« 米原万里さんに・・・ | トップページ | 芸術家の目 »

2006.05.30

セミの時代

昨夜、米原さんの死を知って、「シルバーバーチの霊訓」を読み返した。
ヒーリングについて語られたところで、以下のような文章を見つけた。

病気の全てが治るとは限らないことを知っておいてください。何事にも法則(摂理)というものが働いており、患者の中にはいかなる治療家にも治せない人がいるということです。  時機が熟せば、いかなる病気も必ず治ります。それは、魂にとって死の彼方の生活体験を必要とする時機が至れば、いくら健康な身体でも魂をとどまらせられなくなるのと同じです。全ては大霊の摂理で定められているのです。 ――by シルバーバーチの霊訓

ガンでさえ、今や死の病ではない。
私の周りにはガンを克服して健やかに生きている人々が大勢いる。
それでも、その病で亡くなられたということは、時機が来たということなのだろうと納得する。

死の原因は病だけではなく、突然の事故もある。
病の果てに死があるのではなく、死の準備のための病もあるのではと思う。

死は不幸なもの、忌まわしいものという考えでは、人は未来に対する希望を失う。
なぜならば、すべての人間に唯一約束されているのは死だから。
自分は将来、無になる。
暗黒の世界に沈むと教えられて、生きるていることに喜びが湧くだろうか?

人は生まれた瞬間から死に向かって歩んでいる。
死ぬために生まれるようなもの。

シルバーバーチをはじめとするスピリチュアルの教えでは、どのような人がどのような死を迎えようと、生きていた間の行いを裁かれ、その行いや思いによって、分類されるとされている。
この瞬間瞬間、目には見えなくても傍に多くのサポーターがいて、レフェリーがいる。

死後の世界において、報われない人生を送った者には大きなご褒美が、その罪を裁かれずに人生を終えた者には罰が待っている。
そう分かれば、人生の理不尽を嘆かなくても済む。
そう考えれば、死は次の段階への移行に過ぎないと納得できる。


セミの幼生の抜け殻を見て、可哀想にと思う人はいないだろう。
セミは土の中から這い出て、殻を脱ぎ捨て、大空を羽ばたいているのだから。
固い殻がなければ土の中では生きられないが、空を飛ぶためには邪魔なものだとわれわれにも理解できる。
だが、セミの幼生がそれを理解しているかどうかは怪しい。

われわれの肉体も同じ。
この世に生きるためには必要だが、それが人間のすべて、本質ではない。
次の段階のためには邪魔なものかもしれないのだ。


飛んでいたセミも、ほどなく道端に亡骸を晒している。
われわれには、もう、セミの次の段階は見えない。
だが、その先がないとは断言できない。
セミと同次元にいるわれわれには見えないだけなのだろう。

生きられるかどうかは、大霊の摂理で定められているのなら、自分で死を選ぶことは摂理に反する。
生きられるところまで生きて、生きられなくなったときにはそれを受け止め、次の段階へ移行する心構えをもつことが必要なのだ。


そんなことを考えていると、点けていなかった階段の電灯が点いていたり、突然、蛇口から水がザーと流れたり、二階でぎしぎしと音がする。

――サポーターの皆様も、頑張っておられますなあ。

|

« 米原万里さんに・・・ | トップページ | 芸術家の目 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 米原万里さんに・・・ | トップページ | 芸術家の目 »