« お知らせだよん! | トップページ | 落第しているかも »

2007.09.02

オーラの泉 武田鉄矢

武田鉄矢さんというと、「3年B組金八先生」の登校風景、「贈る言葉」の流れるあのシーンを思い出す。

最初のシリーズは79年・・・・28年も前。

――――どんだけぇ~?

「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」にいたっては77年、30年も前だ。

高倉健さんはあの頃、いくつだったんだろう? 

 

などとあれこれ考えてしまう武田鉄矢さんが、今回のゲストの「オーラの泉」

「すっごく男らしい潔い人」と美輪さんが武田さんを褒める。

理由は、武田さんが初対面のときに、彼の大ヒット「母に捧げるバラード」が、美輪さんの「ヨイトマケの唄」のパクリと認めて謝ったからなんですって。

で、江原さんはというと・・・・・金八先生の時には、中学生!!

――――どんだけ~、どころの話じゃない!

 

「世間の視点じゃないから」と緊張の理由を語る武田さん。

パクった話を再び認める。

「九州から出てきた人間にとっては大きな人。船の舳先の女神のような人」

と、美輪さんを語る武田さん。

「九州人にとって、卑弥呼の昔から女性は守り神」と語る。

 

悲惨なデビューをした海援隊。

落ちぶれて帰ったときの用心に、母親への詫び状の歌を作ったら、100万枚を超える大ヒットになった。

それが、「母に捧げるバラード」

母の面白い言葉を語っているので、実家にまで、取材が行くようなことになった。

歌の内容からてっきり父親はいないと思い、「お父さんはいつ亡くなったんですか?」と訊いた取材記者に、「戦争で、フィリピンで・・・」と答えたと言うお母さん。

そのとき、父親は家にいた!

それを聞いて激怒した父に、母親の言った言葉は・・・・「嘘つかな(きゃ)!」

「無駄に真実を話して、相手の腰を折らず、合わせてあげたほうが良い」ということらしい。

その話を聞いた江原さん、「後ろにお父さん来ているんですよ」と噴出した。

 

ユーモアで、自分の不遇を笑い飛ばし、おおらかに人生を楽しむ・・・

「武田さんのお母さんもがばいばあちゃんと同じ」と美輪さんも感心する。

とは言っても、武田さん、順風満帆とは行かなかった。 

2000人のホールでも満杯だったお客さんが、次第に減っていき、最後は15人になり・・・・紅白に出た翌年の大晦日には、原宿の店で皿洗いをするところまで落ちてしまう。

「去年紅白、今年皿洗い」とお客さんにバカにされ、家に帰る途中、除夜の鐘の鳴り響く中で、新婚の奥さんが、「周りをよく見ておこうね、どうやらここがどん底らしい」と言った。

そして、次の言葉は・・・・「もう、上がるだけ」

その言葉が武田さんの支えになった。

 

お母さんも凄かった。

帰省して「帰ってこようかな」と言った武田さんに取り合わず、乾杯の準備をし始めた。

そして、驚きの言葉を口にした。

「お前の背中に疫病神が憑いとる。

貧乏臭い顔になっとるから、住み心地が良くて疫病神が離れん」

そして、

「ここは一芝居打とう」

乾杯・乾杯と景気よく騒げば、疫病神が呆れて逃げて行くという算段。

 

それを聞いた武田さんとお父さんは、お母さんの言葉に従い、三人で乾杯した。

「人間最後に救うのは芝居ッ気」

「人生の視点をちょっと変えるだけで、狭かった希望への隙間が広がる」と気付いた武田さん。 

母親のエネルギーに驚いたと言う。

  

そうやって東京に帰った二ヵ月後、武田さんに思いがけない大仕事が舞い込んだ。

「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」への出演、俳優としての仕事だった。

山田洋次監督が「母に捧げるバラード」をパチンコ屋で聞き、「この子はもしかしたら台詞を作れる子かもしれない」と決めたという。

厳しい撮影の甲斐あって、「幸せの黄色いハンカチは」第一回日本アカデミー賞の賞を総ナメする。

主演男優賞は高倉健さん、武田さんも最優秀助演男優賞を受賞した。

この映画は二人にとって、大きな転機になった。

   

お父さんがこの場に来ている理由を、「お母さんが押し出してきている」と語る江原さん。

お母さんはお父さんに陽の目を当てたいらしい。

江原さんが見るに、「お母さんはお父さんに惚れていた」「愛に満ちた家族だった」

お父さんは酒ばかり飲んで暴れているとしか武田さんには思えなかったが、母親にとっては愛する人だったようだ。

 

