2005.07.31

セミのせい

Dsc05180x
最近、セミの声で目が醒める。
明るくなると同時に奴らは鳴き始め、窓を開けて寝ていると、耳元で鳴いているのかと思うほど煩い。

セミにしてみれば、短いセミの姿の一生だし、何とかここで決めなきゃと思うのかもしれないけど、おかげで私は寝不足気味。
今日も日曜だというのに、朝からご精勤のセミに起こされ、ぼうっとしている。

今日はここ数日の暑さが嘘のように、涼しい。
風が気持ちよくて、この時間でもクーラーが要らない。

7月も今日で終わる・・・

今朝のサンデープロジェクトでは、平沼赳夫衆院議員が、小泉さんは郵政民営化をアメリカと約束していると話しておられた。
新生銀行の例を持ち出し、また、アメリカに美味い汁を吸われるのではと危惧されていたが・・・
それと同じ話をある人から聞いたのを思い出した。
――反対派はそう言う観点でこの問題を見ようとしているのね。

人は立ち場により、それぞれに都合の良い解釈をする。
それぞれにもっともな理由もある。

でも、郵政民営化されても、郵政がしっかりしていれば、何も問題無い優良企業として、新生銀行のようなことにはならないだろう。
反対派が主張しているように「郵政は優等生で国民の税金を何も使っていない」のなら、素晴らしい企業が生まれるだけだ。
どうして、ボロボロの新生銀行と比べるのだろう?
もし、外資に入って欲しくないのなら、郵政は民営化しても株式を公開しなければ良いだけの話。
そう言う選択を始めた企業もある。
この前、株式の公開を取り止めを決めたワールドは「自己責任を明確化した経営」を目指すという。

この春のホリエモンのニッポン放送乗っ取りの功罪はいろいろ有る。
それは板倉雄一郎氏のようにファイナンシャルリテラシーを国民に知らしめようとする動きも生んだし、国民一人一人にホワイトナイトやクラウンジュエリーなどというロマンティックな響きの陰謀の存在も知らしめたし、それぞれが株について考える時間も与えた。
単なる資金調達の方法くらいに思われていた株式公開が、議決権を売り払う行為であり、株を持ったものがこの資本主義の社会の搾取者になることも判った。

この時期にそれを知った意味は大きい。

郵政を民営化しても、株を売らない。
これで、平沼議員の危惧は消える。

株を売らなければ運営できないのなら、彼らの主張していたどこにも頼らずに郵便局は成り立っていたと言うのは間違っている。

国民は郵便局に預けた貯金は自分の金と思っているが、実は、その金は郵便局の金庫にはなく、誰も渡らない橋や、山奥の立派な道路や、どこかの保養所に化けている。
心配すべきは、その化けたものが金に変わって自分に戻ってくるかどうか、だろう。

話は変わって・・・
うっかりしていたけど、今日はハリーポッターの誕生日だった。
さっき、テレビで誕生会をやっていて、オフィシャルサイトとか見たけど、何も予告されていなかった。
どうも、ファンが自然発生的にやっている会らしい。
ハリーっていくつになるんだっけ?
物語上では、たぶん、16歳になるのよね。
新刊「Harry Potter and the Half-Blood Prince」が7月16日に発売されたから。
日本では「ハリー・ポッターと混血のプリンス」として、発売されるらしいけど、まだ、発売日には言及していない。
どんな話なのかなあ・・・混血のプリンスって、ヴォ、あ、言ってはいけないんだった。
原書で読めない英語オンチの私としては、それが出るまでしばしの我慢だわ。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

脈絡のないことをあれこれ書き綴ったのは、セミのせいと思ってください。

写真はチューべローズ。花言葉は「危険な快楽」
濃厚な甘い香りがそう思わせるのかしら?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.30

Bフレッツ詐欺?

今日久しぶりに、「yujim blog」さんを拝見した。
何故久しぶりかと言うと、森氏は久しぶりにしか更新なさらないから。
私のせいじゃないもん。

話の内容はこんな感じ
森祐治氏のお父上はどうやら一人暮らしをされているらしい。

そのお父上のもとに、ある日、NTT西日本から「Bフレッツに換えないか」というセールスの電話が掛かってきた。
そして、その後、ある人物が家に説明にやってきた。
彼は家にあがりこんでPCをいろいろとさわり、電話をしながらお父上の生年月日を聞いた。

お父上は生年月日を聞かれたことが気に掛かり、警察や116に問い合わせをされ、その上で、森氏に連絡されたようだ。

森氏はそれを受けてリモートアシスタンスで確認。
お父上のPCは「クラックされた形跡はないし、トラップも仕掛けられた様子もない」ということで、とりあえず、そのままになっていた。

――ふんふん、そう言えば、この前うちにも、加入しているケーブルネットワークが光ファイバーの交換に来たっけ。
なんでも、もっと太い線に交換するとかで、軒並み工事していったわよね。
そのときは、先に電話が掛かってきて、工事の日を決めたっけ・・・
あんな感じ?

読み進める内に、愕然!

再び親父が電話を夜にかけてきた。覚えがない書きかけのメールがあるので、心配になっていたところに、偶然先日家を尋ねてきた男を近所で見かけたため、身分証明書の提示を求め、名刺をくれといったところ、忙しいといって消えていったという。
お父上の訴えを受け、森氏がプロバイダーに確認すると、「パスワードを失くしたので、再送してほしい」というオーダーが入っていたという。

プロバイダーからはすでにお父上の自宅住所宛にパスワードが郵送されていた・・・

――ひぇ~、犯罪じゃない!
   そんなことってあるの?

お父上が近所でその男を見かけたのは、その男がお父上の郵便物目当てで張っていたから?
まるで、ミステリーのような展開じゃない?
と、人の不幸に一人で盛り上がった私。

どうも、その男が、パスワードを盗み出そうとしたのは、「好き勝手な買い物をしようという企みだったに違いない」と森氏は睨んでおられる。

――この泥棒の間違いは森氏のお父上が、とてもしっかりなさったご老人で、ちょっとした相手のミスにちゃんと気づかれたってことよね。
ぼんやりした人なら、それがおかしいと気づかずに、被害にあって、「何で?」と言うことになったと思う。

――う~ん、うかうかボケ老人にもなれない世の中だわ。

夫の実家もだけど、森氏のご実家のように老人だけが暮らしている家って結構有る。
その老人達は、戦線戦後の厳しい時代を頑張って生きて、今やっと穏やかな暮らしをしている。
老いて行く不安や子供と別れている寂しさを抱えながらも、まだ、自分の力で生きようと頑張っている彼らを騙すなんて許せない!

ということで、森氏にコメントを送り、このブログを書かせていただいた。
ご老人に限らず、私だって電話をした上で来られたら、信用してしまうかもしれないもの。
実際、していたし・・・
――ま、まさか、あの光ファイバー、大丈夫よね?

森氏曰く、
「その情報はどこから漏れたのだろうか・・・。しかし、世の中、物騒になったものだ」

ほんと、この前の楽天の10万件のデータ・個人情報漏洩事件といい、あまりにもデータを集めているほうのセキュリティが甘すぎる。

今はどんなところに問い合わせても、電話番号や住所で簡単にその人の情報が画面に出るようだ。
話は通じやすいけど、それって、不特定多数の人間が自由に個人情報にアクセスしていると言うことじゃない?
今回の場合、そう言う閲覧可能なデータの中にパスワードが入っていなかったから、こんな回りくどいことをしたのだろうけど、他のことは丸見えだったのでは?

薄っぺらい画面でデータだけを見ていると、そのデータが生身の人間、悲しんだり喜んだり悩んだりする、傷つきやすい身体を持った一人の人間の上澄みなのだということを忘れてしまうのだろう。
もっと、そう言う仕事に携わる人間に、生身の人の痛みを判らせる教育をする必要があるのではないかしら?


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

森様、快くTBを許していただいてありがとうございました。
お父様がご無事でなによりです。

追記 2005.7.31

この件に関して、森氏が新しいエントリーをされています。
どうも、犯罪ではなかったようなのですが、なんだか、釈然としない話です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.28

学歴

Dsc05133x
夏本番の暑さ。

夕方から生徒が来てレッスン。
その後に、わらび餅を食べながらおしゃべり。
(この時期、わらび餅は美味しいよね)

彼女は友人と話して、その友人が子供の大学のことまで心配するのに驚いたらしい。
その子はまだ5歳くらいなのだ。

「それなのに、もう、どんな大学でもいいから、大学には入れなきゃって言うのですよ」
「ふうん、そんな親がいるから、子供は受験戦争に駆り立てられて大変なのね」
「でも、彼女が言うには、高卒と大卒じゃ、給料が違うからって・・・」

そんな話を聞くと、私はつくづく、この国の給与体系に腹が立つ。
学歴だけで、給料を決めるから、親達は子供のために学歴を与えようと必死になるのだ。

誰もが、勉強に向いているわけじゃない。
勉強は苦手でも、力持ちだったり、手先が器用だったり、独自の発想が出来たり、人はそれぞれに才能を与えられている。
それを生かす方向に行ったほうが、本人も、幸せなんじゃないかな?

それには、もう少し、身体を使って働く人を認める社会でなきゃね。

前に私は技脳と技能は違うと書いた。
今は、技脳ばかりが持て囃されている。
どんなに懸命に技術を磨いても、どんなに懸命に身体を使っても、それに見合う収入が無いのでは、やっている者のプライドは満たされないし、その職業に憧れて、後に続く人間はいなくなるよね。

親のほうも、自分の子供の適正を考えたほうが良いのかも・・・
猫も杓子も大学なんて、もう古い。
大学卒業の資格だけで、その後の人生が安泰になるような時代じゃない。
どんな大企業だって、ある日、突然、潰れちゃうような時代なんだから・・・

学問は知識を与えてくれる。
その知識をどう使うかは、自分の意識に掛かっている。
得た知識で自分の利益ばかりを追求するなら、それは人生を豊かにはしてくれない。
自分の人生を豊かにしたいなら、得た知識を正しく応用する事が大事だ。

高潔な人格を持たないものが、社会のトップにいると、その社会は歪んでいくのだなあ・・・

あ、「十二国記」を読み返そう・・・

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.25

共感覚って?

Dsc05172axll
共感覚と言う言葉を、つい最近知った。
今日も、偶然、その言葉を見つけたのだが、これって、セレンディピテイ?

オーラについて調べていて、「VRもオーラも『共感覚』の一種?」と言う記事に行き当たった。

電話のベルを聞くたびに、ハラペーニョ・ペッパーとアボガドソースを包んだブリトーの味がすると想像してほしい。信じがたい話かもしれないが、実際にそういう人たち――共感覚を有する人――がいるのだ。

共感覚の人は特定の音を聴くと特定の色が見えたり、ある数字を見るとある色が着いていたり、あるものを見るとある匂いを感じたり、五感のうちの何かと何かがくっついているらしい。

――サクラが吼えるたびに、ケーキの味が口の中に広がる共感覚になったら、私、きっと、ダイエットに成功するだろうな。

でも、きっと、ケーキを嫌いになるだろう。
四六時中、例えば、ステーキを食べている時でも、納豆を食べているときでも、ラーメンを啜っているときでも、ケーキの味を感じなきゃいけなかったら、苦痛そのものじゃない?

――共感覚者って大変だなあ・・・

共感覚者は、知能指数の点では通常の人と変わらず、多く見積もって2000人に1人の割合で存在する可能性がある。エスレン博士によれば、共感覚者の脳の部位の連結は、共感覚者以外の人では、発達のある段階で切断されてしまったのかもしれないという

ふうん、結構、周りにいるかも・・・

音を「味わう」プロの女性音楽家がいるらしい。 

『E・S』さんは、奏でられる和音の音程の差に応じて味覚の音階を感じる。
短6度の和音を聴くとクリームの味がするといった具合だ。
驚くべきことに、長6度の和音だと低脂肪クリームの味がするという。
もし、この人が、生クリームを舐めたことがなければ、自分が音を聞くことにより感じるこの味は何なのだろうと不思議に違いない。
自分が感じているものが何なのかわからず、不安ではないのかしら?
E・Sさんは、演奏など音楽関係の仕事をこなす際に共感覚が役に立っていると報告しており、チューリッヒ大学の実験でもそれは確認されている
――へえ? 共感覚って、福音?
カナダのオンタリオにあるウォータールー大学が以前に発表した論文でも、共感覚が認知に役立つと指摘されている。数字と色との関連づけが計算をするのに役立つという
共感覚は、知覚プロセスに関係する脳の部位を間接的に活性化させることに関わる現象だとする研究もあるらしい。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚が、ごちゃ混ぜになって、実際ではない体験をしてしまうこの共感覚で、オーラを説明することも可能だと言う。

ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)の共感覚研究グループのリーダー、ジェイミー・ウォード博士によれば、知り合いに会うと色を感じる――感情と色の共感覚を持つ――人もいるという。
「オーラ、つまりエネルギー場を放っていると考える必要はなく、共感覚の現象が起きていると仮定すればこと足りる」

――つまり、霊能力者とは共感覚者ってこと?

ウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)と言うロシアの作家は共感覚者として認められているらしい。
かれはアルファベットのAに「長い風雪に耐えた森の黒々とした色(フランス語のaはつややかな黒檀の色)」を感じた。
それを単なる黒ではなく、「長い風雪に耐えた森の黒々とした色」と感じるには、現実に彼がそれを見ていなければならない。

――共感覚とはすでに経験したもの同士を結びつけること?

だとしたら、霊が視える人は霊をすでに視ていなければならない。
オーラが視えるくらいなら「色」との結びつきで納得できるけど、霊を視ると言うのは、少し違うような気がする。

共感覚を持つのが進化なのか、持たないのが進化なのかわからないけど、脳って、結構、いい加減なやつだ。
自分の網膜からの情報のうち、ある条件のものを切り捨てている可能性もあるのでは?
霊って、その脳が切り捨てている情報のほうにあるのかもしれない。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

何も視えないし、共感覚の兆しも無い私としては、結論が出ない・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.16

うだ頭

Dsc05132ll
やでやで、暑い日でありんした。
あだまがうだってる気がするだす。

ところで梅雨は明けたの?
え~気象庁のホームページっと・・・あれ、九州までだ。
ヤフーの速報では16日に四国が梅雨明けって書いてあるけど・・・
まあ、ヤフーったら、本家よりも素早いのね。

ということは、この辺りはまだ梅雨明け前。
それどころか、今日は雷注意報が出ている。
うわ、早く、書かなきゃ。

東海地方の夏って、独特の暑さ。
なんか、サウナ状態。
それでもこの辺は自然いっぱいの田舎なのでましなほう。
名古屋とは1・2度気温が違う。

そんな中、テレビでは世界遺産に登録された知床の映像が・・・
いいなあ、あんなところに住みたいなあ。

あそこに住んで、きちんと暮らせる収入を得るにはどうすれば良いのだろう。

こんなにインターネットが普及しているのに、在宅勤務している人にはまだお目にかからないし、ネットで仕事している人にも会ったことが無い。
皆、せっせと会社に通勤している。

ネットでいろんなことができるようになったら、たぶん、日本人はもっとゆったり暮らせるのに。
もう、クールビスやり放題。
好きなところに住んで、好きな格好で仕事する。
ネット会議の時だけ、上半身のみドレスアップして、下は短パンでオッケー。
いいと思わない?

そうそう、通勤時間が無いってことは、その分、朝夕の時間が自分のために使えるよね。
子供ともいやと言うほど顔を合わせることが出来るし、遊ぶことも可能。
家庭円満間違いなし。

もっと進んで、通勤が無くなり、体力と見かけを問われなくなると、どんなに年を取っても頭が元気なら仕事できるよね。
年齢の制限が上も下も無くなって、小学生の部長とか出てきたりして。


――どんな仕事が在宅可能だろう?

役所の窓口の仕事なんか出来そうじゃない?
住民票とか戸籍謄本なんか、自分の暗証番号で自分の記録にアクセスして取り出せばいいんだし、変更も、ネットで自分で出来るようにすれば、もう、役所の人は、不正を見張るガーディアンだけで済むから、あんな大きな建物もいらなくなっちゃう。
どこにもある大きな役所を壊して、跡地は緑いっぱいの公園にしよう!
で、近所のおじさんとかおばさんが、委託されて、グリーンキーパーとして働く。

一般企業でも、書類の仕事をしているところ、経理部門なんか出来そうじゃない?
暗号掛けてデータを転送して、家で仕事して、出来上がったら、また転送。
会社に通勤するのは、ほんの数人で済むはず。

どうしても通勤しなきゃいけないのは、現場の人よね。
工場は田舎に持っていく。
サービス業はそれによって分散するし・・・
え? そんなに都会をスカスカにして、どうーするって?

あ、どうしよう・・・

考えていなかった。
頭うだっているんだもん、許して!

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

一番の問題は、セキュリティ。
情報を護る方法がないと、ネットで仕事は危ないよね。

写真はジュランタ・タカラヅカ。 花言葉は「あなたを護る」
あれ? 
ガーディアンだわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.15

蜘蛛の糸

人はそれぞれ、大変な人生を送っているんだなあ・・・
今日、婦人公論を読んだ後、「借金王」と言う番組を見た感想。

ああ、そうだよね、そんなこともあったよ、わかるわかる。
えー、そこまで・・・そりゃ、凄いね。

頷いたり驚いたり、忙しい。

私は真っ暗な宇宙に、一人きりで浮かんでいる・・・
このまま消えてしまいたい・・・
そう願った日々がある。

だから、テレビに助けを求めて出てきて、コメンテーターに不遜な態度を取る男の孤独と絶望もなんとなくわかってしまう。
つい、誰にでも尊大な態度を取ってしまう自分に疲れながら、思うようにならない人生を送っている男は、怒鳴ることしかできない。
あれは彼の悲鳴だ。
だが、その悲鳴を受け止めてくれる他人などいるはずもない。
他人はすぐに離れていくし、夫でも妻でも別れれば他人になる。

人は、宙に浮く寂しさを抱え、蜘蛛のように細い糸を吐き、その糸で結ばれた相手を大切にするしかない。

あのテレビの向こうで誰彼かまわずに怒鳴っている彼のために、コメンテーターたちは泣いた。
その涙は、彼のために吐かれた糸なのに、彼はそれを振り払う。
彼がその糸を受け取れるようになるには、さらなる絶望と孤独が必要なのかもしれない。

人間である限り、絶望や孤独を誰もが抱えている。
誰もが宙に浮いた自分をどう支えるか、迷い、悩み、か細い糸を四方に吐いている。
そう、彼が気づかなければ、彼の再起はない。

失敗は悪いものとは限らない。
失敗を通じて人格を向上させ、新たなる挑戦をしている人も多い。

私の尊敬する板倉雄一郎氏は失敗から立ち直ったばかりではなく、自らが社会に貢献する道を探しておられる。
誰もが彼のように、才能と運に恵まれているわけではないと言われるかもしれない。
だが、彼が自分を見捨てていたら、運も才能も出番が無かった。

唯一の自分を見放さず、どんなときでも信じ続ける。
そして、同じく唯一の他者を認め、糸を架け、そのか細い繋がりを大事にする。
そうやって、少しずつ、自分の宇宙を広げていくしかない。

この前、自殺願望の人間は「このまま消えたい」という感覚で自殺するのだと言う新聞記事があった。
私もそうだった・・・
自分が嫌いで、自分の存在が他人には迷惑だろうと思い込んでいた。

でも、他人に迷惑を掛けない人間なんかいない。
生きるってことは迷惑を掛け合うってことでもあるのだ。
と思うのだが、非力だから、こんなところでこんな文章を書いているしかない。

私にもっと表現力があって、伝える媒体があって、彼らにちゃんと伝えられたらなあ・・・


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

そういえば、「満月伝説#9 出会い」をUPしました。
あまりに放っておいたので、アレで終わりと思われていたかもだけど、もうちょっと、続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.12

小さな不幸

この頃、体調が悪かったり、蜂に刺されたりと、踏んだりけったりの私。
そのことをある知人にぼやくと、
「あら、小さな不幸ばかりでよかったじゃない?」
そっか、愚痴を言うほどの不幸じゃなかったと反省。

――そんなことでうだうだ言っていられる私は、結構、幸せ?

それで、別の友人と「幸せ」について話した。
「幸せになるのにお金は必要よね」
「まあ、今の世の中、お金が無きゃ何も出来ないからね」
「でも、あまりたくさんも要らないと思うけど」
「そうね、お葬式を出したら無くなるくらいが、ちょうどいいかな?」

「ちょっと節約すれば、自分がしたいことができる(買いたい物を買える)」くらいのお金があって、自分のしたいことに使える時間がいっぱいあるのが理想じゃない?」
「お金がいっぱいあったって、自分のために使えなきゃ、無いのと同じだものね。
でも、日本人って、自分が何をしたいかは判っても、何をすべきかは分かっていないんじゃない?」
「何をすべきかなんてことは、誰もわかっていないじゃない?
それを見つけるために生きているんだと思うよ」
「そうかな?」
「そうよ、それが判れば、誰も苦労しないわよ」

そんな会話が延々と続く。
結論は出ない。

大きく立派な家を建て、ブランド物で身を固め、それらを手に入れ維持していくために、日本人は自分の時間を売っている。
収入を得るために、父親は残業で帰らず、母親はフルタイムで働き、子供は将来の収入のために塾や習い事に忙しく、大きく立派な家はからっぽ。
今、必要と思っているものを手に入れるには、今の収入では足りない、と、誰もが思っている。
なんだかなあ・・・
何がしたいかではなく、何をすべきかを考える時間が必要だと主張しても、きっと、無駄とされるのだろう。
それは、現実ではなく、理想だから・・・


それにしても、最近、買い物に行くと、どの店でも、クレジットカードとポイントカードを勧められる。
顧客を囲い込もうと必死なのかもしれないけど、そんなのいっぱい要らないから、今、目の前の商品を安くしてくれない?

あのカードシステムを維持するための莫大な経費が、その価格には含まれているに違いないし、そのカードに個人情報はドンドン蓄積されていくだろう。
どんな食べ物が好きで、どんな映画が好きで、どこのメーカーの服が好きで、何年何月にどこに旅行に行ったまで、申告していくなんて、真っ平。


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.11

アスベスト

Dsc05130ll
「石綿」の被害者の報道が連日続いている。

ショックだったのは、夫の仕事着を洗っていた主婦がその二次被害で、「中皮腫」になって亡くなっていたという話。
そんなに大量に付着していたわけではないと思うけど、それでも、そんなことになってしまうんだ・・・
そんなに有害な物なら、工場の近所の人も同じ病気になるのは無理は無いわ。

さっき、ネットで見たら、父親のマスクで遊んでいた子供が、結婚後に「中皮腫」で亡くなって、妻が被害を訴えているような件もあった。
父親が使っているものを子供は危ないなんて思いもしなかっただろう。
父親も、自分がそんなに危ないものを触っているとは思ってもいなかっただろう・・・

アスベストは日本では産出しない。
天然に存在する繊維状の鉱物で、主成分は、珪酸マグネシウム塩。
蛇紋石石綿と角閃石石綿と、二種類ある。
主たる産出国はカナダ、南アフリカ、ロシアなど。
その国で天然にあるアスベストで、病気の発症は無かったのだろうか?

そんな有害なものを延べにして1000万トンも輸入して、国土を汚染してしまったと言うことになる。
移動は禁止されたらしいが、すでに日本には1000万トンもアスベストが存在し、これから、建物を壊すたびに目に見えない塵になって、空気中に漂うことになる。
もしかしたら、すでに吸い込んでいて、今まさに発症しようとしているかもしれない。
今日は「お気の毒」と他人事で済ましているが、明日は自分が被害者になるかもしれないのだ。

そういえば、子供の頃、確か、アンカに石綿が使われていたような気がする。
北国で育ったので、アンカは必需品だった。
毎日、練炭を熾して、アンカに入れていた。
うわ、危ない!

でも、と言うことは、今は良い物とされ、普通に使われている物の中にも、将来、その危険性がわかるものが在るかもしれないと言うことだ。
今日、これがあってよかったと思った物を、いつか、怨むときが来る?

さっきの話に戻るけれど、それほどの有害物質なら、きっと、産出国では何らかの症状が出ていたに違いない。
ほんの少しの手間を惜しんで調査としなかったのか、調査をしてもいい加減な結果を出したのか知らないけれど、大量に有害物質を持ち込んだ人は、原爆を落とした人に等しい。
この国に無いものを持って来る時には、しっかり、調べてからにして欲しい。

いろんなものを世界中から「お取り寄せ」できる金持ちの国は、そこに何が含まれているのかをしっかりと調べもせずに持ち込んでいるおばかさんな国でもあるらしい。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.10

テロル

どうやら、私、多重人格じゃなかったよう。
でも、体調は厳しい。
やっぱり、蜂の呪い?

ネットで調べると、「刺されてから、翌日あるいは、遅いと10日程経ってから起こる全身 症状もあります」だって。
もし、抗体が出来ていたら、自己注射を持ち歩かないと危険だそうな・・・トホ。

といっても、今週は予定がいっぱい。
何とか時間を見つけて病院に行くことにしよう。

私はもともと、虫も生きているのだからと、家に入ってきた虫は外に出していた。
無益な殺生はしない主義だったのだが・・・
刺された蜂は、実は前の日に寄せ植えを作っているときに見かけていた。
その蜂はどういうわけか飛ぶことが出来ずに、よたよたと歩き回って、苦しんでいるように見えたが、そのままにしておいた。
自分の手を汚したくは無かったのだ。

蜂は夜の間に、私が作った寄せ植えのどこかに入り、次の朝、花を切るためにしゃがんだ私の短パンの裾に絡め取られて、私の太ももを刺した。

玄関で短パンを脱いだ私は、その蜂を玄関にあった靴のヒールで叩いた。
蜂は死にそうだったのに、叩いても、なかなか死ななくて、怖くなって、ビニール袋に入れ、表に放置した。
私は最も残酷な殺し方をしてしまった。
・・・痛みに対する怒りと、犬が刺されては困るという正当な理由で。

――私はこれから、蜂を見ると殺そうとするだろうか?
すべての蜂に怒りを感じてしまうだろうか?
出来るなら、逃げて、会わないようにしたい・・・


アメリカはあの時、蜂に刺されたような痛みを感じたのだろう。
その痛みの記憶から、逃れられないのだろう。
そして、今度はイギリスが・・・

私が、今度刺されたら、自分が死ぬかもしれないと、必死で、地球上の蜂すべて根絶しようとしたら、
「愚かな女!そんなことが出来るもんか」と哂われるだろう。
だが、アメリカがテロリストを根絶させようと言い始めたら、愚かだと誰も言わない。

アメリカからテロリストと名づけられた彼らは、自国では英雄。

テロル 1 [(ドイツ) Terror]
〔恐怖の意〕あらゆる暴力的手段を行使し、またその脅威に訴えることによって、政治的に対立するものを威嚇(いかく)すること。テロ。 by goo国語辞書

少なくとも、彼らの国では、アメリカのほうがテロだと思われているに違いない。

棲み分けをきちんとする。
自国の正義のみを振り回さない。
互いにその方法を探し考える時期が来ているのではないか?

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.08

迷う無かれ

ロンドンの爆破騒ぎ、多くの死者を出しているようだ。
アルカイダは敵と名指しした国々で、テロを成功させている。
そのリストには日本の名前も載っていたはず。

もし、アルカイダが日本でテロを起すとすれば、どこで?
開催中の万博?
有名なランドマークタワー?
地下鉄、空港、新幹線?
狙いどころは多い。

私はいつか見た夢が忘れられない。
書類が散乱している場所で、倒れている多くの人々・・・
血を流している人もいた。
煙も上がっていた。

そろそろ、あの夢を見てから半年になろうとしている。
いつ、あんな状況が起こるかと思うと、怖くて堪らない。
きちんと政府が対応して、日本でのテロはなんとか防いで欲しい・・・

アルカイダはインターネットを利用して、株式投資などで資金調達をしていると指摘している人がいた。
働かなくても十分に食べていけるような収入を、株で得ている人もいるらしい。
株と言うのは、とても効率的な搾取の方法だ。
世界のどこにいても、世界中の労働者から搾取できる。

それに気づいたものは、家に居て、指先ひとつで莫大な利益を得られる。
どうも株式投資と言うものは、ネット世界向きのものらしい。

――そのうち、現代の貴族たるニートたちが、世界から搾取を始める可能性もありそう。
その収入が、日本を潤すようにならないとも限らない。
そうなった時には、ニートの存在に大人たちは感謝するかも・・・


インターネットで繋がってしまった世界が、この現実世界の上に、別の王国を築いている。
誰でも入れるが、誰もが成功できるわけではないと言う点では、現実世界と変わらない。
だが、その世界の成功者は、現実世界の成功者とは違う論理で動いているようだ。
自分の身を傷めて働いたこと無い者は、自分に齎される利益の重みを知らない。

自分の理解できないものがいけないものと決め付けるのは危うい。
だから、指先ひとつで金を稼ぐことをいけないとは言わない。
だが、その金で、他人を死に追いやるようなことをするのは、その人の武器がどのようなものであれ(金であれ、株であれ、鉄砲であれ、爆弾であれ)、してはいけないことだ。

それを、「いけない」と言うのを迷ってはいけない。


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.07

痛い七夕

早朝、庭で短パン姿で花を切っていた。
――うぎゃー!

庭に響き渡るか弱い(?)悲鳴。
太ももの一点が熱く痛い!

――え~、虫に指された?
でも、こんなに痛いなんて、どんな虫?

短パンの裾を払っても、何も出てこない。
そのうち、

――うぎゃー!

今度はお腹に鋭い痛み。
あわてて家に駆け込み、短パンを脱ぐと出てきたのは――アシナガバチ!!

――私、蜂に刺された?
それも二回も?

なまじミステリーなぞ書いているだけに、アナフィラキシーショックなんて言葉が頭を過ぎる・・・

とりあえず、あるだけのサプリメントを飲み、軟膏を塗った。

で、苦しくなるのを待ったのだが、
――あれ、平気だわ。
サプリメントのおかげか痛みもすぐに消えた。

その後、午前と午後のレッスンが有ったので出かけた。
蜂に刺されたことを話すと、生徒たちが、
「そういや、○○さんは、蜂に刺されて死んだんだったよね?」
「そうそう」
なんて会話をする (^^ゞ・・・

Dsc05127ll
帰り、とりあえず買い物をしようと農園によると、突然の雷雨。
――あれ、今日は七夕なのに。

篠つく雨の中、何とか家に帰りついた。
サクちゃんは雷が怖かったのか、お腹を壊していた。

気持ち、手がしびれ、肩がこっているような気がするので、とりあえず、夜のレッスンは休ませていただいた。

ドンドン高まる私の生存リスク。
めげずに頑張ろう!

ところで、これを書きながら、テレビを観ていると、ロンドンで大変な状況が・・・
サミットをやっているのだから、かなり、警戒されていたはずなのに、どういうこと?

どんな家庭に生まれ、どんな育ちをして、テロリストは他人の死を望むのか?
他人の死で購った理想が、どうして、万人に受け入れられるだろうか?
自分が幸せでなくて、どうして、他人を幸せに出来るのだろうか?

世界は差別に満ちている。
が、差別を是認しているのは自分であり、民衆なのだ。
王は一人では王になれない。

また、少し降り出した・・・
――今年、織姫は愛する牽牛に会えないようね。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.05

天上天下唯我独尊

1092423ll花田勝さんが故二子山親方の遺産を放棄されたらしい。
まあ、あの大変な騒動に決着がついたのだろうが、もし、貴乃花親方があの行動に出なかったら、また、違う方向に行ったかもしれない。
この騒動の件で、テレビを観ていたら、コメンテーターも二分していた。

特に、テレビ朝日は面白かった。
局の解説委員のような人は、大横綱がこんなことをしてはいけなかったと貴乃花批判。
その隣で、作家のなかにし礼氏は貴乃花をを擁護していて、空気が不穏だった。

なかにし礼氏は、たしか、実の兄との確執を小説に書いていたと思う。
「兄弟」と言う小説。
「兄さん死んでくれ」と言うコピーで有名だった。
調べてみると、ビートたけしと豊川悦司で映像化されているようだ。

大なり小なり、親兄弟との確執が無い家庭などないと思う。
どういうわけか、他人に対するよりも、親兄弟同士のほうが、冷酷に残酷になってしまう。
身内と言う気安さで、つい相手を傷つけるようなことを言ってしまう。

貴乃花はずっと、言いたかったのだ。
「お兄ちゃん」として世間に良い顔をしている兄に、どれだけ傷つけられてきたかを・・・
そして、同じ思いをしたなかにし礼氏はその思いがわかったのだ。

そうそう、私もこの前、姉に、つい、洩らした思いがある。
「私はあなたの言葉で傷ついていたのよ」

子供の頃から、私が生まれたときの話になると、姉が言う言葉があった。
「あなたができた時に、三人も子供がいるんだから、もう、子どもは要らないと言っていたけど、おじいちゃんが女の子が私一人では可哀想だから、産めばと言って、あなたを産むことになったのよ。
あなたは私のおかげで生まれたのよ」

初めは何も感じていなかった。
でも、次第に、それを言われるのが悲しくなった。
私は要らなかった子?
私は姉のおもちゃ代わり?

