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2006.08.17

オーラの泉 海老名香葉子さん

さて、木曜日は「オーラの泉」
今回は海老名香葉子さん。
故林家三平師匠の奥様、林家正蔵師匠のお母様、林家一門を支えるおかみさんにして、名エッセイスト。

実は、いつだったか、私、この人に怒ったことがあったのよね。
彼女が週刊誌の身の上相談の答えで、「霊の存在など無い」と書いていたのを見て、影響力のある方がそんなことを言うのはどうかと、このブログにも書いたのだけど・・・・

――そんな死後を信じなかった海老名さんが、どうして、「オーラの泉」に出ることになったのだろう?


海老名さんが戦災孤児だったのは有名な話。
小学五年の頃、沼津に疎開していた海老名さん。
二、三日ごとに家族からの手紙が届いた。

昭和20年3月10日未明、空襲を避けるために山の上に逃げていた海老名さんは、東の空がぼうっと赤くなったのを見た。
東京大空襲だった。
たった二時間で10万人が犠牲となり、東京は火の海に・・・

空襲から四日後、彼女の前に、ぼろぼろで傷だらけのすぐ上の兄が現れた。
「ごめん、ごめん、皆、死んじゃった」
両親、上の兄二人、弟は空襲の犠牲になったという。
涙を流し、家族の死の報告をすると、東京に帰って行った兄は、その後、行方不明に。


ここで、10歳の頃、美輪さんも長崎で遭った原爆の様子を語られたのだが・・・
眩い光とともにガラスが飛び散り、周りに突き刺さったというのに、立っていた美輪さんは傷ひとつなかったと言う。
まさに、奇跡!!


二ヵ月後、東京に戻り、中野の親戚に引き取られた海老名さん。
だが、その家も何もかも失い生きるのがやっと。
海老名さんはそこに長くいられず、2・3日ごとに親戚・知人の家を転々とし、ふすま粉(麦の皮)と雑草の雑炊をすすり生き延びた。

我が家の跡に、漸く、たどり着いたのはその年の12月。
大きな声で泣き叫び、遺品を捜した。
雪が降ってきて、このままで良いと思っていた海老名さんを、通りがかりの男が励まし、サツマイモを分けてくれた。
半分に割ったサツマイモを食べたとき、海老名さんに、また、生きる力が涌いた。
今の人は神様だったかしらと思ったという。

家の焼け跡で父親の友人が立てた名前を書いた札を見つけ、その中の一人、落語家の柳家金馬さんを訪ねた海老名さん。
その日のうちに、その家に引き取られた。
その後、神田の路上で腰紐を売っていた兄とも再会。
そこまで、無我夢中で生きた海老名さんを支えたのは、沼津に届いていた手紙と弟がくれたメンコだった。

その後、林家三平師匠の母上に気に入られて、三平師匠と結婚。
三平師匠の早い死の後も、一門を護り、子供たちを育て上げた。


そんな海老名さんは、昨年、戦後60年の節目に、上野に東京大空襲の慰霊碑と母子像を建てるために個人で奔走した。

海老名さんは一人彷徨っていたころに、
「どうか、お願いだから、父ちゃん、母ちゃん、出てきて」
「出て来られなかったら、風でも吹かして」
と祈ったという。
だけど、何も起らなかった。
だから、死んだら無だと思っていたという。

――この部分は私が読んだ身の上相談の答えに書かれていたのと同じだわ。
そうか、ついに、彼女に不思議が起ったのね。

慰霊碑を建てるに際して、様々な問題が起った。

慰霊碑を建てるに当たって、悩んでいたある夜、寝ていると、冷たい風が吹いて来た。
白い坊主姿の男が海老名さんの肩を叩いている。
その人は、「頑張って慰霊碑を建ててくれ」といったような気がした。
建てることを約束しても、ずっと、肩を叩いている。
そこでその手を持って引っ張ると、その人が倒れてきて、海老名さんの顔にその人の髭が当たった。
驚いて起きたのだが、その感覚が目覚めても残っていたという。

彫刻家にも不思議が起った。
手の腫れはすぐに直り、胸に突き刺さったテンノコはラジオに当たり、助かった。

「信じられないことばかり起った」と訴える海老名さんに、「芋をくれたのは生きている人じゃなかった」と江原さん。
その人は海老名さんのお父さん。
霊現象だった。

そして、夜中に寝ているときに出てきた坊主姿の男は4つで亡くなった弟さん。
死んでも成長して、その姿を見せてくれたのだという。

お父さんは江原さんに
「今でも楽しかった蓄音機の思い出を忘れていない」
そのことを海老名さんに伝えてくれと言っているという。

慰霊碑のことなど、全部協力してくれた人は、お姑さん。
海老名さんを気に入って林家三平さんの嫁に迎えたお母さんだという。
それは、世のために良いことをしていると言う感覚と、海老名さんへの感謝の気持ちから。
もちろん、三平師匠も手伝ってくれたと江原さん。

空襲で亡くなった家族は完全に浄化していると聞いて嬉しそうな海老名さん。
一時は行方不明だったお兄さんも父の跡を継いで竿師になったという。

美輪さんからは、海老名さんにこんなメッセージが・・・・
「誰かわからないけれど・・・・
身を律することから開放されて、女の子らしいファッションをし、やりたかった青春を今から始めなさい。
それはごほうびと言っている」


江原さんは、海老名さんにご両親からのメッセージを伝えた。
「置いていってごめんね。死ねたもののほうが幸せだった」

そして、「家族を大切にしてください」と言うメッセージが・・・・
それは、あの戦争で亡くなったすべての人びとの想いだろう。
特に、今の家族が殺しあう時代に、彼らは胸を痛めているに違いない。


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それにしても、海老名さんが死後の世界を信じるようになって、良かった。
あの人生相談のときのままの海老名さんでは、死後に彷徨うことになるのではと心配していたのだけど・・・
きっと、亡くなったご家族もそれを心配して、霊現象を起こしたのに違いない。

霊のお導きなしには、女の子が一人、あの時代を生き延びられなかったはず。
風は吹かさなくても、その時々に、何らかの助けがあったのではと思う。
でも、それは、必死だった海老名さんには不思議に取れなかったのね。

これで、私の心配事がひとつ消えたわ。
良かった!

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