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November 08, 2004

満月伝説 #3満月伝説

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「なんですか?その満月伝説って……」

碧子は昌義に軽く乾杯の真似をして、スコッチを一口飲み、タバコに火を点けると、
「この高原を下って、玉川温泉に向かっていくと、ダムが二つあるの。
その最初のダムから山に入ったほうに、神社があって、そこには伝説があるのよ」
「はあ……?」

陽子は水割りをゆっくりと味わいながら、碧子の言葉に頷いている。
彼女も知っている話らしい

「今から、千四百年前、天竺から三十四の仏様が、空を飛んできた。
仏様たちには、夜が明ける前に、いかなければならないところがあったのだが、なにしろ、休む間もなく、急いで来たものだから、中の一体が、つい、うとうとしてしまい、その場所で石になってしまった。
残りの三十三体も、疲れて、次々に眠ってしまい、その眠った順に、山の中に点々と巨石がある。
スト―ンサ―クルとも、モアイとも言われているんだけど……
その石は、その山の他の岩石とは、成分がぜんぜん違っていて、明らかにどこかから運ばれたものだと云われている」
碧子は暗誦でもするように一気に話すと、息をつき、水を飲んだ。

昌義は、変な話を始めたなと思いながらも、一応話に載った。
「へえ、仏様が眠ってしまった罰を受けたんですか?」
「そういうことなの」
陽子が相槌を打つ。

昌義は、幽霊や怪談話や超常現象を信じることが出来ないたちだ。
そんなことがあるものかという思いはとりあえず隠して聞く。
「その罰は、誰が下したんですか?」

「上司、なんじゃない?」
からかい気味に昌義は言ったのだが、碧子は真面目に答える。
「上司? 仏様には上司がいるんですか?」
「だって、仏教って一神教ではないでしょ? 唯一絶対の仏なんていないから」
「そう……なんですか?」

碧子の言葉に思い切り首をかしげる昌義を見て、陽子は言い出した。
「ウチの会社にもいますのよ。石にしてしまいたいようなのが」
そういうと、陽子は思い出したのか、忌々しそうに、タバコを押し潰す。

昌義もそれには同感するものがあった。
――美奈子を石に出来るのなら、してみたいものだ。

「でも、それが、満月とどういう関係があるんです?」
「満月の伝説は、また、別の話。
いまから、四十年以上昔、ある少女がそのダムのほとりに住んでいた。
その少女には、神人と呼ばれた先祖がいて、系図をたどっていくと安部晴明にも届く家系だった。
その彼女が満月の晩に、見たんだって」
碧子はもったいぶって話を区切る。

最近、流行の陰陽師に託けたほら話か、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、昌義は、その話に付き合うことにした。
「何を見たんですか?」
ついニヤニヤしてしまうのを隠しもせずに昌義は訊く。

「あ、お替りね」
碧子は手を上げて、スコッチのお替りをウエイターに頼んだ。
そして、芝居がかった口調で話し出した。

「満月の夜、女の子はふっと、目を覚ました。
満月のせいか、まるで、昼間のように外が明るい。
彼女は、両親と寝ている部屋から、何気なく外に出た。
すると、山のほうから、何か話し声が聞こえる。
女の子は山のほうに歩いていく。
すると、背の高いハンサムな青年たちが、白い見たことも無いような服を着て、山から下りてくる。
それも、何十人も……」

昌義は吹き出したくなるのを抑えて口を挟んだ。
「それはちょっと、すごい光景ですね」

「彼らは、その女の子を見つけた。
大変だ。見られてしまった。どうしようと話し合っていたが、その中の一人が、少女に言った。
私たちは鳩峰神社の奥のお諸仏だ。
普段は石になっているが、満月の晩だけは、こうして、元の姿に戻れる。
お前にこの姿を見られてしまったので、もう、年に一度しか、この姿に戻れなくなってしまった。
実は、私たちは、もう千四百年ちかく、満月の夜には石から人型に戻って、遊びに行っていたのだが、それも、年に一度のこの夜だけになってしまう。
とてもさびしいと訴えた」