「あなたはずっと、私にそう言っていたのよ」
「嘘でしょ? そんなこと言った憶えないけど・・・」

そう言うものなのだと思う。
意識しない言葉の棘。
私がどれだけその言葉で傷つくか、彼女は思ってもいなかった。
というよりも、自分がそんなことを言っている意識さえなかった。

兄弟姉妹が殺しあう気持ちを、なんとなく、私は理解できる。

でも、私は彼らを殺さなかった。
殺さなくて本当に良かったと、今は思っている。

人生は流転している。
今の幸は、いつか、苦に、今の苦は、いつか、幸に転じる。

姉の言葉は人生の意味を考えるきっかけになった。

――私は何故生きているのか?
――私は何をするために生まれたのか?

姉の言葉は私を切ったが、その傷口は今の私を作っている。
他人がどう評価しようが、私はこうなるべくしてなっている。

もし、今、あなたが不幸で、悲しくて、孤独なら、それは、あなたが自分を見つける瞬間。

――天上天下唯我独尊。

その言葉の意味を知るときでもあるのだ。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.04

私の正負

Dsc03375ll
雨が続いている、良い感じ・・・
せっかくクーラー取り付けたら、その日から涼しくなって使っていない。
なんだかなあ・・・

昨日の美輪明宏氏の講演会で買った「正負の法則」を読んだ。

「自分の正と負は何であるかを良く見て査定しておくこと」
ということで、自分の「正」と「負」を考えてみた。

自分の負を数えれば、山と有るけれど、正も結構ある。

ダイヤモンドのネックレスを買うことは出来ないけど、食べ物を買えないわけではない。
疲れやすくて倒れたりもするけど、入院するほどでもない。
チビだけど、既製服が着れないほどでもない。
ブーだけど、鼻が無いわけでも口が無いわけでもない。
頭が悪いけど、本が読めないほどでもない。
手は短いけど、キーボードが打てないほどでもない。
近眼だけど、鏡に映った自分の顔が見えないほどでもない。

――まあ、なんて絶妙なバランス!

そうそう、私には身に余る正もある。
それは少なくとも、自分の好きなことをさせて貰っていること。

――花教室や生け込みの仕事。
それが大きな収入に結びつかなくても、楽しめるだけの収入を得られること。
――小説を書くこと。
誰にも認められなくても、自分の生きる力になっている。

それとありがたいことに、去年よりも今年、やれる事が増えている。
初めて知ることや、始めてやることがあるって、なんて幸せ!
カタツムリのようにゆっくり歩んで来たことへのご褒美だ。

私はお世辞を言える人間ではないし、怒りんぼだから、失敗も多い。
でも、こんな私でも、ちゃんと相手にしてくれる人々がいる。
それに感謝して生きよう!

――と、読後、少し謙虚になった。

これが長続きしたら、きっと、成功できると自分でも思うんだけど・・・
すぐに忘れて調子に乗っちゃう私。
それが最大の「負」の元なんだよね。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.03

瀬戸蔵

Dsc05124x昼前に瀬戸へ出発。
豊田ジャンクションから東海環状道に入る。
第二東名なんかできなくても、この部分だけでも十分オッケーかも。
瀬戸とか中央道に行くには本当に便利になった。
まだ行っていないけど、伊勢湾岸道にも繋がっているし。

瀬戸赤津で下りると、約束の時間よりも一時間以上も早い。
アシスタントをしてくれる若い生徒と、車の中で休憩することに。
なんと言っても花を積んでいるので、車のクーラーを止めるわけには行かない。

綺麗な街並みに生まれ変わった瀬戸は、まるで別の街。
うろうろしているうちに時間になってしまった。

今日の会場は「瀬戸蔵」という複合施設のホール。
300名ほど収容できる落ち着いたホールだ。
詳しくはこちらをどうぞ。

花を生けているうちに、美輪明宏氏の今日のお召し物の色情報が錯綜する。
最初は何時もの紫系かと言う話も有ったのだが、そのうち、ピンク系と言う情報が・・・

それって、ちょっと困るかも。
今日選んだ花はオレンジ黄色系。
わあ、どうしよう・・・

その後、黄緑と言う情報が・・・それなら大丈夫と胸を撫で下ろした。

生け終わって、遅い昼食。
瀬戸蔵の中には登り窯を飾ったオシャレなレストランがある。
私は「献上丼」と言うのを食べたが、これは丼付き。
食べ終わった後、レジで、新しい丼が頂けると言うので、つい・・・
私たちはデザートまで食べる時間が無かったので食べなかったけど、デザートの器もお持ち帰り出来るらしい。
献上丼は味ご飯につくねや海老などが乗っていて、「美味しゅうございました」。

瀬戸蔵には私の大好きな陶器を扱うお店も入っている。
よだれを垂らしながら、見る。

――にゃんと、黒の招き猫があるじゃにゃい!

クロ(名前も付けた?)は私を招いて、招いて、すっかり買う気になっていたのだが、休憩時間が無くなり、後でと思っていたら、講演時間が延びて、ばたばた片付けているうちに忘れてしまった。
にゃんとも・・・

いよいよ、講演会開始。

美輪氏は、艶やかに華やかにご登場。
蛍光色のようなライトグリーン。
なんともお似合いで・・・

1935年生まれと言うことは――70歳!

たぶん、美輪氏は、最近、私が思っている人生100年時代を生きるための指針になるお方。
人生が100年あるのなら、70歳は人生の2/3ちょっと。
人生50年時代なら35.6歳くらい?
よぼよぼでよたよたの時間が延びるだけならつまらないけど、溌剌として自分の行き方を極める時間が増えたと考えたら、なんか嬉しくなるじゃない?

せっかくの時間を心身ともに若く過ごせないのなら、寿命の延びる意味が無い!
70歳で老人になんかなっちゃいけない!
ということで、嬉しくなった。

お話は、聞いていると、背中をどんと押された気分になる。
とても強いお方だ。
しっかりと、元気を頂いて帰ってきた。

名古屋でアシスタントの子とは別れ、帰りは一人。
雨の中、80キロでゆっくりとドライブを楽しんだ。

今日の美輪氏のお話については、また、そのうち・・・


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.02

癒し

Dsc05120x
時折、激しい雨が降る日。
うーん、梅雨らしくなってきたわ。
←庭にこんな子が・・・

今日はあるものを探して、隣町のショッピングセンターに行った。
そこはつい数年前まで、池(もしかしたら海水だったかも)があって、海鳥達の憩いの場所だった。
大きい鳥も小さい鳥も、仲良くそこで休んでいた。
それが、ある時、急に埋め立てられ、その巨大な店舗ができた。
鳥達は今、どこで休んでいるのだろう・・・
あの子達が池の杭に並んでとまっている姿は、多くの人の癒しになっていたようで、よく、新聞で紹介されていたのに。
自然の癒しはどんどん消えて行く。

自然の癒しが消えていくのに比例して、最近は癒しグッズが世の中に溢れている。
でも、人は癒しを相手(人でも物でも)に求めるけれど、心が癒しを受け付ける状態でなければ何を持ってきても役には立たない。

大事のは癒しを受け取ることが出来る心。
物を集める前に、もっと、ゆったりと今を楽しむ心が必要。

その心が何により育まれるかと言うと、「感動」なのだと思う。
あの鳥達が並んでいる姿は感動を与えていたのだと思う。

なんて言っている私も、この間うちはちょっと、イライラしていた。
復活したのは、最近、雨が降るようになったから。
湿気を含んだ風が心地よい。
今年って、何故か乾燥していて涼しかったけれど、私にはもっと湿気が必要だったらしい。

さて、明日は瀬戸へ。
美輪明宏氏の講演会。
夕方から花の準備をして、準備万端。

あの方は感動を人に与える。
どんな癒しをいただけるか、楽しみ!

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.30

セレンディピティ

2071625x
朝、出かける準備をしながら、テレビを見ていると、
琥珀色がかったダイヤモンドを手に、女性が泣いている。
母親の遺灰で作ったダイヤモンドという説明だった。

――まあ、人間の骨も有機物だから、いろんなものに加工できて当然。
だけど、そのうち、おじいちゃんの遺灰で作ったボーンチャイナのカップなんてのが出来るのか?
それでコーヒーは飲めないだろ。

ってか、遺骨をそんなものに加工することは許されるのか?
作る気は無いけど、興味は持った。
――どこの会社で作っているんだろう?

そんなことを考えながら出かけて、昼過ぎに帰ってメールを開けると、ライブドアが発行するメールマガジンが届いていた。
え?

遺灰がダイヤモンドに生まれ変わる■□ドア日新聞(05/6/30号)

詳しい記事はこちら

ダイヤモンドにすることで、当事者の気持ちは収まるかもしれないけど、その行き先まで、きちんと考えると、ちょっとなあ・・・
先祖代々伝わっているダイヤモンドが、全部ご先祖様の遺骨で出来ているなんてことになると、ちょっと、子孫、可哀想な気がする。
どうすることも出来ないよ、きっと。
捨てることも出来ないし、売るわけにもいかないし。

物にして遺さなくても、心の中で、何時も亡くなった人を感じていれば、そのほうが良いような気もするけど・・・
それこそ、毎日、お経とか祈りの言葉を唱えたほうが良いのでは?

と、ダイヤモンドには否定的な私だが、興味は別の方向に向いた。

――これって、セレンディピテイ?
それとも、今、日本中で遺骨ダイヤはトレンディなの?

セレンディピティって、つい、昨日、その言葉を知ったばかりだ。
それはセレンディップから派生した言葉らしい。
元の「セレンディップ」とは何かと言うと、なんとスリランカの御伽噺と言う説や、アーサー・C・クラークの「スリランカから世界を眺めて」と言う本ではじめて使われたとか、言われている。

私は随分前に、「セレンディップ」についての本を読んで、その言葉自体はなんとなく、憶えていたのだけど、セレンディピティは知らなかった。

調べてみると、セレンディピティとは「当てにしていないものを偶然にうまく発見する才能」「偶察力」らしい。

――これ、私にはあるかも!

大抵、知りたいことは向こうからやって来ることが多い。
今回の場合は露骨だけど、何らかの形で思いがけないところから、知らされるって感じ?
この前お目にかかった霊能者の方は、私にはそんなことが多いはずと仰ったが、確かにその通り。
そのときは、ご先祖様が教えてくれるのだという話だったが・・・

――うん?☆
もしかして、遺骨をダイヤモンドにして欲しいの、おばあちゃん(母)?

そう言えばお洒落好きな人だったものねえ・・・
でも、却下!
ごめんね。


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.29

節の時代

今朝、アイロンを掛けながら、テレビを観ていた。

天皇皇后両陛下がサイパンの崖の上で頭を垂れておられる。
――あれ、なんで涙が出るんだろう・・・

二人はもう老人。
でも、その表情は若者のように輝き、瑞々しい。
特に、皇后陛下は、一時の暗い表情から抜け出して、あの皇室へ嫁ぐ朝の表情に戻っておられた。

――ご自分の使命を明確に意識し、それを果たすために努力しておられる人間の美しさ。

それがお二人から伝わってきて、私は感動したのだ。

人はそれぞれの使命を持って生まれてくる。
その使命をそれと知らず果たしている者、使命を自覚し意識して果たしていく者、人はその二つに分けられるだけで、使命の無いものなどいない。

どんな悲惨な状況にあろうと、その状況にあることが使命である場合もある。
その悲惨さが他の人々の胸を打ち、その状況を打破する原動力になるのなら、その人が悲惨な状況の中で死を迎えたとしても、その人の使命は果たされたことになる。

今、多くの生きる力を失った人々が自殺している。
自殺すれば地獄に落ちるという宗教もあるが、私はその死が罰せられるのなら、神は存在しないと思う。

どのような状況にあろうと救われる道が無いのなら、神は全能とはいえない。

ただ、生きることはテクニックでもある。
私たちは自分の生まれた位置(誰の子供に生まれるか)は変えられないが、自分をどの方向に伸ばしていくかは自分で決定できる。
ここに生まれたことを不幸と思えば不幸に、幸せと思えば幸せになれるのだ。

辛くて堪らないと思っている人は、物事の悪い面ばかりを見ている。
どんなときにも良いところは必ずある。
それを見つけていこうと努力するだけで気持ちは楽になる。

今、自分が幸せだと感じている人は、その幸せに怯えることは無い。
自分の状況に感謝して、感謝の心を周囲に伝える努力をしよう。
その感謝の心が周りに通じて、幸せの輪がさらに広がっていく。
それが幸せな人の使命だ。

Dsc04892xどんな人でも、辛く悲しいときがある。
それは辛く悲しいけれど、不幸なことではない。
なぜなら、その不遇な時代こそが人の成長の基になるから・・・

竹はあんなに柔らかく細いけれど何十メートルも伸び、中国ではビルを建てる足場に使っているほどしなやかで強い。
なぜ、竹があんなにしなやかに高く伸びられるかと言うと、「節」があるからだ。
硬い節がなければ柔らかい竹はすぐに折れ割けてしまう。
人間も幸せなばかりでは何事かあった時に折れやすい。
辛いときには、この時間が自分の節になるのだと確信しよう。

そう言う点では長く辛い時代を過ごしている人は幸いだ。
その人の節は強固なものになる。
そう言う人は運命が開けたときに、まっすぐに伸びていくことを怖れてはいけない。
柔らかく瑞々しくあることを怖れてはいけない。
自分には強固な節が有ると信じよう。
伸びるだけ伸びると、やがて、また、不遇な時代も来るけれど、それは自分を支える節の時代なのだと考えよう。

長い年月を生きると、あのときに死ななくて良かったと思う瞬間が必ずやって来る。
その瞬間、あなたは大きく伸びている。
地位や名誉の話ではない。
人間の話だ。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.13

人間道

0033007x今日は二子山親方の協会葬の日。
朝一番で貴の花親方が花田勝氏の元に遺骨の引き取りに行く中継を見、夕方のニュースに貴の花親方が出ているのを見た。

同じ親から生まれ、同じように育ったのに、兄弟は違う考えを抱く。
同じ親から生まれ、同じように育ったからこそ、違う考えを抱く相手を理解できない。

相撲において、若の花は貴の花の境地にはたどり着けなかっただろう。
誰が見ても、あの二人の差は歴然としている。
これが、兄が名横綱だったのなら、問題は無かったのだろうが、運命の女神は弟を選んだ。
その時点で、この騒動は起こらざるを得なかったのだ。

母は弟の社会勉強が足りないと言う。
だが、その母は息子がたどり着いた境地を理解しえないはず。
亡くなった父は名大関だったが、横綱にはなれなかった。
父も、最期まで息子の境地を理解できなかっただろう。

悲劇は、相撲と言う競技を通じて、末息子、一家で可愛がっていた子供が、一家の理解の枠を超えてしまったことにある。

貴の花親方は強い意思で相撲界で生きることを決めている。
その意思の強さを、兄や母は理解してあげられないだろう。
弟だから。 息子だから。
家族であるがゆえに、理解できないのだ。

人は、大人になる過程で、家族から離れたところで自分の世界を作っていく。
貴の花親方は真面目に懸命に努力し、才能を開花させた。
自分を律し、自分を鍛えることで彼は自分の地位を作り上げた。
そして、その努力や鍛錬を、兄にも求めた。
が、兄は別のアプローチの仕方で彼の地位を作っていく。
弟だからこそ、兄を許せなくなった。

何をしていてもどこにいても、彼らは互いの存在を見ないではいられない。
心配せずにはいられない。憎悪せずにはいられない。
血とはそう言うものだ。

貴の花親方は「ねばならぬ」と考えている。
だが、世の中に「ねばならない」ことなど、無い。
この家族がうまく行くには、他の誰でもない、親方がその考えを捨て、母や兄を許さなければならない。
なぜなら、彼こそが、この一族の長だから。
長は一族の誰かを排除するような冷たい心ではいけない。
すべてを包み込み、保護するものでなければならないのだ。

今、彼は父の死に際して、もうひとつの試練を受けている。
相撲道を極めた横綱の彼なら、もう一段、階段を上がり、お調子者の母や兄を庇護することも可能だ。
それが出来るかどうか、それが今の彼の課題、つまり、相撲道ならぬ人間道を究められるかどうかの瀬戸際なのだと思う。

どんな人であれ、弱くてもろい部分がある。
ずるい部分もある。
愛する人のそう言う部分を見ると、悲しくて、つらくて、愛するがゆえに許せなくなる。
でも、人とはそう言うもの。
だからこそ、人間は面白く、愛しい。


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.11

オートクチュール

2041304x
カネボウの上場が廃止になった。
化粧品事業はカネボウから独立し、今後も存続するらしいが、本体のカネボウは沈んでしまった。
化粧品のCMに起用されれば、楽曲はヒットし、新人はスターダムにのし上がれた時代、カネボウと資生堂は競い合って、時代を引っ張っていた。
あの頃、旬なアーティストは、必ずどこかのCMに関っていた。
その潤沢な広告宣伝費で、育て上げられたアーティストも多いのでは?
その点で、かの企業は文化のパトロンとしての役目を果たしていたのだと思う。

紡績は明治以降の日本を代表する業種だった。
女工達の織る布は、外貨を獲得し、国を支えた。
大トヨタも本体は豊田自動織機、織物を作る機械の会社から始まっている。
カネボウも化粧品まではうまく転換できた。
女性の労働力で成り立っていた企業が、女性への理解を深め、利用したたことによる成功だった。

だが、この二十年、女性達を取り巻く環境は大きく変容した。
海外の情報や商品が豊富に入ってきて、日本の女性向けの市場は、すでに世界規模になっている。
今や、化粧品や服飾に関しては自国内での競争ではなく、世界との競争になっている。
だが、日本企業はそれに乗り遅れ、服も化粧品も、海外ブランドの攻勢に押されている。
企業が日本女性の動きについていけなくなった結果が、カネボウに象徴されているような気がする。

カネボウは国内での消費が盛んな間に、海外戦略を立てるべきだった。
トヨタのように世界の企業としての地位を固めていれば、今回のようなことにならずに済んだだろう。
トヨタは海外戦略によってあの発展をしている。
これからは国内消費のみに頼る企業は生き残れないと男性は分析するかもしれない。

だが、女性の価値観は今また別の方向に転換しようとしているのではと私には見える。
この前のブランド品が売れなくなったと言う情報のように、皆と同じ既製品を持つことに抵抗を感ずる女性達が多くなってきているのだ。

これからは、プレタポルテではなく、オートクチュール。
服やバッグの質の良いものをプレタポルテのブランド品よりも安価ににオーダーできるようなシステムとか、自分にあった化粧品を調合してくれる化粧品店とか、そう言うものが求められるのでは。
企業側にとっては、そう言うシステムを作るのは大変でやりたくないかも知れないけど。

まず、それには人材の育成が不可欠。
ということは新しい雇用が生まれると言うことだ。
技能を持つ人の就職先が増えると言うのは、国としての力が増すことなのだ。
それに、若い人の就労先を創っていくと言うのは、税金をたくさん納めるよりもずっと大きな、企業の使命なのではと思うのだが・・・

などと、動きの取れない私としてはひとつの新聞記事から色々考えて、楽しんでいる。
「こんな状態で動きたいなんて・・・」と無愛想な歯科医は鼻で笑うのだ。
その言葉を無視してちょっと動くと、倒れてしまうし。
まったく、不甲斐ない私。


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.10

蜆汁

Dsc04994x昨日、蜆を貰った。
我が家では到底食べ切れなさそうな量だったので、お隣におすそ分けし、夕食に蜆汁を作った。
味噌を入れながら、思い出したことがある。

敗戦前後、日本中が食料品や医薬品に不自由していた時代のこと。
場所は近畿地方のどこか。
その地名を聞いたような気もするのだが、憶えていない。

その頃、父は肝臓を悪くし黄疸になり寝込んでいた。
母はドス黒い顔で死にかけている父のために、その頃住んでいた町の川で蜆捕りをし、毎日、蜆汁を作って父に飲ませた。
時は冬。
川の水は冷たかったが、母、父を助けたい一心で蜆を捕ったと言う。

「私が蜆を捕ってあの人の命を救ってあげたのよ」
蜆汁を作るたびに、誰にともなく、母は誇らしげに語った。
どうも、蜆汁がなかったら、私はこの世にいなかったらしい。

日本中がぎりぎりの生活をしていたその頃、母が懸命に捕った蜆は命を繋ぐ食物だった。
そんな食物が今の世にあるだろうか?

世界中の珍味が食卓に並んでいるというのに、そのありがたみをに思いを馳せることも無く、現代人はテレビを観ながら口に運んでいる。
食物はおなかが空いたときに食べるもので、それが命を支えているのだと言う意識は無い。
がりがりに痩せても、食べることに罪悪感を感じる人には、食物は毒に見えるのだろう。

とはいっても、人生において、人の気持ちは常に移ろい、すれ違う。
妻の必死の努力で命を助けてもらった男は、浮気ばかりしていて家庭を顧みない夫になった。
凍えながら冷たい川に入っていた女は、夫が浮気相手と遊びに行った先で末娘に買ってきた水色のワンピースを切り裂く妻になった。
そして、娘はそんな二人しか見ていなかったので、結婚に絶望した。
二人は老境に差し掛かり、仲の良い夫婦に戻ったが、やがて、妻の病気で再び引き裂かれた。

そんな人生を思い、蜆汁を作りながら、私は不思議な感動を覚えていた。
人はこうやって、感動を受け継いでいく・・・
何気ない日常の中で、思い出が味噌汁を永遠に変える。


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


写真はダスティミュラー(シロタエギク・花言葉=あなたを支える)とユーフォルビア(ハツユキソウ・花言葉=良い仲間)
なんだか、とっても相性のよさそうな寄せ植えでしょ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.09

私の愛は増すばかり

Dsc04996x朝から隣のおじいさんと話した。
どうも、うちが建つ前、ここは山だったらしい。
見晴らしが良くて子供たちの遊び場だったそうだ。
同じ敷地に大きな建物が建っていたらしい。
そこに今は20数軒が建っているのだから、かなり広い敷地だ。

この土地の以前の持ち主は、やはり亡くなっていた。
地上げに合い、暴力団に建っていた建物を占拠され、大変な思いをなさったようだ。
そう言ういわく付きの土地だと、私達は知らなかった。
私達がこの土地を見に来たときには、もう、土地は分割され、10軒以上が建っている住宅地だったのだから・・・

岐阜の方が言われたことは、間違っていなかった。
(そうそう、岐阜の方は、最近、姉とであったときに、「妹さんはもう大丈夫よ」と言ってくださったらしい。)

長い年月、何を思ってその人の魂はここにいたのだろう?
私が岐阜の方に会うのを待っていたのだと、岐阜の方は言われたが・・・
親族の方はきちんと葬儀をなさり、祀られているのだろうに、それでは晴れない怨念があったのだろう。
後から住んだ私達に、どんなに悲しく辛い思いでここを出て行くことになったのか、訴えたかったのかもしれない。


死とは何か? 
死後、自分はどうしたいのか?

現代は、死んで仏様になって極楽で暮らすと単純に信じている時代ではない。
だからこそ、生きている間に自分の魂の行く場所を考えておかなければ、死の時点での迷いや悩みや怨みに囚われて、どこにも行けなくなってしまう。
そのことは、母や、この地にいた人が示している。

日本人はなぜか死後の世界を語らないけれど、死後の世界が無いのならば、すべての宗教は存在意義が無い。
死後の世界を信じるがゆえに、魂の不滅を信じるがゆえに、宗教は成り立つのだ。

今の自分が死んでも終わらない。
死んだ後に、今どう生きているかが問われると思えば、何かを為さねばと言う気持ちになる。
自殺しても、リセットできないのだと知れば、何とかこの状況から抜け出そうとし始める。
死について語るのは、本当に大事なことだと思う。

ただ、自殺の方法は、絶対に語ってはいけない。
昔、窓の向こうに雪が舞う日、自習の教室で、ある人が語った自殺の方法。
その方法どおりに、3年後、一緒にそれを聞いた友人は自殺した。
彼女が死に囚われたのは、あの暖房の効いた部屋で、あの話を聞いた瞬間だったのではと、私は今でも後悔せずにいられない。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

写真は南天の花。
なかなか可憐な花です。
この花がやがてあの真っ赤な南天の実に。
花言葉は「私の愛は増すばかり」ですって!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.08

ほんの話

Dsc04993x
この頃、ブログランキング(哲学・思想)で突然、25位以内に入っていて驚くことがある。
あ、驚く前に、皆様にお礼を言わなきゃ。
「ポチっとして頂いてありがとうございます」
いつか、一位になれたら嬉しいだろうなあ・・・でも、一位って2000とかだものね。
そんな恐ろしい数字のアクセスがあったら、手が震えてブログを書けなくなってしまうかも。

今日は久しぶりの花の仕事。といっても、二時間。
その後、二箇所の図書館へ。

我が町の図書館へはそこに勤めている方に用があって、隣の市の図書館へは今日が貸し出し期限の本を返しに。
そこで、また、数冊借りてきた。
図書館ってなぜか苦手で、読みたい本は買ってたのだが、掃除以来、これ以上本を増やしたくないという気持ちのほうが強くなって、最近、ちょくちょく借りている。

掃除をしていて、以前、アパートの2階の床が雑誌の重みで抜けたと言う報道があったのを思い出し、我が家も危ないと思った。
夫の本なんか、厚くて重い本ばっかり。
でも、読んでいるのか?
自分の本でも、整理しながら表紙を見ると読んだ覚えのないものが・・・
これはいかん!
図書館なら、無料(税金から出ている)だわ。
すぐには無理でも、少し、待てば読めるし。
うちにいる本たちって、気の毒な本たちだ。
一回、ぱらぱらっと読まれて、あとは積んで置かれているばかり。

うちのような古本こそ、再販したほうが良いのだろうなあ。
そのほうが本も読まれて価値提供できると言うものだ。
だけど・・・
最近の万引きは再販システムがあるからかもしれない。
新しい本なら再販した時に良い値がつくらしいし。

何年か前に万引きした子を追いかけたら、その子が踏み切りで電車に撥ねられ、嫌がらせで店を閉めた店があった。
あの子は亡くなって可哀想だったけど、本屋さんのほうも死活問題だったのだと思う。
店にとっては万引きの被害って大変なものらしい。
以前、知り合いの本屋さんと話したけれど、一年間でその店の一か月の荒利分くらい盗まれたこともあったらしい。
もちろん、一人が盗んでいるのではなく、不特定多数がこれくらいと思って盗むのだろうけど・・・

きちんと、シリアルナンバーのようなもので書籍を管理していくことが必要かもしれない。
盗まれたものを持ち込めば、すぐにわかるとか、再販時に作者に印税を払うとか、やれることはいっぱいあるのではないかしら?
出版関係について言えば、関係者がきちんと販売システムを構築して、協力し合えば、簡単に出来そうだ。

さっきも犯罪の抑制をテレビで話し合っていて、犯罪が増えているので厳重な刑罰をと言う声もあった。
今はそれぞれに各自の権利ばかりを主張する時代だから、主張しない人間は無視され踏みつけられがちだ。
踏みつけられたときに、ルールが決まっていなければ、最後には警察や裁判所に泣きつくことにあり、それでは法整備と言うことになる。
なんか、最近、あちこちでお上からの規制が増えていく。
確かに、規制しなければ困るのだと思うが・・・

その前に各業界および家庭でその犯罪の芽を摘み取る努力をするのも大事だと思う。
罰則付きの規制を誰かに預けたら、それは、権力や差別の源になってしまう。
システムの不備を整備し、人間としてのルール作りを自分達で始めたほうが良い。

この不安定で激動する時代に、小さな一歩を、一人一人が大切に歩かなければ、戦争と言う言葉が現実味を帯びてくることになる。
時代のうねりを大きくするのも小さくするのも、その時代の一人一人に掛かっている。
最近、そんなことを感じている。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.06.02

雨の日のドライブ

Dsc04992x
今日は雨。

山道をドライブしていて、エゴノキの大木に遭遇!
降りて雨の中、木の下に行くと、あの記憶にある匂い。
少し歩くと、エゴノキの花の香と新緑と朽ちてる落ち葉の匂い・・・なんだか懐かしい。
遺伝子が憶えている匂い?
――太古の森で、人間はこんな大気と匂いの中で暮らしていたのだろうなあ。

その道は山を登って、高原へと続いていた。
約束の時間まで、その高原で、一休み。

それぞれに花を付けた道端の草たちは、雨に濡れて瑞々しい輝きを取り戻している。
それを眺めながら、時間が経つのを忘れた。

帰り、行くときには見えていた向こうの山や、谷底の村が、山肌を登って来る霧に隠され見えなくなっていた。
頂上に向かい這い登る霧は、とても良い感じ。

教室で、「ここら辺って本当に良いところだよね」と話すと、みな、誇らしげに、自分の住んでいるところの良さを数え挙げる。
その中でも彼女達は「自然が豊か、ほんの少し足を伸ばせば、いろんな自然に触れられる」と最初に言う。
それを実感した。

自然は人間の感情の漣(さざなみ)など、まるで受け付けないので、かえって心地よい。
圧倒的にそこに存在しているだけ。
人はそれぞれ自分の言葉で自分の思いを語り、かえって互いを理解できなくなってしまう。
ただ存在しているだけになるのは、かなり難しい・・・
でも、誰かのために私が出来ることが有るとしたら、ただ、「ここに存在している」ってことくらいかもしれない。
――私はここにいる。そして、あなたの幸せを祈っている。

谷底の村の手前で、杉の巨木に護られた大きな神社を見つけ、お参りした。
人っ子一人いない境内。
お賽銭を上げ、お参りし、帰ろうとすると、チリンと小さな鈴のような音。
振り返っても誰もいなくて・・・

車に乗ると、頭と肩の重さがなくなっていて、すっきり。
幸せな気分が戻ってきた。

というような、再生の日でした。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

写真は我が家の前の電線で、雨の中、寄り添っている鳥たち。
あまりの仲の良さについ、パチリ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.30

空の帝国の変容

R30氏がブログの更新をしばらく停止すると発表された。
4月27日のエントリーで、

これからはブログの世界も踊り場というかバブル崩壊の敗戦処理というか、「巡航速度」のあり場を探す展開になっていくのだろうなと思う。
と書かれていて、それ以前にもブログを続けることに悩んでおられるようなエントリーがあったので、ああ、そうなのかと冷静に受け止めた。

先日まで、さかんにあちこちのブログで議論されていた「匿名」について言えば、R30氏は思いっきりの匿名。
匿名で発言を続けると集中砲火浴びかねない危険性もあったのか、などと穿った見方もしてしまう。
ご本人はリアル社会での多忙を理由にされているので、こんなことを思うのは失礼かもしれないけど・・・
R30さん、お元気で。再開を楽しみにしていますね。

今は空の帝国だったネット社会と、リアル社会が結びついて行く過渡期なのだと思う。
かつては、その発言によってのみ住人を評価していたネット社会なのだが、次第にリアル社会に確固たる立ち位置を持っている新参者が増えた結果、ネットの中で発言する者のリアル社会での立ち位置を追求し始めた。
リアル社会でどんな立ち位置にいようと、匿名で自由に発言できるところがネットの良いところだったのだが、それを悪用し、他者の非難や荒らしをする輩が増えたせいもある。

かくいう私も現実の中では何の力も無い者で、あれこれと好き勝手なことを書いていられるのはネットの中だけ。
町の広報誌にここで書いているようなことを投稿したら、非難の声が上がり、電話が鳴りっぱなしになるかもしれない。

だが、自分の思ったことを発言できる社会のほうが、本当は望ましい社会なのだ。
その人の職業や性別や年齢や趣味嗜好で差別されない理想の社会がネットだったのかもしれない。
誰が何を書こうと、気に入らなければそのページを開かなければ良いし、違う意見を持っている人に自分の意見を言いたければそれを書き込める。
そういうツールを手に入れたのだから、正しく運用していれば、リアル社会の名前や肩書きを持ち込まなくても良かったのではと、残念。

私のブログでは今までコメントやトラックバックを削除するほどの必要性はなかったけれど、これからは場合によってはそれをさせていただくつもり。
基準は私から見た「悪意」
実名匿名は選びません。

消す理由は、それが誰に対してのものであれ、この場所で目にされた他の人に伝染して欲しくないから。
もちろん、私にも悪意はあるし、それを書くことはあるかもしれない。
その悪意についての責任は明確に私にある。
だが、私はコメントされたりトラックバックされた悪意についての責任までは負いかねる。
と言うのが本音。

もちろん、基準は「私から見た」なので偏向している。
消されたからと言って、その人が悪いわけではないので、お間違いなく。

それにしても、この前の切込隊長のブログの炎上といい、今回のR30氏のブログ休止宣言といい、慣れ親しんだブログなのに・・・なんか、寂しいなあ・・・

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.05.28

価値提供

00416006l 昨日の夜は、名古屋であった板倉雄一郎氏のセミナーに。

長い名刺交換の列に並ぼうかとも思ったが、私のような冷やかしが時間を取っては申し分けないので、そのまま帰ってきた。

すぐに帰っても家に着いたのは11時。爆睡して朝寝坊してしまった。

初「生」板倉氏はとてもエネルギッシュな方。普段、ブログを読み、映像で拝見しているので、なんだか知り合いのような気分だったけど、リアル社会では全く知らない人なのだと実感。

☆ さて、「生」板倉氏を拝見し、その前に社長失格を読み返していての感想。

――人に認められ愛される理由と妬まれ疎まれる理由、成功する理由と失敗する理由、それは同じ。

輝きに惹かれた人は、やがて、その輝きの影になる自分を見つける。限りない可能性を見出した出資者は、その可能性の先が見えないことが不安になる。

人は自分の範囲以上のものに怯えるのだ。

☆ 講演で価値を見出すものは何かという話があった。それで、考えたこと。

自然界に在る物を見て、人はその利用方法を考える。その考える力は人間へのギフトだ。

ある木の実を見て、ある人は美味しそうだと思い、ある人は見るだけで心和むと思い、ある人は楽器にしようと思う。

やがてそれは食材として、プランツとして、加工され楽器として、流通する。それが経済活動だ。

だが、経済活動は人間のためになるだけで、その実にとっては搾取でしかない。

実にしてみれば、木の上で熟し、鳥に食べられ、糞と共に土に落とされ、その場で発芽したほうが、種をゴミ箱に捨てられるだけの境遇よりも、生物として正しい姿だ。

実にとっては私達は鳥にも劣る存在。人間の存在はこの世界では異端だ。

木や植物は酸素を生み出し、動物の糧となり、動物はその排泄物で植物を養っている。

だが、人間の発達の歴史は他の動植物に何も与えない形を作って来た。トイレを水洗にし、街をコンクリートで固め、ロボットに癒しを求めている。

人間は自分の価値提供を対人間と考えがちだが、真に考えなけばいけない価値提供とは、この世界、人間のみならず、多くの動植物が住んでいるこの世界に対して、何ができるかと言うことかもしれない。

経済をそこまで考えなければ、真の価値提供にはならないのかもしれない・・・

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.27

靖国問題

1042826l今日は忙しい予定なので、夜の更新は無理かもと言うことで・・・
小泉さんの靖国参拝問題であれこれと揉めている。
靖国に行く総理を他国は非難するが、総理の方が一般国民よりもずっと、過去の戦争に対して真摯に向き合っていると私は思う。
私は過去の戦争の犠牲者のために何かをした記憶があまりないし、靖国神社に行ったことも無い。
もしかしたら、多くの日本人、特に若い人は私と同じなのではないだろうか・・・

第二次世界大戦の犠牲者のおかげで、日本はここまでの繁栄をしている。
それに敬意を表し、御霊を弔うことには、誰も反対しないし、機会があればそれをしたいと思う人も多いと思う。
だが、政府はそれが靖国神社でなければなら無い理由を、国民に説明していない。
そして、大臣があそこに行くのをあれだけマスコミに責められれば、何かいけないことのように見えてしまう。
一般の人で、あの神社に参拝したことのある人がどれだけいるだろう?

