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December 13, 2004

満月伝説 #7 神のみぞ知る

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一生懸命、追いかけているのに、追いつかない。
息は切れ、もう、動けない。
その場に膝を折って、昌義は手を伸ばす。
そのまま、昌義はふっと気を失った。

どれくらいの時間がたった頃か、目を覚ました昌義は自分を呼んでいる声に気付いた。

――お諸仏さん?

ぼんやりとした影が見える。
大勢居る。
彼らは月明かりの下、まるで踊っているようだ。
昌義は返事をしたつもりだったが、声は出なかった。
「ここ……だ……」
ようやく声は出たが、彼らには聞こえないらしい。
まだ、呼んでいる。
「お諸仏さま、ここに……ここに、います」
彼らはまだ、昌義の名を呼んでいる。
月明かりが眩し過ぎて、もう、目が開けていられなかった。
どこからか香る強烈な茸の匂いと落ち葉の匂い。
体が冷たい。

次に気がついたとき、昌義はふわふわのベッドに寝ていた。
目に入った水色の天井に驚いて起きようとしたが、右手に点滴の管が挿入されているのに気付き、顔だけを上げて、部屋を見回す。
隣のベッドとの間のテーブルの上に、眼鏡が置いてあるのが見えた。
それを取り上げて掛けると、部屋の様子がわかった。

壁は天井と同じ水色で金の装飾縁取りがしてある。
大きな窓にはどっしりとした水色地に金のアラベスク模様のカ―テンがかかっている。
天井には埋め込み式のライト、壁にも照明が設けられている。
ツインの寝室と次の間は大きな白い引き戸で仕切られていて、少し開いている引き戸の向うから、男の声が聞こえている。
「あら、気がつきましたね。起きたらだめですよ」
起き上がろうとして、引き戸を開けて部屋に入ってきた女性の看護士に止められた。

「先生、患者さん、気が付きましたよ」
看護士に呼ばれ、隣の部屋から、医師が枕元にやってくる。
黒服の見知らぬ男も後をついてくる。
彼らは隣の部屋の中でコーヒーを飲んでいたらしく、コーヒーの香ばしい香りが流れ込んできた。

「ここは……?」
「ホテルの部屋だよ」
「どうして、ここに……」
「覚えていないのか?」
医師は看護士に何か指示をする。
「おたくは一昨夜、急にホテルを飛び出していって、一晩、行方不明だったそうだ。
そして、昨日の朝、きのこ取りの土地の人に発見された。
それから、一日、ずっと眠り続けていたというわけだ。
点滴で良いとは思うが、念のため、注射を一本しておこう」
看護士から受け取った注射器を取り、医師は昌義の腕に針を刺した。
酷く痛い注射だった。

見知らぬ黒服の男性が医師の横から顔を出す。
「大丈夫ですか? 山田様」
「あなたは……?」
男性は顔を歪め医師を見、思いがけないことを言った。
「私のことは記憶に無いようです」

針を抜いて注射器を看護士に渡しながら、医師は必要以上に明るい声で言った。
「大丈夫ですよ、ちょっと、山の中で迷ったショックで記憶が混乱しているんでしょう」
覗き込んでいる男にそう言うと、医師は昌義に向き直った。
「この人はあなたの泊まっているこのホテルの支配人ですよ」

――こんな奴、絶対に、見たことは無い。

初老の白髪交じりの髪の中肉中背の男を眺め、昌義は首を振った。
「いや、僕の泊まっているホテルの支配人は、三十代で、背が高くてハンサムで……」

医師はまたもや不必要なくらい明るい声を出す。
「大丈夫ですよ。もう少し落ち着けば、記憶を取り戻します」
「山田様、警察の方がお話したいと言っておられますが、大丈夫ですか?」
黒服の男が恐る恐る訊ねる。
「警察?」
「何度も済みませんがと……」
「ああ、あの、バ―テンのこと……」
喉が掠れて、昌義は咽こんだ。看護士が黙って水を差し出す。
「ああ、そう云えば、あのツキヨダケで、死んだ人と、知り合いだそうだね?」
医師はさりげなく言った。