「仏さんたち、どこに遊びにいっていたんですか?」
新しい漫画の話かと苦笑いしながら、昌義は義理で尋ねた。

「田沢湖の辰子姫のところらしいですわ」
平然と陽子が答える。

碧子ではなく陽子が答えたことに昌義は驚き、間の抜けた声を出してしまった。
「へえ?」
「辰子姫様は竜なんですって。綺麗な女の子が永遠の美を願って、水を飲んで竜になったのだそうよ」
「はあ?」

碧子は続ける。
「お諸仏さんたちは、女の子に言ったの。
お願いがある。満月の夜ごとに、そちらから遊びに来てくれないか?
石のままの私たちの前で、歌を歌ったり、踊ったりしてくれってね」
「仏さんが、踊りと歌……ですか?」
「そう、天照大神だって、踊りや歌で、天岩戸から出てきたんですもの。
仏さんも歌や踊りが好きだったんでしょうね」
またもや、陽子がそんなことを言い出した。
「そんなもんですかね」
絶対、眉唾ものだと思いながらも、昌義はだんだん愉快になってきた。

――この話をこの女たちはどう決着させるのだろう?

「それで、彼女は満月の夜には、お諸仏さんのところに行って、一人で歌ったり踊ったりしていた。
そして、あの夜から一年目の満月の晩、行ってみると、彼らはまた若い男性の姿をして待っていた。
お前のおかげで、この一年が楽しかったと、彼らはこの一年の礼を言い、また、来てくれと頼んだ。
女の子は、約束を守って、満月の夜は家を抜け出し、遊びにいった。
でも、それから、数年後、女の子の一家はその地を離れた。
お諸仏さんはさびしくなった。
それで、人型に戻れる満月の晩には、人に話しかけ一晩中楽しく過ごして、その人に幸運を与え、夜明け前に山に帰る。
このホテルは、お諸仏さんの通り道に建っている。
だから、満月の晩にこのホテルに泊まって、お諸仏さんと出会って、楽しいときを過ごすと、その人の願いを適えてくれるの」

そう来たかと昌義は思う。新手の霊感商法のようなものかもしれない。

お諸仏セットでも、売りつけようというのか。
それとも、それを観光の目玉にして、「満月、お諸仏ツア―」でもしょうというのか。

――そういえば、あの支配人は、定員一杯だといっていた。

「さっき、支配人がこのホテルは定員一杯だと言ってたんですが、満月ツア―でもあるんですかね」
昌義はタバコに火を点けながら陽子に問いかける。

「あら、本当に何もご存知ないのね?」
目を丸くして驚きながら、陽子はウエイターを呼んで水割りをお替りする。
碧子も三杯目のストレ―トをお替りした。

「このホテルは三階建。
この旧館にレストランやバ―があって、客室は三階にある十室だけ。
奥のほうに新館があってその客室は四十。
新館四十室はお諸仏さんのために空ける。
そうすると、ほかの宿泊客は、三階に泊まるしかない。
泊まれるのは十室だけ。
今日の食事の席には九室分の人しかいなかったから、残りは一部屋だけ。
さっき、最後の一人が来たから、このホテルはもう満室」
碧子は指を折って数を数えながら説明する。

「あれ、食事のテーブルは七つでしたよね?
あの男女三人組みは二部屋として、もう一部屋……」
陽子は声を潜めて、わざわざ昌義の耳元に口を寄せて囁く。
トレゾアの甘い香りがする。
「私たち三人とも、別々のお部屋なの」
「あ、そうなんですか」
「彼とはお友達だし、彼女はこんなところでも仕事しているのよ」

陽子は楽しげに笑う。陽子には不思議な色気があった。
気が強そうに見えるが、話していると、この女性は自分に気があるのではと感じさせるような女らしい柔らかさがある。
昌義は、彼女が銀座のナンバ―ワンで、そのころ貯めていた金を自己破産して失意のどん底にいた鴇野雄一郎に出資した、という週刊誌の記事を思い出した。

ただ、美しいだけでなく、メリハリの利いたスケ―ルの大きさを感じさせる女性。
たしかに、ナンバ―ワンになれそうな女性だ。

鴇野雄一郎はその資金で投資会社を作り、昨年、ガンに斃れたときには、三十億の資産があったという。
そういえば、神楽坂史記は鴇野雄一郎の妹だ。
だとすれば、あの無愛想な地味な眼鏡の女が神楽坂史記なのだろうか?
そうだ、そうに違いない。
小難しい理屈をこねた推理小説を書いている女。ぴったりだ。

