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September 10, 2004

#1 迷い猫

 
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、いまは主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。
――光から、あらゆる善意と正義とが生じるのです。
――何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。
実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。」
(エフェソの信徒への手紙 5章八~十一節)


 神楽坂史記の家の庭にはいろんなものがやってくる。首吊り死体、ストーカー、放火犯、刑事、思いつくだけでも、ざっとこんなもんだ。
史記の家の庭には、大きな樫の木があり、その根元から吐き出し窓を囲むように、さまざまな植物が植えられている。
ギボシ、ダスティミュラー、レインボーファン、ミスカンサス、ゲーラックス、ツワブキ、ウツギ、コリウス、など様々な色と形の、葉が綺麗な植物ばかりだ。
花の咲くものはあまりないし、咲いても葉よりも質素な花しか咲かないものが多い。
葉の色のグラデーションで華やかでいながら、落ち着いた庭だ。

その真ん中には、小石が敷いてあり、樫の根元にベンチがある。
僕は時々、そのベンチで昼寝をする。
強い陽差しを樫の木が遮ってくれるし、草木が作り出すマイナスイオンがたまらない。

「どうしたのさ、この子」
その小さな白い毛糸玉のような塊には、手足がついていた。
僕の手の平で、不安そうに顔を上げて、ミーミー泣きながら、焦点の合わない目で辺りを見回す。

僕の相棒、ゴールデンレトリバーのルーはその声に反応して、うろうろしている。
どうしたものか悩んでいるらしい。

「まだ、あまり見えていないみたいなのよね」
史記はそう言いながら、愛しそうにその子猫を僕の手から取り上げ、僕の足に縋り吠え続けているサクラのソファに乗せた。  
サクラは急いでソファに飛び乗りその子猫を腹に抱き、舐め始めた。
子猫は舐められて、もぞもぞと動いている。
ルーはその子を見てクゥーンと鳴くが、サクラはルーにウウウと怒るのでまた、悩んでいる。

「何見ているの?」
祐一が、部屋に入ってきた。
「へえ、子猫か?」
祐一を恋人と思っているに違いないサクラは、慌ててソファを飛び降り出迎えに駆け寄る。
だが、子猫がミーと鳴いた途端、Uターンして、また、ソファに戻ってしまった。 

「お前のチビの筈は無いわな」
祐一はひょいと、その子猫を持ち上げる。
腹で暖めている子猫を取られて、ヨークシャテリアのサクラは祐一に飛びついた。
返してよとでも言うように短い足で飛びついている。

「可愛いな、こいつ。こんなに小さいのに、小さな爪も有る。嘘みたいだ」
無愛想の極みのような祐一が子猫を抱いて笑っている。
――不気味だ。

「どうしたの、この子」と問うと、史記は庭を指した。
「誰かが置いていった」
「庭に?」
「うん、朝、サクラが吠えて煩くて仕方なかったから、出てみたら、あのベンチの下にいたの」

――親猫はどうしたのだろう?
この猫はどう見ても一人で歩いて来られる様な状態とは思えない。

「親猫は?」
史記は肩を竦める。
「迎えに来るかと思って、一日、見ていたんだけど、来なかった。
日中この子をあそこにおいておくわけにも行かないし、サクラが煩くて仕方ないし」

「ママに捨てられちゃったのか?」
「それで、サクラの子になったのか?」
そう納得しながら、祐一はサクラのソファに子猫を返す。
サクラは慌ててソファに飛び乗り、祐一から隠すように口で咥えて向きを変えた。
そして、また、舐め始める。

それを見て史記は笑う。
「サクラったら、家の中に入れた瞬間から、母になっちゃった。
もう、一時も離れないの。
舐めて舐めて溶けちゃうんじゃないかと心配になるくらいよ。
ご飯も食べないの」

「それは大変だ」と祐一。
「まさか、食べ物と思っているわけじゃないよね」と僕。

サクラは恐怖の食欲犬だ。サクラの「それ、欲しい」攻撃に、知り合って以来の一年、悩み続け犠牲になり続けてきた僕としては、青天の霹靂ならぬ、土砂降りの中の雲の切れ間からの一筋の光、みたいなものだが・・・
ある朝、子猫が突然消えていて、サクラがおなか一杯というのもどうか。