ごくごくと水を飲み干すと、漸く普通に声が出た。
「行きつけのクラブのバ―テンだったんですよ」
「ツキヨダケは一見美味しそうに見えるからなあ。
都会の人じゃ、間違っても無理ない」
医師は平然と答え、看護士に点滴の撤去を命じた。

「あの、刑事さんには、ロビーでお待ち頂いているんですが……」
支配人が医師に遠慮しながら口を挟む。
「ああ、もう、大丈夫だろ。外傷も無いし、血液検査でも問題無かったからな。呼んで来なさい」
医師は勝手に答える。

「じゃ、山田さん、お大事に、もう、何も問題ありませんよ」
そう言うと、医師はさっさと部屋を出て行ってしまった。
黒服の男も、昌義に丁寧にお辞儀すると医師の後を追う。

昌義は起き上がり、ちゃんと自分のパジャマを着ていることに気付いた。

――あのタキシードはどうなったのだろう?

そう思ったとき、枕元の携帯が鳴った。
見慣れない番号だった。

恐る恐る出ると美奈子のキンキン声が響く。
「あなた、どうなの、山で迷ったんですって? 大丈夫?」

「ああ、身体は大丈夫だが、美奈子、お前、今、どこに居るんだ」
「岡さんのハワイの別荘よ」
昌義はああそうだったと思い出し、岡夫人が一緒ということは、昌義の記憶に間違いは無いと確信した。
「美奈子、ホテルのことなんだが……」
「あなた、私、岡さんのご好意に甘えて、二週間ほど、別荘でお世話になるから」
「美奈子……あの……」
「早く帰らないと、もう、休みは終わりでしょ?」
「そうだが……」
「自分で連絡してね。お父様、かんかんだと思うけど。
じゃ、また、連絡するわね」
そう言うと、返事を待たずに電話は切れた。

確かに国際電話だから、長電話は困るのだろうが、それにしても、泊まった覚えも無いホテル。どうすればよいのか?
昌義は呆然として、サイドテーブルに目を遣る。
見舞いらしい花篭が置かれている。
綺麗なピンクのバラがいっぱい入っていて良い匂いがする。
誰からだろうとカ―ドを探したが、何処にも無かった。
とにかく、起きようと、ふらふらしながらもベッドから出る。
クロ―ゼットを開けると自分たちの荷物が入っていた。
金やクレジットカ―ドもちゃんと有る。

窓を開けると、田沢湖は見慣れた位置より少しずれていた。
ノックの音がした。
「どうぞ」と答える前に、ドアが開き、あの二人の刑事が入ってきた。
中年の刑事、佐々木は大げさな身振りで、
「いや―、山田さん、まんずまんず、大変なこったっしゃな―」
と大声で言った。
たぶん、見舞いの言葉だろうと推察して昌義は、とりあえず、
「はあ、ご迷惑をおかけしました」と答えた。
「いや―、こんったら時にもすわけねすども、あの、例の鈴木、あの人の事で……それにしても、この部屋はスンゲ―なあ」
そう言うと、年配の刑事はベランダに向かい、外の景色を眺め、カ―テンに触ってみたり、大型のテレビに触ったり、落ち着き無く動き回る。
若い方の刑事が、昌義を促して、ソファに座った。
手帳を取り出しながら、彼も、部屋を見回す。
「立派な部屋ですね」
「たけーべっしゃ?」
佐々木は調度品のスタンドに触りながら、関係の無いことを言いだす。
千葉は昌義のほうに身を寄せ、小さな声で、
「すみませんね、あの人、『刑事コロンボ』に凝っているんすよ」
「今なんて言ったんですか?」
「高いでしょうねってことです」

千葉はコホンと咳払いすると本題に入った。
「実は、あの死んだ鈴木、女と一緒だったという目撃証言があるんす」
「女……」
「それで、お心当たりは無いかと思いましてね」
「…………」
どう答えようか昌義が迷っているのを頓着もせず、佐々木は千葉の横にどっかと座ると、
「中毒死はまちがいねども、一緒の女はどしてらかという話すになって、愛知県警にも協力を要請して、おらだも愛知に行こうかと言う矢先に……」
その先の言葉を昌義は息を呑んで待つ。
「昨日の朝、女の遺体が御座の石で上がりますてね」
「遺体……」

――まさか?