「あの、金沢さん、神楽坂……」
「あら、こんな時間」
陽子は腕に嵌めたダイヤを散りばめた時計に目をやる。
「ごめんなさい、私、仕事の電話をしなければいけないの。
失礼いたしますわ。また、お話させてくださいね」
そういうと、さっと立ち上がり、トレゾアの香りを残してエレベーターに向かう。
「それでは私もこれで……」
碧子も立ち上がり、そそくさとその後を追う。

「まったく、何なんだ?」
わけが分からないと、昌義は思う。
お諸仏が山の中に有って、その伝説までは納得できる。
そんな言い伝えは、全国どこにでもあるだろう。  
だが、その後の満月伝説は違う。
その話は、たかだか、四十年前から始まっている。
なにか、目に見えるご利益が無ければ、人がその漠然とした話についてくるものだろうか?

「お諸仏さんの満月伝説。あなたもやはり、そのために来たんですか?」
急にバリトンで囁かれて、昌義は飛び上がった。
今まで、碧子のいた席に、例の髭の中年男性が座っている。

「驚かせてしまったようですね、すみません」
男が謝る。
「いえ、ちょっと、ぼんやりしていたもので……」
男は、タキシードを着たままで、手にブランデーグラスを持っている。

「実は、私らは満月伝説のことを知らなくて、ここに予約してきてしまったんですよ」
体制を立て直して、昌義はこの男に、いろいろ聞いてみようと決心した。

「ほう、いつ、予約されたんですか?」

「二週間前です」
「よく取れましたね。僕らは一年前に予約したんですよ」
男は驚いたように目を見張る。
「そうですか、そんな前に……」
こんなところなのにと言う言葉は呑み込んだ。

「この伝説のことは、あまり知れていないんです。
ところが、このニ、三年ほどは、口伝てに広まっていましてね。
ホテルを取るのは、結構、難しいんですよ」

昌義はその情報に驚いた。
このホテルへの予約はあっという間に出来た。
結構、暇なホテルだと思っていたのだ。
「え? でも、すんなりと取れましたが」
「それじゃ、きっと、直前のキャンセルがあって、お宅はちょうど良いところに連絡されたんでしょう。
ラッキ―でしたね」
髭の男はニコニコしながら、ブランディーをうまそうに飲んだ。

「ところで、その、満月伝説というので、願いを適えてもらった人はいるんですかね?」
昌義の問いに、男はちらっと昌義を見ながら、シガーを取り出すと火を点ける。
甘い香りが広がる。

「あまり教えたくないんですがね。
これもご縁ですし、今年は貴方の番かもしれませんから、ま、いいか」
と、男は勿体ぶる。

「あなた、神楽坂史記とか、鴇野雄一郎とか、丹波光彦とか、岡敏郎なんて知っていますか?」
「え、ええ、知っています」

――推理作家、投資会社社長、料理の超人、世界的な精密機器メ―カ―の㈱リ―ドの社長、最近、勝ち組とされている人達だ。さっきから話題になっているし、本人にも出会った。

「彼らは、お諸仏さんの力で、あの地位を手に入れたんですよ」
髭の男はこともなげに言った。
――そんな馬鹿な!

昌義の表情を読んで男は、慌てたように、
「本当ですよ。その証拠に、神楽坂史記と丹波光彦は、今日、来ています。
さっきの、グローバルラインの金沢陽子と漫画家の大楠碧子でしょう?」

昌義は「はあ……」と気の無い返事をする。
「彼女たちも、その一人です」

――嘘だろ?三億がお諸仏のおかげ?

「確かに金沢陽子さんと大楠碧子さんと言っておられましたが……しかし、丹波光彦って……?」
「私ですよ」
男は軽く手を上げる。

「あ、あなたが?」

男はポケットから名刺を取り出し、昌義に渡した。
「『カルヴァドス』……これがお店の名前ですか……?」

「ぜひ、代官山の本店にお出かけください」
「ありがとうございます、あ、私……」
昌義はポケットを探ろうとし、舌打ちする。
「すみません、ちょっと、名刺を持ち合わせていなくて……
私、愛知県から来ました山田です」
「山田さん、よろしく」
丹波は彫りの深い整った顔を崩し、にっと笑った。
普段の整った表情が崩れ、子供のように無邪気な笑顔だった。
そして、外人のように握手の手を差し出す。

「よろしくお願いします。
で、丹波さんは、今年、何を願いに来たんですか?」
握手しながら、昌義が話を合わせると、丹波は
「いや、願い事を適えてもらえるのは、一生に一度だけです。
私はお諸仏さんに会いたくて来たんですよ。願いを適えていただいた御礼にね」
「適った、んですか?」
昌義は、言葉に詰まる。この話は本当なのか?