あの神社がいけないというのではないが、一般的ではない。
戦争の犠牲者(=戦って亡くなった人ばかりでなく、一般人も)を祀り、その犠牲に感謝し、御霊の安らかなることを願う誰もが行くことの出来る施設を作れば良いのでは?
宗教とか国籍、人種を超えた施設があれば、もっと多くの国民が自然に行くことが出来はずだ。
誰を主祭祀者とするかといえば、当然それは国の象徴、天皇陛下で良いはず。

そんな場所が無ければ、戦争の記憶と反省は未来に伝わらない。
今のままでは亡くなった方たちが可哀想過ぎる。
若い命を国のために捧げ、すべてを諦めて他人を殺す場所に行かざるを得なかった彼ら。
その犠牲の上に自分達が生きていると感謝すればこそ、この生を大事にしようと言う気も起きる。
それをないがしろにして、命の何たるか、国の何たるか、生きることの何たるかを子孫に伝えられるのだろうか?

感謝を口にし、形にするということは大事なことなのだと思う。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.25

ダビング?

Dsc04971ll
私のDIY熱はいよいよ燃え上がり、今日はトイレの床に挑戦。
なかなか大変でした。
出来上がりには、もちろん、(●^o^●)。

最近、ときどき、眩暈がするので、横になっていたほうが良いかもなのだけど・・・
金曜日はレッスンの後、板倉雄一郎氏の講演を聴きに行く予定。
ブログなどで行かれた方たちの感想を拝見すると、皆さん、絶賛されているので、楽しみ!
これ以上、症状を悪化させないようにしなきゃ。

さて、昨日、タツユキ氏から頂いたコメント

人の生活として定番で、そうそうなくならない職業で ・それなりに高収益が期待できる(ようにみえる) ・人から注目を受け、一目おいてくれる とみられるものは、ふとしたきっかけで希望者が集まりすぎるんですよ。 そうなると過当競争が起こり、結果としてごく一部の上位者以外は苦しむってことになるのです。

彼はこれを「日本人のダビング体質」と呼んでおられます。
では、そのごく一部の上位者と大勢の脱落者の差はどこにあるのでしょう?

熟練した人ほど、何事もすいすいとやっていて、やっていることが簡単そうに見えます。
でも、やってみると、それが思ったよりも大変で重労働。
上辺を見てカッコ良さとか、収入の多さに憧れてその道を選んだ人は、すぐに後悔し始めます。
成功するためにはどれだけの努力と経験が必要かを思い知り、絶望し、ドロップアウトしたりするわけです。
ごく一部の上位者以外は苦しむと言うのはそう言うことでしょう。

では、ごく一部の上位者は苦しんでいないのでしょうか?
たぶん、ドロップアウトした人と同じように苦しんだのではと思います。
続けている人がすべて天才で、らくらくすいすいとやっているなんてことはありません。
彼らも悩み苦しみ、それでも、続けているのです。
つまり、「継続」こそが彼らの成功の秘訣なのです。

では、彼らは何故続けられるのか――その仕事に続ける価値が有ると信じるから。
その仕事が好きと言う積極的な動機か、他にやることが無いと言う消極的な動機かはわかりませんが、それを続けることに価値を見出したのです。
彼らは一歩一歩足元を踏み固めてそこにいるのです。

辞めた人たちはそれに継続するだけの価値を見出せなかったのですが、すべてにそうだとは限りません。
ある場所でうまく行かなかったからと言って、その人が人間失格な訳ではないのです。
彼には挫折した経過の経験値が残っています。
その経験を生かして、次に繋げれば良いのです。

どんな人間も自分の人生を誰かに代わって貰うことは出来ません。
人生を真剣に考えたら、今、自分に出来ることを懸命にしていくしかありません。
そうやって努力していれば、少しずつ自分に付加価値が付いて来ます。
身についたものは生きている限り、自分を助けてくれます。

この場合の身についたものとは、何かの専門知識や技術のことばかりではなく、お茶を上手に入れられたり、掃除が丁寧だったり、笑顔で人に接したり、言葉遣いが優しかったり――そんな日常の人付き合いのことです。

仕事を成功させたいなら、技術ももちろんですが、他人への思いやりとか他人への尊敬という社会的動物としての人間に必要なものを身に付けなければいけません。
それが身につきさえすれば、どこに行っても、自分の居場所を作れます。

何かをダビングしても、それに他とは異なる付加価値を付けて来たからこそ、日本製品は評価されて来ました。
ダビング自体は問題ではありません。
そこに何かをプラスできなくなっていることが問題なのです。

っと、知った風なことを書いていますが、私はそれが難しい人間です。
なので、それを頭で考えずに、何気なく、きちんと実践している人をどれだけうらやましく思ったことか・・・
もっと、若いうちにそう言うことを真剣に考えていれば、こんな中途半端な人間にならずに済んだと反省しているので、ついつい、こんなことを書いているわけです。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.05.23

想定の範囲内?

Dsc04950ll
明日は江戸川乱歩賞の選考日だそうな・・・今年も落ちちゃったなあ、トホ。
さて、来年に向けて、また、無い頭を捻って書き出すとするか。
こんな藁屑頭でミステリーを書こうとするのが間違いなのかもだけど、まあ、いいや、頑張んべえ!

日々、悲しいことは降って来る。
でも、楽しいことや嬉しいことも降ってくる。
大きな運の良さよりも、毎日、一個ずつ小さな運を貰ったほうが幸せなのかもしれない。

文章を書こうと志すような目にもあわず、日の出と共に起きて日の入りと共に寝て、子供を生んで育て、労働に汗し、天気に一喜一憂し、穏やかに年老いて、穏やかに召されていく、そんな人生が私の目標だった。

人と同じように感じ、人と同じように幸せになりたい。
そう願って、手に入れたも同然だったのに・・・やはり、取り零してしまった。
こうしたいと思っても、道が塞がれている。

開けていく道は私の予測もつかない道だ。
その道の先に何があるかが、さっぱり判らない。
文章を書くことがそうなのかも怪しいものだ。
こうやって、何もなさずにうだうだと人生を終わるのが私の運命なのかもしれない。
まあ、それでも、別に問題ないわけだが・・・


先週の文春の「新宿赤マント」で読んだのだが、椎名誠氏がついに霊と遭遇したようだ。
彼も私のような迷路に入ったのかもしれない。

この家に住んで以来、あまりに起こる不思議に、私は占い師や霊能者と呼ばれる人の評判を聞いては会い行くようになった。
ある霊能者は、あなたの家には問題ないと答え、ある占い師は霊が見えるなどと言う人は眉唾だと言った。
私の願いはすべて適うと言う人、願いを適えるためには身なりを整え金持ちそうに見せなければいけないという人、もうすぐ運が上向きすべてがうまく行くという人。
私が相談に行っているのに、こっちが相談料を貰いたいくらい自分のことを話す人もいた。
岐阜の人は霊が視えると言い切り、明確に過去と未来が判ると答えた。
彼女によると、私は作家になれるらしい。

まあ、それが当たっていなくても、想定の範囲内と言うことで・・・


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.22

愛するもの

Dsc04953l
曇り空だったので、デッキで花を生け始めたら、雨が降り始めた。
屋根のある場所にテーブルを移動して生け続けた。

雨が降ると埃っぽく汚れていた世界が雨で浄化されるような気がする。
慈雨と言う言葉があるように、雨は恵み。
時には豪雨となり、すべてを押し流すこともあるけれど・・・

昨日、久しぶりに子育てで休んでいる生徒が二人、家に来た。
一人は3人の子持ち、もう一人は子供が一人いる。

彼女達はサクラを見て、「何代目?」と聞いた。
年に数回は会っていたのだが、店だったり、他所の教室だったりしたので、サクラとは8年ぶりになると言う。
「昔からいた子だよ」
「うわ、なんか若々しいね。おなかも垂れていないし」
「去年、乳がんで腹をごっそり切り取っちゃったからね」
そんな会話をした。
彼女達が家にレッスンに来ていた頃、サクラはやってきた。
今よりも小さくて黒い幼犬だった。

彼女達との出会いから、もう、13年になる。
その間に彼女達は、恋愛し、結婚し、母になった。
久しぶりに会った彼女達はたくましく優しいお母さんの顔をしていた。

一緒に来た一人っ子の女の子は、我が家にいることに何のためらいも無いようで、勝手にペンを取り出し、飾ってあった人形を持ち出して、一人遊びする。
なんか、おばあちゃんの気分?
何をしても、可愛い。

生徒とは花で結ばれ、一時を共有する。
私はここに立ち竦んでいるけど、彼女達は日々様々に変化して離れていく。
それでも、たまにこうやって会うと、彼女達は私を先生と呼んで大事にしてくれる。
私は彼女達にとっては不甲斐ない先生なのだと思うけど・・・

自分が思っている以上に私は彼女達を愛しく感じていたのだと、昨日、知った。
彼女達が幸せでいることがとても嬉しい。
彼女達の悩みを聞くと、つい、余計な心配もしてしまう。
そんな存在がこの世の中にいるというのは、とても有難いことだ。

わたしは子供の頃からずっと不安定な心を抱いて生きてきた。
いつも、何があっても側にいて味方でいる人を欲していた。
だが、ある日、私は気づいた。
――すべてはもう私の中にある。他に求める必要はない。


私には何の力も財も無い。
愛する人を、ただ、見守るだけ。
でも、私は生きている限り、あなたを見ているよ。
あなたが幸せでいることを願っているよ。
どんなときも、私はあなたの味方でいるよ。

側にいなくても会うことはなくても、そうやって心を寄せる人々がいる。
それは幸せなことだ。

愛はこの雨のようなもの。
すべてを包み込み降り注ぐ。
そして、愛は誰の中にも在る。
人は愛を持ってこの世に来るのだ。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.21

歪み

Dsc04935ll
今朝、出かけようと外に出ると、竿竹屋が前の道をにいた。
――なんで、こんなところに?
悪口を書いたから、竿竹屋のエージェントが私を始末しに来たの?

姉に「美熟女」の話をしたら、「世の中にそんな妄想を発表して人を惑わせて大丈夫か?」と言われたし・・・
小心な私は、日々、好き勝手なことをする自分にびくびくしているのでございます・・・

さて、この前、ゴミを捨てに町の集積所に行った。
大掃除の結果、山と出てきたゴミの処分のためだ。
一人では運べないので、知人に頼んでトラックで運んでもらった。

集積所は町のはずれにある。
薄暗い作業場で働いているのは、定年退職したような老人ばかり。
次々とやってくる車から、重い荷物をひょいと降ろし、てきぱきと分類しているおじいさんたち。
凄すぎる!

何年か前にシルバーボランティアの人たちに草取りをしてもらったとき、頼んだ部分が舐めるように綺麗に草取りされていて、「この人たちって、物凄いプロフェッショナル! 」と感動したのを思い出した。
とはいえ、自分よりもうんと年上の人たちに任せるのは申し分けないので、降りて、指示されたところに運ぶ。

――老人がこうやって汗と埃にまみれて働いているのに、柔らかな手をした若者は、すべてに不満を言い、ニートになっている。
老人の「責任感や忍耐強さ、人への思いやり」を次の世代に繋げる方法は無いだろうか?

快適なオフィスで、書類を右から左へ回している人の収入が、炎天下でスコップで土を掬っている人の収入を上回るようになって、日本はおかしくなった。
収入は、その人の働きを認める基準。
汗と埃にまみれて働いている人への正当な評価をしなければならない。
頭の中では何でも出来るくせに土に触ることも虫に触ることも出来ない、頭でっかちな人間を粗製濫造するばかりの教育制度の元にはその収入逆転がある。
評価は、第一にそれを成し遂げるために汗を流した人が受け取るべきものだ。

――とは言うものの、クフ王の名は残っても、石を積み上げた人足の名前はどこにも残っていない。
古代から、その矛盾はあったんだなあ・・・


ディスプレィとウインドサーフィンのボードは町の粗大ゴミ集積場では受け付けてもらえなかった。
産業廃棄物になると言う。
仕方なく、産廃業者を探すと、なんと、うちから見えるところに有った。
その建物が何をしているところか、以前から訝しんでいたのだが・・・

ウインドサーフィンのボードは3000円、ディスプレィは2500円だった。
若い従業員に聞くと、ボードは下取りしてもらえないところが多いらしく、良く持ち込まれると言う。

町が引き受けないゴミは結構な金額が掛かるので、不法投棄が多いと粗大ゴミの集積場の係員は言っていた。
不法投棄されたものは町が税金で回収している。
それもまた、なんだかなあ・・・
紙でしか見ていない者が現場の意見を聞かずに理想を振りかざしているのだろうなあ・・・
そうやって、硬直化した制度が、次々と歪みを生んでいる。
あまり歪むと、反動が怖いのだが。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.20

常任理事国

Dsc04982ll
国連の常任理事国になるために、国が色々動いている。
近隣諸国は、日本の常任理事国入りに反対のようだ。
第二次世界大戦後に出来た国連では、今でも日本は敵国。
そんなところに年間約321億円(2003年)も拠出している。
その額は現在191ヶ国が加盟する国連の経費の約2割に匹敵するそうな。
何を考えているだか・・・

そんなに皆が嫌がるのなら、常任理事国になんかにならなくても良いのでは?

そうそう、国民の血税をつぎ込んでも、どこも感謝しないのなら、お金を出すのもやめよう。
国連で発言権なんかなくても良いじゃない?
何言っても、拒否権のある国に拒否されれば終わりだし。

自分達の利益になるODAとか、紐付きの補助金とか、そんな姑息な援助しかしてこなかったから、日本は信頼できないと思われている。
もっと、世界に貢献するという態度をきっちり出せば、向こうから理事国になってくれと言われたはずだ。

日本は常任理事国に入りたいと運動するのではなく、常任理事国を無くそうと運動したほうが良い。
理事は持ち回り。
どんな小さな国でも理事になれて、どんな大きな国でも理事になれない。
これが一番。
ひとつの旗の下に平等であるということは、そういうことなんだろうし。

でも、そうなったら、拒否権は失くなるので、多数派工作必死。
321億どころじゃない金を各国から議決ごとに要求されるようになるのかな?
それもなんだかなあ・・・


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.17

あなたは何位?

Dsc04925ll高額納税者番付の一位がサラリーマンだと話題になっている。
サラリーマンの給与収入が百億って、
どんな世界?
 

世の大抵のサラリーマンは夜中まで働いても、月収100万を超えるのは大変。
結婚相手の年収が1000万以上でなきゃ結婚しないなんていう女の子が多い昨今、世の大抵のサラリーマンは結婚できないじゃんと思っていたのだが、どうやら、私の認識不足?

この前、知人のご主人の勤務条件を聞いた。
彼はある会社に属していて、給与は完全歩合。
彼はそこの部長と言う肩書きを持っている。
営業で成功すればその収入の何十%が手に入るらしい。
ひとつ何千万の高額商品なので、ひとつ売れれば、しばらくは生活できるのだという。
彼はその仕事のほかにも、仕事があり、その手腕を買われて、いろんな話を持ち込まれているようだ。
どうも最近そう言う勤務も「あり」らしい。

会社が社員を丸抱えできなくなったせいか、自由に自分の力で稼ぎたい人が増えているのか・・・
まあ、サラリーマンといえども、個人事業家のようなもので、会社に対して価値を提供しなければリストラされかねない時代。
特定の会社に頼りきっているのは危険と言うことなのかもしれないが・・・

確実にいえることは、会社に縛られ、その働き以下の収入しか貰えなかった人たちには良い時代が来たと言うことだ。
たぶん、昔なら、独立し自分で起業した人が、サラリーマンのまま、自分の力を発揮できるというのは会社にとっても、その個人にとっても良い方向なのだろう。

でもねえ、世の中、そんな人ばかりではないわけで・・
そうなるのも、そう言う人を夫にしたいと願うのも、結構、きついと思うよ。

知り合いのお店に学生アルバイトがいて、彼女は雑用をしているだけだったのだが、彼女が卒業し就職してアルバイトを辞めるとその店は一気に暗くなった。
彼女一人の存在は仕事量としてはたいしたものではなかったのかもしれないが、その店に明るさと余裕をもたらしていたのだろう。
自分の動きでがんがん稼げる(会社に収益を落とせる)人と、それを出来ない人がいる。
100億の収入を得ている人と、フリーターを比べるのは愚だが、存在の価値と言う点では変わらないように思える。


ところで、株って、投資する人よりも投資会社のほうが絶対に儲かる仕組みになっている?
つまり、竿竹屋と同じ?


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.16

美しい5月

五月晴れって、こういう日?

Dsc04929ll朝から、ウッドデッキでサクちゃんと日向ぼっこ。
遠くの山の緑が綺麗。
なんか、あの山からぼこぼこ酸素が湧いているような感じ。
――気持ちよいなあ。
足元では蟻がせっせと獲物を運んでいる。
向こうの松の木では鳥達がおしゃべりで忙しい。

最近、監禁事件の報道が多い。
どうやら、時代は原始時代に戻ったらしい。
女を攫って自分のものにすると言う発想は、現代人のものとは思えない。
本来なら、口では勝てないから体力に物を言わせ、相手を屈服させるというのは妄想で終わるはず。
それを、実行に移すとどうなるかを、考えない犯人達。
彼らの闇をどうやって晴らせば良いのだろう。

報道されている彼らのプロフィールを見ると、母親から異常なほど甘やかされたように見える。
子供の将来を心配しない母親はいない。
幸せになれるように、心を砕いた結果、息子から考える力、忍耐力を奪ってしまった。
そして、息子は犯罪者になってしまった。
それはあまりにも悲しい結末だ。

誰もが幸せを求めて、懸命に自分の道を歩いてきたはずなのに、子供達はその親の姿に幸せを見つけられずに彷徨う。

彼らの目には自然など、きっと、映っていない。
この美しい五月の日を、彼らは感じられないだろう。
こんなに美しい世界に、数えることも出来ないほど多くの生き物に囲まれて、人は生きている。
それをどうやったら、彼らに気づいて貰えるのだろう・・・

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


ps:そう言えば、今日、たくさん地震雲を見たような気がするのだが・・・長野方面?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.14

竿竹屋は常に同じ人?

Dsc04928ll
夕方、花の水遣りをしていたら、猫、発見。
←この子が例のオトボケ猫
 

5月16日追記:このエントリーは番組のこのコーナーを最後まで見ずに書き始めたものです。
後日、慣用句さんからご指摘を頂き、この先生がきちんと「竿竹屋」だけが存続していると番組でも説明されたと聞きましたので、以下のエントリーは早とちりの結果と思って読んでいただけると幸いです。
私はその先生の書かれた本も、番組の結論も見ていませんので、こんな説明しか出来ず、申し訳ありません。


 
夕食後、世界一受けたい授業を見た。
一時間目は、「竿竹屋は何故つぶれないのか?」と言うテーマ。

授業内容としては、安い竿竹をPRしておきながら、高い竿竹をセールストークで売りつけるからと若い先生が説明している。

ふうん。

さて、世の中不況になりました。
ある人がリストラされました。
ある程度まとまった退職金、といっても、お店を開くほどの額でも無いものを貰いました。
これで出来る商売を考えなければ・・・人に使われるのはもうこりごりだ。

何が良いだろう?
そうだ、竿竹屋になろう!
そこで、竿竹屋の元締めに、竿竹屋になりたいのですがと申し込むと、それでは加盟料・車代・まとまった量の竿竹の仕入れで、こうなります。
と、提示された金額は、かなり高い。
でも話を聞くと結構いい実入りになりそうだ。

迷っていると、元締めが
あんたも大変そうだから、中古のものでよければ世話するよ。
その金額は、ちょっと高目だが、まあ、払えない額でもない。
竿竹が一日にこれだけ売れれば、OK、よし、お願いします。
ということで、彼はめでたく竿竹屋を始めました。

毎日、車に乗って、町中を売り歩きます。
元締めが云ったほどには売れません。
まあ、新米だから仕方ないな・・・
でも、ガソリン代も掛かる。
食って行かなければならないし、どうしよう・・・

何ヶ月か頑張って資金が底をつきました。
妻もパートに出て協力してくれるが、このままでは・・・
彼は竿竹屋をやめ、どこかに勤める決心をします。

困るのは車と竿竹。
やめると言うと親切な元締めが、
事情が事情だから、判った、引き取ってやるよ。
と言ってくれました。
ただ、悪いが、車は中古だから、二束三文だし、竿竹も仕入れた金額の半額になるが良いか?
ああ、もちろん、結構でございます。
と言うようなやり取りがあり、彼は竿竹屋をやめました。

それから、数ヶ月後、彼は自分の乗っていた車で、他の男が竿竹を売り歩いているのを見かけます。
俺は挫折したが、あいつは成功するかもしれん。
彼はなんともいえない思いで、その車を見送りました。

なんてことが繰り返されているのでは?

竿竹屋でも焼き芋屋でも、蕨餅屋でも、職業として成り立つまでやるのはかなりの努力がいるはず。
飛びついてすぐに諦める人は、結局、誰かのカモになって終わってしまう。
竿竹屋でビジネストークによって、高いものを売りつけるなんてプロになるためには、どれだけの努力が必要なことか・・・

と瞬時に思ってしまう私って・・・問題あり?

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.05.10

懺悔

朝からJR西日本の問題が繰り返されている。
今度の事故の原因は徹底した合理化と現場への締め付けという結論が出そうだ。
そして、そんなことをしていたJRのトップはけしからんと言う論調になっている。

――だが、果たしてそうなのだろうか?

バブルがはじけて以来、政界・官界および経済界がそろって合理化を支持し、世界に対抗できる体質をと、締め付けてきたのでは無かったか?

利益を得るために、中高年のリストラを敢行し、無駄な経費を切り捨て、スリムになり、世界との競争ができる会社を目指す。
銀行なんか今でもそれを目標に、吸収合併を繰り返している。
それが正しいと言うのがこの十数年の経済界の総意だったはずだ。

そして、マニュアルどおりのサービスを徹底するために、厳しい罰則を設け、従業員を締め付けた。
その反面、真のサービスを忘れていた付けがここに来て請求されている。
去年から多くの企業がそのサービスを忘れた結果、苦境に陥っている。

今度の場合も、鉄道の真のサービスとは「人の命を安全に運ぶこと」に他ならない。

だが、顧客に対しては価格とスピード、株主に対しては利益、がサービスだと、企業も利用客も思い込んだ。
他のJRもそれは同じだったが、そこで、JR西日本と他を分けたものは、大都市圏に有りながらドル箱を持っていなかったと言う不利な条件と、阪神淡路大震災。
大災害を受け、さらに地域全体が地盤沈下してしまった。
JR西日本はその中で必死にもがき、やっと黒字を出したところで、今度の事故を起こしてしまった。
今後、JR西日本はその黒字を賠償金や復旧費用に吐き出し、それでもまだ足りないだろう。

企業の目的は確かに収益を上げることに有るのかもしれないが、人の命が失われたら、利益など吹っ飛んでしまう。
つまり、事故を起こさないために必要な経費を使うことも、重要なのだ。
これからは安全対策費用を利益の計算式に組み込むことをしたほうが良い。


ある出来事・事件が起こる時、それは一人の人間やひとつの組織の単純なミスや怠惰によってのみ、起こるのではない。
様々な要素がそこにはある。

記者会見で居丈高に企業のトップに詰め寄る記者がいる。
彼らは事故を起こしてしまったが、故意にやったわけではない。
打ちひしがれているのは彼らも同じなのだ。
記者のあんな態度は不遜だ。
記者と言う立場で国民を代表しているのだと気負うのはわかるが、その感情的な物言いで、本質はどんどん隠されていく。
もっと冷静にもっと広い視野でこの事故の本質に迫らなければ、真の原因解明にならない。

何のためらいもなく会社を非難できるのは、あの事故に遭い命を落とした人を愛していた者達、そして、生き残ってもそのトラウマを抱えることになってしまった当事者達だけだ。
彼らの気持ちを自分が代弁しているつもりなら、それは思い上がりと言うもの。
感情的にならず、淡々と事実を報道することによってこそ、見えてくるものがあるはず。

あの事故はバブル後の日本に起こるべくして起こった人災。
その責任は私達一人一人にもある。
運賃が上がれば文句をいい、定時に到着しなければ文句をいう。
それをしたことがないという人など、この国にいるだろうか・・・

社会全体が余裕を失くしている事こそが、この事故の真の原因なのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.05.09

薮蛇

1053101xさあ、母の日も終わったし、のんびりしたいなあ。
ということで、テレビをつけると、北朝鮮に対するアメリカの軍事制裁の準備が始まっているなんて怖い話題。
そういえば、ブログでもそんな話題があったっけ・・・

どうも韓国の大統領の動きが不穏らしい。
北の核で日本をやっつけようと言う魂胆?
なに、考えてんだか・・・
そんなことになったら、自国が無事ではいられないでしょうに。

まあ、男女を問わず徴兵制で国民を鍛えているから、ニートな日本の若者には負けないかもだけど、戦争は誰も幸せになれない愚行。
こんなに脳天気な国のどこを恐れてそんなことをしようとしているんだか・・・
あまりに、変な動きをすると、こっちもそれに対応しなきゃいけないから、薮蛇じゃない?

そうだ、藪蛇と言えば、この前、
――道の真ん中にロープが落ちている・・・と思いきや、え? 動いてる?
あわててハンドルを切ったのだが、
――あー、間に合わない!
思わず、悲鳴なんか上げてしまった。

通り過ぎて恐る恐るバックミラーを見ると・・・
何とかご無事のご様子。
急いで、出てこられた藪にお戻りになられている。

ふう(~_~;)

何年か前の春には体長30cmほどあるカメが道の真ん中をお散歩なさっておられた。
かなり交通量の多い道路だったので、仕方なく、近くの沼までお連れした。

雀は車が近づいてもぎりぎりまで逃げない。
もしかしてチキンレース気分?

もう、あんたら、危機感、無さ過ぎ!

日本って、人間だけじゃなく、蛇やカメや雀に至るまで、平和ボケ?

でもまあ、こんなことしか書くネタが無い私っていうのも、かなりぬるま湯に浸かっているのかも・・・


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.07

嘘をつくのは

Dsc04910ll

この前、生徒と話していて、見つけた真理。

「口煩い親の子供って、皆、嘘つきだよね?」
――あ~わかるわ、それ!

「そう言う子って、どんな話も、『でも』とか『だって』で受けるんだよね。
何でそんなに一生懸命、他人の言葉を否定するのか不思議」
――うんうん!

「『そうなの?』とか、『判った』『それ、違うよ』で済むことなのに、ねちねちと言い募って、終いには相手の人格を非難し始めるし・・・」
――そうそう。

「きっと、親にそういわれて育ったんだろうね」
「間違いない!」

「この前、岐阜の老人ホームの施設長が自分の血族を根絶やしにしてしまったけど、あの動機が口うるさい親に対する怨みなんだって」
「そんなのが半世紀以上も経ってから、あんな重大犯罪を引き起こす種になるなら、今から何十年か後には、日本人はどうなっちゃうんだろ?」
そんな話も出た。
「犯罪者の親族になると世間の冷たい目に合うから可愛そうだって、子供や孫を殺すなんて・・・」

そんな話の後で、つい、考えてしまった。
――この二つの事件は根が同じ?