若い刑事が切り出す。
「石原和子さん、ご存知ですよね」
「石原和子……」

――亜里沙の本名だ。

「あなたとは、かなりのお付き合いのようで……」
佐々木は急に訛った標準語になった。
「ええ」
仕方なく昌義は頷く。
「あの人の住んでいるマンション、あれ、あなたの名義ですよね?」
「はい」

――亜里沙が死んだ。俺を殺そうとしたのがばれたからか……?

「で、当然、おたくが怪しいと言う事になったんすが……
死亡推定時刻は昨日の朝の十時ごろだと判明したす。
それで、こちらに問い合わせたところ、その時間、おたくさんは熱を出して寝込んでいて、とても、出かけられる状態じゃねがったと言う事で……千田先生もそう証言してらしね。
他の宿泊客の証言もあったし、ま、無関係とは思ったども、ちょこっと、お聞きしたくてね」
佐々木の言葉はやはり理解不能だが、なんとなくのニュアンスは伝わった。

「……亜里沙、溺れたんですか?」
苦しげにもがく亜里沙の顔が見えるようで、昌義は眼鏡をはずし、両手で顔を覆う。
「死因は溺死なんですわ。お気の毒なことです」
佐々木は気の毒そうに昌義を見て、
「ショックだべな」
昌義は素直に頷いた。

「彼女は貴方にマンションまで買って貰いながら、あの鈴木とも付き合っていたようすな」
「…………」
「あの鈴木と言う男もいい加減な奴で、借金、山ほどあったようだし、石原和子も貴方みたいな人と付き合いながら、どうして、あんな男と……」
佐々木は首を振る。
千葉が話を続ける。
「石原和子のマンションの家宅捜索したんですよ。
そこで証書が見つかりましてね。石原和子は貴方名義で一千万の保険に入っていますね?」
「ああ、あれは、あいつが勝手に……」
とにかく体勢を立て直そうと、眼鏡をかけ、昌義は座り直す。
「あなた、一昨日の夕方、御座の石で彼女と会っていましたよね?」
千葉は上目遣いに昌義を見る。
「ええ、だからどうだって言うんです。俺は亜里沙を殺していない」
思わず、昌義は声を荒げてしまった。
「何か、石原さんとトラブルでも?」
千葉はあくまでも冷静に訪ねる。

「いや、何も……」
昌義は思わず、右手で眼鏡を持ち上げる。
「それは嘘を吐いている時の癖だ」と杉崎に指摘されたことがあったのを思い出し、慌てて指を離す。

「目撃者の証言によると、その場に、鈴木もいたようなんすがね」
疑わしげな千葉の視線を感じ、昌義は目を伏せる。
「いや、彼が来ていることは知りませんでした。
一昨日、刑事さんたちから聞いて、驚いたくらいです。
亜里沙も何も言わなかったし……」
昌義は嘘をついた。

――あんたたちだって、幽霊に教えられたと言われても困るだろう?