「ええ」
さらっと丹波は答える。
「僕は、料理の世界で、一番になりたいと願ったんです。
そうしましたら、あのコンテストです。
超人のタイトルを手に入れて、店も半年の予約待ちリストがあるし、世界中から、出店の依頼は来るし大繁盛です。
でも、この三日間は、何があっても空けていました。
お諸仏さんに、この喜びを語ろうと……
お諸仏さんはきっと、喜んでくださるはずです」

――この男がおかしいのではないとすると、本当なのだろうか?

信じてよいものかどうか、昌義が悩んでいると、ロビーを通りかかった支配人が、丹波の姿を見つけて寄って来た。

「丹波先生、お探し申しあげておりました。
先ほど、岡様のご夫人がご到着されまして、只今、食事をなさっておられます。
よろしければ、後でお話をとおっしゃっておられますが」
「ああ、いいよ。岡社長は今年、来られなかったんだね」
「はい、海外にご出張中とのことで……」
「それでは、ご挨拶に伺おう」

丹波は昌義に会釈して立ち上がりかけ、何かを思い出したように昌義を見る。
「岡夫人は『絵画の貴婦人』と称される素晴らしい美人ですよ。
楽しみにしていてください」
軽く会釈して丹波は歩き出した。

「シェフも、ぜひ、丹波先生にご挨拶をと申しております」
支配人は丹波を案内しながら、そんなお追従を言っている。

――岡って、あのリードの社長の岡敏郎か?
願い事の適った本人がいるもんなあ。
馬鹿には出来ないよなあ。
本当なら?……俺だって、その候補者だ。
もしかしたら、俺も、今のこの煮詰まった状況から抜け出ることが出来るかもしれない。

昌義は、もっと、詳しく話を聞きたいと思ったが、丹波は支配人と一緒にダイニングの中に入っていく。
二人を見送って、昌義は部屋に戻ろうと立ち上がる。

美奈子には、お諸仏さんのことは話さないことにした。
現実主義の美奈子がこの話を信じるとは到底思えない。
だが、フォ―マルな装いを、皆がし続けるのなら、それは、手に入れなければならない。

昌義はフロントに寄ることにした。
小柄な女の子が緊張した表情で近づいてくる昌義を見ている。
まるで話しかけられるのを恐れているような表情をしているのが気になったが、とにかく、ドレスを売っていそうなところを見つけなければならない。

「あの、皆さん、フォ―マルな装いなんで、私らは肩身が狭くてね。
どこか、この近くで手に入るところは、ある?」
「盛岡か秋田まで行かれれば、たいていのものは手に入りますが……」
フロント係は緊張した顔で、早口で答える。
「田沢湖駅からは、秋田にも盛岡も、新幹線で三十分くらいで行けます」
彼女は律儀に付け足した。 


昌義はご機嫌で部屋に入り、和室を覗いてぎょっとした。
――ジェイソンだ!

美奈子は布団の上に座り、顔全体にパックを貼り付けている
どうやら普通の格好で他のホテルの宿泊客には会いたくないらしく、もう、派手なピンクの花柄のパジャマに着替えていた。
もう、一歩も部屋から出ないつもりらしい。

「美奈子、明日も、皆、フォ―マルな格好でディナーを取るらしい。
ここでは、そういうのが暗黙の了解みたいなんだ。
美奈子がいやなら、別の宿を予約するよ」
昌義は優しそうな声を意識して出した。