失敗は悪。
本人の心がけが悪いから失敗する。
失敗は二度と繰り返してはいけない。

そういう日本人の総意が、二つの事件を起こしたのだ。

人間って、失敗する生き物なのだと考えるように、日本人は意識を変えたほうが良い。
失敗した人を叱ったり、失敗した人の人格を否定したりするのは、失敗を回避するためには最悪の手段。
そんな目に合うと、人は失敗したと言う事実を隠し始め、それが犯罪や、さらなる失敗に繋がりかねない。

尼崎の事故の運転手も、何回も失敗して、1分30秒の遅れが取り返しのつかない失敗に思えたのだろう・・・
その失敗を隠そうとしてスピードを上げた結果、多くの人々の命が犠牲になった。

失った命は戻らない。

いま、JR西日本の体質や組織が槍玉に上がっているけど、実は私達も同じことをしているかもしれない。
失敗した人に二度と間違わないようにとお説教をした憶えは誰にでもあるのでは?
それは失敗して落ち込んでいる人に、二重のプレッシャーをかけていることなのだが・・・

つまり、あれらの事件や事故を起こしたのは、日本人の「失敗に対する誤まった認識」。

これから、JR西日本だけでなく、私達も、「人は間違うもの。失敗するもの」と認める努力をしたほうが良いだろう。
失敗した人の人格を否定せず、その失敗がその人の成長の糧となるような指導と考え方の研究をしなければ、どこかでまた、新たな犠牲者を生むことになるだろう。

口煩い親は、愛情が溢れて、余計なことを言ってしまう。
表現が稚拙なだけ。

まず、自分が子供の頃にされて厭だったことは繰り返さない。
厭なこと、不正なことを自分で止めて、次の世代には送らない。
その決意が必要なのだ。


c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.05

こどもの日

dokudamix
予定より早く帰れたので・・・

そうそう、忘れていたのだけど、私、MIXIに入りたいのですが。
別に深い意味は無いけど、そう言うものがあると聞いたからには入りたいなあ・・・ということで。
でも、私の周りにいる人々はMIXIどころかブログも知らない。

で、前に切込隊長が募集した時に、喜んで応募したのだけど・・・
あれって結局、駄目だったのよね?
友達の紹介が無いとは入れないとか・・・どなたか、友達から始めましょう!(笑)

そう言えば、切込隊長のブログのコメント欄は大変なことになっている。
書いている人もタフだなあ・・・ほとんど寝ていないのでは?
なんか奈良のおばさんみたいな人?

切込隊長が100億持っていようが無かろうが、IQがいくらだろうが、どういう学歴だろうが、私は彼の文章が好きなので、どうでも良い。

ギフトは肩書きや学歴、資産を産むけど、それらを失っても消える訳ではない。
ギフトが消えるとしたら、それを私し、他人を傷つけるために使ったときだ。
彼がリアル社会で何をしているかなど、少しも知らないが、彼ほどの人がそれに気づいていない訳はないと思う。

彼の皮肉だけどユーモアに満ちた文章を心待ちにしている今日この頃。

写真は「どくだみ」
名前は恐ろしげだけど、「十薬」のうちのひとつ。
飲んでも塗っても効き目は抜群。
でも、臭いし、苦い。
なかなか、扱い辛いみたい・・・
花言葉は「白い追憶」ですって。

以上、22:00

朝から大掃除していた。
このあと仕事に行くのだが、はたして、大丈夫か?
物凄い状態だ、我が家は。

今日は「こどもの日」
グーグルのログに鯉のぼりぶら下がっている。
最近、グーグルは遊んでいて、一度は観ないと見逃してしまいそう。
年間ログコンテストでもやるのかなあ・・・

そういえば、志賀高原に行く途中で、めざしのようにたくさん連なった鯉のぼりを見たっけ。

忙しいのでとりあえず・・・

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.01

5月です

4060516ll
北朝鮮がまたミサイルを日本海に向けて撃ったらしい。
それを太平洋の向こうの国に教えてもらわなければ判らないと言うのも、不安な話。


これが日本海に落ちているから、こんなことを書いていられるけど、東京に届いていたら?
それに核弾頭が装着されていたら?
考えるだに恐ろしい。

今は海に落ちていても、このまま続けていれば、そのうち日本海側のどこかの町に届くかもしれない。
とんでもない話だ。

核戦争の悲惨さを、もっと、日本人は世界に語らなければいけない。
戦争は終わったが、落ちてしまった爆弾は、今でも、多くの人に重荷を負わせている。

広島に原爆が投下された日、父は仕事で広島に向かっていて、汽車の中で新型の爆弾が落ちたと聞いた。
だが、核の恐ろしさなど少しも知らなかったので、そのまま広島に行ってしまった。
そこで、被爆した人の惨状を目の当たりにし、救助活動も手伝った。

どうやらそのせいで、父は被爆してしまったらしい。
一日しか広島にはいなかったのに、その刻印は身体に残った。

中年期に差し掛かる頃から、5年に一度くらいの周期で、大量の吐血と下血で入院を繰り返していた父。
50を過ぎた頃から色素がなくなる病に罹った父。
傷口は無いのに細胞から滲み出てくるような内蔵出血。色素欠乏症。
これは原爆の後遺症として認められているらしい。

末っ子で、他の兄姉達とはかなり年が離れている私は、父が被爆した後に生まれた。
私はその刻印を受け継いでいるかもしれない。

――母の病も怖いが、こっちもちょっと怖いなあ・・・

最近、「子供は親を選んで生まれる」と、占い師や霊能者は言う。
それが本当なら、生まれる前の私ってば、ほんとに冒険者!

臆病で小心な私の中に、冒険者の片鱗が残っているなら、いつか刻印のタイマーが作動しても、私は重荷を背負う人生を受け入れることができるのだろうが・・・

すでに、生贄は捧げられた。
核の恐ろしさを人類はあの広島や長崎の人々の命の犠牲で思い知ったはず。
これ以上、愚行を繰り返してはいけない。

一言くらいは文句を言える権利が、私にはあるような気がする。

以上  22:00追記


昨夜、「マイノリティ・リポート」なんか見てしまったせいで、魘されてしまった私。
黒服の男が壁を破って出てきて悲鳴を上げたところで、目が醒めた。
原因は私の掛け布団の上で寝ていたサクちゃんが、どういうわけか、飛び降りて廊下を走り、階段を降りようとしたから。

――でも、私、寝る前に部屋のドアは閉めたと思いますが?

と言うことがあり寝不足です。
仕事行ってきます。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.29

壁を塗りながら考えたこと

05042901xこの前から、壁塗りをしながら、考えていたことがある。
――日本って乱れた国になってしまったんだなあ・・・

テレビをつけてやっているので、ワイドショーのニュースが聞こえてくる。
多くは電車事故の話題なのだが、その後に、殺人や事件の話が続く。
ずーっと、ワイドショーを観ていたら、さっさと荷物を纏めて日本から逃げ出したくなるような報道ばかり。

――理由は?

たぶん、共通の言語を持たないからだ。
大人も子供も、自分の思いが相手に伝わらず、感情を言葉に変えることができず、いらだって、原始人のように行動している。

「学び」って、共通の体験による感動を言葉に置き換えて、同じ言葉を話せるようになることだ。
最近の若い子が、よいことは「可愛い」、いやなことは「きもい」くらいで済ましているのは、語彙の不足、つまり、共有できる言葉が限りなく少ないから。

感情を的確に表現する言葉を知らなければ、自分の思いを人に伝えるのも、相手を理解するのも難しくなる。
これが今の教育で一番、足りないところなんだなあ・・・

まず、感動が必要なんだよ。
知識なんて、感動すればいくらでも習うものが自分のほうから求めだす。

生徒だけでなく、教師も、その瞬間を楽しんで感動を共有しなければ、共通の言葉は沁み込まない。

――でも、一緒に生徒と感動することのできる教師なんて、
   どうやって見つければよいのだろう?

昔、教師を「聖職」、偉い人と決めていたのは、実は教わる側がそう規定することによって、教師が不祥事をしないように縛っていたのかもしれないと最近思いついた。
尊敬されていれば、自ずと立ち居い振る舞いもそのようになるものだ。
品行方正に人生を送ることを要求されるのだから尊敬くらいされなきゃ、何のために自分を律するのかと言うことにもなる。
私達が教師に対する尊敬を忘れたから、教師の中にいい加減で良いと思う人が出てきて、女の子のスカートの中を覗いたり援助交際をするようになったのかも。

で、そうなってしまっているからには、そうなった時代の教師像を作らねばならない。
どういう教師が現代の理想かと言うと、もちろん、感動を共有できる人なのだが・・・
今の時代の教師に、一番必要なのはサービス精神ではないだろうか?
この子を喜ばせたい。
この子の役に立ちたい。
吉本の芸人になれと言うのではないが、相手を上機嫌にさせることができる人が良い教師なのかもしれないと思う。
まず、教師の採用に際して、それを基準のひとつにするべきなのでは?

そんなことを思っていたここ何日かだったのだが、今日は板倉雄一郎氏がテレビに出るというので、しっかりと観させてもらった。

「お前は駄目だ」と言われ続けて、自殺も考えたと言うくだりで、涙が出そうになった。
仕事を失敗しすると、人格まで否定するのだ、この国は・・・

貸し渋りや貸し剥がしで、いかに多くの人がそう否定され、自殺していったことだろう。
私の知人も「保険に入っているんでしょ?」と銀行員に言われたことがあるらしい。
それは暗に、死んで保険金で負債を払えと言うことだ。

その銀行員は仕事のためにそんなことを言ったのかもしれない。
だが、結局、銀行の再編によるリストラで、自分がそう言われる立場になってしまった。

今度の尼崎の事故も、従業員が組織を恐れ、そちらのほうばかり向いて体裁を繕おうとした結果、真に大切な安全に目を瞑った結果だ。
板倉氏に「駄目だ」と言った銀行員も組織を護るために体裁を繕おうとするあまり、優良な会社を潰してしまった。

彼らに何が大切かを問えば、間違いなく「人命」と答えるだろう。
だが、組織の一員としてそれを通せない状況になっている。

本当にそうなのだろうか?
相手の言葉と上司の言葉と自分の言葉をきちんと繋げることができれば、そんな状況にならずに、話し合えたことはいっぱいあるのではないだろうか?

私はこの世代間の共通認識と共通の言葉の無いことが、今の日本の一番の問題なのではないかと思う。

まず、同じ言葉を話す努力を!
「初めに言葉ありき」と神も言ったのだ。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.26

予測できない未来 命

Pic00018x朝から昨日の電車事故の話が報道されている。
もう70名以上の方が亡くなられている。

去年から、あまりにひどい災害(天災も人災も)が続いていて、朝テレビをつけるときにドキドキする。
また、なにか起こっているのではないかと・・・

昨日の朝、映像を見た時点では、ふうん電車事故?と言うような感想だった。
去年からのあまりの事故や事件・災害の多さに、自分が鈍感になっていたのかもしれない。
ひどい事故だと驚いていたが、こんな大惨事になるとは思わなかった・・・

朝、行ってきますと普通に出て行った人があんな形で生きて帰ってこないと言うのは、家族にしてみれば、とても信じられない悪夢のような話だろう。

ある男性の姿を追いかけたテレビ局がある。
その父親は娘を心配し勤務先から駆けつけた時点でインタビューに答えている。
そして、10時間後、彼は遺体安置所で娘と対面した。

「誰に似たのか、睫毛が長いんですよ」と嬉しそうに娘の自慢をした後、「動いてくれと娘の頬に触ったら、冷たくて・・・」という言葉が続いた。
あまりの悲しみに放心しているようにさえ見えた。

JRへの怒りを顕わにする人、泣き叫ぶ人、様々な悲しみが画面には映し出される。
だが、彼はJRに対する怒りを口にすることもできないほど、娘を心配し、懸命に娘を探していた。

そして、最悪の結果を目の当たりにしても、怒りを口にする事無く・・・深く深く、その悲しみを受け入れた。

娘さんはそんな父親から愛を惜しみなく注がれ、希望に満ちた人生を送っていたと思う。
なのに、突然の人生からの退場。
父と娘は別れの言葉を交わす時間も与えられなかった。

命が奪われるすべての事件・事故・災害を見ると、神も仏もいないのかと思うことがある。
その傍観者でいることを申し訳なく思うことがある。

当事者ではないものは、何時もの朝を迎えた。
だが、「死」は常に「生」の隣りに在る。
いつ自分がそちらに行かなければならないのか、誰にも判らない。

だからこそ、今のこの一瞬に、出来うる限りのことをしていかなければならない。
自分のすべてを瞬間瞬間に吐き出していくことは、決して損な事ではない。
勿体ぶって大事に取っておいても、それを出す時間を与えられるかどうかは、誰にも予測できないのだから。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.25

エール

Dsc04882ll「あの世には亡者という浮かばれない人たちがいる。
彼らを僕の技術で笑わせてあげたい」
僧侶姿のポール牧(敬称略:そのほうが彼を語りやすい気がするので)が画面の向こうで、笑いながら言っている。

突然の飛び降り自殺を追悼するワイドショーのコーナー。
亡者に会うためには、自殺して亡者の仲間入りをするしかないと思いつめたのだろうか・・・

ポール牧についてはコントよりも「悪役」の記憶が私にはある。
「人間の善の部分と悪の部分を役の中で矛盾無く、そして滑稽に表現できる数少ない俳優」と私は見ていたのだが・・・もっと、あの変な悪役を見たかった。
望みどおりに今頃は亡者を笑わせていると良いなあ・・・

それにしても、最近、鬱の話をよく聞く。
日本人は今、かつてないほど幸せな時代を生きている。
直接的な戦争も無く、食べるのにもさほど苦労しない、こんな時代を日本は初めて経験している。
それなのに・・・
自由に生きろと解放された日本人が、群れのリーダーを失った動物のように彷徨うのは何故?

戦って血で勝ち取った自由ではなく、思いもかけずに手に入れてしまった自由を日本人は持て余している。
その際限の無い自由を個人の枠で限定していく作業を私たちはしなければならない。
そのためには、自分を愛し、他人を認める「心」が必要だ。
今は癒しのブームだけど、それは「自分」のためのもの。
これからは、自分のためだけでなく、「相手のことも考える心」を育てるものが必要。
そして、それを「受け止めることができる心」も育てなければならない。
技術的には物事についての見方を部分的に限定していくことになる。
つまり、少し、不自由になることなのだが・・・

最近の事件はその必要性を訴えている。
その事件を起こしている年若い犯人たちは、「心を育てる作業」を怠った大人の犠牲者でもあるのだ。

最近、友人が、言い出した。
「私、今まで会社でも家でも何も言わなかったの。
言っても無駄だし嫌われるじゃない?
でも、最近、気がついたことは嫌われても言わなきゃ駄目かなって思っている。
昔、いやだなと思っていた先輩の小言、今ではありがたいもの。
小言おばさんって必要かなと思う」
そのことに気がついた自分がしなければいけないと彼女は決心したらしい。

「相手を思っての小言なら、そのときには判らなくてもいつか判ってくれるよ」
と答えたが自信は無い。
そう判る心を育てるのは、市井の普通のおばさんやおじさんの生き様なのだと思う。
だから、私はそう感じ感謝できる人間になれるように努力しよう。
それが私の彼女へのエール。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね


ps: このエントリーをアップしてすぐに、ウイルスバスターの
   自動アップデートが始まった。
   凄い緊張感で見守ってしまった(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.22

おだまき

最近テレビに中国人留学生たちが出演して、今度の中国の半日デモについての感想を述べている。
その中の一人が、日本で学んで日本で働くつもりなのだが、反日デモは当然という感想を述べているのを見て・・・
「そんなに日本が嫌いなら、中国に帰ってくれませんか」と、つい、思ってしまった。

中国が日本を責めれば責めるほど、変な愛国心が日本人の中に湧いてしまうのではと、自分の心の動きを思うと、不安になる。
忘れると言うのは一番の復讐だと、昔、読んだ本に書いてあったような気がするが、あれは恋愛問題に限るのかなあ・・・

同じ第二次世界大戦の敗戦国ドイツと侵略されたポーランド(ルーマニアと書いていました間違いです、ごめんなさい)は共通の歴史教科書を使っているらしい。
確かに、中国の認識と日本の認識を合わせた公平な教科書を作らないと、この問題は解決しないかも。
中国は被害を受けたことを声高に言い続け、自分の意見が通らないと駄々を捏ねている。
日本は都合の悪いことには耳を塞いでいる。

私の通っていた学校では第二次世界大戦前後なんて、三学期末に時間が足りなくなって、読んでおくようにで終わりだった。
学生運動が激しい頃だったから、教師もその辺は避けたかったのかもしれないが・・・
今のままでは共通の教科書なんて望むべくも無い。
いっそのこと、まったくの第三国に教科書を「外注」したらどうだろう。

あるインド人留学生がこの問題について、過去の怨念をインドは忘れたことによって今の発展があるという発言をしていた。
まあ、今は中国の過渡期、日本でも学生運動があったように、中国が揺れている時期だ。
過剰な反応をせずに見守るほうがよいのかもしれない。
中国も、いずれ、過去に拘っていては国際社会で生きていけないことに気づくことになるとは思う。

拘っているとろくなことがないというのは、個人の生活でも同じこと。
Dsc04878x――人は日々生まれ、日々死んでいるに等しい。
と、去年、気づいた私。

さて、今日の私はどんな人になるのやら・・・

写真は我が家のプランターの「苧環(おだまき)」
今年の大河ドラマ「義経」の愛妾静御前が、
「しずやしず  しずのおだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」
そう、義経を偲んで謡い舞ったという。

花言葉は「断乎として勝つ。あの人を思う」
あの人を思うは静御前にちなんだ花言葉だろう。
断乎として勝つのほうは、ライオンが好んで食べるからとか。

断乎として勝ちたい気持ちは、わかるけど・・・孤独なライオンの道は険しい。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2005.04.18

ニュースを見て思うこと

Dsc04867-1x
毎日毎日、中国問題と騒音おばさん、ライブドアVSフジの問題でワイドショーは持ちきりだ。

中国のデモの様子を見ると、16年前の6月4日を思い出す。
その日、カナダから成田に着くとなんだか騒然としていた。
理由がわからなくてニュースを見て驚いた。
天安門事件。
多くの血が流された。
蒸し暑くて、身体がずっしりと重くなるほど湿気が多い日だった。

あの時、中国はなにをあの事件から学んだのだろう。
あれから愛国抗日思想を国民に植え付け始めたのだと識者は言う。
中を固めるために外に敵を作ったと言うことなのだろうが、国の芯に「憎悪」を据えて、どんな国を作るつもりだったのだろう・・・

今回、デモが膨らんで暴力沙汰になり、形ばかりでも当局はデモの自粛を呼びかけたが、人民はそれを無視した。
今は日本に向かっているその憎悪が、政府に向けられるのは時間の問題で、たぶん中国はそれを押さえられないだろう。

プラハの春の後、長い冬の時代を耐えたチェコスロバキアの国民は20年後「ビロード革命」で開放された。
武力で抑えたソビエトが経済的に破綻し、政府が西欧社会から入ってくる情報を押さえきれなかったからだ。
中国も資本主義社会の企業を誘致した結果、資本主義の風に皆が触れてしまった。
その上、どんな理由であれ、国がデモを容認してしまったことは、諸刃の刃だったのではないだろうか。
世界の大きな流れは、資本主義と民族主義に向かっている。
中国はその流れにすでに押し流されている。
その現われが、今回の事件だ。
オリンピックを控えて、ますます、国民はいろんな情報を手に入れていく。
情報はどんな爆弾よりも破壊力のあるものなのだ。
チョコスロバキアがチェコとスロバキアに分裂したように、ソビエト連邦が崩壊したように、中国もチベットや中央アジアの国々、台湾の独立を認めざるを得なくなるのかもしれない。
さて、どうなることやら・・・

騒音おばさん・・・きっと、毎日辛かっただろうなあ。
夜も昼も無く、あんなに声を張り上げ、布団たたきで叩くなんて、凄い体力。
私にはとても真似ができない。
だが、もしかしたら、彼女と同じ気持ちを隣人に抱きながら笑顔を見せている人は多いかもしれない。
鬱屈した思いで暮らしていると、幸せそうな隣人ほど癪に障るものはない。
あれも、自分の生活の芯に他人を憎むことを据えた結果。

他を憎み非難することで自分の空虚から目を逸らしていた結果という点では、あの二つの事件は同じ。
おばさんも中国も変わらない。


さて、ライブドアとCXが和解したようだ。
あちこちにその感想もアップされている。

――私の感想。
今度の件で、日本人はいろんなことを知った。
株による支配と言うことも実感できた。
そのことはこの騒動の「功」だったと思う。
しかし、後味は悪い。
一人の若者の野望と一人の老人の驕りが丸見えだったから。
身も蓋も無いとはこのことだ。

だが、ライブドア、ニッポン放送、フジの3社の社員のためには、とりあえずこれで収まって良かったと思う。

堀江氏は自分の興味のままに付き進む人だ。
(私は彼をゴジラと呼んでいる)
彼は自分のやりたいことを実現するために手段を選ばない。
それを間違いだとは言わないが、少しはその進路にあるものに目を留め、愛して欲しい。
お金持ちになった堀江氏には、お金持ちである権利ばかりでなく義務もあるのだから。
徳を積んでおかないと、大変な老後を迎えることになるかも・・・ですよ。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.14

ヘルシーフール

Dsc04828x

素晴らしい天気。
車なんか洗ってしまった。
明日、雪が降ったら私のせいかも。

なんだかとっても体調が良い!
朝もすっきり起きれるし、眩暈とか息切れとかも無い。
頭痛も嘘のように消えている。
こんなにすっきりしていてよいものだろうか?
うふうふと笑いたくなるくらい元気だ。

で、元気だとパソコンの前にいる時間が短くなる。
ダンシングフール(踊る人は何時も上機嫌)と言う言葉があるが、ヘルシーフールと言うのもありそうな気がする。
健康だと、いろんなことをぐちゃぐちゃ悩んでいられない。
身体が何時も外に飛び出していきたがって仕方ないのだ。

家の中に篭っていられるということは、たぶん、体調も悪いのだ。
ニートは精神がどうのこうのと言う前に、どこか身体のバランスが崩れているのかもしれない。
精神論で裁く前に、健康診断をしっかりやったほうが良いのかも。

さっきからガーデニング講習の資料つくりをしていて、18世紀前半のイギリスで、精神疾患の患者を収容する施設でリハビリの一環として土いじりをさせていたと言う記述を見つけた。
化学療法の進歩に伴い、そのリハビリは忘れられたようなのだが・・・
だが、その植物の癒しの力が最近見直されてきて、1993年に「園芸療法」と言うのをアメリカのダイアンレルフという博士が提唱して以来、老人ホームや精神疾患者、身体障害者などの施設でガーデニングが積極的の行われていると言う。

そうか、ニートもまずガーデニングを始めればよいかもしれない。
まず、園芸や花の仕事を中心とした学校を作って・・・あれ、これって私がやろうとして挫折した奴じゃない!
5年前には誰の賛同も得られなかったんだっけ・・・
なんであなたがそんなことを考えるの?
と皆にいわれた。
銀行にも笑われたっけ。
絶対必要だと思っていたけど、誰もその頃、必要性を感じていなかった。
おばさんですら判っていたことだったのに、いまさら、ニート問題で騒いでいるなんて・・・

まあ、そのうち、雨後の竹の子のようにそんな学校ができてくるだろう。
私がやることは無かっただけの話だ。
私は一足先に脳天気な幸せ者になってしまったけど、それを申し訳なく思わなくて済む。
私は私にやれるだけのことはやった。
私がその器ではなかったと言うことなのだから。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.13

小人たちが集団で

Dsc04827x今朝、車を運転していたら、小さなピンクの何かが道路を横切って走っていった。
え?小人?
ああ、ついに頭にきたか・・・そう言えば、最近物忘れ激しいし、よく物を失くすし、時間があっという間に過ぎるしなあ・・・

その上、幻覚まで見るようになったんだ。
私も母のようになるんだろうか?
どうしよう・・・
などと思いながら良く見ると、それは桜の花びらだった。

花びらが舞うのではなく、つつつっと走るように、道路を風に流されて行く。
道すがら、花びらの集団が幾筋も目の前を横切っていった。
あちこちの桜の木から道路に飛ばされてきているらしい。
可愛い!

小人達は駆けっこでもしているように、急いで走り抜けていく。
一緒に春も駆け足で去っていくようだ。

こんなに天気が良いなら、外でご飯にしよう!
お弁当を買って、遅い昼食を山の中の池のほとりで食べた。

様々な芽吹き色に装った木々が強い風にざわざわしている。
その中に紛れた桜の木から飛ばされた花びらが、風溜まりでピンクの絨毯になっている。

あー、いい気持ち。

世間は色々騒がしいし、自分の中にも様々な感情が渦巻いているけど、こうやって、自然を見ていると、
「世はすべてことも無し」


人間のやっていることなど、たいしたことではない。
私たちは地球に優しいとか、温暖化を防止するとか、いろいろ言っているけど、地球はそんなことを人間にしてもらわなくても、人間が嫌になれば、消すことなど簡単なのだ。

少し地球が震えただけで、私たちなど絶滅してしまう。
その絶滅を何度繰り返しても、次の生命体が出てきて、次の進化が始まる。
地球にとって、人間など生物の一種に過ぎない。

私たちには地球を守ることなどできない。
私たちが地球に守られているのだ。
私たちにできることは、ただ、こうして生きていられることに感謝し、すべてのものに感謝して、短い生をなるべく誰にも迷惑をかけないように自分の出来るだけの範囲で楽しんで生きることくらいしかない。

砂に埋もれ、緑に隠され、ひっそりと時の狭間に残されている遺跡は、
「どのような繁栄も地球にとってはほんの一瞬であり、どのような構造物もいずれは土くれに還る」
ということを教えている。
そして、命は、またその土くれの中から新たな形で生まれてくるのだ。

この前、ある人に、「小さなことにも気をつけたほうがよいかもしれませんね」とメールしたら、
「心して・・・といっても、ナニをどうすればよいのかさっぱりわからない」
と帰って来て、私も、どういえばよいのだろうと思っていたのだが、今日、春の山を見ていて気付いた。

――日々、すべてに感謝し、すべてを愛するように努力する。
それだけで良いんじゃない?

幸いなことに、私たちは他人や他国を憎めとは教育されていない。
やり直すことは可能だ。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.12

近所付合いは難しい

1092409x
中国が大変な状況になっている。
まったく、近所とうまく付き合うと言うことは難しい。
ここに至った理由をあれこれと耳にするが、どうなんだろう?
 
世界の歴史を見るにつけ、侵略され侵略したことの無い民族はほとんどいないのではと思う。
日本だって、第二次世界大戦後の一時は「occupied Japan」だった。
米軍が占領しているイラクと同じような時期があり、イラクで起こっているような事件も起こっていた。
下山事件や帝銀事件のように、未だに解明できていない事件もあった。
それが占領されているという現実なのだと思う。

だが、今、日本人の中でアメリカを怨んでいるような人はあまりいないし、それを声高に言い募る人もあまりいない。
アメリカの統治の方法が良かったから?
いや、日本だって、中国や韓国を侵略し占領していた時代に、彼らのために何もしなかったからと言うわけではないだろう。
戦後だって、ずっと、何らかの援助(相手はありがたがらなかったようだが)もしてきたと思う。
それでも、戦後60年立っても、彼らの日本人に対する怨みが消えないのは国がそれを教育してきたせいだ。

日本は未だにアメリカに占領されているのに等しいので、アメリカに対する怨みを教育できない。
原爆を落とされたことに文句すら言えない。
で、怨みを教育されていない日本人には、いつまでも怨みをもち続ける相手の気持ちはわからない。
そして、いつまでも怨みを持ち続ける相手は、なぜ、日本人が綺麗さっぱり過去のことを忘れて幸せそうにしていて、いろんな権利を主張するのかわからない。

でも、中国や韓国は自国を統一するために怨みの教育をした報いを、今、受けている。
日本人は自分のことにかまけて他国の痛みを忘れてしまった報いを、今、受けている。

日本は今まで何回も近隣諸国に謝ってきた。
だが、相手はそれを謝りと受け取らない。
ならば、一回相手に訊いてはどうか?
何をすれば謝罪と受け取るのだと。
今までこれこれのことをしてきたが、それについてはどう思っているのだと。
互いの話し合いではなく、世界の判定の場に持ち込んでみたらどうか?

国際法廷のような場で、全世界に判断を仰いで、それでこうしなさいと言われたらしたら良い。
いい加減に終わりにしなければ、日本人も、中国人も、韓国人も、朝鮮人もそのほかの多くの日本に侵略されたと思っている近隣諸国の人々も、近所付き合いを誤まって、嫌な人種になってしまう。

この決着はお互いの間では付かない。
誰かに裁かれることが必要なのだ。

そんなことをしたら、日本は良い様に毟られる?
いいえ、先にも言ったように、侵略をしたことのない民族はいない。
中国もアメリカもロシアもイギリスも、みな、脛に傷を持っている。
日本を責めれば、自国がどこからかに責められるのだから、心配要らないのでは?

などと考えたりする4月の朝。
桜も散りそうだなあ・・・

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.06

もうひとつの支配力

Dsc04819xこのところの疲れでへたばり気味だった私。
花の仕事から戻って、夕方の予定まで2時間くらい時間が空いた。
天気もいいし、ぽかぽかのベッドで昼寝しようか・・・
夕べ鼻血なんか出しちゃったし、きっと、疲れてんだよなあ。
その前にネットのあちこち覗いて・・・と。

それがいけなかった。

もう、どうしよう、眠れないぞ。
切込隊長、面白すぎ。

今日のエントリーから。


3.「こういう大事なときに何故情報が集まらんのだ」
 それはお前が普段から人間関係築いてなかったからだ。自販機じゃあるまいし、そう都合良く求めるネタが集まってくるかってんだバカタレ。

7.「状況が分からない。体制仕切り直して難局に一致して当たろう」  もうすでに難局なんだよ。状況が分からないというのも驚きだが何故いま体制を仕切り直すのか理解に苦しむ。いま組織替えしてどうする。大地震が来て揺れてるところにコンビニへ水を買いに逝かすようなもんだ。明らかに間違っている。それも全面的にだ。

涙が出そう・・・これだから、この人から目を離せない。
ノンフィクションかフィクションかわからないけど、普遍的な問題だね、これ。
きっと、今頃、「まったくそうだ」と叫んでいる人がいると思うよ、それもかなり。

切込隊長は「いかだ」を派遣して、軍艦を救ったらしいのだが、軍艦は一番手強い敵に救援を頼んだのかもしれない。
彼のこの面白さこそ、いずれ、軍艦を脅かすネットの真骨頂。
こんな面白いものをタダで読めるのだ、インターネットと言う文明の利器は。
一日に何十万人がその文章を読み、それぞれにその文章から何かを受け取っている。
これは凄いパワーだ。

政治家が政治で、宗教家が宗教で、資本家が経済で支配しようとしていた世界に、インターネットによる情報というもうひとつの支配力が加わったのかもしれない。

――ああ、時間が無くなっちゃった。
出かけよう。
でも、なんか、元気が出ちゃったわ。

トラックバックできなくなっているので、墓場の影(by堀江語)から、切込隊長に感謝!

追記:17.:30

帰って読み返してびっくり!
墓場の影って何?
わたしゃ、ゲゲゲの鬼太郎か?

もちろん、「草葉の陰」のまちがいでございます。
お詫びして訂正させていただきます。
あー、恥ずかしい!

c-rawumber
 ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.04

人生のデザイン

Dsc01588x「美の新しい”表現”を追求することに情熱を持って献身し、芸術家としての創造的な仕事を通して、その美の表現を世の中への贈り物として提供しようとしているすべての人々へ」として、ヨハネパウロ2世は「芸術家たちへの書簡」を発表されました。

昨日、猊下(げいか)の逝去に際して、その人生を調べていて、この書簡に行き当たりました。
芸術家の人生を生きている人は多くはありませんが、この書簡の中で猊下は下記のように述べられておられます。

皆が皆、厳密な意味での芸術家になるように呼ばれているわけではありません。それでも創世記に述べられているように、すべての男性も女性も自分自身の生涯をデザインする仕事を託されています。つまり、ある意味で人間は自分の生涯から芸術作品、傑作を作らなければならないのです。

私たちは生きていることで、自分の人生をデザインし、実践している芸術家――そう言うことなのだと思います。

自分のデザインどおりに生きられないことは多いし、自分のデザインを考えられないこともあるけれど、日々、自分に出来ることをしていけば、「自分」と言う芸術作品が出来上がる。
善を目指せば善なるものに、悪を目指せば悪に染まったものに、頑張れば緻密なものに、手を抜けば粗雑なものに、見事に結果が出て行くのが人生なのかもしれません。
自分の境遇に不満を持ち、どうなっても良いと考えたら、どうなっても良い人生しか作れません。
自分の人生に不満があるなら、何故、今、自分はこういう状況にいるのか、この状況を打破するために、今の自分に何が出来るのかを考え、行動することによって人生は開けていきます。

事に当たって、打ちのめされ、自分を投げ出す人の気持ちを私は理解できます。
お金がないとか物が無いということに人は我慢できますが、信頼を裏切られたり、心無い言葉を投げかけられたりしたときに、自分を保つことは難しくなります。
誰かを呪ったり、自分が価値の無いものと思えます。

でも、人は誰かを裏切らずには生きて行けない事もあります。
誰かを非難せずには自分を保てない時があります。
自分が苦しいように、相手も苦しみ、生きていくためにもがいていたのだと、理解しなければなりません。
私がいつも、自分を許し、相手を許そうと言うのはそう言うことです。
誰かへの恨みや自分の境遇への不満を、胸に溜めて、悲しんでばかりいても、自分のデザインがどんどん汚れ狂っていくだけです。
自分の人生を美しいものにデザインできるのはどんな状況にあっても、自分だけなのです。

宗教を信仰する人は信仰を自分を保つ杖にできますが、日本人の場合、信仰は葬式時の寺がどこか、くらいの意味しか持たなくなっています。
杖が無いことにより、日本人は自分を保つ方法を自身で見つけなければいけなくなっています。
厳しい状況です。
かつての宗教の祖が辿った道を、辿らなければいけないのですから。
私も、何ものかを信じてはいても、これと言う宗教は持ち合わせていません。
どの宗教も素晴らしく、どの宗教も私には理解できない部分があるのです。
宗教の祖は常に悪人を許しますが、現存の宗教の指導者は必ずしもそうではないように見えるからです。

神に絶対的な信頼を置いた人生を全うされ、多くの信者の涙と祈りの言葉に満ちたベッドで、死を迎えられたときに、猊下はご自身の人生のデザインに満足なさったでしょうか?

