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2006.02.28

フロリダの沼蛇

私は今でこそ、裸眼で0.04などという立派な近眼だが、高校に入るまではちゃんと、1.0くらいの視力があった。
その頃は、近視ってどういうものかと想像していたが、次第に視力が衰え、ある日、メガネを掛けたときに、「え~、世界ってこんなにクリアに見えるものなの?」と驚いた。

で、その頃は、
「老眼になるとどう見えるのだろう? もしかして、近視が治るかも」
なんて儚い望みを抱いていた。
近視は近視のまま、老眼が進むという状況は想定していなかった。
なんとも、面倒なことだ。

人間よりも、動物達はさらに面倒な眼を持っていると、この前の「世界一受けたい授業」で知った。
といっても、人間として生きるには面倒なと言う意味だけど。

赤外線を見られるフロリダの沼蛇、獲物だけズームで見ることができる鳥、獲物が歩いた足跡を見ることの出来る鳥、そんな驚異の眼を持つ生物がいっぱい紹介されていた。
そこら辺でひらひらしているモンシロチョウだって、人間には同じ白にしか見えない雌雄が、ちゃんと色が違って見えているんだってさ。

――つまり、眼と言うものはその生物が生きるために必要なものを見られるようになっている?
人間がなぜ、地球の覇者になれたかと言うと、人間が他の動物よりもはるかにいろんなものが見えるからなのね。

沼蛇は暗闇の中でネズミを見つけられるが、他のものが見えるわけではないらしい。
だが、沼蛇に見えないからといって、それは存在していないわけではない。
人間がその地に立てば、沼蛇とネズミのほかに、水草が繁っている沼地や、空を飛んでいる鳥たち、青い空、光る水、などが見えるだろう。
その情報量の多さこそが、丸裸で生まれ、すぐ傷つく弱い肉体を持ち、たいして力が強くない人間を、守っていた武器であり、進化を促進する原動力だったのだ。
そんなことを思った。

それにしても、私は、人間はみな、同じ眼を持っていると信じてきたけど、もしかしたら、人間の眼はその固体によってかなり違う働きをしていて、人はそれぞれ違うものを見ているのかもしれない。
ズームで遠くのものを見ている人もいるかもしれないし、赤外線を見ることが出来る人もいるかもしれないし、男性と女性を色分けで見ている人もいるかもしれない。

もしかしたら、私たち人間が見えない次元から、人間を見ているものがいたりして――そう、私たちは、フロリダの沼蛇と同じなのかもしれない・・・

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2006.02.26

嵐の日

今日は山に藤蔓を取りに行く予定だった。
で、日曜日だと言うのに早起きしてみると・・・怒涛の嵐!

――ああ、今日は休めと言うことかな・・・

この前、姉に今飲んでいるサプリメントが効いていないかもしれないとこぼしたら、彼女は真剣な表情でこう言った。

「あのね、普通の人はガンの手術した二日後に自分で運転して買い物に行ったりしないし、三日後に仕事を始めないし、一週間後に朝四時におきて市場に行ったりしないものなんよ。
そんなんで、文句言われた日にゃ、わたしゃ、そのサプリメントに同情するね」

――ははあ、さようでございますか・・・

先週は連日何らかの用事で動いていたので、宵の内に倒れるように横になる日が多かった。
それなのに今日も山の中に藤蔓を取りにいこうとしたのを、止めてくれたのかなあ・・・

そう言えば、10月くらいから11時を過ぎるとパソコン部屋の電気が点かなくなったり、パソコンの調子が悪くてすぐにダウンしたりしていた。
あれもパソコンの前にいないで体力を温存するようにと言うお達しだったのかも。

と言う風に良い様に解釈して、一日、家に篭もることにした。

暇なのでまた更新するかもです。

――と書いてしまったので、更新することに。(追記:23:50)

民主党がなにやら大変なことになっていて、今日も一日中テレビは大騒ぎ。

賄賂の振込みなんて聞いたことが無い。
都合の悪いものは菓子箱みたいなのに入れて、
「お代官様、これはつまらないものでございますが・・・」
「おお、これはわしの好物の饅頭!」
(ちなみに秋田には金萬と言う饅頭がある。小判みたいな形で黄金色♪)
「お口に合いますか、どうか・・・うふふふ」
「フォフォフォ、越後屋、気が利くのお」
とかやるものだっって。

でも、ホリエモンのことだからなあ・・・
無邪気に振込みしちゃった?