「フォ―マルな格好をすればいいんでしょ。
そんな、こそこそ逃げるようなこと出来るもんですか。
明日、買いに行くわ」
パックをしたまま美奈子は鼻息を荒くする。

「じゃあ、玉川温泉は……?」
「そんなの、午前中に買い物を済ませて午後から行くのよ」
「分かった」
昌義は素直に従うことにした。

「明日は早いから、もう、寝るわ。あなたも早く寝なさいよ」
そういうと美奈子はパックをしたまま、布団に横になる。

だが、この点では美奈子に従うわけには行かない。
――もう少しお諸仏さんの情報を手に入れなければ……
昌義はジャケットのポケットに名刺と金を突っ込むと、煙草を手にした。
「バ―で一杯やらないか?」
わざと美奈子を誘う。

「お酒?」
布団をかぶった美奈子はパックが突っ張るのか、ろれつの回らない声を出した。
「ああ」
「なんだか、眠くって仕方ないの」
そう言いながら、あくびをする美奈子に昌義は安堵する。付いて来られたら困るのだ。
「じゃあ、先に寝ていてくれ、僕は、もう一服してくるよ」

「や―ね。あなた、煙で出来てるんじゃないの」
トイレを済まして、部屋を出ようとしたときには美奈子の鼾が聴こえてきた。
パックをしたまま眠っている。

昌義は美奈子を起さないようにそっと部屋を出た。
それと同時に、向かいの部屋から、藤色のドレスの女性が出てきた。
ほっそりとした、泣き顔のような憂いのある大人しそうな中年の女性だ。
丹波光彦と一緒に居た女性だ。奥さんだろう。

丹波夫人は軽く昌義に会釈をすると、奥の部屋に向かう。
一番奥の部屋をノックすると、中から、女性が出てきた。
さっきのディナーの席にはいなかった女性だ。
――岡夫人?

エレベーターを待ちながら、昌義は見るとも無くこちらに向かって歩いてくる二人の女性を見ていたが、近くに来たその女性を見て、眩暈を起こしそうになった。

岡夫人は薔薇色のドレスにダイヤモンドのネックレスを着けていて、顔全体が光り輝いて見える。
30半ば位と昌義は思ったが、いや、たしか40代のはずだと思い直した。
――ダイヤは間違いなく本物だろうなあ。
ドレスの袖や裾は繊細なスワト―刺繍になっていて、まるで消えるように終わっている。
昌義にはまるで服が身体に溶け込んでいるように見えた。

大きな瞳、明るい唇、白く輝く顔、艶々とした絹の光沢のむき出しの肩。
彼女のいる場所はスポットライトを当てられたように輝いている。
エレベーターの開ボタンを押したまま、昌義は二人の到着を待った。
さっきのエレベーターの残り香が近づいてくる。
やはり、あれは彼女のものだったらしい。
「名画の貴婦人」と言うのは嘘じゃないと微かにため息をつく。

「一階で宜しいですか?」
昌義が我に返って尋ねると、
「すみません、二階を」
丹波夫人から答えが返ってきた。

「二階には、何かあるんですか?」
二人の女性は顔を見合わせる。
「二階には、バ―とダンスホ―ルがありますの」
丹波夫人が答えた。
「へえ、行ってみようかな。誰でも入れるんですか?」
「ええ、宿泊客なら大丈夫ですわ」
岡夫人は、何も答えず、もっぱら、丹波夫人が答える。

エレベーターのドアが開くと、名画の貴婦人は、当然のように先に降りた。
後から、丹波夫人、そして、昌義が続く。

照明が抑えられた廊下に、ジャズのナンバ―が漏れ流れている。
どうやらバンドが入っているらしい。
廊下にドアマンがいて、重そうなドアを開けてくれた。

中に入ると、部屋の正面にステ―ジがあり、生バンドの演奏で黒人の女性ボ―カリストが歌っていた。
気だるい本格的なジャズを歌っている。
ステ―ジを囲むように、小さなテーブルがあり、キャンドルが灯り、飲み物が置かれている。
客はステ―ジに向かって座っている。

岡夫人たちはステ―ジの正面の丹波が座っているテーブルに案内された。
昌義は若いカップルの席の隣、部屋の左隅に案内された。
そこしか空いている席はなかったので、仕方がないと納得した。
いかつい顔をしたカップルの男性は、結構、愛想良く昌義に会釈する。