「ふうん」
千葉は不満そうな声を出す。
「石原さんとはこちらで待ち合わせていたんすか?」
「いや……ただ、ここに来ることは店で話していました」
「こちらのホテルに泊まることは知ってたんすか?」
「ちょうど、マリエンバ―ドで友人にホテルを紹介してもらった時に、亜里沙もいましたから……」
昌義は思い切って聞いて見る。
「ところで、このホテルの名前、ご存知ですか?」
「う?」
二人の刑事は顔を見合わせる。

「ここの名前って、田沢湖レリーブドホテルだべ。どうかしただか?」
佐々木が訝しげに答える。
「いや、いいんです。で、あの、この前、訪ねてきてくれたホテルですけど……」
「あそこは、ホテルなんてもんでないっしょ?」
佐々木は笑う。
「あそこは何なんですか?」
「あれは廃墟とばかり思っていたども、あんたらがあそこにいてビックらしたあ」
「廃墟……?」

――確かにそういったほうが良いようなホテルだったが……

「なんでも、東京のホテル学校が買ったって話だったども、酔狂な人もいることだって、地元で評判だったしゃ」
「ホテル学校……」
「あんただとこで、飲み食いしているとは、あんたら酔狂だねえ。
都会人の考えることはわからんなあ」
「ンだども、あそこで、華楠のコンサ―トがあったと聞いたども、まさかねえ?」
佐々木の言葉に頷きながら千葉が言い出した。
「いや、確かに、コンサ―トではないけれど、歌っていましたよ」
佐々木の顔色が変わった。
「うわあ、そんな良い話、支配人、教えてけねもの」
「佐々木さん、華楠の大ファンなんですよ」
千葉は苦笑いする。

「刑事さん、実は、あの……」
昌義の言葉を遮り、佐々木は言い出した。
「そうそう、御座の石で、石原さんに会って、何、話したか、教えてけねか?」
「ああ……」

――殺されかけましたとは言えないよなあ。

「あの、別に、話を聞いて、来たくなったから来たといっていました。
妻は東京に行ったと言うと、自分の泊まっているホテルに行かないかと誘われたのですが……」
「ほう、何でいかなかったんすか?」
千葉が興味を示し、手帳を開きペンを持って身構える。
「ホテルで知り合った人たちと、夕食の約束をしていたもので……」
「ああ、フランス料理の丹波光彦、漫画家の大楠碧子、グローバルライン社の社長の金沢陽子、経済学者の坂田英次、作家の神楽坂史記、少年二人、それと……」
手帳を読み上げていた千葉の声が緊張する。
「警視庁捜査一課の大野刑事とその婚約者の理沙さん、ですな」

「刑事っ?」
昌義は思わず声を上げる。
「大野雅文刑事、実は、その婚約者の理沙さんが鈴木の遺体の発見者なんすよ」

昌義はあのホテルのことを言い立てるのは得策ではないと判断した。
それぞれの道で一流の面々と警視庁の刑事までが、最初からこのホテルに居たと言っているのだとしたら、自分の言葉を誰も信じまい。
考え込んだ昌義を見て、千葉が声を掛ける。
「何か、言いたいことが……?」
「いや、何もありません」
手帳を閉じ、胸ポケットに仕舞いながら、千葉は何気なく言った。
「ああ、石原さんのご遺体ですけど、ご両親が引き取りに来て、山形に連れて帰りましたよ」
「死に顔がまるで笑ったみだく綺麗で、親御さんたちもほっとしてらっけ」
しんみりと佐々木が言う。
「そうですか……」
笑ったような死に顔という言葉に昌義は少し救われたような気がした。
恨みを残して死んだような凄惨な死に顔ではたまらない。
自分が殺したわけでもないのに、昌義はそう思った。

コロンボ好きの佐々木が、タバコを取り出して、昌義にも勧めたが、昌義は断った。
佐々木は煙にむせながら、
「ゴホ、ゴホ、うちのかみさん、山形出身で、ゴホ」
「はあ……?」
「なんで、ツキヨダケなんか採って食ったかと不思議がってね。
石原さんの親御さんにお尋ねしたらば、山形でも、ツキヨダケはあるそうで、娘も知っているはずだと言ってらっけ。
ただ、あの石原さんは、継母と仲が悪くて、高校出て東京に行った後、丸っきり連絡無かったそうだから、忘れたかもしれないということだったっしゃ」
思いがけない話に昌義は、
「亜里沙も一緒に、あのキノコ、食べたんですか……?」
「二人はこの先のキャンプ場に、テント張って、自炊していたようなんすよ。
そこで、キノコ食べたようで……
でも、一昨日の昼、石原さんのほうは、何事も無いように、キャンプ場を撤去しているんです。
申し込みは偽名でしたがね。
鈴木が死んだのを知ってそうしたのか、知らなかったら、鈴木が行方不明なのにどうして?
という疑問がありまして……
もしかしたら、彼女が鈴木を殺したんでねえか、その線もありかという話なんだけども、まあ、二人とも死んでしまって、藪の中だな」

