな・・・・」と綾子は続けた。
「鴇野さんなら、今はそんな暮らししなくてもいいはずじゃないかしら」
「どうしてですか?」
「だって、息子さん、半月ほど前に亡くなったんですけど、新聞に載ってましたよ。
なんでもインターネットの株かなにかで儲けて、すごい遺産があるとかで。
独身だったから、遺産は親のものじゃないんですか?」
「それじゃ、鴇野雄一郎の父と言うことですか?」
「そうです」
雅文にはすぐに判ったが、今井は鴇野雄一郎を知らなかった。
「そんなに有名な人か、その鴇野雄一郎は?」
「はあ、確か、遺産三十億とかで、週刊誌を賑していました」
「ほう、それでも、親はホームレスか…」
定年まじかの今井は、最近、年寄りに弱い。
自分の年もそうだが、この時代に老いていくということに対する不安がそうさせている。 
公務員の今井は、今まで将来に不安を感じたことはなかったが、ここに来て、果たして自分が生きている間、この国は持ってくれるだろうか、と少し弱気になっている。
ホームレスの老人など見るとさらに不安は募る。
いつ、あの場所に自分がいる羽目になるとも限らない時代だ。
「鴇野さんのとこ、娘さんもいらしたはずですよ。どうしているのかしら」
「娘さんのこともご存知ですか?」
「雄一郎さんは私と同学年でしたから、知っていますけど。
妹さんのことはちょっと…
雄一郎さんが亡くなった時、お葬式の喪主は会社の共同経営者だったけど、行方不明の妹もいるって、週刊誌で騒がれていましたよ。
遺産相続がどうなるかって…」
「三十億かあ、そりゃ、揉めるわな」今井が呟いた。
「妹さん、十歳くらい年が違うはずよ。
病気がちで弱い子だったような気がするけど、印象がないのよ」
太田綾子によると、妹が母親と一緒に埼玉に行ったのは中学生くらいのころだったという。

綾子にコンビニが在ったという場所を聞き、その場所の確認に向かう。
それは、細長い四階建てのビルと五階建てのビルとの間にぽっかり開いた空間で、そこだけ、時が止まったように、町の発展に取り残されていた。
日の当たらない、広告に囲まれた駐車場には、何台か車が止まっていた。
番地を確かめて帰る。
坂を下って署に向かいながら、雅文が
「とりあえず、鴇野雄一郎を調べましょう」と言うと、
「そうだな、こんなに早く身元がわかるとは思わなかったな」
と今井の声も明るい。
「あのじいさん、もってくれるといいが」
「そうですね。三十億の遺産と聞いたら、飛び起きるかもしれませんね」

署に戻り、理沙からのメールを確認して、雅文は思わず笑う。
きっと、歩夢から話を聞いて怒っているんだろうなと可笑しかった。
理沙は分かりやすい。
駆け引きとか、意地悪が無い。
安心できる。
理沙といると、自分がのびのびしているのが分かる。
結婚するなら、そんな相手が良い。
 
ヤンキー出身の母と「結婚したい」と日本橋の料理屋の跡継ぎだった父が言い出した時、周りはこぞって反対したが、祖母の高子は「その子を連れていらっしゃい」と父に言ったそうだ。
そして、母に出会って、
「あの子は気が強いが意地悪ではない。
女は家の要だ。
底意地の悪い女は、家を暗く冷たいものにする。
あの子なら、きっと、明るくメリハリの利いた家にするだろう」と賛成したという。
母は八十才になった祖母を、今でも大切にしている。
この不況の中でも、「大野」が老舗の暖簾を下ろさずにやっていられるのは、父の腕はもちろんだが、バブルにも踊らず、冷静に家業を切り盛りした母の手腕だと評価は高い。

「今度、連れて行ってやるよ」と理沙にメールを返して、雅文は早速、鴇野雄一郎の経営していた会社に連絡を取った。
社長秘書が雄一郎の弁護士の電話番号を教えてくれた。
弁護士事務所に連絡し、雄一郎の父親の所在を訊ねると、「行方不明です」という返事が返ってきた。
あいにく、弁護士本人は出かけていて、それ以上、要領を得ない。
妹の住所は教えてもらえた。

妹の名前は鴇野史。
史は、店が倒産して離婚した際に妻に引き取られていた。
妻は八年前に死亡。
娘の史は一年前、埼玉から東京に転居していた。
史の現住所は本郷△丁目△番△地。電話番号の登録は無かった。
 

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