水割りを注文する。どうやらここは禁煙らしい。
テーブルの上に灰皿は無かった。
手持ち無沙汰に、歌を聴きながら客を観察する。
宿泊客はほとんど揃っていた。

大楠碧子は連れの女性と一緒に丹波の右隣に座っていて、軽く会釈をする。
その横にはあの少年たち三人組までいる。
もちろん、酒ではないだろうが、茶色い液体の入ったゴブレットが、テーブルに置いてある。
彼らは大人しく、ジャズを聞いている。
いまどきの高校生が珍しいと昌義は思う。
今年の新入社員と、歓迎会で話したとき、共通の話が無くて困った。こんなジャズなど彼らは聴いていないだろう。
 
丹波の席の後ろで、金沢陽子は一緒に食事をしていた男性と楽しそうに語り合っている。
昌義が神楽坂史記と思った、地味なメガネの女性はいない。
仕事をしていると陽子が言っていたのは本当らしい。

――それにしても、鴇野雄一郎、神楽坂史記、岡敏郎、丹波光彦の成功がお諸仏さんのお陰だとすると、すっげえ仏様だ。

鴇野雄一郎、自己破産して何もかもなくした男が、たった十年足らずの間に三十億もの資産を作ったって?
神懸りとしか思えない。

神楽坂史記が、中国の砂漠から、ミステリ――大賞に応募して、若干二十六才で大賞を取ったのも、兄にお諸仏さんを教えられた結果なのか?

岡敏郎の成功は、あの目の前の名画の貴婦人と結婚したときから始まった。
一研究員に過ぎなかった彼が、あんな美人でリ―ドの創業者一族の娘と結婚した。
だが、そのとき、創業者一家には、長男がいたはずだ。
そのままでは、彼の社長の目は無かっただろう。
だが、その長男一家は、彼らが結婚した翌年、交通事故で一家全員亡くなった。
岡敏郎を阻むものはなくなったのだ。これも神懸りといえよう。

それから、丹波光彦、彼自らが、あの超人コンテストでグランプリを取れたのはお諸仏様のお陰といっている。

「やはり、お諸仏さんのお陰だろうか?」
「そうですよ」
昌義は、声を出して言っていた自覚が無かったので、誰かが相槌を打ってくれて、驚いた。

慌てて振り向くと、隣のいかつい顔の青年が頷いている。
「…………?」
「華楠のことでしょ?」
「カナン……?」
――ああ、あの女の子は……
昌義は、碧子の連れの若い女に目を向ける。

――そうだ、あの女は、最近売り出し中の歌手、十九才にして今世紀最高の歌姫と評判の華楠だ。

ちょうど曲が終わり、黒人ボ―カリストがステ―ジから華楠になにやら話しかけている。
華楠は手を振って、断っていたが、やがて、説得されて、ステ―ジに上がった。

「今日は、ろくに発声練習もしていなくて、お恥ずかしいんですけど」
と、拍手に勿体をつけて、バンドになにか指示する。
突然、アカペラで「サマ―タイム」が流れた。
素晴らしい歌声だということは、ジャズの素養の無い昌義にも分かった。
やがて、バンド演奏が始まる。
華奢な身体の何処からこんなに迫力のある声が出るのだろう。 
彼女自体が一つの楽器でもあるかのように、澱みない歌声が部屋を満たしていく。
見えない液体に浸されていくかのようにその歌声はその場にいる者の全身に沁みていく。
昌義には名前も分からない曲を三曲歌って、華楠はステ―ジを降りる。
一同はぼうっとしていて、華楠が席に座ろうとする頃に、漸く拍手が起こった。
皆、言葉にならない喚声で賛辞し、拍手はしばらく鳴り止まなかった。
昌義もその圧倒的な歌唱力に雑念を忘れて拍手していた。

華楠がステ―ジを降りると、演奏はしばらく休憩になるらしく、部屋のライトが少し明るくなり、席を立つものもいた。
昌義も席を立って、一服しに外に出る。

廊下のエレベーターと反対側の突き当たりにドアが見える。
そこがダンスホ―ルらしい。
そのドアの前の廊下に向かい合わせにソファが二つとスタンド式の灰皿が置いてあり、丹波光彦と金沢陽子、大楠碧子、中年男性が座って一服している。 
彼らは相変わらず、ドレスアップしたままだ。

