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2006.02.28

フロリダの沼蛇

私は今でこそ、裸眼で0.04などという立派な近眼だが、高校に入るまではちゃんと、1.0くらいの視力があった。
その頃は、近視ってどういうものかと想像していたが、次第に視力が衰え、ある日、メガネを掛けたときに、「え~、世界ってこんなにクリアに見えるものなの?」と驚いた。

で、その頃は、
「老眼になるとどう見えるのだろう? もしかして、近視が治るかも」
なんて儚い望みを抱いていた。
近視は近視のまま、老眼が進むという状況は想定していなかった。
なんとも、面倒なことだ。

人間よりも、動物達はさらに面倒な眼を持っていると、この前の「世界一受けたい授業」で知った。
といっても、人間として生きるには面倒なと言う意味だけど。

赤外線を見られるフロリダの沼蛇、獲物だけズームで見ることができる鳥、獲物が歩いた足跡を見ることの出来る鳥、そんな驚異の眼を持つ生物がいっぱい紹介されていた。
そこら辺でひらひらしているモンシロチョウだって、人間には同じ白にしか見えない雌雄が、ちゃんと色が違って見えているんだってさ。

――つまり、眼と言うものはその生物が生きるために必要なものを見られるようになっている?
人間がなぜ、地球の覇者になれたかと言うと、人間が他の動物よりもはるかにいろんなものが見えるからなのね。

沼蛇は暗闇の中でネズミを見つけられるが、他のものが見えるわけではないらしい。
だが、沼蛇に見えないからといって、それは存在していないわけではない。
人間がその地に立てば、沼蛇とネズミのほかに、水草が繁っている沼地や、空を飛んでいる鳥たち、青い空、光る水、などが見えるだろう。
その情報量の多さこそが、丸裸で生まれ、すぐ傷つく弱い肉体を持ち、たいして力が強くない人間を、守っていた武器であり、進化を促進する原動力だったのだ。
そんなことを思った。

それにしても、私は、人間はみな、同じ眼を持っていると信じてきたけど、もしかしたら、人間の眼はその固体によってかなり違う働きをしていて、人はそれぞれ違うものを見ているのかもしれない。
ズームで遠くのものを見ている人もいるかもしれないし、赤外線を見ることが出来る人もいるかもしれないし、男性と女性を色分けで見ている人もいるかもしれない。

もしかしたら、私たち人間が見えない次元から、人間を見ているものがいたりして――そう、私たちは、フロリダの沼蛇と同じなのかもしれない・・・

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