僕とウチの居候、同い年の親友の祐一は、我が家の裏隣にある神楽坂史記の家に入り浸っている。

理由はというと、僕の場合は史記が大好きで、結婚したいくらいに思っているから。
祐一は史記に興味があるからしい。
その興味がどういうものか、僕はちょっと気になっている。
もし、それが愛ならば、祐一ほど強力なライバルはいないからだ。
ま、祐一は女性としての史記には興味が無いといっているけどね。

神楽坂史記は推理作家で、作家になる前は中国の砂漠で植林をしていたという変わり者。
身長は150㎝そこそこ。
顔は可愛いが、幼児体型で、声はしゃがれているくせに甘ったるい。
僕は可愛いと思うが、祐一は、史記のことを「幼さの呪いを掛けられた魔女」だと言う。

僕も、史記が見かけと中身がかなり違う人だと思うが、魔女と言うのは言い過ぎのような気がする。
「とても、素直で無邪気で可愛い人じゃない」
と僕が言うと、祐一は、
「これからの歩夢の人生が思いやられる」と嘆く。

そんな祐一だが、史記を好きなことは確かだし、僕以上に史記を理解していると思うことがある。
僕は、時々、史記が理解できないが、祐一のIQ160以上と言う頭脳を持ってすれば、何事も難しくないのだろう。
それはちょっと、癪に障るんだけどね。

「ところで、祐一、買ってきてくれた?」
史記は期待に満ちた声を出す。
「はいはい、仰せのとおりに」
祐一はエメラルドグリーンの箱を差し出す。

代官山の、祐一の自宅近くにあるフレンチレストランの、デザートだ。
祐一のママ、さやか夫人が、最近ご贔屓の店で、デザートのテイクアウトは常連にだけ許している。
史記は、さやか夫人にご馳走になったこの店のケーキが気に入り、久しぶりに自宅に帰った祐一に頼んだらしい。

「うわあ、さすがよね、美味しそう」 箱を開けて史記が歓声を上げる。
覗き込んで、僕も思わず「ほんとだ、うっまそう。でもすごい量だ」

様々なフルーツとベリーが乗っているもの、バナナが乗っているもの、ナッツが乗っているもの、三種類のケーキが三個ずつ、入っている。
この店のケーキは小さくても濃厚な味わい。
一個食べれば結構腹に溜まる。

「おふくろが史記には全種類、食べてもらいたいからって、こんなに買ってきた」

祐一はポケットから預かっていたらしい札を出して、史記に差し出す。
「おふくろが、史記にって。だから、これ、返すよ」
「えー、でも」
「いいよ、史記にはお世話になっているからってさ」

どうやら、さやか夫人にご馳走様といわなければならないらしい。

母親のことを、祐一はおふくろと呼ぶが、そんな呼び方はおよそ彼女には似合わない。
岡さやかは、高校生の祐一の母親だから、もう四十歳を過ぎているが、スタイルもよく、三十代にしか見えないし、うっとりするほど物腰が優雅、貴婦人という感じ。
名画の中から抜け出てきたような美人だ。
世界的な企業㈱リードの創業一家の出で、現社長夫人という地位があるからだけでなく、彼女自体が、本来持っている雰囲気がとても、ノーブル。

だから、僕と史記は、尊敬を込めて、彼女をさやか夫人と呼んでいる。祐一は嫌がっているけど。 

好きなケーキを選んで、皿に取る。
僕と祐一はナッツ、史記はベリー。
今日は、史記がお気に入りの有田焼の新進作家のテーブルウエアにした。
お茶はTOKIOという日本茶系のブレンド。
日本茶の甘さに花の香りがする。

お茶が入り、セッテイングし終えた時、着メロが響いた。
「天空の城ラピュタ」のテーマ曲は史記の携帯だ。

「はい、あら・・・いいえ、こちらこそ。それより、ケーキ、おねだりしてようで申し訳ありませんでした。はい?・・・ええ、それは、大丈夫ですけど、はい、それでは、三時に・・・はい・・・ごきげんよう」