男性二人が右側の席に座っているので、「失礼します」といって、昌義は中年男の隣に座る。

「あら、山田さん、奥様は?」陽子が馴れ馴れしく声を掛けてくる。
少しほっとして、昌義は「もう、寝ました」と答えた。
奥に座った丹波が
「それは良かった。どきどきしましたよ」とお道化けて言う。

到着早々、美奈子にシガーのことで文句を言われたのを皮肉ったのだろう。

「そうだわ、山田さん、坂田先生とは、まだ、ご挨拶されていらっしゃらないでしょう?」
陽子が昌義を振り返る。
坂田先生というのは、どうやら、もう一人の中年男性のことらしい。
「はあ、まだですね」
隣の男に、昌義は黙礼する。男もタバコを吸いながら黙礼を返す。

「坂田英次先生、東都大学経済学部の教授をなさっていらっしゃいますのよ。
それと、ご存じかしら? 英明塾。
起業家のためのセミナ―を開いていらっしゃるんです」

昌義は、自分でも、声のト―ンが上がったのが分かった。
「坂田先生でしたか?お世話になります。
来月の信金連合セミナ―は先生が講師をしていただけるんですよね?」
中年男は、タバコを消しながら
「ああ、全国信用金庫連合のセミナ―ね。それでは、お宅は信用金庫の関係の方ですか?」
「山田様はね、信用金庫の支店長さんなんですって」
碧子が答える。

昌義は急いでポケット探り、名刺を取り出し、坂田に渡す。
そのついでに、丹波、陽子、碧子にも渡していく。
「そうですか。たしか、今回の会場は名古屋でしたね。お世話になります」
「い、いいえ、こちらこそ、こんなところで、先生にお目にかかれるとは、光栄です」

「お宅も、お諸仏さんに会いにいらしたんですよね?」
坂田が、さりげなく言う。
昌義は音がこの場の全員に聞かれてしまうのではと思うほど、胸がどきどきしてきた。
坂田のような大学教授でさえも、お諸仏目当てで、こんな山の中にきているのだ!

「いや、私らは、偶然です」声が震えた。
「偶然、それはすごく幸運な方だ。こんな時に、偶然、このホテルに来るなんて……」
坂田が目を見張る。
「お諸仏さんというのは、そんなに霊験現たかな仏さんなんですか?」
昌義はタバコを吸うのも忘れて問いかける。
四人が、四人とも、黙って頷く。

「それでは、坂田先生も?」
「僕は、二十年まえ、学生のころに、偶然、このホテルに泊まったんですよ。
そのときから、僕の人生は変わりました」
坂田の言葉に、碧子も丹波も陽子も、意味ありげに微笑む。

「山田さんもこんな時にここに来たのは、お諸仏さまのお導きですわ。
ぜひ、願い事を適えていただくとよろしいわ」
陽子の言葉に、昌義は思いっきり頷いた。
「そうですね……で、どうすれば良いんです?」

「お諸仏さんのご利益を受けられるのは、一年に一人。
まず、今年はお諸仏さんに指名されることが大事。
指名された人は、次の年の満月の夜までに、願い事実現のために努力する。 
お諸仏さんのおめがねに適えば、願い事は適うし、お気に召さなければご利益は無い」
碧子が淡々と説明する。

「願いって……?」
昌義が問い返したとき、若いボーイが呼びにきた。
「第二部が始まりますので、お集まり願います」
皆、急いで席に戻ろうと立ち上がる。
昌義は、碧子を引きとた。
「今回、初めての人は、誰ですか?」
碧子はにっと笑う。白く綺麗な歯並びがこぼれた。
「ライバルは、あの三人組と若いカップル、丹波夫人、それに、あなたの奥さんよ」
「それでは、ほかの人は……?」
「去年の指名者は、華楠。私が連れてきたの」
碧子は急いで、バ―に戻っていく。
昌義は震える手でタバコに火を点け、咽込んだ。

――ついに、俺にもツキが回ってきたと思って良いのか。
しかし、この話はドッキリテレビとかじゃないのか?

昌義は思わず、辺りを見回した。カメラらしいものは見当たらない。

――もし、願いが何でも適うなら、俺は大金持ちにもなれる。
そうすれば、美奈子の顔色を見ながら生きなくて済む。
美奈子には金を与えておけば、文句は言わないだろう。
好きなことが出来る。
もし、これが本当なら……
なんとしても、お諸仏さんに指名されなければ……
それにしても、選ばれる基準は何なのだろう?
傾向と対策は?