――亜里沙があの男を殺した……それは、有り得るかも知れない。

昌義は思わずため息をついていた。
「大丈夫すか?」
千葉が気遣う。
「少し、疲れて……」
「ああ、それじゃ、取り合えず、ここまでと言うことで、ありがとうございました」
そう言うと千葉は立ち上がる。
「僕は、今日、帰るつもりなんですが……」
昌義は帰って良いかどうか確認することにした。
「ああ、いいっすよ。貴方のアリバイはばっちりだから、まあ、これで良いっしょ」
「ンだすな」
佐々木の言葉に千葉が頷く。
「したらば、気をつけてお帰りください」
「ひば」

二人が出て行くのを見送り、昌義はまた、ため息をつく。
昌義は、亜里沙が鈴木を殺したのを確心した。

とりあえず、荷物をまとめ、テーブルの上に有ったカ―ドキ―を持ってフロントに向かう。
フロントやロビーはピンクとゴ―ルドでまとめられた豪華な装飾だった。
華やかな生花のアレンジメントも置かれている。
あの古ぼけたホテルのロビーとは雲泥の差だ。

どきどきしながら、キ―を出すと、見知らぬフロントの中年女性は請求書を差し出す。
料金は予約したときの金額だった。サインしてある夕食の伝票も間違いなかった。
狐に抓まれたというのはこのことだろう。

とりあえず、ロビーの喫煙席を見つけて、座る。
タバコに火を点けて、ほっとした瞬間、
「山田さん、大丈夫ですの?」
聞き覚えのある声が聞こえた。
見上げると、金沢陽子が立っていた。
相変わらず、ぱっと目を引く水色のスーツを着ている。
「金沢さん……?」
「どうなさったの。私の顔、変かしら?」
陽子は自分の頬に触る。
「いや……」

もしやと思ったが聞いてみることにした。
「金沢さん、僕ら、最初からここのホテルでしたか?」
「えっ、何を言ってらっしゃるの?」
言いながら、陽子は昌義の向かいの椅子に座る。
「いや、僕の記憶では、ホテルはもっと古びていて、設備も悪くて、確か、大浴場が壊れていたんですよ」
「何のことかしら?」
きょとんとした表情で陽子は昌義を見る。
「そんな覚えないですか?」
「無いわ。私たち、最初からこのホテルだったでしょ? 食事は確かに古いホテルでとったけど」
「そんなバカな……」
「あら、坂田先生」
通りかかった坂田に陽子が話しかける。
「山田さん、山で迷って、記憶がおかしくなったようなんですわ」
坂田も、陽子の隣に座ると
「大丈夫ですか?山田さん。ずっと眠ったきりだと聞いていましたが」
心配そうに話しかけてくる。

「そうだ、お諸仏さん、どうなりました?」
昌義の問いに、二人は顔を見合わせる。
「どう……って?」
陽子が問い返す。
「例の、ほら、満月伝説ですよ」
声を潜めて話しかける昌義を、怪訝そうに見ながら陽子が聞き返す。
「満月伝説って?」
「僕に教えてくれたじゃありませんか?
お諸仏さんが満月の夜に人型になって、願いを適えてくれるって……」