「お墓が二つあるんですか・・・・?」と江原さん。

有名なタバコ屋のあった町と両親のエデンのような場所、二ヶ所に墓があり、どちらも武田さんは大事に護っている。

その事を、お母さんは誇らしく思っているという。

 

「武田さんはホンモノを見極めようとする人」

それは古い前世の霊系を継いでいるから。

その人の名は「武内宿禰」(あれ? うちのご先祖様だ・・・・)

武内宿禰は審神者(さにわ)、神の言葉を民に伝えた人。

「見分ける、はっきりさせる」と言う系統があって、「明白」がそのテーマ。

金八先生役が社会現象となり、ドラマを超えたのは、彼の役目だったからだそうで。

 

「立派でしたよ、政治の道に進まなかったのは・・・

それでいいのです。

自分は息長くやって生きたいからとお断りになったのは正解」

と後ろの方が仰っていると江原さん。

「お話があったんでしょ?」と美輪さんに訊かれ、頷く武田さん。

――――うわっ、この前の選挙?

「迷いは無かった・・労働者階級の芸人で一生終わってもいい」と武田さん。

 

ここで、美輪さんが後ろの方の心配を伝えた。

「新しいこと新しいことと、常にそう思う病気はおやめなさい。

それよりも、ひとつのことを極めて練り上げて行くというと言う仕事も有るんですよ」

どうやらその言葉は、常に「brand new」を求める武田さんには「痛いこと」だったようだ。

奇襲作戦が大好きな武田さん、何時も骨がきしむほど、無理をしているという。

棚ぼたタレントになりたくないという気持ちがそうさせているようなのだが・・・

「無から有を生み出そうとしている」と美輪さん。

「仕込み中に開店しようとしている」と江原さん。

「そんなことをしなくても、神様からの恵みをしっかりと受け取ればいい」

走り続けているだけでは、息が切れるので、もうやめなさいと言うことらしい。

 

「後ろにいる方々は武将だらけなので、そう考えるのは無理は無い」と江原さん。

「さらに興味深いのは、その方々は最後には皆僧侶になっている」とか。

彼らは「この先、忘れて欲しくないのは、国のための貢献」とメッセージを送ってきている。

そのことは武田さんにも思い当たるようだ。

「自分のためじゃなく、誰かのために何かしないと自分を支えられなくなってきている」

 

「金八先生は人助けだった」と美輪さん。

卒業する子供に贈る言葉は、武田さんが作っていたらしい。

その時代の空気を含んだ台詞は、多くの人に沁み込んだはず。

「これからも、手を抜いたり、サボったりせず、誠実に生きて行きたい」と武田さん。

――――その姿が、一番の教育になるんだと思いますよ・・・

 

 

Banner_02_2に参加しています。 

c-rawumber

足跡をポチッと押してね!!

    ポチポチッとヨロシク。       

  

我家の家系図の初めは、武内宿禰。

武内宿禰の子供はWikipediaによると、

  • 羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね) - 波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部臣の祖
  • 巨勢小柄宿禰(こせのおからのすくね) - 巨勢臣、雀部臣、軽部臣の祖
  • 蘇我石川宿禰(そがのいしかわのすくね) - 蘇我臣、川辺臣、田中臣、高向臣、小治田臣、桜井臣、岸田臣の祖
  • 平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね) - 平群臣、佐和良臣、馬御織連の祖
  • 紀角宿禰(きのつぬのすくね) - 紀臣、都奴臣、坂本臣の祖
  • 久米能摩伊刀比売(くめのまいとひめ)
  • 怒能伊呂比売(ののいろひめ)
  • 葛城襲津彦(かずらきのそつびこ) - 玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣の祖
  • 若子宿禰(わくごのすくね) - 江野財臣の祖

我家は紀氏の流れ。

そこからは石清水八幡宮の僧・行教に繋がり、その子供が葛葉を名乗ったと葛葉家文書には残っている。

ふと、思い出したのだけど・・・・

私の名前のこと。

別の名前に決めていたのに、役場に出生を届けに行った父親が勝手に今の名前をつけてきた。

可愛くないと母がいつも怒っていた。

あるとき、父親に何故この名前をつけたのかと聞くと、役場で、どうしてもこの名前にしなければいけないと思ったという。

真の紀の子供・・・・・

紀氏は今、どうなっているんだろう?  

 

|

« お知らせだよん! | トップページ | 落第しているかも »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47656/16317774

この記事へのトラックバック一覧です: オーラの泉 武田鉄矢:

« お知らせだよん! | トップページ | 落第しているかも »