もしかして、ポーランドで工場の一従業員として働き、妻を娶り、子供をなし、孫を得て、静かな死を迎えた同僚を羨んだかも知れない、などと不遜なことを考えてしまう私です。

c-rawumber
 ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.03

ヨハネパウロ2世のご逝去に

――ローマ教皇ヨハネパウロ2世が逝去なされた。

04102410ll明け方、とても怖い夢を見た。
大切なものを失ったような、誰かが追いかけてくるような、じりじりとした不安が目覚めても残っていた。
なにか起こったのではとテレビをつけると、その瞬間そのニュースが流れた。

教皇は神の領域におられた方であり、私のような下々の人間、しかも信仰さえしていない人間には遥か遠いお方だったが、偉大な叡智がこの次元から消えたことの振動のようなものが世界に波及して、私はそれを察知したのかもしれないなどと、驕った考えを抱いた。

戦火のポーランドで育ち、炭鉱や工場で働きながら、神職を目指した青年は、58歳で予言されていた教皇になられた。
前任者のヨハネパウロ1世がたった33日間と言う短い任期で逝去されたからだ。
そして、彼の就任は聖人ピオ・フォルジョーネ神父によって予言されていた。
教皇に就任すると言う喜ばしい予言のほかに、恐ろしい予言も付いていた。
「ヨハネパウロ2世は教皇就任後、血にまみれ、短い任期を終えるだろう」

しかし、襲撃され血にまみれもしたが、奇跡的に教皇は復帰され、「空を飛ぶ教皇」と呼ばれるほど精力的に、世界を駆けめぐり、ローマンカトリックのため、神の教えを広めるために人生を捧げられた。
その方の死がこの先の世界に与える影響は小さくないだろう。

と、ここまで書いたのですが・・・
実はこれを書き始めた瞬間から、我が家の上で雷が炸裂し、大雨になってしまったのです。
夫がパソコンが危険な状態だと心配しますので、この続きは明日・・・
教皇の「芸術家への書簡」を読んだ感想などを書きましょう。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2005.04.02

朝まで生テレビ

Dsc01521x板倉雄一郎氏が出るというので、久しぶりに「朝まで生テレビ」を観た。
なかなか興味深い内容だったのでずっと観ていたかったのだが・・・

2時半になったところで、今日の仕事に差し支えると言うことで、寝た。
DVDで録画していたはずなのに・・・容量が足りなかったようで途中で切れていた。
田原総一郎が「専門家はいない」と叫んだところで切れている・・・ショック!

どなたか、続きを録画された方、貸してください!
ああ、ネット配信ができていればなあ・・・と思った次第。
ホリエモンに一票!


――で、以下は途中までの感想。

話を聞きながら、ぼんやりと私はこんなことを考えていた。

戦後の日本は、焦土の中でブリキのおもちゃを作ることで海外進出を図った。
そのブリキのおもちゃがテレビ、ビデオ、車とどんどん大きくなっていっても、アメリカを含む外国は日本の価値に気付いていなかった。
極東の小さな島国が次々と物を作って売りに来るなあくらいの感覚だったのだと思う。

しかし、日本はバブルを経験して、世界に出て行き、ニューヨークの土地を買ったり、アメリカのランドマークビルを買ったりと、目立ち過ぎてしまった。

その時、海外の投資家および政治家は日本が哀れな敗戦国ではなく、競争相手だということにようやく気がついのだ。
そして、良く見ると、日本人は資本主義の仕組みに興味も持たず、官僚が好き勝手に税金や郵便貯金を使っていても気づかないのんきな人種と判った。

そこで、彼らはとても巧妙に日本人を奴隷化し始めた。
それが、株による企業支配だ。
一方、日本の中でも、ライブドアの堀江氏のように、株の力でのし上がろうとするものも現れた。
どちらも、日本と言う潜在能力のある国の支配を、政治ではなく資本主義と言う約束でしようとしているのだ。
それが今度の騒動の発端だったのだと思う。

近鉄の買収に手を上げても、それを民主的な方法で阻まれた堀江氏は、阻まれないような方法を取るために、株を買い占めて既成事実を作ったのだが、思わぬことで挫折した。
なんと、相手がそれを「既成事実と気付かなかった」のだ。
資本主義の約束が日本には行き渡っていないのだとまでは、「想定の範囲内」ではなかったのだ。

でも、誰が何と言おうと、現在のニッポン放送の筆頭株主はライブドア。
誰がどう抗おうと、5年経てば、フジテレビの株はライブドアの傘下のニッポン放送の元に返る。

ここで、ライブドアが5年待てるかとか、ライブドアになったら有名芸能人が出演しないとか、そう言うことは問題にしない。
企業が誰のものかは論点にしない。
で、話を進めると・・・

問題なのは、企業(ライブドアの場合のフジテレビとニッポン放送)のその鈍感さだ。
自分が首根っこを押さえつけられていると感じない鈍さ。
司法の場で戦えば、勝てると思う慢心。
これが日本の多くの企業の姿なのだと思う。
危いったらない!

自民党が出している法案もそうだ。
グローバルスタンダードに立たない法案をいくら作っても、外圧にずるずると押され、結局はそれに縋っている企業を見捨てるしかなくなるに決まっている。

日本の土地はその高価格で何とか守られているが、日本の株は日本人が株に興味を持たない結果、至極割安に放置されている。
日本を武力で属国にしなくても、ただ、株を買うだけで属国を作れることを知っている資本家達が、見過ごすはずが無い。
株を買い、国債を買うことによって、余計な資本投下や運営はしなくても、勤勉な日本人はせっせと貢いでくれると今頃は大笑いしているだろう。
そう言う存在になっているのだと言う自覚を我々は持つべきなのだ。


もうひとつ、録画できたところまでのキーワードに、「弱肉強食」「弱者救済」があった。
資本主義がグローバルスタンダードになっていくと、護送船団方式の現在とは違い落ちこぼれるところが出てくる。
その人をどう救済するかと言うこと。
自民党の小林興起氏は落ちこぼれないようにするための政策と言っていたが、私は、こぼれた人が再挑戦できる社会を作るという小飼 弾(オープンソース プログラマー,元オン・ザ・エッヂ役員)の説のほうが正しいような気がする。
彼は具体的には答えられなかったが、具体的な答えは失敗したものに聞けばよい。

あの時、何があれば良かったのか?
どうして欲しかったのか?
これからどうしたいのか?
そのためには何が必要か?
その答えを持っているのは沈んだ船の船長だ。
板倉氏の言ったように、船長を船と一緒に沈ませない、まず、それが第一歩なのだと思う。

と、中途半端な感想しか書けず、残念。

個人的には紺谷 典子氏(エコノミスト,「女性投資家の会」代表)に好感が持てた。
あと、辛 淑玉氏(人材育成コンサルタント)の不思議な感じ(しりあがり寿の漫画の主人公のような雰囲気)が気にかかる。
浅尾 慶一郎氏(民主党・参議院議員)はなんか切れ者って感じ。
デーブ・スペクター氏(放送プロデューサー)はフジテレビの回し者?
永沢 徹氏(弁護士)はちょっとお疲れのご様子。
あの普通のオジサンっぽいところが好きなので頑張って欲しい。
ベンジャミン・フルフォード氏(元「フォーブス」誌東京支局長)この人、誰?
堀 紘一氏(ドリームインキュベータ社長)が板倉氏に「あんたは成功するよ、なぜなら」と言ったが、田原氏に遮られて、その後を聴けなかったのがとっても残念!
訊きましたか? 板倉さん。
板倉氏は山田 厚史氏(朝日新聞編集委員)の言葉に気付きが有ったとか。
反省の弁をブログで述べておられる。

なかなかに考えさせられる番組だった。

それにしても、失敗の経験なら、たくさんあるんだけど、誰も訊きに来てくれないわ。
あれ、私って船と一緒に沈んでる?


c-rawumber
 ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.31

じゃーな りずむ

4041725x最近、ブログと既存ジャーナリズムについて、あれこれ、論争が起こっている。
プロの目からの検証された報道が必要だと言う声も聞く。

まあ、ブログにもいろいろ有る。
うちのようなほとんど人が来ないところもあれば、一日に何十万ヒットと言うところもある。
何十万もヒットすると言うことは、そこに、何十万の人間を惹きつけるものがあるからだ。
既存のジャーナリズムは、そこを見習った方が面白い紙面づくりができるかもしれない。
もっとも、見習えない=既存のジャーナリズムに飽き足らないから、人が集まっているのかもしれないけど。

さて、田舎に住んでいるおばさんにもそれなりの情報はどこからか伝わってくる。
この前も、ウッちゃんの入籍を入籍した日に知った。
でも、人が隠していることを暴く趣味は無いので、発表されるまで誰にも言わなかった。
発表された後では、実はねーと話しちゃったけど。
そう言う風に、ささやかな情報など誰でも持っていて、それぞれに、「私こんなこと知っている。誰かに話したい」と言う欲求を持っているに違いない。
それがブログでの発言であったり、2chと言った掲示板での情報提供になる。

私には、なにか起こった時に必ず見に行くブログがある。
そこでは、新聞に書かれていないことも書いてある。
そこに書かれていることが真実かどうかは、しばらくすれば、既存のジャーナリズムが報道するので、それと見比べたり、ほかにもそのことについての記事をネットで渡り歩き、自分なりの結論を出すのだ。

少し慣れると、人はそうやって自分の中でブログを選別し、自分の得た情報を整理すると思う。

ただし、それは、その人の好みに偏向した選択だ。
自分で判断して選べるブログでは、自分の好む方にしか行かなくなるし、自分に都合の良い解釈しか選ばなくなってしまう。
それでは、自分が気に入らない意見は一切入らないと言うことになる。
それは、他と共存せざるを得ない社会生活上危険だ。

既存のジャーナルリズムの提供する報道は、それぞれに偏向していても、それに対して物申すことはできない。
だから、ジャーナリストは安心して偏向していられる。
多くの人が反感を持ったとしても、結果として、そう言う意見も有ると認めさせることができる。
既存の紙のジャーナリズムには、そのためにもプロの目で精査された報道と彼らが言うところの報道を頑張ってもらいたい。

なんだかんだ言っても、ブログに若い人が慣れ親しんで、文字文化が花開いているよね~。
それにしても、ブログに振り仮名を入れるようにしてくれないかな~。

などと、ぼーっと考える午後。

桜が咲いたんですって。
(( ^)o(^ )) わーいと打ったらこれが出てびっくり!

お花見だ~~


c-rawumber
 ←さて、今日のブログランキングは? ポチっとしてね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.04

郵政民営化って

小泉内閣の次のターゲットは郵政民営化。

で、私があったらいいなと言うサービスを考えてみました。

山奥の過疎の村に住んでいる人たちにとって、郵便配達員は、外界からの唯一の生身の連絡係。

テレビ電話やインターネット、携帯電話がいくら普及しても、テレビや携帯から実物が出るわけではないのだから、需要がなくなるということはない。

でも、郵便を届けるためだけに山奥や数人しか住んでいないところにに行くのは採算が合わない。
この点が、反対派が弱者切捨てと叫んでいるところよね。

でも、発想を転換して、そんなところに住んでいる人たちの地域サービスを考えればどうかしら?

寝たきりの老人を配達途中に訪問して、ついでに介護サービスするとか、お弁当の宅配するとか、買い物を代行したり、必要そうなものの情報を届けるとか、企業努力をするのです。

コンビニを経営できるのですから、そこからの配達と考えればオッケーでしょ?

ただ、手紙や小包の配達をするだけの今までのやり方を貫こうとするから、採算が合わないということになるのでは?

ヘルパーの資格が必要だとか、どうしてそんなことしなきゃいけないんだとか言うのなら、そういうサービスをする企業に負けて倒産すればいい。
多くの企業が今の郵便事業に参入したときには、きっとそういう付加価値をつけてくるはず。

たった一件の振込みをするのに30分も客を待たせているのに、局員同士おしゃべりをしているような局は、潰れたって仕方ないわ!(←思いっきり私憤)

郵便局が潰れても、郵貯・簡保は分離されるので問題はないし。

そうそう、簡保や郵貯ってどういう風になるのかしら?

郵便局が扱うのでは、今までと変わらないよね。
きっと、既得権益の取り合いで凄いことになるんだろうなあ。

ああ、でも、政府は簡保と郵貯に何か問題があると考えているのかしら?
こんなに民営化を急いでいるということは、平成の大改革でもやるつもりかな?

今の自殺者の多さから考えると、やらなきゃいけないと思っているんだろうな、借金の棒引き。
それをするためには郵貯や簡保を手放さないと諸刃の刃になってしまうものね。

でも、郵貯もなければ簡保にも入っていないビンボー人にはどうでもいいことだけど・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.01

何をしない人(?)のトラックバック

昨日、お気楽な一日の終わりに、いつも行く板倉雄一郎氏のblogに出かけてびっくり!
この前の私の書き込みへのお返事・・・

あの書き込みで私は、
「ミイラ取りがミイラにならない・・・では、板倉さんは何をしない人なんでしょう?
それで、板倉さんの正体が分かるんですね?」
と書いてしまいました。

私はこんな性格なものですから、何気なくこのコメントを書いたのですが、世間的には驚きだったようで・・・あちらから飛んでくるアクセス数の凄いこと。
新記録樹立でしたよ。
私が名前を出して書いたせいで、懲りない君交友を想像した方が多かったのでは・・・
みなさん、がっかりさせて申し訳ありません。

で、板倉氏は
講演を聴きに行かない=講演をする人。
起業をしない=起業を助ける人。
読書をしない=文章を書く人。

と言うご自分のスタンス(正体)を明らかにしてくださったわけです。
板倉さん、こんなお馬鹿な読者の疑問に答えていただいてありがとうございました。

自分が「何をするか」「何をしないか」をはっきり知ることは大切なことだと思います。
無限に時間も資金もあるわけではないのですから・・・
でも、自分が何をしたいかは分かっていても、何をしないのかを分かっている人は少ないと思うのですよ。
そして、その選択の理由も・・・

「何事かをなす人」はある事をしようとしたときに、あなたは我儘で独断的だと言われることが良くあります。
彼としては、ある目標を立て、その目標を遂行するために動くだけなのですが、周りの人は、他の要素を持ち出して、ああだこうだと言い出します。

――待ってよ、やりたいのは「これ」でしょ?
――どうして、「あれ」のことを気にするの?
――「これ」を遂行することで「あれ」の問題も解決するじゃない?

彼には到達点へのまっすぐな道が見ていて、それを批判する人にはその道程に無数にある迷路が見えている。
周りの人たちは自分たちの「したいこと」は分かっていても、自分の「しないこと=する必要のないこと」を分かっていないのです。
それは、もう、才能の問題なので、どうしようもないのです。

ライブドアの社長によると
「(何かを短期で成し遂げようとするときには)周りの人間関係すら崩壊させてもいいという覚悟で、取り組むこと」
彼も我儘とか独断的とか、きっと、言われているはず。

板倉雄一郎氏には、たぶん、あの時、まっすぐな道が見えていたはずです。
でも、彼の事業は失敗した――何故?

まっすぐな道が見えない人が圧倒的に世の中には多いのだという事実に気がついていなかったから。
もしくは気がついていても、そういう人の総意が自分のまっすぐな道を閉ざすのだとは思えなかったから。
などと考えてみました。
当事者ではないので、まったくの想像ですけど・・・

でも、板倉氏や初期のベンチャーの多くの成功と失敗で、日本にはベンチャーが少しは根付いたようです。
つまり、その成功と失敗を見て、国民の総意が変わったのです。

ライブドアの社長や楽天の社長が多くの資産を誇っていられるのは、先駆者たちの犠牲があればこそ。
そして、彼らは今のステージへの先駆者になっている。
彼らの成功と失敗が国民の総意になった今、彼らが次の時代を呼び寄せるのですが、どんな時代になるやら。

楽しみなような、怖いような・・・などと考えました。

トラックバック風な今日のblogです。
板倉さん、読んで下さるかしら?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.28

朝は来なかったの?

薄曇りの秋の日。名月も見えません。

『天国に一番近い島』に始まる一連の森村桂シリーズを読んで、影響を受けた世代があります。
学生運動や、石油ショック後の不況の最中、出す本が売れに売れて彼女はとても幸せそうだった。
その幸せそうな年月の後に、突然出版された「それでも朝は来る」にショックを受けた人は多かったのでは・・・
私もその一人。

彼女が書き連ねた幸せな日々が、ほとんど彼女の創作だった?
それよりもこんなに本音、書いちゃっていいの?

と、まあ、ほとんどの人は思ったはず。

でも、彼女はその本の中では、別れた夫を罵倒しながらも、その人にまだ強く惹かれ、思い切れずにいた。
新しい夫に甘えながらも、元の夫と比較していた。
あの気持ち――この何十年かで昇華できたのでしょうか・・・


彼女の本の思い出を偲びながら、一人でお茶をしました。

DSC04242x.jpg

*りんごのタルトと生徒から頂いたタイ土産の蓮のお茶*

軽井沢のアリスの丘のケーキ、一度食べてみたかったな。
手で捏ねるケーキを汚いと言う人もいるけど、人の手の温もりは一番の調味料。
東北のおばあさんのヌカヅケなんか、絶対この人でないと出ない味がある。
どんなに精蜜な機械でも測れない旨み――

彼女の手からはとても悲しい熟成された思い出の味が流れ出たのかもしれない。
そこを通ったことのある人にしかわからない、何かの・・・

そんなことを考えながら飲んだお茶は、量を違えたのか、とても苦く、いつまでも、喉の奥に残りました。

作家は自分の書いた本をどのように読まれるかを選べないし、時として、自分の思いとは違うように受け取られたりもするだろうから、私の思い出の本を書いた森村桂さんは、私の思う人とはぜんぜん違う人だったのかもしれない。

でも、私はあなたの本、好きでしたよ。
もっともっと、幸せな晩年を送って頂きたかった・・・本当ですよ。

最近、亡くなる人は影響を受けた人ばかりです。
私がそういう年になったという事なのでしょう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.27

うちのバス猫

うちのバス猫は働きもの。
がんがん、退治しています。
良く来るんですよ、ワームちゃん、アイラブユーちゃん、名前も分からないウイルスネズミたち。

その隙間にスパムちゃんもこっそり入っていて、毎日、地雷を踏まないようにするのが大変。
「誰が送ってきてるのかなあ?」

「それって、おばさんはみんなそう思うみたい」
携帯ショップにお勤めの生徒に言われてしまいました。

彼女のショップには
「ねえ、こんなメールが来るんだけど、誰か調べられなかしら?」
という訴えがよくあり、それはほとんど、おばさんらしい。
話を聞いてみると、よくある出会い系サイトの勧誘メールや、スパムのようなので、「ああ、よくあるメールですね」と答えると、彼女たちは「違うわ、誰かがいたずらしてるのよ」とか「近所の○○さんだと思うの」と言ったりするらしい。
心当たりがある?――それは凄い!

でも、私もその気持ちよく分かる。
自分に来るメールって、何か特別なものだと思い込みたい気持ち・・・

いけない、こんなこと書くと、また、出会い系のメールが来てしまう。
以前、「理想の人」と言う文章を書いた途端、うちのパソコンに溢れた出会い系のメール。
(カウンターからするとそんなに人が来ていない辺境のHPだったのに・・・)
あー、その系の人に言っておきますが、私は出会いを求めていませんからね!
お手を煩わしてくださる必要ないですから・・・ふう。
大体、あの文章読んでどうして、出会い系と思っちゃうのか不思議!

そうそう、うちの猫のことだった。
私はパソコンの仕組みすら理解出来ていない人間なので、さっぱり分からないのですが、うちの猫はかなりの切れ者だと思うの。
うっかり逃したネズミも探し出して、「こんなん出ましたア。処理しておきましたよ」と報告してくれますし、いつかなんか、突然画面ががががと赤くなって、自動的に電源を切ったこともあります。
きっと、あのときには、かなりの強敵が来ていたのね。

で、彼女(あの性格は彼女だわ、メガネも掛けているはず)は、どうも律儀な性格らしく、添付ファイルを受け付けません。
私が開く前に、「危ないから捨てておきましたわ」と平然としています。
ですから、プロフィールにも書いておきましたけど、私にメールを送ってくださった方・・・届いていません。
もし、そういう方で、気分を悪くなさっている方がいらしたら、ごめんなさい。
良かったらコメントをご利用くださいね。

「光溢るる野辺に」も今夜で最終話、なんだか、感慨深いです。
読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
次作の公開まで、あのままにしておきますので、また、読んでくださいね。

それから、ブログランキング、よろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.25

サザエさんな私

昨日の精神年齢鑑定(精神鑑定ではありませんよ!)で、サザエさんだった私。
浮かれて、つい、りゅうりゅうさんにメールを出してしまいました。
りゅりゅうさん、早速のお返事ありがとうございました。

生徒たちに話したところ、大爆笑。
私にぴったりと言うのが彼女たちの見解です。
どうやら、間違っていないようです。
でも、サザエさん……って微妙。

さて、仙台抗争はIT版「仁義なく戦い」になってきましたね。
(あっしら堅気にゃ、訳分かりやせんぜ)

そのうえ、経済界のお歴々まで、楽天の後ろについて・・・
(あんたら、越後屋か?)

桃太郎侍はこの世にはいないらしいので、悪代官と越後屋の企みはうまくいくのでしょうね。

プロ野球の選手たちも、自分たちで会社(新しい球団)を起こすくらいの気概があってもいいのに。
誰かに頼ってばかりだと、これからも、翻弄されるばかりだと思うんだけど……

でも、この件はもういいわ。
誰がオーナーになろうと、プロ野球の選手の意識が変わらない限り、プロ野球はつまらない。
だって、新庄一人であんなに盛り上がっている札幌。
その努力もしないで、ストで解決しようとするのは間違いではないかと思うのですよ。
もっと、楽しく、野球をしながら、皮肉に世論に訴える方法をとればよかったのに……

で、このところ、私の関心は「量子もつれ」
立花隆氏曰く「人間の常識に反する最も不思議な現象」

「量子もつれ」状態に陥った二つの物質は、その後、どんなに離れても、一方の状態を変えると瞬間的に他方の状態も同じく変わってしまう。

それがSFで言うところのある物体がここから消え、向こうに出るというテレポテーションではないにしても・……
たとえば、目の前にある粘土でドラえもんを作ると、それと「量子もつれ」状態の地球の裏側に置いた粘土がドラえもんになると言うことなんでしょうね。

ある日、自分が豚と量子もつれ状態になって、豚になったらどうしよう……
でも、パリコレのモデルとは量子もつれを起こしてみたい気がする。
問題はどちらに変わるかと言うことよね。
それはどうやって選ぶのかしら?
絶対、第三者が必要ですよね。
――と言うことは、究極の第三者は神?


などと考えているうちに、秋は深まっていきます。
我が家の庭の秋草です。


04092501h.jpg  04092502m.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.23

手に取ることの出来ない世界 2004.9.23

――仙台って魅力のある都市なんだ?

昨夜の報道を見ての感想です。
でも、仙台もライブドアと楽天、両方から声を掛けられても困るでしょうね。

ビジネスの世界のことは私みたいなおばさんには理解できないことが多いけど、この話はまるっきり理解不能。
このやり方では、楽天は良い印象をもたれないような気がするのですが・・・

プロ野球機構側は楽天を押しているようですね。
楽天のビジネスモデルは多くの経営者が理解できるもの=ある程度社会に認識されているもので、ライブドアに関しては、やっていることがわからない不気味さを感じているのだと思います。
でも、たぶん、やっていることはどちらも同じではないかと、サイトを覗くと思うんですけど・・・

たとえば、建設会社なら、有名なビルを建てたとか、道路を作ったとか、不動産会社なら、ランドマークタワーを持っているとか地名を言えば分かる土地の開発をしているとか、銀行なら目抜き通りの立派な店舗とか、有名ブランドなら、そのブランドの洋服や靴、バッグとか・・・・私のようなおばさんでも、身近に目にし、利用できる何かがあります。

でも、インターネットの世界は「実物が見えず手に取ることが出来ない」情報の世界です。
それを利用しない人間には、あることさえ理解できない世界です。
古い考えの人は自分の目に見え、手に取ることの出来るものの価値しか信じることが出来ません。
そして、自分の持っている価値観をすべての人と共有していると信じています。

でも、日本は変わってしまったのだと思います。
だって、あの両社のようにインターネットで営業している企業が、100億を超える売り上げと10億を超える経常利益を出し、その社長が莫大な個人資産を所有しているのです。
そして、社長がホリエモンとかミッキーと呼ばれ、その個人の魅力が企業を引っ張っています。
これは高度成長以降の日本型の企業では考えられなかったことです。

自分の住んでいる世界が変わってしまったことを認められないトップを持った企業は、どんどん、時代に取り残されていくでしょう。
時代に迎合することの良し悪しは別にして、その会社の社員がやりにくいことは確か。
トップはその変わってしまった世界の住人と会わずに済みますが、ヒラ社員はそうは行きませんものね。

これからのビジネスの成否は、「自分の前になく手に取ることの出来ないものを認知し信じることが出来るかどうか」なのだと、今回の騒動で感じました。

それにしても、ライブドアの社長は資産千億と言われている自分が、潰れかけた企業のサラリーマン社長に審査されることに、不条理を感じていることでしょうね。
その資産が本当にあるのか、目の前に出してみろと言う人もいるかもしれませんが・・・


などと考えつつ、今日は秋の花かごを作ってみました。


04092302x.jpg

04092303m.jpg  秋の花いっぱいの花篭です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.21

金の王様 2004.9.21

少し前のことです。
私はショッピングセンターの階段を登っていました。

みな、エレベーターやエスカレーターを使うので、階段を歩いている人はほとんどいません。
階段の踊り場で、降りてくる中年の男性とすれ違いました。

「もう終わりだ。オレの五年間はなんだったんだ。
もう終わりだ。あんなに頑張ってきたのに……」

その人はそ呟きながら、すれ違った私に目もくれず降りていきました。

目が合って因縁をつけられるのは怖いので、私は何も聞かなかった振りをして、その階段を登りきりましたが、上階で買い物をしている人たちを見た瞬間、ほっとして、膝が震えました。

あんな普通のサラリーマンにしか見えない人が、あんなに大声で独り言を言いながら歩かなければならないほど心を占めている事って、何なんでしょう?

最近、殺人を犯す人たちが増えています。

その人たちの状況を報道で見ると、何かに心を奪われて、それ以外のものが目に入らない状態が続き、まともな判断が出来なくなっているように見受けられます。

そして、そのほとんどの「何か」は「金」

昔読んだ童話に、手に触れるものすべてを金に換えて欲しいと願い、その願いを適えてもらった王様が、触るものすべてを金に換えてしまい、飢えと孤独に苦しむさまが書かれていました。

私たちは何を願って、今のような世界を作ってしまったのでしょう?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.19

おばさんになる瞬間 2004.9.19

最近とても気になることがあるんですが……

――クーちゃんはあの後どうなるんだろう?

おとうさんは普通のサラリーマンで、大邸宅に住んでいるわけでもないようです。
クーちゃんを手に入れるために消費者金融とお付き合いを始めたお父さん。
娘を嫁に出したときにも、クーちゃんとスノボーに行ったときも、お世話になっているみたい。

今回、あんなにたくさんのチビたちと奥さんを連れて帰ってきたクーちゃん。
もっと、お父さんのこと考えてあげなきゃ。

それにしても、お父さんはどうするんだろう?
あの続きが見たくて仕方ないこの頃です。

まだ、続きやっていませんよね?


では、本題に……。

この前、瀬戸物祭りに行ったとき、女の子がおばさん化する瞬間を見たような気がしました。

じゃがバターの屋台で並んでいたとき、前にスタイルの良い可愛い女の子たちがいて、屋台のおじさんはそりゃもう、溶かしバターのようにとろとろ。
女の子たちにおべんちゃらを言いながら、ジャガイモもバターもサービスしています。

女の子たちも調子に乗って、
「ねえ、もっと、バターが欲しいな」
と言うと、おじさんは「お、分かった」と二匙目のバターを載せました。
「わあ、もっと」
「おう、分かった、これでいいか?」山盛りの三匙目。
見ているだけで気持ち悪くなるようなバターの量。
女の子たちは喜び、おっちゃんもニタニタ。

で、私の番です。
「この人、こんな顔だったの?」と思うほど真面目な顔で、何も言わず、バターを一匙載せると、「はい、毎度」と冷たく言って、私に器を突きつけました。

その変容ぶりはあまりにもあからさまで、つい、文句を言いたいほどでしたが、バターはいらなかったので、すごすごとその場を離れたました。
それでも、食べると持て余すくらいのバターの量。

あの女の子たち、あんなバターの量で食べられたのかしら?

あの女の子達は若くてまぶしい今の時間、思いっきり男の人にちやほやされて、それに酔いしれている。
必要以上のことを相手に要求して、それが通るのを楽しんでいる。

でも、それを引きずって生きていると、あるとき、突然、おばさんと呼ばれるようになっちゃうんだろうな。

それは何年先か分からないけど、自分は全然変わっていないのに、おばさんと呼ばれるようになってしまう。
見た目が老けたから……

そして、いつか、「バターいっぱい載せてよ」と要求したら、同じ屋台のおじさんに、「ち、この図々しいおばさん、欲ばるなよ」と言う目で見られるようになってしまうに違いない。

自分に与えられる特権が、永遠に続くと思い込んで、女の子はおばさんになってしまいます。
油断禁物、ですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.16

罪びと  2004.9.16

今日は思い立って、庭掃除。
夏の間蔓延っていた雑草を引き抜き、伸びすぎた木の枝を切ると、町指定のゴミ袋に5つ分のゴミ。
今年の暑い中、一生懸命生きてきたものをゴミと呼ぶのは少し可哀想。

そんなことが出来るくらい、今日は爽やかな日でした。
さすがに、西日が当たる時間になると、日差しがきつく暑かったので、やめましたが……
とりあえず、狭い庭の半分はキレイになりました。

遅い昼食を摂り、テレビをつけると、幼い兄弟の話。
お兄ちゃんも見つかったとのこと。

テレビに写る写真は二人共、とても可愛いい……
こんなに可愛い子達が生きて川に投げ込まれたなんて……

親と子供が一緒にいることが幸せだという幻想を、捨てるときが来ているような気がします。

子供は記憶を持って生まれるわけではないのです。
一つ一つのことを根気良く教えてくれて、それを一人で出来るようになるまで見守ってくれる人が必要です。
世の理を教えてくれる先人が必要なのです。

生みの親がそれを出来ないのなら、それが出来る人が引き受けて育てるという選択肢もあったほうが、子供のためだけでなく、親のためにも良いのでは?