陽子は目を見張って、話を聞いていたが、ほ―ほほと高らかに笑い出した。
坂田も笑いを堪えるように下を向いている。
「いやですわ、山田さん、そんなご冗談。山の中で夢をご覧になったんでしょう」
陽子は立ち上がり、
「坂田先生、そろそろ参りましょう。
山田さんも、今日、お帰りになるんじゃございませんの?
私たち空港行きのバスに乗りますの。もう、出発ですわよ」
「山田さん、どうか、くれぐれもお大事に」
坂田は気の毒そうに言うと、陽子と並んでロビーを出て行った。

昌義も仕方なくバスに向かう。一日に一便の飛行機に乗り遅れたら大変だ。
バスに乗る列に並んでホテルを振り返ると、玄関に「料理の超人、丹波光彦の世界」というキャッチフレ―ズの、丹波がシェフのスタイルで腕を組んで立っている写真付きの看板があった。
「それじゃ、きっと、神楽坂史記も居たんだろうな」
と独り言を言って、昌義はバスに乗った。

運転手は、あのマンズマンズのおじさんだった。
「お疲れ様です。ご旅行は如何でしたか?」
運転手は何の訛りも無い標準語で、昌義に挨拶した。

山田昌義がバスに乗り込むのを、神楽坂史記はロビーの隣のカフェから眺めている。
「山田さん、大丈夫かな」
向かいで歩夢が心配そうにつぶやく。
「身体に異常は無いということだから、大丈夫さ」
歩夢の隣に座った祐一は冷静に答える。
「それにしても、あんなことになるなんてね」
神楽坂史記は、ア―ルグレイを口に運びながら言った。

「山田さん、無事、帰りましたか?」
シェフスタイルの丹波が席に来て話しかける。
「ええ、なんとか」
「それは良かった」
丹波は笑い、史記の隣に座る。
「ごめんなさい、皆さんにもご心配をおかけして……」
「いや、無事で良かった。それにしても、予定外のことでしたね」
「ええ」
「碧子さんは最後まで見届けたかったと残念がっていましたよ」
「締め切りに追われて、今頃はひ―ひ―言っているわね」

そんな会話を交わしているところに、迫田が書類を持って現れた。
「お疲れ様、迫田先生」
「山田さん、どうなるかと思いましたけど良かったですね」
「ええ、記憶もしっかりしているみたいだわ」
「史記さん、これに目を通していただけますか?
今度の研修についての生徒の感想です」
丹波が迫田に話しかける。
「迫田さん、支配人役は板についていましたね」
「いや、お恥ずかしいです。僕には演技は難しくて、もう、冷や汗ものでしたよ」
「みな、結構役者でしたね」
祐一は一番嫌がっていたくせに、ちゃっかり楽しんだようだ。
「坂田先生とこの学生さんたちのがっかりしたこと。
二日も出番を待っていたんですからね」と丹波が言う。
「彼らに食事、出していただけました?」
「ええ、ものすごい食欲ですな。気持ちが良い」
「彼らは、この後、どうするの?」
歩夢の問いに、迫田は時計を見ながら答える。
「次のバスで駅まで送って貰って、新幹線で帰します」
「そう、シーファ学院の生徒たちは?」
史記は感想にざっと目を通しながら訊ねる。
「はい、あのホテルを元に戻して、明日、出発します。
今回の設定は楽しかったと言っていますよ。
フロント担当は、あの奥さんに泣かされていましたが、よい経験です」
「丹波さん、生徒へのご感想は?」
史記が訊くと、丹波は相好を崩す。
「ああ、良かったんじゃないですか。
特に今回のシェフ、良い出来でした。あいつは楽しみだな」
「ツキヨダケ、見つかってよかったですね」
歩夢が笑いかける。
「ああ、危ないところでしたよ」
「野村さん可哀想。椎茸を間違って捨てたと思って、あわてて冷蔵庫に戻したのにね」
「ああ、アイツはうちのスタッフの中では生真面目で気がつく奴なんですが、今度のはショックだったようです。
これから、茸の見分け方の勉強をするといっていますよ」
「本当にツキヨダケ殺人事件が起こるところでしたものね」