昌義がバ―に入ると、皆が乾杯をしようとしているところだった。
隣のカップルの青年に「何の乾杯ですか?」と聞くと
「華楠さんの海外デビュ―が決まったのと、碧子さんが漫画のT賞を受賞したお祝いですよ」
青年は自分のことのように誇らしげに言った。
「T賞?」
「漫画の世界では直木賞みたいなものだそうです」
「ふうん、直木賞ねえ」
「お諸仏さんはやっぱり凄いなあ」
いかつい顔の青年はため息をつく。

乾杯が終わり、また黒人歌手がステ―ジに出て歌いだす。
静かなジャズのバラ―ドが流れ出す。

昌義は陽子がこの若いカップルをライバルといっていたのを思い出し、探りを入れることにした。
声を潜めて話しかける。
「そうそう、申し遅れましたが、私は山田といいます」
ポケットから名刺入れを取り出し、一枚、青年に渡す。
「あ、オレ、大野雅文です。彼女は理沙」
名刺を受け取り、昌義の肩書きを見ても、青年は興味が無いようだった。
自分の名刺を出そうともしない。

「お宅たちは、やはり、その、満月の……?」
「ええ、ウチのおじさんたちが、ぜひ、行って来いというから来たんですよ」
大野はあっさりと肯定する。

「おじさんたち……?」
「ええ、おじさんとおばさん、八年前に、事業に失敗しましてね。
小さな電気屋をやっていたんですが、量販店に押されて、一億の借金を抱えて、死ぬつもりでこの辺を彷徨っていたらしいんです。
偶然、このホテルに泊まって、お諸仏さんに宝くじに当たりますようにってお願いしたんですよ。
そしたら、何か、課題を出されて……疑いながらも、死に物狂いで頑張ったら、十ケ月目に宝くじに当たったんですよ。
一等前後賞あわせて、三億円」
「三億円!」

昌義は、二回も出てきた三億円という額に、その札束を思い浮かべた。
仕事柄、そんなものは一般人よりは見慣れているが、自分のものである三億円となると話は別だ。
つい、興奮してしまう。

大野は話を続けている。
「それで、借金はすべて無くなり、今は、悠々自適の生活です。ハワイで静かに暮らしていますよ」
「うらやましい話だな」
唸るように昌義は言った。大野も頷く。
「僕らは、互いの両親に、結婚を反対されていて、おじさんに相談したら、お諸仏さんに頼んでみろといわれて」
「それでは、願い事は結婚できるようにということですか?」
大野と理沙は、顔を見合わせて、嬉しそうに頷く。

昌義は、そんなもので、お諸仏を使うなんて……といいかけて止めた。
若い彼らに結婚の無常を言ったところで馬の耳になんとやらだ。

「山田さんはどんな願い事ですか?」
「どんなって?」
昌義は言葉に詰まった。
煮詰まった状況から抜け出したいとは思っていたが、具体的な願い事は考えていなかった。
「まあ、いろいろと……」
言葉を濁したが、黒人ボ―カリストの気だるい声を聞きながら、自分の願いというのを考えてみた。

漠然と今の状況から逃げ出したいとは、常々思っていたが、果たして、願いなどあったのだろうか?
金が欲しい、無ければ、これ以上やっていけない。
だが、それは願いとは違うような気がした。

その夜、昌義はかなり飲んだ。
ふらふらと酔っ払って部屋に帰ろうとして、ドアを開け、電気を点けようとしたが、点かない。
「あれ、変だな」
「何、なさっていますの」
冷たい声が聞こえた。
神楽坂史記と、昌義が思っている女性が後ろに立っている。
「そこは私の部屋です」
「あ、それは申し訳ない、間違いました。
あ、でも、この部屋、電気切れていますよ。フロントに連絡しましょうか?」
「わざと暗くしていますので、どうかお構いなく」
そういうと女性は、中に入り、鍵をかけた。

「なんだかなあ、やはり、作家というのは変人が多いんだな」
そう言いながら、隣の部屋のドアを開け、中に入ると、聞きなれた美奈子の鼾が聞こえてきた。
そこで意識が途切れた。

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