あの殺人犯は確かにひどい人です。
彼のした行為は許しがたいものです。
でも……
誰が、好んで子供を殺すでしょう?
どうしようもなくなって、一番弱い相手に八つ当たりしたのです。

もし、あの子供たちの引き受け先があったなら、あの人も罪人とならずに済み、あの人の子供も罪人の子とならずに済んだはずです。


宅間守死刑囚が、死刑を執行されました。
(そのまもなく、あんな事件が起こったのは皮肉)
あの人も、ままにならない自分の人生への私憤を、裕福で幸せそうな幼子たちを殺すことで晴らそうとした人です。

自分以外の人間は幸せに楽しそうに生きている。
どうして自分はあの幸せを得られないのか……?
強烈な妬みを抱いて身悶えする生に倦み疲れた彼にとって、死は心地よいものだったのかもしれません。

すべての人が平等だという幻想を、国民が抱いた結果、すべての人に現としてある差別は耐え難い不条理になってしまいました。
その言葉を信ずれば、自分だけが差別されているのですから……
その点では、宅間死刑囚はとても素直な人だったのかもしれません。
そんな彼に誤まった平等の概念を教え込んだ教育に、罪が無いとは言えない。

すべての人間に等しく平等なのは、生を受けたこと、必ず死を迎えることだけです。
その、最低限の平等の生と死でさえ、他人の手で弄ばれる時代に、何を信じて生きていけばよいのでしょう?

戸惑うばかりです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.14

成功の秘訣を垣間見た 2004.9.14 

最近、遊び歩いてばかりのお気楽・極楽の私。
と見えるかもしれませんが、でも、いろいろと考えてはいるのですよ。

最近、成功している社長たちがBlogに日記を公開しています。
今日はその中のLivedoorの社長の日記を読んでみました。

成功を持続する簡単な方法――by 堀江貴文社長 

「短期で頑張って成功体験をひとつでもいいから作ることです。
短期というのは長くても数ヶ月。
その間は、周りの人間関係すら崩壊させてもいいという覚悟で、取り組むこと。
寝食を忘れて取り組むということわざがありますが、寝ることと、食事は大事なので忘れないでください。
成功体験を一度でもつむと、快感が忘れられなくなるので、もう一度体験したくて、結果として持続するようです」

これは「山頂」で私が述べたのと同じ手法ですね。
ま、私は成功していませんので説得力は無かったのですが、成功している人が言っているので、ほっとしました。

感じたのは、堀江社長にとって、今の成功は「夢の途中」なのではないかということ。

近鉄の買収なども、売名行為と思われがちですが、彼にとっては単なるビジネス。
旧態依然としたプロ野球のオーナーたちにとっては、身の程知らずの野望に見えるのでしょうが、彼の中ではとてもシンプルな話。

たぶん、彼にはとてもシンプルな世界観があるのではと思います。
それを実現するために、努力している結果、彼には富と名誉が集まるのでしょう。

でもそのシンプルな世界観は、多くの人には理解できない。
皮肉なことに、だからこそ、彼は成功している。

今後の彼に課題があるとしたら、それは、いかにその世界観を持続できるかどうか。

などと考えたわけでございます。

日記を全部読めなかったので、今日はこれくらいにしておきましょう。
また、時間があるときに、じっくりと読んでみましょう。
なかなか、面白そうな人です。

あ、そうだ、ダイエットの効果ですが…・・・2kg、減りました。
るんるん。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.05

風の談合 2004.9.5

昨夜はびしょぬれになったベッドの端で、こじんまりと寝ました。
ピロリ菌も落ち着いています。
ところでまた、台風が来ているんですね。18号、沖縄返還以来最大級の台風って・・・この前のも超巨大・かつて無いほどの強風と言っていたような。
毎回毎回、記録を更新されたんじゃたまりません。
その言葉に踊らされて、この前の台風なんか、避難の準備してしまいましたよ。
いつもの台風程度の風しかこの辺では吹かなくて、拍子抜けしてしまいました。
狼少年じゃないんですから、もう少し、冷静で分かりやすい報道をして欲しいものです。
アナウンサーが強風に飛ばされそうな映像を見せられると、私みたいなおっちょこちょいはすぐその気になるんですから。

台風が来ると、いつも、ブラッドベリの風の谷の話を思い出します。
風の陰謀を聴いてしまった男の話。
もし台風がフィリピン群島東方のマーシャル、カロリン群島付近で談合しているなら、誰か賄賂を持って行って欲しいものです。
もちろん、小泉首相が適任でしょう。支持率アップ間違いなしです。
賄賂と言えば、あの事件。
どうして、直接受け取ったものが逮捕されずに、事務方が逮捕されるんでしょう?
誰がどう考えても、受け取った人の指示だと思うのですが・・・
あれが、田中真紀子さんが受け取っていたら、今頃は袋叩きでしょうね。
そういう構図が見えるから、田中真紀子さんがかなり問題ありそうな人であっても、応援する人もいるのだと思います。
私も真紀子繋がりで、お近づきになりたいとは思いませんが(かなり生命力に溢れた方のようなので、私のようなへたれはきっと嫌われるでしょう)、陰ながら、これからもあのまま生きて欲しいと思っています。

ところで、この文章を書き始めてから、中断し、食事をしました。
お湯を沸かしているとき、「なんだか眩暈? 揺れているような気がする」と思ったら地震でした。
和歌山と奈良で震度5。津波もあったようです。
南海地震と東海地震は連動して起こるといわれていますので、東海地震が心配です。

昨日、東海地震に備えて、うちの町では防災訓練がありました。
何日も前から防災無線で、「こういう訓練があります。こういう放送をしますが、訓練です」と放送していたのに、昨日、放送を聴いて、どうも、あわてた人がいたようで、後から「さっきのは訓練放送です」と放送が入りました。
予告なしに聞いた人はきっと慌てたでしょうね。
「3日以内にマグネチュード7以上の地震が起こると気象庁が発表しました」って放送しているんですものね。
そりゃ、私みたいに避難の準備をしたと思います。

笑い事で済んでいる間は幸せです。
現に被害にあっている人もいるのですから・・・
でも、何も起こらないうちは笑って生きましょう。
何かを恐れて、暗い日を送るのは無駄と言うものです。
何かが起こったときに、笑って生きた日々が自分の力になります。
幸せが何かを知っていれば、それに向かって努力すれば良いだけの話なのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.08.20

年齢制限 2004.8.20

オリンピックは良くも悪くも波乱万丈。その中でも山本博選手の「銀」には、おばさんとしては感無量です。
私はスポーツについてちょっと誤解していたようです。
身体能力は若いうちにピークがあるから、人生の早い時期に栄光を手に入れたスポーツ選手は、その後の長い人生を、その栄光の残滓とともに生きなければならない――それは辛いことなのではないかと思っていました。
でも、そんなつまらない妬みと独りよがりの憐れみの混じった私のスポーツの概念を、彼の奮闘は見事に叩き壊してくれました。
スポーツは数値で結果がはっきりと見える、他の職種(?)よりも人の思惑を排除できる公平なものだったんですね。
身体能力のピークを過ぎても、ひとつのスポーツに精進している人には、結果がついてくるようです。

この前、求人広告を見ました。上限は40歳くらい、まれに45歳。そのときは50歳は見かけませんでした。
女性の場合、もっと、制限年齢は下がります。35歳くらいで働き口が無くなる国って、どうなんでしょう?
文学賞でも、最近は30代前半までしか対象としていないと、公言しているところもあります。
その線は何のために引くのでしょう?
読者は若者だけではありません。今の日本で40代以上の人口が占めている割合を考えれば、そういう世代も考慮して行くほうが、ずっと、正しい戦略のように思えるのですが……
「冬のソナタ」があれだけの社会現象を巻き起こしたのは、そういう世代が求めているものが、今の日本のドラマには無かったからではないでしょうか?
「古臭い=次の新鮮さ」なのですよ。ファッションなど20年もたてば、同じようなものが流行っているんですもの。
人間は記憶を持って生まれてこないのですから、若者にも受けるかもしれませんよ。

さて、リストラ世代は年金がどうなるか分からない世代。
でも、リストラ世代の親世代で厚生年金に入っていた者たちは、月に20万ちかくの年金を貰えます。
もっとも、国民年金だとかなり小額になりますし、議員さんや公務員はもっと高額になるらしいですけど。
私の親戚の娘(22歳)はフリーターで、一日8時間、月に23日くらい働いて、15万そこそこの給料をいただきます。
彼女の友人の多くはフリーターで、彼女と変わらない賃金で働いています。
もちろん、一人暮らしは無理です。親と一緒に住み、生活費のほとんどを親に頼っています。
その彼女も厚生年金に加入していて、彼女の給料から差し引かれる厚生年金が、20万貰える世代を支えているのです。これはおかしいと、彼女が思ったとしても仕方ありませんね。彼女が自分の年金を受け取るときには、今の金額にして20万は貰えないと決まっているのですから……
もし、彼女が65歳になったときに、必ず、今の受給世代が貰えている額に換算した額を貰えると分かっていれば、彼女は喜んで払うでしょう。だって、今の給料よりいいわけですから。
ところで、この構図の中で一番気の毒なのは、彼女ではなく、もちろん、彼女の祖父母世代でもなく、彼女の親世代です。
彼女の親世代=リストラ世代は、年金は上がるばかりなのに、自分はその恩栄にほんの少ししか与れない。
そして、フリーターの子供世代をいくつになっても扶養していかなければならない。
こんな踏んだり蹴ったりの世代なんですから、せめて、生活の基盤になる仕事くらい、線を引かずにさせて欲しいものです。
人生80年の今、40、50歳なんて折り返し地点、信長の時代(人生50年)に換算すると、25歳くらいなんですよ。
どの世代の人間にも、等しくチャンスが与えられ、どの世代の人間も、将来に希望を持てる国、が活力に溢れた夢のある国だと思うのです。
もし、この文章を読んでいる経営者の方がいらしたら、ぜひ、明日から、年齢条項は募集要項から外してくださいね。
もし、あなたの会社が潰れて、どんな仕事でもしようと悲壮な決意をし、ハローワークに行って、端末を操作して探しても、年齢条項で面接にもいけなかったら、どんなに腹立たしいか……想像してください。

ところで、公務員って、体力が無いと出来ないんでしょうか?
もし、そんなに体力が要らないのなら、60で定年になった人にボランティアをしていただけばいかがでしょう?
学校の先生とか、国や地方の公務員とか、みな、ボランティアにして、年金+交通費+昼ごはんくらいで、雇用期間一年ごとに更新…責任者のみ、専業者を雇用する。
大切な仕事をそんな人たちに任せられないって?
でも、彼らは、まじめに何十年も勤め上げ、自分の職務を全うしてきた苦労人ですよ。
大学を出てすぐに、えらいさんになっちゃった人たちよりも、ずっと、真面目に、国のために汗を流してくれると思いますけど。
じゃあ、今まで公務員を目指して努力してきた人はどうするって?
何のために公務員になろうとしたんですか?
将来の生活を豊かにするためだったら、民間企業に行けばいかがでしょう?
団塊の世代が、全員、定年を迎えたら、働く人がいなくなってしまうから、みな、正社員になれますって。
もしくはベンチャーを起こしてもよいでしょうね。
公務員になろうとするくらい優秀な人たちですもの。きっと、素晴らしい発明をすることでしょう。
せっかくの頭脳を、国民の血税をいかに掠め取るかを考えるために使うなんて、もったいないじゃありませんか。

構造を改革すると、小泉首相は公約しました。それは、社会の矛盾を解消すると言うことではなかったのかと思うのですが、いまや、構造改革はどこに行っちゃったんでしょう?


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.08.18

オリンピックを見て 2004.8.18

プログを始めようとデザインをあれこれしているうちに、公開されていることに気付き、冷や汗!
仕方なく、過去の記事をアップしました。
まだ、デザインも変更します。次、いらしたときにはどこのページと思うほど変っているかもしれません。

さて、オリンピックは花盛り。今回は楽しいですねえ。
メダルを取ったアスリートの表情も自然で……今までのメダリストって、いまいち感情表現がぎこちなかったけれど、今回は本当に自然体だと思いません?
私はミーハー人間なので、何回も金メダルのシーンを見てはニタニタしています。
一緒に喜ぶくらいしなければ、血と汗にまみれて努力し、あの場に立っている彼らに申し訳無いじゃありませんか?
こっちは冷房の効いた部屋で、ビール片手に見ていたりするわけですものねえ。
屋根無いんですよ、あのプール!

と言いつ……喜びに水を差すわけではないのですが、彼らには成功者の義務を考えて欲しいと思います。
彼らよりも才能に溢れ、身体能力に優れた人間がいたとしても、それを発揮できる環境に無ければ、あの場にはに出て行けない――そういう人が世界にはたくさんいるのではと思うのです。
日本の選手たちには、あの場に立てた喜び、メダルを取れた喜びを味わいつくした後、競技に打ち込める「富める平和な国」に生まれた幸せ、それがほんの一握りの人間の特権なのだということを理解して欲しい。
夢を見て、夢を適えていける国に生きていることの幸せに感謝して欲しい。
それは自分のいる位置への感謝が、いつか、自分を、日本を、世界を救うことになると思うからです。
この国に生まれたものは、私のような無名のものであろうと彼らのように世界に知られた者であろうと感謝を持つべきなのです。
この前、ある成功している方と話していて、彼が、日本人の金で東南アジアを救っているのだと思っていることに気付きました。彼が言うには、日本人が彼らの生産物を買ってやるから彼らは生きていられるのだと……
いいえ、それは反対です。わずかばかりの金で農産物や製品を差し出してくれる相手がいるから、私たちは生きていられるのです。
彼らが手を組んで、日本には日本で流通している以上の金額でしか物を渡さないと決めたら、どうなりますか?
今の生活は明日にも出来なくなります。私たちは他国に縋って生きているのです。その生活をさせてくれる相手に、感謝しなくて、どうします?

今、五木寛之氏の「大河の一滴」を読んでいます。
私の書いた「砂漠の森ー木を植える人」も、同じような気持ちで書いたのですが、いまいち、私の筆力が足りなくて、落選してしまいました。
私は本当にぼんやりと自分の好きなことをして、自分の範囲で生きてきました。
人についてとか、人生についてとか、考えたことが無かったのです。
多くの人は、たぶん、私と同じように、日々、自分の範囲の幸せを追って生きているのだと思います。
でも、その幸せは本当に狭い峰の上にあるのです。
一歩、踏み間違えると、深い谷底に、思いも掛けない闇が待っています。
私がそれを覗くきっかけになったのは、母親の病でした。
アルツハイマーと言うのは本当に悲しい病気です。
精神が失われていくその無残さには目を覆いたくなります。
そして、現にそれに目を覆ってしまう人も多いのです。
中には放り出された者を救うために、立ち上がる人もいます。
でもそのために、さらに多くの人が傷つき、心身を病んで行くことになります。
暗闇の中にあっても、雄々しくまっとうであり続けるのは、本当に難しいことなのです。
誰にも助けてもらえず、誰にも縋れず、自分を傷つけることでしか立ち上がれない、そんな状況に陥った人にしか理解できない思いがあります。
それを表現する言葉は、絶対に冷たい言葉ではない。
温かく慈愛に満ちた言葉です。
その言葉を、闇の中で聞けたらどんなに良かったかと思える言葉です。
だから、私はヌルイと言われるような物語を書くのです。
これ以上、どんな相手にも、冷たく寂しい言葉を投げかけたくは無いから……
でも、それは、成功している人には通じない言葉のようです。

セミは、10年暮らす土の中で、空を理解できているのでしょうか?
私たちは、死後のことを知りません。
でも、最近、もし、私が死んで肉体を失っても魂が残っているとしたら、きっと生者を羨むだろうと思うことがあります。
それは五感。
味や匂い、暑い寒い、痛みや痒みすら、懐かしいだろうと思います。
だから、生きている今、それを楽しんでおこうと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暑夏   2004.7.28

なんとまあ、毎日、毎日、暑いことでございましょう。
36度以上の気温って、あなた、頭のてっぺんまでお湯に浸かっているようなものじゃございません?
しかたなく、うちのサクラ(11才 ヨーキー・♀)を丸坊主にしてあげました。
チワワのようでまた可愛いです(←親ばか)。
本犬(?)もお気に入りのようで、ブーブー言わなくなりました。

暑いのは苦手だとしても、夏って何とはなしにウキウキしますよね。
子供の頃の夏休みの記憶が全身に染み渡っているせいか、遊んでいてもいいような気がします。
まあ、これだけ暑ければ、しゃかしゃか何かをやる気にはなれませんし……
勉強するのが嫌いで遊んでばかりだった子供の頃の夏休み。
トンボが羽化するのを見に行ったり、蛍を追いかけたり、好きな本や漫画を読んで、枝豆やスイカをお腹いっぱい食べて、昼寝(あまり、今と変わらないかも)
そんな夢のような二十日間の後に、宿題をこなすのに必死の一週間があったんですけど……
先にやればいいのに、毎年、苦しんでいました。
大人になってもあまりその点では成長していません。いやなことを先延ばしにして、後で苦しむと言う最悪のパターンを、今も繰り返しています。
ところで、こんな暑い日本で、長袖のスーツを着て、夫は会社に行っています。
テレビの中でも、皆、スーツ、女性も長袖の服を重ね着しています。
この前、ライブドアの社長がTシャツでテレビに出たのを、礼儀知らずと罵ったお偉い方がいましたが、気温を基準に考えれば、あんたが変、ライブドアの社長のほうが正しいと思うのですが……

皆、スーツを着てネクタイを締めるから、必死で冷房しなければならないのです。
その結果、日本は熱帯並みの気温になっている、皮肉ですね。
沖縄では、「かりゆしウェア」なるアロハ風のシャツがあって、冠婚葬祭もこれでオッケーなのだそうです。いまや、東京よりも涼しい沖縄、暑さに抵抗しないことによって、温暖化から逃れているようです。
いっそ、石原都知事あたりが、「TOKIOウェア」でも提案して、自ら、半袖アロハを着て、都庁職員に徹底すればいいのに。(甚平さんあたりも、お似合いかも)
そういえば、半袖スーツなどと言う中途半端なものを着ていた羽田元総理、今年も着ているんでしょうか?とんと、テレビに出ませんね。
38度なんぞと言う気温になっているのですから、もう、衣服における礼儀基準を変更する時期に来てしまったと思うのです。
熱帯でスーツを着て働いている人がいたら、馬鹿じゃないのと思うはずなのに、同じ気温の東京ではそれを求められるというのは変じゃありませんか?
といいつつ、クーラーをつけて寝て、風邪を引いた私、人のことは言えません。
クーラーの無い生活を出来なくなっている自分が怖い……

さて、夏はサザンです。今年もまた、ヒット曲を出していますね。中年の星です。
どの曲も良いのですが、今は「愛の言霊」に嵌っています。
あの詞と曲、たまりません……と、ここで、CDをセットして、うん、やっぱり、素敵!
リストラ世代の彼らが頑張っているのは、心強いし、世の中に良い影響を与えていると思います。
サザンもそうですが、宮崎駿監督や、ハリー・ポッターのJ.Kローリングも、子供では描けない世界を創り上げています。
ともすれば薄っぺらになってしまう美や、正義感や理想を、経験や思想が裏打ちして、陰影を付けています。
大人の悲しみを含有する瑞々しい感性――それはどの世代でも共感できるもの。
だからこそ、彼らの作品は世代を超えて受け入れられるのです。

年を取ることが不幸なことでは無く、年を取ることに付加価値があると思える社会が健全な社会です。
あんな大人になりたいと思うようなカッコいい人、もっと、たくさんいると良いのですけど……と他人事のように言っていますが、努力はしてはいるんですけどね。なかなか・・・…・ね。

――と、ここまで書いたところで、雷が鳴り始めました。
うちは崖の上にあるので、雷が落ちるのが丸見えなのです。そこで電源を切って、しばし、休息。
    


何本かの雷が落ちるのを見ましたが、今日は少し遠くに落ちたようです。
西尾か吉良、もしかすると、知多のほうかしら。
大きな被害が出ていなければ良いのですが……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

深夜営業    2004.7.22

日曜の夜、急に思い立って、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を見に行きました。
自宅から20分ほどのシネマコンプレックス.
18時過ぎに着いて、20時40分からの放映を見ようと、先にチケットを買ったところ、なんと、深夜料金とかで半額。その上、その回の最後のチケットでした。
時間があったので、食事をし、ついでにその敷地内にある温泉にまで入ってしまいました。
映画は前二作とは、少し、趣が違いました。内容も原作とはかなり……原作を読んでいるので、物足りないところは多かったように思います。とくに、ヘドウィッグの扱いには不満があります。
が、別物と思えばそれなりに楽しめました。
で、その20時40分開始23時過ぎに終了の回には、小学生やそれ以下の子供が山ほど……
なんで? あの年頃、私なんか午後9時までおきているのがやっとだったのに……
それくらいの時間から映画を見ることのできる子供たちが、世の中には山といるということを知り、愕然としました。
眠くないんですかね?
私なんかいまだに、9時くらいになると、うとうとしてしまうときがあるんですけど。
その割りに子供の体力低下って騒がれていますよね。どうなっているんでしょ?
親たちはどういう感覚であの回を選んだんでしょう? やっぱり「安いから」かしら?
もう、20年ほど間の話になりますが、一度、オールナイトというものを見ようという話になり、女友達と待ち合わせたのですが、怖くなり、食事だけして、映画を見ずに帰った記憶があります。
日本って、変わってしまったんですね。
そういえば、近くのスーパーが10時までの深夜営業を始めていますし、隣の市では、24時間営業のスーパーもあります。
体調が悪かった頃、日中、出かけるのがつらくて買い物できず、コンビニで買える食材で食事を作ったことがあります。そのあと、店をやらなければならなくて、さらに買い物に苦労していた時期、10時まで開いている店があったら、どんなに助かったことか……
つまり、私のような主婦が増えて、店として成り立つような社会状況ができたからこそ、そういうスーパーが生まれているのでしょう。
食材を買いに行くと映画を見に行く、深夜出ることに慣れれば、何と言うことの無いことです。
でも、子供は少し違うのではと思うのですが、ま、子供の居ない人には云々と言われそうですので、辞めて置きましょう。
トヨタが蒲郡市に全寮制の中高一貫教育ができる学校を作ろうとしているのは、そういう親や社会情勢への懸念によるものかもしれません
子供をある程度の時期に親から離し、共同生活させることで、他人との協調性や、社会道徳を教えようと言う試み。言い換えれば、親と言う孤独な王の独裁から子供を救済する目的なのではないかと思います。
私がやりたかった学校に近いものがありますが、私は無名の一個人でしたから、誰の賛同も得られませんでした。大きな企業がどういう学校を作るか、楽しみです。
あの映画館で、私の前の席の小学校低学年の子供は、一緒に来ていた父親に向かい、「そっちのほうが見やすそうだ。換わってよ」と要求していました。
甘えていった言葉かもしれませんが、それは、自分が一番いい席に居るのが当然と言っているように聞こえ、私は怖くなりました。そういう子供が増えて、自分が一番と主張しあったら、世の中はどうなるのでしょう。
兄弟が無く、競争も遠慮も無く育った子供たちを、大勢が共同生活する環境に慣れされるためには、中学からでなければと言うのは当然です。本当は小学校高学年には始めたほうがいいかもしれません。(そういえば、ハリー・ポッターは11歳の誕生日にホグワーツの入学許可証を受け取りますね)
寮生活経験のある私から云わせていただくと、悪い経験ではありませんでしたよ。
私が家から通える地元の高校ではなく、寮のある学校に行ったのは、自分に絶対的に不足しているものがあると、その頃から思っていたからです。
私の両親は、私にあまり関心がありませんでした。
三歳の頃、「三歳になったので、今日から一人で寝ます」と言って、一緒に寝ていた母の布団から出て行ったという私を、母は何でも自分で決め、自分の好きなように行動する強い子供と信じていましたが、私は家族に相談しても自分の悩みは解決しないと絶望し、別の世界を求めたのです。
高校で私は私の知識欲を満たしてくださる先生に出会いました。
本当の私を見つけたような気がしました。
ですから、私はあの不自由な寮を懐かしく思えるのです。
楽しい事ばかりではなく、寂しく辛いこともありましたが、それはその寮の全員が感じていることでしたから、ひとつの共感がありました。
といっても、もう、何十年も前の子供のこと、今の子供たちがどう思うかはわかりませんが……

孤独と言うのは、大勢の人に囲まれていれば無いというものでも、誰かに愛されていれば無いというものでもない……本当の自分を見つけられず、常に、今居る場所に違和感を感じていることとなのだと、最近、気がつきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

天災    2004.7.15

 新潟方面が大変なことになっています。
あんな住宅地が、水浸しになって、家からヘリコプターで救出されるなんて、あそこに住んでいる人たちは考えたこともなかったでしょうね。
新しい各戸の敷地があまり大きくない整然とした町並みから推察するに、あのあたりは、新興住宅地なのでしょう。
ローンを抱えている人も居るかもしれません。
水に浸かった家をどうするのかと思うと、なんともいえない気分になります。
私は、あれを視ています。
それはゆっくりと、川が堤をえぐり溢れていく様……不思議と危機感なく、「あー流れちゃった」くらいにしか思えない光景、大きな木や住宅に一部が流れていく光景……あれは「私的胡蝶の夢」で描いたとおりの状況です。
私はあの夢の中で当事者として、あの場に居ました。

 私の視る怖い水の夢には理由があると、最近、思い当たりました。
それは私の生命が母の胎内に宿った頃の話です。親が住んでいた村が洪水に遭いました。
家も家財道具もすべて流され、多くの死者や行方不明者が出たそうです。
上流のある村は全滅して、そのあと、そこには土砂や倒木で自然のダムができました。
多くの学者たちは、このダムは決壊しないとお墨付きを与えたそうです。
が、数ヵ月後、やっとの思いで父が家を再建し息をつく間もなく、大雨でそのダムは決壊しました。
そして、下流に建てた新しい家は、前よりひどい洪水に襲われたのです。
狭い山間の川の川幅を超えて、山幅いっぱいにまるで壁のように押し寄せる水を見て、母は幼い姉の手を引き、身重の身で、必死で山に駆け上がったそうです。
足元ぎりぎりまで、水が来て、死ぬかと覚悟した時、目の前を、前の水害で流され、見つからなかった遺体が、パンパンに膨れ上がり、何体も何体も流れて行ったそうです。
自分の身が危ないのも忘れ、思わず手を合わせてそれを見送ったと、幼い私に、何度も母は教えてくれました。
幼い私はその光景を想像し、体が震えました。
母はなぜ、そんな話を幼い娘にしたのかと、疑問に思うときもあります。
川の側には住んではいけないという戒めのつもりだったのかもしれませんが、たぶん、母にとって、恐ろしい忘れられない光景で、自分ひとりで持つのがいやな記憶だったのかもしれません。
水害はすべてを流しました。財産も、先祖の残した書置きも、兄や姉たちの写真すら……
まったくの無一物で、生活をやり直さなければいけない困難な状況の中で、生まれたのが私です。
赤ちゃんの写真が残っているのは私だけです。(流れたほうが良かったと思えるほど、不細工な赤ちゃんの写真ですけど)
父が国から国有林伐採の権利を貰い、東北で事業を始めたのにはそんな経緯がありました。
人生は思いがけない要因で転機を迎えます。
あの洪水に遭った人々は、よもや、自分があんな目に遭うとは想像もしなかったはずです。
でも、人生とはそんなものなのです。
どんなに自分が正しく、引け目なく生きてきたとしても、天災は人を選びません。
良い行いをしていようが、酷い事をしていようが、天の行いは平等なのです。
でも、それが過ぎたときに、それまでの人生が問われるのです。
他人を許し、愛した人にはそのように、苛斂誅求に他人に臨んだ人にはその人の行いに応じた手が差し伸べられることでしょう。
いま、私は明日にも地震が起こってもおかしくないと騒がれている地域に住んでいます。
阪神淡路大震災のときのような地震が来れば、果たして無事で居られるかどうか……
でも、これはすべての人に言えることなのです。
明日、どうなるかわからない――それが生きているということなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山頂    2004.7.6

すぐに顔色を変え、ぶーぶー文句を言うやつを、ついにリストラしてしまいました。
……って、パソコンの話ですって。
画面の色が黄色から緑に変わり安定しないので、その都度、プラグを触るという危ない作業をしなければならなかったし、騒音もひどくて落ち着かなかったのです。
でも、長年頑張ったカレ(私にとってパソコンはhe)ですから、行く末が心配です。

先日、知人と話していて気がついたことがあります。
彼女の娘さんは人と会うのが怖い病に罹って、引きこもりに近い生活をしています。
で、彼女曰く、
「いろいろ有って、今はあんなに元気をなくしているけど、あの子は本来あんな風になる子じゃないから、きっと、立ち直れるわ。
だって、あの子の姓名判断をすると、太陽のように周りを照らす、とてもいい運勢なんだもの。あの子は今はああやっているけど、そのうちに世界を変えるほどの凄い運を持っているんですって」
「なんだかな」というのが私の感想でした。
この上ないほどの姓名運に恵まれた人を知っています。
彼は失敗を繰り返し、とうとう、借金を他人に押し付けて夜逃げしました。
押し付けられる他人がいたところが、彼の運勢の良いところかもしれないのですが……以来、私はあまり姓名判断を信じません。
知人がそう思っている間は、娘さんは立ち直れないのではと私は恐れます。
なぜなら、知人の言葉は今の娘さんを否定しているから……
「太陽のように周りを照らす明るい自分、世界を変えられるほどに特別な自分」
そう言われ続け信じてきた娘さんは、社会に出て、いろいろな出来事に思うように対応できず、自信を失い、自分を否定し、閉じ篭るしかなかったのではと私は推察します。

  で、娘さんに伝えたいこと――
確かにあなたは特別な人です。自分にとっての自分は常に特別なものです。
ということは、あなたの周りにいる人すべてが特別な人なのです。
人はいろいろな面を持っていて、何事にも明と暗、表と裏があります。
そして、世の人はあなたの努力を認めるとは限らないのです。
人生は例えていうと、山登りのようなものです。
長く険しい坂道を登り、山頂に辿り着き歓声を上げても、一生そこには留まれません。
山頂は人が住むには適さないのです。
人生の山頂も同じです。孤独で、人はそこに住み着けないのです。
で、また、坂道を下ることになります。
その繰り返しをするのが生きているということです。
今、あなたは登りたい峰に登れずに自信を失い、閉じこもっている……
あなたはなぜその峰を選んだのかしら?
自分がすぐにそこに到達できると思ったから?
でも登れなかった。
ということはその峰は今のあなたには高すぎたのです。
登る苦しみが強く長いほど、高い峰に挑んでいるということです。
どんなに優秀な登山家でも、最初からエベレストに登ろうとはしませんよ
少しずつ標高を上げ、体を慣らし、それでも、失敗するときもあります。
でも、失敗したからと言って二度と登るものかとは思わない……
あなたは人生の初心者、まずは近くの山から始めなさい。
そして、山に登る苦しみと、その山頂に立ったときの幸せに慣れなさい。
あなたが今、崖から落ちて、蹲っているなら、まず、裾野に下りて自分を癒すことから始めなければ……
人生の目標を10代や20代で手に入れなくても良いのです。
だって、人生は80年以上続くのですよ。
後の50年以上、孤独な山の上で暮らすのは、辛いと思いませんか?
小さな登山を繰り返し、いつか、大きな山に登れる日まで、自分を鍛え、自分を愛し、信じ、歩いてくださいね。
こんなおばさんでさえ、自分の夢を育んでいるのです。
あなたには、未来がいっぱい有るのですから、いつか、自分の望む峰に立てればそれでよいでしょう?
もし、峰に立てなかったらって? 
それならそれでよいではありませんか。
あなたの努力はその峰に届かなくても、そこら辺の小さな峰なんか軽々と登れる体力をあなたに与えたはずです。
あなたはその体力で自分にできることをその時点でして行けばよいのです。
そして、望みの山に登れなかったことを悔やむのはやめましょう。
高く険しい山に登るのだけが素晴らしいことではないのですから……

夏風邪を引いて、さらに頭がぼんやりしています。
なんだか、いろんなことを忘れていそう……怖い!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