聞き耳を立てていた僕らには、相手がすぐにわかった。

「おふくろ、何だって?」
祐一が尋ねると、史記は少し躊躇した。

「うん、あのね、このケーキの店の」
「カルヴァドス?」
「うん、そのオーナーシェフの丹波光彦が、私に会いたいんですって」
「へえ、何の用?」
「さあ・・・明日、うちに来てくださるそうよ」
「それで、ランチの終わった三時か」

よくそんなことまで、気がつくもんだ。祐一の前で、内緒の話はやめよう。

史記はフォークを手にしたまま、考え込んでいる。
「難しい話?」
と訊くと、史記の代わりに祐一が答えた。
「この前、食事に行った時に、話していた件じゃないか?」
「そう、みたいね」
憂鬱そうに史記が頷く。

先週、僕らはさやか夫人に招待されて、丹波光彦の店に行った。
彼の店「カルヴァドス」は、代官山の路地を入った奥まったところにある。

大きな三階建てのコンクリートとガラスで出来た建物は、何の店か、営業しているのかと悩みそうな、シンプルな外観だ。
表札のように小さな看板が出ているが、それを見落とすと、通り過ぎてしまいそうだ。

背の高い玄関ドアを開けて、丸いドーム状の天井に絵が描かれているエントランスホールを抜け、京都の町屋のように薄暗い通路を通り抜けると、突然、目の前に日当たりのよい広い庭が広がる。
 
白い小石の海の中に、ところどころ、岩やいけばなのような寄せ植えがあるおしゃれな庭だ。

客席はその庭を囲むように配置されていて、天井から吊るした麻布を張ったパーテイションで区切られ、他の客とは顔を合わせる事なく、食事が出来る。
二階にはパーティもできる大きな部屋があるという。
そして三階にオーナー丹波光彦の自宅がある。

丹波光彦はもともと金持ちの息子で、フランスに修行に出たのも、大学を卒業してからだった。
父親は大蔵官僚だったが、松井財閥の長女を娶り、官僚を辞め、系列会社の社長になった。

二人の息子は銀のスプーンを咥えて生まれてきたというわけだ。
兄は父親の会社に入ったが、光彦は食に興味を持ち、料理人風情と偏見を持つ母親や兄の反対を押し切り、シェフになった。

「父だけが、その選択に賛成してくれました」
丹波シェフは「どうしてこの職業を選んだんですか?」と尋ねた僕に言った。

「今、持て囃されている職業が、未来永劫、安泰とは限らない。
成熟した文化では、食が重要な位置を占めるようになるだろう。
ただ、食べられればよいというのではなく、より美味しいもの、体に良いものを求めるようになる。
地位は失うときも来るが、身についた知識や技術は自分がいる限り永遠だ。
その研鑽は人に何かをもたらす。
光彦は経済学を勉強した結果、食を選んだのだ。先見の明があると、私は思う」
彼の父親の言葉だ。

「もっとも、私は、ただ単純に、料理が面白くて、科学の実験のように、料理をしたかったのです。
料理における創意工夫は、果てしないバリエーションがあり、こんなに面白いものはありません。
パリでフランス人のシェフにつき、五年間、王道のフレンチを勉強しました」

外国の映画スターのように、背も高く恰幅の良い丹波シェフは、シェフのスタイルが良く似合っている。
銀縁のメガネをかけた顔もなかなかハンサムだ。
伸ばしかけの髭が伸びれば、ジョージ・ルーカス監督のような風貌になるだろう。

「自分の好きなことを職業に出来て、飽きずに続けていられる私は幸せ者です」

好きなことをして、賞賛を得られるのは確かに幸せそのものだ。
僕も、いつかこんなセリフをさりげなく言えるように頑張ろう。

庭に面した席は、紫のバラのアレンジメントがテーブルを飾り、カトラリーは磨き上げられ、繊細なクリスタルのゴブレットは薄く、丹波さんデザインのエメラルドグリーンのオリジナルプレートはシンプルだが、ゴージャスだ。