「それにしても、あの鈴木という男は何だったんですかね?」
丹波は首を傾げる。
「刑事さんの話だと、昨日、田沢湖で見つかった女性と一緒だったみたいよ」
「あの溺れた人?」
「あの女性、山田さんの愛人だったそうよ」
「本当ですか?」
丹波は刑事に昌義のアリバイは証言したものの、何のためのアリバイかは教えて貰っていなかった。

「ツキヨダケを調理して食べたのなら、女のほうはどうして助かったのかなあ」
歩夢も不思議そうだ。
「女が男を殺したに決まっている」
祐一が冷たい口調で言った。
「いずれにせよ、あれは私の責任では無いようで、ほっとしました」
丹波の言葉に史記は微笑んだ。

「自分の捨てた物で、次々、人が死んだのでは、物を捨てられなくなってしまいますよ」
丹波は笑うが、その気持ちは複雑だろうと一同は察した。

丹波は自分の捨てた酒から、死者が出た事件が起こり、妻を失った。
それは去年のことだが、彼の傷口はまだ、癒えていないはずだ。

「今回はご協力ほんとうにありがとうございました」
史記は一同に深々と頭を下げる。
皆、それに頷いた。

丹波は出発するバスを見て、呟く。
「山田さん、頑張ってくれるといいなあ」
「春、また、会えますわ」
史記の言葉に丹波は振り返り、
「来るでしょうか?」
「ええ、必ず……あの人がそう言いましたから……」
「それなら、確かでしょう」

迫田が宴会場で待つ生徒の元に戻り、丹波が厨房に戻っていくのと入れ替わりに、雅文と理沙のカップルが現れた。
史記たちの隣の席に座る。
「山田さん、もう、帰られたの?」
理沙の問いに、歩夢が
「いま、バスが出発したところ」と答える。
「事件の方はどうなりました?」
「ああ、とりあえず、事故死で片付くみたいね」
「リ―、こんなところで死体を見つけるとは思わなかった、でしょ?」
従弟の歩夢の無邪気な問いに、理沙が眉を顰める。
「キノコを食べるのが怖くなりそう」

「先に死体見つけたの、理沙さんだって?」
祐一が面白そうな声を出すのを、理沙は睨みつける。
「物凄く苦しそうな顔をしていたのよ。まだ、目に浮かぶわ」
自分も苦しそうな表情を浮かべて、理沙は大げさに言う。
理沙と雅文は近くの雑木林を散歩していて、偶然、死体に出くわした。
鈴木の死体は道から少し入ったところにあった。
もがき苦しんだようで、木の幹には鈴木の爪の後があった。

雅文は史記に半ば強制されて、この企みに参加することになり、仕方なく婚約者の理沙に打ち明けた。
さすがに婚約者に内緒で四日も行方不明になるわけには行かない。
当然、理沙は反対するものと思っていたが、予想に反して反対しなかった。
「事件が一つ、未然に防げるなら、いいわよ、協力しても」
と自分も参加することを決めた。

三年前、理沙は自分がリードの秘書課に勤めたことにより、いくつかの事件が起こり、三人の命が失われたと思っている。
雅文は、理沙はそれに責任を感じていて、今度の協力は、その事件への後悔からかと推察していた。

だが、それにも関わらず、やはり鈴木と亜里沙は死んでしまった。
理沙は今かなり落胆している。

「大変な目にあったね」
「これも史記さんが、こんなお芝居、思いつくからよ」
何度も言われていて、「耳にたこ」状態だが、史記は素直に謝ることにした。
「申し訳ないことで……」
「それにしても、山田さん、何がどうなったんだろう?」
雅文も首を傾げる。
警視庁捜査一課の刑事にも、今度のことは理解不能のようだ。
「いったい、何があったんですかね」
「さあ」
史記もどう答えるべきかわからない。
「神のみぞ知る、だよ」
祐一が答える。

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