台風と花と脾臓  2004.6.21

 今日は台風。
大雨や暴風雨が好き、という人、結構いるんじゃないかしら?
私も自分に被害が及ばなかった頃は、荒ぶる気象が好きでした。
でも、10年ほど前に家の屋根瓦が、ガラガラと崩れるという恐ろしい目にあって以来、風は苦手。風速30メートルを超える風と、滝のような雨の中、仕事に行きました。
うちの辺りは田んぼが多くて、国道沿いの田んぼには看板が多く建っているのですが、突風でも吹いたのか同じ方向に一直線に倒れていました。
犬小屋が田んぼの中に落ちているのも見たのですが、犬はどうしたんでしょう? 
今回の台風では波に攫われて亡くなられた方が多いようです。痛ましい話ですが、暴風波浪注意と予報されているのに、なぜ、海辺に行くのかという疑問は残ります。
私たちは、自然の恐ろしさに少し鈍感になっているようです。人間は建造物を造り、自然から身を守れるようになったことで、安心しきって、自分がとても傷つきやすい、まるで桃のような肉体を持っていることを忘れています。それはとても不幸なこと、怖いことです。

 さて、私はもともとナマケモノなので、ボーとしているのが好きだったりします。
日がな一日、誰とも話さず篭っていても平気。でも、最近、その性格を変えようと「一日一会話」を心がけています。去年の人間ドックで、いくつか駄目出しされたのですが、そのひとつに「脾臓の腫れ」がありました。脾臓なんてマイナーな臓器がどうして悪くなったのか、理由は不明のままです。
お医者さんからは脾臓の説明がなかったので、脾臓について調べようとインターネットで検索し、「心の解剖生理学」というサイトにアクセスし、驚きました。
このサイトでは、その名の通り、心のあり方で障害が出てくる臓器を特定しています。
たとえば、「小腸=愛の栄養不足」「腎臓=優しさと優柔不断」など、むむっと思うような項目に分かれているのですが、それによると、「脾臓=心の免疫力」。
脾臓に溜まる感情は心配、憂い、妬み、不信感、拒絶、無関心など。つまり私は、それらの感情で一杯になって、脾臓を腫らしているというわけで……
愛情を拒否されていて、心を開けなくなっている――これは一大事。
一人でいることが結構平気で、自分の好きなことに没頭している人に多い――ああ、納得。
確かにこんな文章を書くことに没頭している……というわけで一日一会話です。
それにしても、結構、おしゃべりが好き、人と会うのも好きなのに、どうして、こんな病を持ってしまったのか不思議。「心の解剖生理学」は面白いですよ。ぜひググってください。

 おしゃべりで思い出しましたが、花の仕事をしていてありがたいのは、いろんな出会いがあること。
生徒や花を通じて知り合った人たちがいろんな話をしてくださるので、私の世界は膨らみます。
中にはミニスカートをはいてお店に来るおじさんとか、部下にセクハラしている上司とか、とんでもないものもあるけれど、いつも新鮮な話題を供給してくださるのでとても楽しい。
それとなんといっても花の持つ癒しの力は絶大です。花を触っていると自分の体調や精神状態が良くわかります。心が騒いでいるときは、花も纏まらない。体が不調なときは出来上がりに迫力がない。植物にはテレパシーがあるという説が本当なら、そんな状態のとき、花は「わあ、触らないで」と言っているかもしれませんね。
それにしても、花店をやっていたとき、花を家に飾るのが苦痛でした。あの頃は、花に触るのが辛く、花を楽しめなかったのです。あれはどういうことだったのでしょう?
花店を辞めてからは、家に花を絶やしたことが有りません。花を見、花に触るのがとてもうれしいのです。そんな私の気持ちを感じているのか、うちの花瓶に入れた花はとても長持ちです。不思議なことに、切花はたいてい二番花(出荷時に咲いていない花)は色が薄くなり、白くなっていくのですが、ある花瓶に入れると、一番花よりも鮮やかな色に咲きます。
それは、花を習い始めた二十年以上前に買った量産品の花瓶なのですが、なんとも優れものの花瓶なのです。今も、ピンクのオリエンタル・ハイブリッドリリーを入れていますが、一週間以上、鮮やかな花を次々と咲かせています。出かけていることが多いので、部屋は締め切った状態なのですが…… 
 
 そうそう、花の仕事をしていると「うらやましい」とよく言われます。「きれいな仕事でいいわね」
とんでもない。結構な肉体労働です。体力がなければ花とは付き合えません。
花は生き物だから、手をかけないとすぐに枯れてしまうし、水は腐って臭くなるし、農薬の二次被害だってあります。それでも、花の仕事をしているのは、只々、花が好きだからということに尽きます。
長持ちしないからと生花を嫌う人もいるけれど、長持ちしないからこそ、生花は愛しいのです。
蕾の可愛いさや満開の豪華さはもちろん、色褪せ枯れてていく様も決して汚いばかりではなく、滅びの風情を感じさせてくれる素晴らしいものです。命の状態をまざまざと見せてくれるのですから……
で、花の世界を目指す方に一言、花は癒しの力を持っている。間違いない!(長井なんとか風に)
でも、花の仕事に「癒し」を求めるのは間違っています。仕事である限り、それはストレスを伴います。仕事とは利益のためにするもの、利益は必ず他者との摩擦を産むからです。
ただ、ストレスは悪いばかりとは限りません。プレッシャーやストレスは、次の目標への起爆剤にもなります。花の世界で行き詰まりを感じたとき、花が好きなら、花があなたを力づけ次に進ませてくれます。

 ということで、私は花に力づけられ、毎日、歩いているのですが、この道の先を不安に思うのは脾臓のせい?
そんな脾臓に溜まった不安や、妬みや、不信感を、どうしたらよいのかと考え、気がつきました。
そんな負の感情を吐き出すために、私は文章を書いているのかも……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

孤独 2004.6.13

何を言っても理解されず、あなたの考え方がおかしいといわれる。
今まであなたが得てきた常識やキャリアを認めず、裏ではあざ笑っているくせに、誰もが一歩引いて、本音を言わない。慇懃無礼に拒否している。
会ったことも見たこともない人たちが、本人を差し置いて、あれこれといかにも理解者の振りをして、毒を含ませた表現で話し合っている。
あなたさえ、きれいで可愛い人形であることを飲み込めば、すべてがうまくいくと押し付ける。
かつて、心身を痛めながらも、姑もそうやって堪えた。あなたに出来ないわけがない。
出来ないとすれば、それがあなたが我儘だからだ。と、陰口を利かれる。

そういう思いをしている人は、結構、世の中には多いのではないか?

自分を自分として受け入れてくれる人と出会えるのは奇跡に近い。
そして、もし、あなたが100%正しいとしても、それを声高に言ったところで、相手が知らん振りを出来る人なら、周りがそういう相手に追随しているなら、それは自分の刀で自分が傷つくだけという結果になりかねない。

そういう絶望を見た人は引き篭もるか、相手を抹殺するかしかなくなる。
で、今の日本では、引き篭もりと殺人が増えている。

あの御手洗氏が咽喉の奥が熱くなり、腹の中をボールが転がると表現した想い……あれを加害者の女児は経験したことがあるのかもしれないと、最近思っている。
彼女は絶望し、もう、どうでもよくなってしまったのだ。
そういう子供の思いを、たいていの大人はたいしたことないと考えてしまう。
あの、イラクの時の自己責任論にも有るように、日本人は最近、他人に対して冷たい。
失敗した人や、挫折した人にたいして、「あんたの責任」で切って捨てるその冷たさは、自分の子供の苦悩も、そんなのは一時の気の迷いと歯牙にもかけない態度になってはいないだろうか?

失敗や挫折をした人は二つに分かれる。
ひとつはその痛みを知ったことにより、人に対して誠意を尽くし、真心で接するようになる場合。
こういう人は周りに助けられ、癒されて、立ち直った人が多い。
もうひとつは、他人が自分に対してしたように冷たく省みない態度になってしまう場合。
確かに、高度成長時代のように活力のある社会ではなんとか自力で立ち直れたことが多いだろう。そういう人は自分もそうだったから、お前も大丈夫と思いやすい。
でも、今の社会はそうではない。
自力で立ち直ろうとしても、その道筋を見つけるのは、精神的にも、経済的にも難しい。
それなのにそういう人を、冷たく突き放し、あまつさえ、足を引っ張る人のなんと多いことか……
情けは人のためならずという言葉を、情けを掛けることは相手が人を頼るようなって、その人のためにならないと解釈する人が多くなっているのがその現れだ。
本当は情けを人に掛けるのは、相手を助けることにより、自分も助けてもらえるようになるし、お互いがよい方向に向かい、社会が潤い、結局、自分のためにもなるということなのだが・・・

 ご自身で乗り越えられない挫折を知らず、キャリアを積んで来られた妃殿下は、ご自分のお言葉の通じない世界に傷つかれ、閉じこもられた。
だが、その挫折の痛みと他人への無理解社会への絶望を乗り越え、新しい皇室やご自身のあり方を構築されていかれることを、お祈りしたい。
妃殿下が公務で慰問なさる人々は、皆、その絶望や痛みを抱いて、それでも頑張っている。
美智子皇后のお言葉に人々が涙するのは、そのお言葉に痛みに堪え、乗り越えられたご自身の感慨が込められているからだ。目の前の苦しみに耐える人々に真の励ましを送ることが出来るのは、ご自身も痛みを知っておられるからだ。
妃殿下は今、ご自分のために苦しんでおられる。思い通りにはならないご自分の人生を嘆いておられる。
傷つき、迷い、悩み、嘆く……そういう負の感情は人間として当然のこと。
私達国民はそういうものと無縁のロボットを国民の象徴に欲しているわけではない。
皇室は祈りの家。国民のために祈りますと天皇陛下は常に言われる。
だが、健やかな心がなければ、人のために涙することも祈ることも出来ない。
だから、妃殿下がお健やかになられるよう、周りの条件を整備していくことは、当然、重要なことだ。
周りの条件のほかに、迷いからに抜け出すには優しく差し伸べられる手が必要だが、その手はすでに差し伸べられている。
あとは、その手を掴む握力を妃殿下ご自身でつけられるしかない。
妃殿下は今の負の感情を昇華なさることによって、さらに、高みに上られ、私達は世界に誇れる次の皇后を得られることだろう。
それが、妃殿下にとって幸せであるかどうかは、また、別な話なのだが・・・
それにしても、存在がすでに仕事であるというのは、辛いことなのではとお察しする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.08.17

今日、考えたこと 2004.6.2

 今日はとてもよい天気で、爽やかな風の吹く一日だったが、世の中は悲しい事件が続いている。
相変わらず、うすぼんやりといろんなことを考えてみた。

1)本を読めない。
 ミステリーを書いているくらいで、私は推理小説が好きだ。
だが、私は最近、本を買わない。私の読みたい小説が無くなったから。 
悲惨な快楽殺人、意味のない殺戮を描く小説が多くて、読んでいて苦しくなるから読めなくなってしまった。
確かに罪を描かなければ、罪の恐ろしさ、罪の空しさ、罪を犯す人間の心の闇を描けない。
それを描く手段として、殺人を書いているのだとは思うし、自分もそうしている。
でも、面白いから、 うけるからという観点で、殺人を扱うのは危険だ。
子供は、記憶を持たずに生まれるから、目の前にあるものを素直に受けてしまう。
その危険性について、私は以前に書いた。それが確かな形で始まっている。

2)佐世保の殺人事件の報道を見て
 今の子供たちはバブルの崩壊の後、すさんでいく時代に生まれ育っている。
大人は自信を失い、自分のことに必死になり、余裕のない社会生活をしている。
子供はその社会のすさみをもろに被って、夢のない不安な子供時代を過ごしているのだ。
彼らに、生きている楽しさ=悲しいことや苦しいことを含めた人間に生まれた喜び、を教えるのは大人の義務だと思うのだが、こんな状況になっても、大人は国会で意地の張り合いをしている。
あんな姿を子供に見せて、子供がどう受け取るのか考えていないのだろうか?
そんなものを見て育った子供に立派な大人になりなさいと説教できるのだろうか?
私達はテレビやインターネットといった、今までのどの文明も持ったことが無い文明の利器を手に入れた。だが、もしかしたら、パンドラの箱を開けたということなのかもしれない。
映像は残酷なまでに真実を語る場合がある。
あの乱闘をしている国会議員たちが尊敬すべき人間には到底見えないだろう。
そして、そんな人たちが運営をしているこの国に、幻滅するのは無理は無い。
今の日本は足の引っ張り合いや、相手を落としいれようとする大人の姿を映像によって、子供にも見せている。醜い大人の争いを見て、子供たちはののしりあい争うことを当然と受け取る。
だから、それがわかる年代になった中学生や小学校高学年の子供たちに問題が起こるのだ。
つまり、大人の社会の歪みによって、子供がさらに酷く歪んでいると言う事になる。
子供はいつの世でも、ラディカルなものだ。
いろいろ考えたのだが、今日はこれ以上書くのは辞めよう。
あの子がああなった理由について、思い当たる節が山ほどあって気が滅入る。

3)個人保護法
 最近、我が家の近くを、明らかに日本人ではない人が多く歩いている。
世の中にホームレスが増えているというのに、3Kの仕事につく外国人は増えている。
ホームレスになるより、きつい仕事でも仕事に就いたほうがいいのに、どうして就こうと努力しないのかと不思議だったが、ある人の話を聞いていて、その訳に気付いた。
働きたくても働けないのだ。
たとえば、ある人が事業に失敗して、夜逃げする。
昔は夜逃げして、住民票を移せないような人でも、建設現場やパチンコ店などが受け入れてくれた。
そこで、住み込みで仕事をし、また、社会復帰するものも多かった。
ところが、今や建設業界は公共事業がなくなってそれどころではないし、パチンコ店は大卒が就職する花形企業だ。
で、仕事を探しに行くと、住まいはどこですか?と聞かれる。
住まいがはっきりしていなければ、面接もしてもらえない。
そこで、アパートを借りにいく。そうすると、保証人やクレジットカードが必要だという。
夜逃げした身では保証をしてくれる人もカードもあるはずがない。
ということで、一度落ちこぼれた人は社会復帰のしようがない。
すべて、信用審査という名目でネットワークが張りめぐらされているせいだ。
何か事故(払えなかったり、払いが遅れたり)を起こした人は、ブラックリストに載っている。
夜逃げをしたような人が載っていないわけが無い。
そのネットワークはすべての業種に浸透し、社会の活性化を阻み、企業の首を絞め、個人を圧迫している。
つまり、皆が、転ばぬ先の杖を求め、その杖で落ちこぼれの弱者を払いのけているから、弱者はホームレスになるしかないのだ。本来、まじめに働いて自分を立て直す可能性のある人間が、就労の道を閉ざされ、冷たい路上で生活するしかなくなるのだ。
企業にしても、リスクを負うことを恐れ、安全な道ばかり模索する結果、再起の可能性のあるものをも、不良債権にしてしまう道が出来ているのだ。
優秀な金融界や経済界のお歴々はどうしてこのことに気付かないのか……
ま、ホームレスになったことも、経済的に困窮したことも、想像力も、 無いのかもしれないが……
まず、夜逃げしなきゃいけないほど、個人を追いつめるのは犯罪だと法で認めるべきだ。
個人を保護する法律はそんな観点から論議して欲しい。

4)天国の話
 何かで読んだのだが、天国と地獄は同じだという。
素晴らしいところで、人はご馳走を囲んでいる。箸はとても長く、向いに座った人に届くくらいだ。
テーブルは遠いので、長い箸は丁度よいのだが、自分の口に入れるには長すぎる。
天国ではその長い箸で互いに食べさせあって、皆、満足している。
地獄では、その長い箸で自分の口に入れようとして、食べられずに餓えている。
はたして、あなたは、長い箸を持ったときにどうします?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

土地と人の関係 2004.5.23

雨が続いている。台風までやってきた。
こんな日には、必ず、体調が悪いという知人がいた。
「頭が痛い」とか「めまいがする」とか言う彼女に、同感し、私も頷いていたものだ。
気候が体調に関係すると最近言われているが、それに加え、いる場所というものの影響も有るような気がする。
私はある土地を借りて、店を作り、4年間、ほとんどその店に縛られていたが、あの場所が私の体調にかなり影響していたように思う。
新しく出来た大きな通りに面した商業地だったが、そこでの経験は不可思議というしかない。
最初、私はそこに花屋を作るつもりはなく、親戚の仕事の手伝いくらいのつもりだった。
それが、名義人であったために、そこを残され、孤軍奮闘する羽目になった。
そのいきさつもかなりの物語だったが、その後がまた凄かった。
何とかしようと、アルバイトを雇ったのだが、長続きする人がいない。
ある人はノイローゼのようになり、ある人は髪が抜け落ち、病に倒れ、ある人は交通事故に遭い、癌になり、最後の一人が、三人目の交通事故にあったときに、私はその店の存続をあきらめた。それ以上続けるのが怖くなったのだ。
泥棒に二回も入られ、オートバイが一回突っ込み、雨よけの庇(ひさし)が飛んだ。
自動ドアは人も来ないのに開き続け、最後には電源を切らないといけないくらいになり、パソコンは壊れ、電話は混線し、よその電話の会話が聞こえた。車は急に動かなくなり、人間で言うと心臓部が壊れていると言われた。建物は常に、ギシギシピシピシ、音が聞こえ、いつ倒れるかと気が休まる間がなかった。

 そこを出るについてはいろいろ問題があり、大家さんとも何回も話し合ったのだが、大家さんは更地にすると言い張った。
そんなことをして大丈夫かと心配していたのだが、この前、噂で聞いたところによると、大家さんの奥様は急な発作で亡くなられ、大家さん自身も病に臥せっていらっしゃるそうだ。
そういえば、その前に、その場所を紹介し、不利な契約の元を作った建設会社の営業の方は脳梗塞で倒れている。
つまり、そこに関係したもので、心身と経済状態が無事なものはほとんどいないという状態なのだ。

 その土地を離れてから、ある人にあそこは戦国時代の古戦場、多くの血が流れた場所で、数々の怪異があるという話を聞いた。
そのことは有名な話なので知らなかったわけではないが、そんなことが、今生きている人間に作用するとは信じられなかった。
でも、今、私は土地の持つ力というものはバカに出来ないと、身に沁みて思っている。
私はあそこで死に掛けた。写真を撮ると、私には色がなかった。
紙のようにぺらぺらになっていくと自分でも感じていた。
心身経済共に傷ついたが、命があるうちに、あそこから抜け出られたことを幸運だったと今は思っている。
あの場所にいて、私はなんとなく感じていた。ここは人の悪い面を増幅してしまうところだと…
人間は善のみではないし、悪のみでもない。普段は隠している人間の欲が出てしまう場所。
私は本人すら、自覚していない本音を申告され続けたような気がする。
そして、私も、自分では自覚していなかった自分を見た。
といって、誰もがあの場所で、傷つくと言うわけではないだろう。
私があそこでうまくいかなかったのは、私とあの場所の相性がよくなかったからだ。
相性の良くない私を追い出して、あの場所も今頃はほっとしているのかもしれない。

 そういえば、幽霊を見たことがあるという人に、その店で何人も出会った。
影のようにぼうっとしたものを見たとか、手だけ見たとか、落ち武者の格好をしていたとか、普通の人のように道を歩いているのを見るとか、そんな話を聞いて、私はこの人たちを信じていいものかと悩んだ。皆、嘘などつきそうもない人に、見えた。

 「目に見えるからと言って、すべて真実とは言えない。目に見えないからと言って、すべて嘘とは言えない」と、あの店で学んだ。
あそこに行かなければ、私は文章など書けなかっただろう。
私の関心は人間には向いていなかったから、書くべきものがなかったのだ。
文章とは人間が読むもので、どんな美辞麗句が並べられようと、人間に対する愛や好奇心がなければ、読む人を納得させることは出来ない。
長い目で見れば、あの場所は私にとって、最良の場に変わるかもしれない。
失敗を失敗のままにしてしまうか、次へのステップへのジャンプ台に出来るかは、私の行き方の問題で、誰かや何かのせいではない。
幸せは目に見える金や地位とは限らないと言うことは判った。
それでは、私の次のステップにある幸せは、どんなものなのだろう?

 さて、あの場所を離れ、私はめきめき元気になった。
朝起きると、思わず、体操したくなるほどだ。健康であると言うことは本当に楽しい。
この前、免許証を失くし、再発行をしてもらったのだが、その前の免許証の写真とは別人のようだった。
この年になったときに、こんなにわくわくしながら生きられるとは、若い頃には思ってもいなかった。

人生は面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.08.15

少子化 2004.5.11

福田さんが辞めて、菅さんが辞めた。
年金を払っていなかったのが原因だという。
そんなことが原因で職を辞さなければならないのなら、1000万人近い未納者はどうする?
確かに、年金を議論する立場の人たちが払っていなかったのは問題だが、そんなことを言えば、ホームレスだった人が奮起して、国会議員になったときに、どんな役職にもつけないことになってしまう。
声高に彼らに辞任を迫っていた人たちは、何の破綻もなく、経済的に困窮もせずに暮らしていた者しか受け入れない社会を作ろうとしているのか?
問題なのは、複雑な年金制度のせいで、自分の状態を把握していない人間がいるという現実だ。辞めろ、辞めないの問題ではない。
ま、今度の騒動は、相手の足を引っ張ることしか考えていない政治家が、引っ張るつもりで一緒に転んだようにしか見えないから、呆れてものが言えない。

皇太子殿下が怒っておられる。
雅子妃殿下を守ろうと必死で戦っておられる。
結婚のときの約束など、けろりと忘れてしまった男たちに、皇太子の爪の垢を飲ませて上げたい。
(多分、貰えないだろうけど)
宮内庁という大姑にいびられて、傷ついた妻を必死でかばっているあの姿は、誤解を呼ぶかも知れない。が、誰に誤解されようと、雅子様にはその心は伝わるだろう。

じつはこの皇太子一家の問題と、年金問題は同じ根っこだ。
キーワードは「少子化」
人格やキャリアを損なう発言についてはなんとなく察せられる。
東宮家には愛子様しかいない。女帝の可能性もある。
皇太子妃が外国にばかり行きたがって、子供を生む努力をしないのが問題だ。
宮内庁の役人はそう思ったのだろう。
そして、厚生労働省の役人は、少子化のせいで、将来の年金収入が危ういから、何とかしなきゃと思ったのだ。自分達がいろんなモノを作った結果、年金が危ういことを棚に上げてね。

 私は子供を生めなかった人間だから、何を言っても、あなたは子供がいないから、で済まされることがある。だから、この発言もそう思っていただいて結構だが……
自分達のシステムの失敗を、子供が少ないことや、子を持たない夫婦のせいにしないで欲しい。
子供がいない、あるいは少ない、のには、それなりの理由があるのだ。
それは病気だったり、経済的な事情だったり、個人の信念だったりするが、いずれもどうにもしがたい事情なのだ。
子孫を残すというのは、生き物の一番の欲求で、ウィルスでさえ、そのために生きているのだから、事情がなければ、皆、ぽこぽこ子供を生んでいるよ。そうでしょ?
それなのに、子供のいない夫婦からは子無し税を取れとか、遊びたくて子供を作らんのはけしからんとか、新聞で発表している老人がいる。
もしかしたら、役人にはあの手の男達が多いのかもしれない。
成績優秀で人に叱られることもなく、高学歴で裕福な実家。
今はそんな人しか官僚や政治家になれないらしいから。

 皇太子殿下には、くじけることなくがんばって欲しい。
天皇制を論ずるつもりはないが、外国の要人をお招きして、そのときの総理がどんな総理であろうと、恥ずかしくないのは、あの方達のおかげだ。
総理大臣は誰がなろうと構わないが、皇太子はあの方しかいない。
今度の発言は今までの皇族では考えられない発言だと関係者はインタビューに答えている。
それは当然だ。あの方は美智子様の子供なのだ。母親の挫折し、苦悩する姿を見て育ったのだ。
幼い時にはかばってあげられなかった母の代わりに、雅子様のためには手段を選ばないだろう。
だから、宮内庁の役人はこの発言を甘く見ないほうが良い。
表現が柔らかいから、多分、今まではその怒りを理解できなかったんだろうけど……

 さて、少子化している国は、日本・ドイツ・イタリアだそうだ。
つまり、第二次世界大戦の敗戦国。敗戦と少子化の問題について考えてみよう。
うちの母は大正十年生まれ、一番下の弟は昭和16年生まれの、9人兄弟だ。
母の母は、いわゆる、「産めよ増やせよ」の時代に乗ったおばあちゃんだった。
彼女は子供を一人も失わずに済んだが、手塩に掛けた子供を失った母親は多かった。
それなのに、国は敗戦し、子供の死は報われぬ死になった。
「血と肉を分けた」子供を、戦争の道具にされた母達には、それはトラウマになったことだろう。
そういうのが、じわじわと浸透し、今の少子化に結びついているような気がする。
しかも、世界では確実に戦争状態が広がっている。
こんな中で、不安を持たずに子供を産めというのは無理というものだ。
もっとも、人間も動物だから、種の絶滅の不安を覚えると、急に出生率が増えるかもしれないが……
でも、願わくば、そんな事態にはなって欲しくない。
 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

魂の研鑽 2004.4.29

福田官房長官のプライバシー発言をテレビで見て、この人は今でも総理大臣を目指しているのかと訝しく思った。あの不遜な態度は、ある意味、凄い。どんな編集が為されているにせよ、一瞬の彼の表情・彼の言葉への反感を、国民が持たないと思っているのだろうか?
この前、京都の嵐山を歩いていたとき、「年金基金センターらんざん」という立派な施設があった。私はなんとなく足が止まり、「年金基金センターだって」と同行者に言った。すると、同行者二人は、「ほう、こんな物立てているから、年金がなくなるんだがや」「こんなもん、絶対赤字だわ」と口々に言った。農家のおばさんと自営業者の奥さんの彼女達、サラリーマンの奥さんの私でさえ、そんな感想を「年金」という文字を見て持ってしまう。私達が立ち止まって見ていると、他の観光客も歩きながらその建物を見て、「あら、年金基金センターだって」「まあ、年金で作ったのね」「こんなもん作って…」口々にそう言いながら歩いている。私達が歩き始めてからも、後ろで「あら、年金…」という声が追いかけてきた。
こんなにも、一般ピープルは関心を持っているのですよ、福田さん。プライバシーなどと強弁した後で、自分も払ってませんでしたなんて言った日にゃ、袋叩きです。

田中康夫長野県知事のお言葉ではないが、上に立つものはノブレスオブリュージュ(高貴なる者の義務)ということを、少し考えたほうがよい。「公平高潔であろうとしない人」は、人の上に立ってはいけない。政治は職業ではない。政治は使命なのだ。
だが、今の日本の政治のシステムは、そういう人が政治家になれないシステムのようだ。どんなによさそうに見える人でも、永田町に行くと、どんどん理解しがたい変な人になってしまう。
年金も、問題は複雑な年金制度にあるのだが、今回の改正(悪?)でもそのままになるらしい。
組織というものはどんな組織でも、それを運営する人たちは、制度をどんどん複雑化していく傾向があるようだ。私の属している小さな組織でも、なんだか、制度がはっきりしていない。そのうえ、私などには決まったことも一切連絡が無い。だから、何かやるたびに私は右往左往するハメになる。そんなところに属するのを選んだのは私なので、(自己責任だから)私は出来る限りのことをその都度やっていくしかない。でも、かなり、精神衛生にはよくない。ストレスの基になる。最近、眉間に縦皺が出来た。

うちの父親は小さな鉄道会社で、日本でも初めての労働争議をやったというおっちょこちょいの人だ。その後、町議会議員になって、町長になろうとして挫折した。私の生まれる前の話だ。
私が知っている限りの父は、燃え尽きた灰のような人だった。戦争中、部隊で生き残ったのは何人もいなかったとか、前後にハンドルのあるリムジンを香港で運転したとか、モンゴルの平原で敵の部隊の巻き起こす砂塵が見えて二日後にようやく到着したとか、そんな話しかしない人だった。
子供の頃、私は父の話が嫌いだった。子供がそんな昔の話をされても、面白いはずが無い。
だが、今になって、もう少し父の話を聞いておけばよかったと、後悔している。父が生きたことを覚えておいてあげるのが、子供たる私の勤めだと思うからだ。父に私を育てる責任があったように、子供の私にも、あの人の子供に生まれた義務がある。
村始まって以来の天才と言われた父は、栄光と挫折を繰り返し、最後は何一つ残すことなく病院で死んだが、彼の人生が示唆するものは大きい。それは、人間はこの世で得たものをすべて置いていかなければならないということだ。何も持たずに生まれたように、何も持たずに去らねばならない。そのとき、持っていけるものがあるとしたら、それは魂だけなのだ。記憶でさえ、母のようにアルツハイマーになれば奪われてしまうのだから…
魂の研鑽こそが、人生の意味なのだと、私はぼんやりと考えている。日々起こる出来事は、その研磨剤のようなものだ。削られる痛みに堪えてこそ、人生は円く美しいものになる。
どうやら私には棘が多いようで、まだまだ、かなりの痛みを感じているけれどね。

さて、栄光や富を求め、システムを都合の 良いように変えようとしている人たちへ訊きたい。
そのシステムは自分の子供に住みやすい社会を残せるシステムなのか?
そのあなたの行為はあなたの魂を磨くのものなのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

風邪を引いた 2004.4.25

ずっと咽喉が痛くて腫れているような気がしていたのですが、ついに、寝込んでしまいました。
最近、忙しくて、食事が不規則になったり、抜いていたりしたのが効いたようです。
私が寝ていると、サクラも一緒に寝ています。手術から無事生還し、前よりも甘えん坊になった彼女は、私が家にいる間中、抱っこしていてもらえると思い込んでいて、こうやっている間にも、抱かれたがります。手術の後、傷口が開くといけないからと抱いていたのですが、それで、彼女は抱かれているのが当然と思い込んだようです。まだ、庭にしか出していないので欲求不満なのかもしれません。隣の奥さんに言われました。
「お宅のサクラちゃん、木の陰からうちのほうをじーと覗いているわよ」
どうやら、「家政婦は見た」犬になっているようです。

イラクで人質になった人たちに対する「自己責任」についての論議が喧しいようです。
私も三人の親族の方達の初期の記者会見を見て、「自分の勝手な行動で窮地に陥ったからといって、居丈高に政府に要求するのはいかがなものか」と思った人間ですが、それでも、自己責任だから、死んでも仕方ないとまでは思いませんでした。なんとか助かって欲しいと願いました。
自己責任を言った人もたいていはそうだったのだと思うのですが、マスコミは過激に報道しました。海外のメディアの反応もそうです。この前の文春事件のときもそうでしたが、少し、世の中が窮屈になっている、それは良い傾向とは言えないように思います。
人質事件について言えば、この根本的な問題は、私達は今まで、自己責任などというものを考えいない人種だったということだと思うのです。そんなの考えれば当然だという意見もあるかもしれないけれど、そんなことを考えない人だって、世の中には当然多くいるのです。、今までの日本では自己責任を問われるような危機的状況はあまり無かったのですから…しかし、これからの日本はそうではなさそうです。私の住んでいる地方でも、スーパーの駐車場で攫われて金を奪われたり、家まで連れて行かれて強盗されたりする時代です。自己責任で自分を守るということを真剣に考えねばならない時代になってしまったようです。
今度の事件は不幸なことで、彼らは本当に恐ろしい思いをしたと思うけれど、彼らは少なくとも、あんな行動をすれば、自己責任を問われますよという警告を社会に与えました。その点では、私達は彼らに感謝すべきでしょう。これから私達は自衛隊のいる海外に行くのは、とても危険なことだと認識し、なおかつ行くのなら自己責任、死んでも仕方がないと腹を括り、家族にもそれを徹底しましょう。

さて、戦火はどんどん大きく広がっています。その上、スペインを始め、多くの国が撤退を検討中のようです。争いごとは双方が各自の主張をしている間は、収まることがありません。どちらか片方が相手のルールで、もしくは両方がひとつのルールで話し合わなければ、言葉は通じません。
イラクのことはイラクのルールで話し合うべきです。宗教のために死ぬ覚悟をしているものに、別の宗教の倫理を押し付けても、聞いてもらえるはずもありません。この戦争を終結させるには、イスラムの教えに従う解決策を模索すべきです。イスラム教とキリスト教は同じ聖書の教えに始まっています。教義はそんなに変わらないでしょう。この仲裁を出来るのは、どちらでもない、八百万の神を信ずる日本しかないように思いますが、小泉さんはそれを出来るか…どうでしょう?
もうひとつ、問題は、終結させたいという意思がアメリカにあるかどうか…予定の弾丸を使い果たしていないのかもしれません。
いずれにせよ、アメリカはベトナム戦争の轍を踏んでしまったということは確かなようです。彼らは日本で成功したことが忘れられないのです。 だが、ベトナムもイラクも日本のようにはなりえません。良くも悪くもそれらの国には天皇はいないのですから…
御所に行ったせいか、天皇という不思議な存在について、考えています。まだ、文章に出来るほどの気付きが無いので、今は辞めておきましょう。
  