「右手をどうなさったのですか?」

史記は目の前で、ワゴンに乗せたメインデッシュの神戸牛ロースのハーブ塩釜焼きを取り分けている丹波さんに尋ねた。
丹波さんは右腕をチラッと見て
「失礼いたしました。庇っているつもりは無かったのですが・・・」

「あまり力が入らないようですね」
「ええ、今日、もう少しで命を落とすところでした。
というのは大袈裟ですが・・・厨房が片付いていないようで、お恥ずかしい話ですが、ナイフが棚から落ちてきたのです」

「それは、大変ですこと」
さやか夫人が心配そうな声を出す。

「あんな食材の棚に、むき出しのナイフがあるなんて思いも寄らないことですから」
「犯人は、見つかったのですか?」
史記の問いに、丹波さんは苦笑する。

「誰も、心当たりが無いというのですよ。あの棚は鍵がかけてあって、私しか入れませんし・・・ナイフは三日前から探していた私のものですしね。私がうっかりしたのでしょう」

「丹波さん、最近、ご難続きじゃございません?」
さやか夫人は、眉根を顰める。
「この前も、自動車事故がありましたでしょう?」

「そう言えば、あの時も、奥様にお出で頂いた前日でしたね」
丹波も思い出したように、頷く。
「従業員の方はいかが?」
「まだ、入院しております。全治2ヶ月の重傷ですから」
「まあ」
話しながらも、丹波さんは肉を鮮やかに捌いて、みなの皿に取り分けた。
怪我をしているなどというようには、僕には見えなかった。

「事故と言いますと?」
ワインを口に運びながら、史記が訊く。丹波さんはナイフを拭いて向き直り、説明する。

「大変な事故だったのですよ。信号待ちしていて、サンドウィッチになったのです。
肉以外の、食材の仕入れには自分で行くのですが、その日は、急な仕事の打ち合わせが入って、選んだ食材を従業員に運ばせていたのです。
ミニバンはくしゃくしゃ、もう少しで彼の命も危ない所でした。
生きていてくれて、ほっとしています」

「そんなひどい事故でしたの?
ごめんなさい、トンとぶつかって、車が壊れたくらいに思っていましたわ」
さやか夫人はかなり同情している。

「前がトラックで、追突してきたほうはダンプカーでした。
なお悪いことにその車は盗難車でした。
その犯人は、事故の後、騒然としている間に、その交差点の横にあった地下鉄の駅を利用して、逃げたのです。
ひどい話です」
丹波さんも眉を曇らせる。

僕は不思議に思って訊いてみる。
「誰も止めなかったの?」

「気がついたときには、もう、いなかったらしいのです。
目撃していた人によると、ぶつかった途端に降りて、走って駅に逃げこんだそうです」

「まるで計画的な犯行ね」
黙って聞いていた史記が言い出した。

「計画的?」
丹波さんは驚いたように聞返す。
「だって、地下鉄の駅がそこにあったというのも出来すぎじゃ有りません?」
「まさか・・・?」

丹波シェフは笑い飛ばすが、史記は不機嫌な顔をしている。
祐一は黙って、肉にナイフを入れている。だが、何事か考え込んでいるのはもろわかりだ。

さやか夫人はおろおろと、
「まあ、偶然ですわよ。だって、誰かが丹波さんを狙うなんて考えられませんもの」
「僕もそう思います。史記さん、丹波さんが可哀想だよ」
僕ははらはらして、思わず言ってしまった。

「そうね、嫌なことを言ってしまってごめんなさい」
史記は素直に謝った。

それから、僕らはハーブの香りと岩塩の塩味が絶妙な神戸牛をしっかり食べ、デザートのケーキを賞賛して、「これ以上、水一滴入らない」という状態で帰ってきたのだが、あれからも何かあったのだろうか?

「やっぱり、狙われていたのかな。丹波さん」
「大丈夫とは思うけど、心配ね。あんなステキなお料理を作る人がいなくなったら、困るわ」
「このケーキも、無くなるわけだ」
祐一はさりげなく付け足す。

史記はふるふると頭を振って、力強く言った。
「そんなこと、絶対、許さないわ」


     ***次号へ****


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