そうそう、小林よしのり氏がテレビで、話し言葉と文章について述べられました。
今回の人質事件について、感情をすぐに言葉にして出す危険性を言われたように思います。文章にした時の推敲された言葉なら、あんな個人攻撃はあり得ないと…
 話し言葉は録音でもしない限り、残ることはありませんが、文章は残ります。思うままに書いた文章を私はたいてい書き直して(それでも誤字脱字はあるんですよ)います。
読み直すことで、かなり最初とは違う文章になっていることも…でも、それにより、私は自分の中の自分でも気がつかなかった感情を見つけることがあります。素のままの自分を推敲することにより失くしてしまう、という人もいるかもしれませんが、素のままの私は、とても人様の前に出せるような者ではない。推敲してもこの程度の人間ですから…

そう言えば、 「いかがなものか」という言葉、結構、使い勝手のよい言葉ですね。この言葉が印象的だった北海道のODAおじさんは今どうしているのでしょう?


| | コメント (0) | トラックバック (0)

いろんなことを考えた 2004.4.17

ある人が鬱状態からなかなか抜け出せなくて、親御さんが別の医師に相談に行ったところ、カウンセラーとの相性が悪いのではと指摘されたという話を聞いた。
カウンセラーにもかなり差が有るらしい。人の悩みや苦しみを聞くという仕事は難しいものなのだろう。技術や知識と共に、その人の人間性が問われるような気がする。苦しみや悲しみの度合いはその人の立場や生い立ちで異なるから、これくらいでということで、死んでしまう人もいるし、こんなことによく堪えていられると感嘆するような悲惨な状況でも笑って生きている人もいる。
最近、その違いが少し判ったような気がする。
それは、固執=こうでなければならないという思い込み、の深さに違いない。
理想とする自分、理想とされる人間像、理想とされる組織、そういうものに対する思い込み、それが人を苦しめ、他人との対立を生む。
人間はもっと、弱くていい加減でちゃらんぽらんなものだと思えば、楽になるだろうに、そうは思えないからこそ苦しんでいる。自分で自分を追い詰めている。
だが、そう他人から言われても、真の理解は無い。自分がそれに気づくまで苦しむしかない。
ただ、その泥沼から出たいと願うようになった時には、引っ張っり上げてくれる手が必要だ。
カウンセラーというのはそのために居るのではないかと思う。この手はいつも差し出していますよということを、相手に伝えられる人が優秀なカウンセラーなのだ。

イラクが大変なことになりつつある。3人の人質の方達は帰ってこられて本当に良かった。
あの人たちに対して、私はあまりよい印象を持てなかった。ニュースを聞いたとき、そんなところに行くなよと思わず叫んだくらいだ。その後の家族の言い分にも呆れた。
だが、人質になった女性が「いろんな目にあったがイラク人を嫌いになれない」と言った言葉は、立派だと思った。彼らを助けるために多くの人が、それこそ命がけの交渉をしていただろうに、それに感謝もせず、自衛隊は日本に帰れだのイラクに残りたいだのと能天気なことを言っているとしても、その彼女のイラク人に対する気持ちが真実なら、それも、彼らが助かった一因なのかもしれないと思う。
そう言う相手を、殺すのはイスラムの教えに背く事になるだろうから.……
私は自衛隊だって、たかが職業じゃないかと思うことがある。
職業のために、命を落としてはいけない。
テロリストは信ずるものを守るために、命を落としても、使命を実行しようとする。
自衛隊員はそんなことをしてはいけない。危なければ逃げて、身を守るためには武器も持って(緊急避難では人を殺すのも仕方が無いと認められている)、とにかく生きて帰ってきて欲しい。
他国の紛争に派遣されて死ぬことは無い。
たかが職業ではなく、自分は信念のために、他国の紛争で、死ぬ覚悟をしているという人は、ま、それはそれで好きにしてくれれば良いが……
だが、忘れないで欲しい。
その信念は立派だが、その信念こそが戦争を生んできたのだということを……
第二次世界大戦は、国の利権のために一部の人間が始めたが、それを泥沼化させたのは、純粋に国を愛し、愛する人達を守ろうとした普通の人々なのだ。そういう人々が国や人を愛するがゆえに、戦争によらない平和の維持の方法を模索する間も無く、勝利に固執したのだ。
私は戦後に生まれ、戦後に育った。戦後に年老いているのだと信じたいのだ

2004年の4月17日、いろんなことが起こっている。
だが、来年、私はそのほとんどを忘れているだろう。
そういう点では、人は日々死んでいるに等しい。日々死んで、日々生まれているのだ。
今日の、この一瞬限りの自分を愛し尽くし、今日の悲しみは今日忘れよう。
明日はまた、新しい自分が生まれるのだから……
今日、近くの里山を散策しながらそう思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雛菊 2004.2.

花の自然の姿を楽しんでいた私に、花を飾る楽しみを最初に教えてくれたのは母親だった。
庭の花を摘んで、ままごとをしていた私に、母はある手法を教えてくれた。
庭の土を掘り、色とりどりの花の頭だけを、その土の上に並べて置き、その上に透明なガラス板を乗せ、周りを土で囲む。そうすると、土の額縁の中に、花の絵が現れるのだ。
母はそれを「のぞき」というのだと教えてくれた。のぞき……覗きのことだったのだろうか?
私はそれを母に確認できなかった。その年から、母は様々な症状に悩まされ、私が小学校から帰っても憂鬱そうにしていたり、寝ていたりする時が多くなった。
今、思えば、更年期だったのかもしれない。 そして、高校入学と同時に寄宿舎に入った私が、母と一緒に暮らしたのは本当に短い間だったのだ。

母は去年、9年間の長い病から、ようやく開放された。
私は10年前に、母親からひとつの遺言を預かっていた。それは、自分の葬式は白い花をいっぱいに飾ってほしいということだった。
その遺言を自分の手でかなえられたのは、娘として幸せなことだった。
母はアルツハイマーだった。彼女の病で、私たちはそれまでの、人生に線を引かれてしまった。私たちは母の病が巻き起こした人生の荒波をもろに被った様な気がする。
そして、何もできない自分の後ろめたさと、あまりに変容してしまった母への恨み。
それは私を苛んだ。 

最後のときを、家で迎えるよう、実家に帰された母を、時間があれば、看に行った。
だが、私にできることは何も無く、食事も採れず口も利けない彼女と、ただ、同じ空間にいるだけ。
私は母と向き合い、平坦ではなかった彼女の人生を思い、昔の歌を歌い、昔話をした。
もう、何も感じていませんよと医師に宣告されている母はそれを聴いてうんうんと頷いている様な気がした。
そして最後の瞬間、母は、私の腕の中ですうっと息を吸い、それきり息を止めた。
その時、これが母の最後のプレゼントなのだと気がついた。
その時間が無ければ、私は母への恨みと後ろめたさを、この先の一生、抱えていくことになっただろう。

最後の時間を共に過ごしたことで、私は母への素直な愛情と感謝を再び持てるようになった。
あの庭で、母の作った「覗き」に心から感動したときのような、母への尊敬を取り戻すことができた。
人は生き続けるべきだ。命の限り、どんな状態であろうと生き続けるべきだと、私が思えたのは、あの母の命を送った瞬間だった。
病の始めに母を失っていたら、私はその心を取り戻せなかっただろう。

あの庭に咲いていたのは雛菊、オシロイバナ、マリーゴールド、一重のバラ。
あの真っ黒な土の中の花たちを思い出すとき、若い頃の母のはにかむような笑顔が思い出され、私はまた涙を抑えることができない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エゴノキ  2003.3.15

ダム湖の側から引越しして住んだ家は、築100年も経つ古い茅葺屋根の家で、とても住み辛い家だった。
だが、周りには畑があり、敷地を小川が流れている、夢のような家だった。

その家の隣、といっても30メートルくらいは離れていたような気がするが、の家は豚を飼っていた。 
小学生の頃のある朝、学校に行こうと裏口を開けると、二頭の豚と鉢合わせした。
今なら豚に負ける私ではないが、その頃はその豚が巨大に見えて、腰を抜かしたのを覚えている。
その家の老夫婦は、趣味で杜若を育てていて、大きく立派な花を惜しげもなく私に与えた。

私はその家の前の坂道を降りて、小学校に行ったが、その坂道の途中に、初夏になると白い花をつける木があった。
この世のものとは思えないほど、清々しい良い香りの花をつけるその木の名前を、私はその地を離れてから知った。その木は「エゴノキ」というおよそその花に似つかわしくない名前だった。
 
さて、ネットで、「エゴノキ」の名前の由来を調べてみよう……
いくつかのホームページによると、その名の由来は、その実や木自体にある毒のせいらしい。 
有毒物質のサポニンを含んでいて、その味が「えぐい」ので、エゴノキと名前がついたのだという。 
誰が食べたのか知らないが、どうやらその効用は知られていたようで、実や根を水の中で叩き潰して、魚を麻痺させて取る漁法もあった!(この漁法は、現在では禁止されているとのこと)
 
なんということ! こんなこと知らなかった。
私は長い間エゴノキを探して、我が家の庭に植えている。
この話によると、私は毒を育てていたの…ね。

そういえばうちの母が東北に行った頃の話だが、母は山でシイタケを見つけ、喜んで採って干していた。
それを見た地元の人が驚いて、これはツキヨダケだといった。
ツキヨダケという名前はロマンチックだが、間違って食べて、年に数人は死ぬという恐ろしいキノコだった。
ツキヨダケの名前は月の夜に青白く光るから…闇夜にこれを持って歩くと提灯がいらないからヤミヨダケとも呼ばれたそうだ。あな、おそろしや…
 
これを書きながら、ふっと自然の世界は美しいだけではなく、とても危険で、とても、恐怖に満ちていたのだと、今更ながら気がついた。
私はあの頃、目に映るものの良い面しか見ていなかった。
もし、あの頃、エゴノキの名の由来を知っていたら、私はきっとあの木に興味を失っていたに違いない。 
善と悪は表裏一体、見る方向の違いだと知った今、それを知っても、エゴノキに対する感情は変わらない。
 
今日のワイドショーで、奥さんを毒殺しようとした外国の科学の元教授が、大学の倫理学の教授になるというニュースがあった。
そんな人をそれと知っていて雇うのかと言う意見が多かった。どうやら、自分が絶対に正しいと思い込んでいる人が多いらしい。

それは有りだと私は思う。
人は変わることが出来る。
本当に彼が自分の犯罪を悔い、なぜ、それがいけないのかを学生に教えるというなら、それほど説得力のあることは無い。

この国は人の失敗を許さない。だが、人はロボットではない。
私がエゴノキの花の姿と香りに騙され、あの木を初夏の清々しい思い出に分類していたように、あなただって自分の五感が何かに騙され、思い込まされて行動し、罪に陥ることがあるのかもしれないのだ。
かの国の社会は、罪を犯した人、失敗した人を受け入れる成熟した社会だと褒め称えるべきだ。
 
エゴノキから、変な方向に向かってしまった。
この文章を読んだからといって、エゴノキを嫌いにならないで欲しい。
あの濃厚でうっとりとする芳香と可憐な花は、本当に素晴らしいのだから…

ちなみに、ツキヨダケは嫌ったほうが良いと思う、ほんとに危ないから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

辛夷 2004.3.13

3.4日前から、うちの前の藪の白梅が咲き始めました。
梅が咲き、桜が咲き、連翹が咲き始めると、春本番です。 
すこしずつ、春が近づいてくるのが判ります。
東北に住んでいた子供の頃、春は一気にやってきました。
梅も桜もある日いっせいに咲きだします。
その中で、一番早く、まだ雪が舞うような時期から咲き始めるのが辛夷(こぶし)と満作(まんさく)。
冬枯れの枝の間に白い大きな花をつけるのが辛夷。
満作は目立たない黄色の花。
深と冷たい空気の中で、花の香りを聞くと、全身が温まるような気がしたものです。
辛夷が咲き始めると、フキノトウも咲き始めます。
その時期は、まだ、グリーンや白、薄い茶黄色の花たちです。
それから、桜が咲き始めると色とりどりの花たちが競って咲き始めます。
もうひとつ、私には特別な初春の花があるのですが、その話はまた…
 
花の起源について調べてみました。前に、何かで花の出現は唐突で一気に広まったと聞いたことがあり、それについて詳しく知りたかったのです。
何件かのホームページをたどり、花の化石が1億4200万年~1億4600万年くらい前のジュラ紀の地層から発見されていることを知りました。そして、その花は木蓮の種類だということも…
きっと、最初の花は白や葉の色を薄めたような黄色だったのではないでしょうか。
最初の花の出現いらい、あっという間に植物は花をつけるようになります。
私たちが花と呼んでいるのは被子植物の生殖器。昆虫との連携で被子植物は勢力を広げます。
 
二つの面白い話を見つけました。

その一、恐竜の絶滅の原因は花。
恐竜は花を食べなかった。それなのに植物は次々と花をつけるようになり、花をつけない針葉樹を求めて、恐竜は寒い地方に移動して行き、数を減らして絶滅したという説。 
恐竜のように大きな動物が花を嫌いというのは可笑しいですね。
恐竜が花粉症だったらさぞかし大きなくしゃみをしたことでしょう。
この話には大きな教訓があります。被子植物は恐竜に食べ尽くされないために花を作り出した可能性がある。
それが被子植物の戦略だったとしたら、今、植物は勝手な人間に怒って、人間に食べられないための対策を考えつつあるかもしれません。
ある日、動物に食べられない毒をもった植物が現れ、ほかの植物もそれに習ったら、われわれは恐竜の二の舞です。
 
その二、ミツバチは花が出現する前から、地球上に存在していた。
もちろん、蜜は吸っていなくて、樹液なんかを吸っていたのでしょうが…
そうそう、四億年以上前に水の中から最初に地上に出たのは昆虫だったのではと言う説もあります。私たちは地球の支配者のような顔をしていますが、昆虫が私たちに無関心なおかげでこんなに威張っていられるのかもしれません。
私たち哺乳類は地球の新参者。今日からゴキブリに気を使いましょう。

ミツバチは蜜という餌で花とは共生関係にありますが、私たちは花の持つ癒しの力という精神的な餌で、すでに花と共生関係にあるのだと思います。
希少な花を山で盗ってしまう不埒な人も、実はいろいろなところに勢力を伸ばしたいという、花の策略に嵌った人なのかもしれません。
 
今、ガーデニングに夢中で、庭を花いっぱいにしているあなた、もちろん、あなたはどっぷりと策略にはまり込んでいると思ったほうが良いでしょう。

ほんのちょっと、調べただけで、いろんなことを知ることが出来、インターネットって本当に便利。
でも、このページを参考になさっていらっしゃる方、私は古生代にもジュラ紀にも生きた経験がないので、これを参考になさるのは危険ですよと申し上げておきましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

A君の話 2004.3.11

酒鬼薔薇聖斗が出所したというニュースを見ていて、6年9ヶ月という年月の重みを考えた。

 彼がしたことは決して許されることではない。だが、彼は許されなければならない。
罪を憎んで人を憎まずということはそういうことだ。
彼は自分の才能と状況が許す限りの可能性を探り、自分の幸せを見つける機会が与えられる。
彼に殺された少年にはもう無い未来を彼は持っている。
それを不公平だという人もいるかもしれない。だが、彼が本当に自分の犯した行為の恐ろしさに気づいたのなら、生き続けることは死刑以上に残酷な刑になる。
その恐ろしい行為をやったのが自分だということは、常に彼を苛むだろう。
そう思わないのなら、彼は自分の罪を悔いているとはいえない。

 罰は他人が与えようとして与えられるものではない。
罰は自分の中の神(のようなもの)が下すものだ。
どんなに過酷な状況に落とされようと、どんな肉体的な痛みを与えられようと、その神に彼が気づかないうちは、真に罪に目覚め反省しているとはいえない。
自分に罰せられた罪人は自分の人生を自分で縛り、常に善なるものを欲求する。
彼がこの先どういう人間になっていくか、今は想像もつかないが、常に他人に見張られ、目を背けられる人生は、さぞかし辛いことだろう。
保護施設の中にいた時のように、彼に理解を示す人間ばかりが周りにいるわけではない。
心無い言葉や態度に傷つき、一人涙することもあるだろう。
だが、彼はそれを甘んじて受け止め、それでも、善であることを目指さなければならない。
ほんの一時の快楽を得るために、彼が失ったものは大きい。
彼はこの先の一生を酒鬼薔薇であったことを背負って生きていくのだから…

 さて、彼の罪はなんの教訓にもならず、特異な一個人の問題にされたが、彼がこの時代の犠牲者であり先駆者であったことは、最近の多くの事件が示している。
人は野菜と同じと彼が看破した感覚で、いかに多くの者が、人を殺していることか……
私たちに彼を攻める資格は無い。彼を生み出した社会を作ってきたのは私たちだからだ。 
まずは、私たちが変わらなければいけない。
まっとうに自分の力で生きている人をちゃんと評価し、どんな相手にも敬意を払う態度を、私たちは子供の前で見せるべきだ。
不正を憎み、善なるものを求める社会を作ると宣言するべきだ。

 私たちは皆、罪人だ。社会的に生きるということはそういうことだ。
すべてのものによく接しようとすれば、誰かを犠牲にするか、自分を失うことになる。
だから、先人はそれを礼儀というバリアーで守っていた。ぶつかり合わないように適度な距離を、礼儀によって保っていた。それはすべての生き物の存在の意義を認めるということだ。
その礼儀を教える家庭が無くなり、各自が勝手なことを言い出している。都合のいい解釈で、礼儀や法律を適用しようとする人間が、それを武器に人を追い詰め傷つけている。

 過酷な競争を子供にさせることで、儲けようとしている大人たちの戦略に嵌り、何かを得るためには何かを失わなければならないと思っている子供たちに、すべては無償で与えられているのだと私は教えたい。
 その眼も手も足も頭脳も、最初から無償で与えられたのではないか。
 その眼と手と足と頭脳で出来ることをすれば良いだけだ。難しいことは何も無い。
 私たちは裸で生まれ、裸で死ぬのだ。砂漠の中に一人で放り出されたときに、やんごとなき人々も、アメリカの大統領も、世界的な富豪も、一国の独裁者も、持っている肩書きや名誉がなんの役に立つだろうか?
自分の知恵だけでそこから抜け出す方法を考えなければならないという点では、彼らも私のように何の名誉も地位も金も無い人間と変わりない。
その知恵を手に入れるために人間は努力するのだ。
何かの職業につくために努力しているのではない。

 一人一人が自立して、誰にもおもねることなく、誰をさげすむことも無く、自分の人生を生きられる知恵を手に入れられたら、酒鬼薔薇など出現しようはずが無い。
たぶん、今、一番それを願っているのは、A君本人なのではなかろうか…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

混乱=バラル   2004.2.2

人間にとって言葉とは何か、考えている。 思考は言葉により明確になり、そして限定される。
問題なのは、私の言葉とあなたの言葉は違うものを指している可能性があるということだ。
そのことを考えるようになったのは、この数年、トラブルがある度に、あの時こう言った、いや、ああ言ったということで揉めたからだ。 
私が話している言葉は、誰にも通じないと絶望し、そして、気づいた。今の世の中のトラブルは、すべて、これと同じだと。
 
親しい友人知人・親兄弟の間でさえ言葉が通じないのなら、言葉も環境も思想も人種さえ違う相手には、間違いなく、通じて無いと思ったほうが良い。
アメリカにアメリカの正義があるように、イラクにも北朝鮮にも、日本にも、それぞれの正義がある。それを一国の正義で括ろうとするから、窮屈で苦しい関係になってしまう。
 
旧約聖書のバベルの塔の話を思い出す。 ノアの箱舟の後、水が引いた地に戻った人々は、地に満ちよという神の言葉に従い、数を増やし、バベルの塔を建て始めた。
 

11ー5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11ー6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11ー7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
11ー8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11ー9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

世界はテクノロジーによりまた繋がってしまった。
長い年月を、共通の言葉も持たず、遠い地に散らばされ、互いを敵として戦った後で……
そのことを念頭に置き、それでも理解し合える道を探さなければならないのに、その道を見つけようとしないのは、まだ我々はバラルされたままだからだろう。

さて、神は、国と国、民族と民族に分けた言葉を、今度は個人別にバラルしたのかもしれない。
友人知人・親兄弟が殺しあう今の時代は、そうと思わなければ納得できない。 
個人が各自、マスメディアやインターネットから情報を受け取る今の情報化の時代では、親よりも子供のほうが、先に情報を得ることも可能だ。
そのことは親や先人の言葉の概念を受け継がずに、言葉を知ることを意味している。
そうして、人々は自分だけに通じる言葉を話し始めている。

私は「私の真実とあなたの真実は違う。私は正しく、あなたも正しい」と思っている。
そう思うと、トラブルが起こった時、「私はこう思っているけど、あなたがそう思うのは仕方ないよね」と言える様になり、相手を許し、先に進むことが出来るようになった。 
私のように徹底的に言葉を疑わずに済んでいる人には、なんといい加減な考えの人だと言われるかもしれない。 
だが、過去のある時点の発言や行動に拘り、相手を攻め立てても、益は無い。
相手と自分を許し、双方が今の時点で出来る最善の方法を考えた方が、建設的だ。

で、そんな膠着状態に陥っている人に伝えたいこと――自分の力だけで実現できることだけが、自分の真実だ。誰かを当てにしなければ出来ないことは、自分の真実ではない。
自分の真実を追究し、今の自分に出来ることをしよう。

次の私の言葉の真意をあなたは理解してくれるだろうか?
幸せは一定量を奪い合うものではない。 
私の幸せは、私の中にあり、あなたの幸せとは何の関係も無い。
そして、たとえ、どんな悪人であろうと、幸せになることを恐れることは無い。  
罪人こそ真の善を知ることが出来る、と多くの宗教の祖は、すでに、語っている。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.08.14

野花菖蒲2004.2.

 Dsc04920ll
その時、私は4歳だった。
そのあまりの美しさに見とれ、色というものの迫力を初めて感じたのだと思う。
名前も知らないその花は、ダム湖のほとりに、一面に咲き乱れていた。


そのダムはその年、水力発電用のダムとして完成したばかりで、湖底には、まだ、立ち退いた家の土台が残っていた。
私はその花の美しさに引かれ、毎日のようにそこに通ったが、すぐに大人たちに連れ戻された。
どんなに叱られても、私はその色に引かれ、その花のことばかり考えていた。

花の時期は6月くらいだったのだろうか?
その花が野花菖蒲と呼ばれるもので、今、栽培されている花菖蒲よりも小振りで、その原種に当たるものと知ったのはずっと後のことだ。 

私が兄姉と別れ、そのダム湖の側にいたのは4歳の春から7歳の春まで。
父が始めた山の仕事のためだった。

その前の記憶は、写真のようにワンシーンずつで、前後のつながりが無い。
自分の行動や、行動の意味の記憶があるのは、そのダム湖のほとりに住み始めてから…
私が人間になりつつあった頃なのだろう。
そして、その時期、たった一人で、花を探して山を歩いていた私が、花の仕事をするのは必然だったのかもしれない。

私にとって、紫はあの花のための色。
紫という字を見ると、あの野花菖蒲とダム湖の震える青い湖面と短いズボンをはいた4歳のおかっぱの私が思い浮かぶ。

花にまつわる話を始めようと思う。
こんな調子で、人の興味を引く話ではないかもしれないが、私にとっての花の話だ。

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

2005.5.14 花の写真を追加

| | コメント (0) | トラックバック (0)

理想の人 2004.2.12

私が、おばさんだからといって、理想の男性がいないわけではない。
たとえば、最近、ドラマで江角マキ子の相手役をしているジャニーズの彼なんか、とても、素敵でため息が出るくらい。
だが、彼は私の理想ではない。
遠くで見ていて、ああ、綺麗だなあと鑑賞するには良いが、彼や夫があんな人なら、どきどきし過ぎて、きっと、早死にしてしまうだろう。
ここだけの話だが、実は最近、理想の男性を見つけた。どんな人かというと、頭が良い癖に誠実な人なのだ。
皆さんも気づいていると思うが、たいてい、頭のよい男は誠実ではないことが多い。
それは頭の良さがそうさせているので、仕方ないのだけどね。ちなみに、頭の良い人が汚職をしたり、犯罪を犯すのも仕方ない。
頭が良いからこそ、楽な道を思いついてしまうのだ。
彼の話に戻ろう。 彼は、謙虚な努力家、他人を愛し、欲をかかず、飄々と生きている。
なにより、彼は運が良い。
これは、大切なことで、どんなに良い人でも、運の悪い人は一緒にいると、大変な目に会う。
容姿がまた、素晴らしい。大きく濡れた黒い瞳、短い手足、長い胴、ふかふかの毛皮。
そう、彼はとてもラブリーなネズミ。厳密に言うと、半人半獣。
中肉中背の普通の青年の姿と、それより背が低い、二本足で立つネズミの姿を自分で選べる。楽俊は半分ネズミというハンデを持ち、貧しい家庭に育った。
そんな彼があんなにまっとうな考えの人に育ったのはちょっと不思議…

ここまでの話で、彼の正体に気づいたあなた。
あなたも嵌っているのね。十二国記の世界に…
何がんだかわからない人は、リンクを貼っておきましたから、後で見てくださいね。
さて、楽俊大好きで、十二国記大好きな私だが、あの世界には行きたくない。
人間を食べる妖魔は出るわ、王侯貴族でなければ食べるにも事欠きそうだわ、とんでもない世界だ。
とても、寝転がって、せんべいを食べながらテレビを見る生活なんて、考えられない。
そもそもテレビが無い。それどころか、文明の利器などひとつも無い。
それよりなにより、耐え難いのは、あの原作にも、テレビアニメにも、花がまったく出てこないことだ。
花の色や香りの無い世界など考えられない。

 だが、花に満ち、富める国に住んでいながら、私たちは、あの世界に惹かれる。
それは 文明の利器が何も無い危険に満ちた国に住み、理不尽に耐えているあの世界の住人たちが、真剣に自分の存在の意義を追求しているからだ。
十二国記の世界には、唯一絶対の神が在る。。だが、誰も見たことが無い。
そのくせ、天命には、王も、王を選ぶ麒麟も逆らえない。
彼らは目に見えない神の存在を疑い、それを疑うことにより、また、神の目指すものを理解できないことにより、失道する。
見たことの無いものを信じる難しさ、空しさ。
間違っていない間は、無事に暮らせる。間違いがどういうことなのかは、間違わなければわからない。 褒美はもらえない。まあ、おめがねにかなっている間は死なないということが王への褒美かな? 
今のところ、王になった時点の姿で800年くらい生きているものがいるらしい。
12歳の子供は12歳のまま、50過ぎの中年男は中年男のまま、何百年も生きるのだ。
それはそれで、拷問に等しいと思うが…

 私たちの世界には神がいるのだろうか?
その神はどんな意思を持っているのだろうか?
この国は金貸しと売春の国になってしまった。それが、人間の一番の欲求だからだ。
目新しい職業ではなく、原始の職業が幅を利かせているだけだ。
私たちはやがて死に、次の時代が来る。 この世界の生きとし生きるものは、死から逃れることができない。
どんなに優秀な人にも、どんなに良い人にも、どんなに悪い奴にも、貧乏な人にも金持ちにも、死は平等にやってくる。
だから、どんなに今が困難で、苦しい時代であろうと、嘆くことは無い。
未来は今と同じであるとは限らないのだから。
今の現実が、今生きている私たちの責任であると同じように、次の時代を作るのは、これから生まれる子供たちの責任だ。
我々は、現状への反省を残しても、教育という名目で、自分たちの価値観を彼らに押し付けるのは辞めたほうが良い。
それよりも、心を癒す自然や食べていけるだけの作物を育てられる国土を残してやったほうが、よほど、彼らのためだろう。そんなことを、思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なまはげと留学 2004.2.3

小説を書いていると言うと、変な人のように思われるかもしれないが、世の中に実際に起こっていることのほうが、よほど、変で、恐ろしい。
毎日のように、親が子供を、子供が親を殺し、兄が弟、カレがカノジョを殺している。
私は推理小説を書くので、殺人は必然のようなものだけど、人を殺そうとは、まだ思ったことがない。人を殺すのにためらいがない時代。
そんな時代になってしまったのは何故だろう?
ホームレスさえ飢えていない時代なのに、子供が餓死するなんて…

そう考えていて、海外留学する女性の特集をテレビで見た。
多分、今、日本はあらゆる点で世界のトップクラスにいるに違いない。
なのに、彼女たちは日本にいることに飽き足らず、海外で学ぼうとしている。何を?

その前にニュースで、北海道でなまはげ(秋田の男鹿半島の風習。鬼に扮した大人が子供のいる家を回る)が、子供に良い子になりますと誓わせるのを見ていて、なぜかその二つの報道が私の中でリンクしてしまった。

多分、私たちは明確な恐怖がないことを恐れている。

なまはげは子供たちに恐怖による服従を強いている。
泣き叫びながら、彼らは「良い子になります。好き嫌いせずになんでも食べます」と誓っている。
明確な恐怖が明確な目標を与えている。

留学する彼女たちの家庭は、彼女たちに留学を許せるほどの環境だから、食べるのもままならないということは無いだろう。
理解ある家族と、食べることに汲々としていない外国語が話せる能力がある自分。

だが、未来には、この生活の果てには、自分の知らない何かがあるのではと漠然と感じ取っている。
今の生活からは窺い知れないそれを、何とかして、見ようとしている。
そんな感じがする。

別に留学をする人のことだけでなく、私たちはこの国に満ちている、見せ掛けの自由見せ掛けの平和、見せ掛けの平等に疲れている。
戦後の自由教育で、私たちは平等で自由で平和に暮らすのだと教えられてきて、その見せ掛けを一生懸命作り上げて来たけれど、でも、それが見せかけであるということ知っているし、見せ掛けを繕うやり方も知っている。

でも、子供は真にそれを信じて生きてきたのだ。
なぜなら、彼らにはその見せ掛けを作ってきた過程の記憶がないから。
そして、自分の信じてきたものが、社会に出た途端に、幻だったことを知るのだ。
どう考えても、男性と女性は平等ではない。
留学するのが女性なのはそういうことだろう。

私は、今の文明が壊れるとしたら、その原因は子供は記憶を持たずに生まれてくるということだと思っている。
そして、多分、今まで地球上に生まれたすべての文明の崩壊も、それが原因なのだろうと最近、思っている。

だが、記憶をもって生まれないからこそ、私たちには可能性も残されている。
それは忘却による許しという希望だ。
過去にとらわれず、過去の過ちを回避しながら、生きていくためには何をしていくべき
なのか、今こそ、私たちは考える時期に来ているのではないか?
私たちの国は、自由な国でも、平和な国でも、平等な国でもない。
それを目指して努力している国なのだという世代を超えた共通認識が必要だと思う。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近、私は……   2004.1.30

 日々、忙しく暮らしていると、空を見上げることがなくなります。
花店をやっていたころは特にそうでした。
店を閉めて、何がうれしかったかというと、空を見上げる時間をとり戻したことです。
空を見上げる幸せに思い至ったのは、失敗したから。
自分や人生について考えるようになりました。
流されるままに生きていた自分から、少しはものを考える自分に進化したのかしら。
そう思えば、失敗も悪いことばかりではなく、私の人生には必要なものだったと思えます。
 そんな私の今のお気に入りは、山に囲まれた小さな池のほとり、海のそばの階段状になった防波堤。
そんなところで、ぼーっと空を見上げ、季節の移り変わりを感じているのがなんとも幸せ。
傍目には、おばさんがぼーっと海を見ているというおよそロマンティックではない絵なんでしょうけどね。
でも、いくつになろうが、容姿が醜かろうが、綺麗なもの、美しいものに感動できるのですよ。人間は・・・
去年の秋、例年よりも赤の紅葉が美しかったのに気づけたのも、そんな時。
探さなくても、幸せはどこにでもあります。
幸せを感じることのできる自分がいれば、何にでも感動し、幸せを見つけることができます。

忙しい日々をお過ごしのあなた、ほんの一瞬でもよいから、何も考えず、空を見上げて御覧になれば? 思いがけない気づきがあるかもしれませんよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)