あのメールはガセネタだとしても、武部さんとホリエモンの間を疑っていない国民はあまりいないと思う。
「何かあったに違いない!」って、皆、思っているって。

何も言わないっていうのが一番有効な攻撃になるときもあるのにね、残念。

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2006.02.24

ブラボー!

今日は朝から大忙し。
なんたって、朝一番でテレビをつけたら、荒川選手の金メダルの瞬間。
もう、眼が離せなくて・・・

凛とした美しさと素晴らしいスケーティングに感動。
自分を鍛え磨きぬいたって感じの彼女。
本当に素晴らしい。

それにしても、日本はいままで力技でしか金メダルを取れなかったけど、フィギュアで金メダルを取れるようになったのね。
少し民族性が変わった?

荒川選手に比べ、安藤選手は少しかわいそうだった。
滑り始める前から泣きそうな表情で・・・
でも、彼女はまだ若い。
これも良い経験にできる日がきっと来るさ。

なんて、まったりしているうちに、時間が迫っていて、朝食もとらずにバタバタと動き、約束の時間に遅れそうになったので、慌てて出かけた。

昼食は生徒達が快気祝いにおごってくださった創作料理。
この頃、あまり外食をしないようにしているので嬉しい。
久しぶりの外食、おしゃべりしながらのランチは最高!

そのあとレッスンをし、3月のフラワードームの打ち合わせをして家に帰ると・・・

見事に壁を削って、手を血だらけにしたワンコがおりましたとさ。

出掛けに花を出すのに、飛び出してはいけないからと居間に閉め込んだままだったらしい。
去年、私が塗った珪藻土が部屋中に飛び散り、真っ白。
心なしか、サクラも白くなっている。

でも、珪藻土の良いところはそんなことをしても、壁はあまり傷ついて見えないということで・・・
少し薄いかな~くらいの感じ。
犬猫のいる家庭にはぴったりだと改めて見直した。

さて、それではそろそろ、塗っていなかったところを塗り始めようかな・・・

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2006.02.20

反省の日

トリノオリンピックで日本勢が不振だ。
20日現在、誰もメダルに届いていない。

それぞれに、必死で練習し成績を残し、あの場所に立っている選手たち。
決して彼らに実力が無いわけではない。
ほんの一瞬の差で負けている選手が多い。
メダルが取れないからといって、彼らが努力しなかったわけじゃない。
反対になんとかメダルを取ろうと気負いすぎて、しなくてよい失敗をしたように見える。
失敗も成功も紙一重の差、その差を分けるものは何か、勝者にあって敗者に足りないものは何か、それの追求がこれからの日本人競技者の課題になるだろう。

私も最近失敗が多い。
気負いすぎているのがいけないのだろうなあ・・・
少し、肩の力を抜かなきゃ。

「過ぎたるは及ばざるが如し」

思いが強すぎると暴走してしまい、回りに迷惑を掛ける。
こんなに頑張ったんだよと、相手が望まないものを押し付けても迷惑なだけだ。
気をつけよう・・・

雨の日には反省することがいっぱい。

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2006.02.17

第四の選択

前にも書いたと思うが、私は週刊文春を愛読している。
その中の「私の読書日記」は結構参考にさせていただいている。
確か、2002年の夏、板倉雄一郎氏の存在を知ったのも、「私の読書日記」か、その前の同じような有名人が自分の読んだ本を紹介するコーナーだったように思う。

で、昨日も早速読んでみた。
今年の「私の読書日記」は米原万里氏、酒井順子氏、立花隆氏、鹿島茂氏、池澤夏樹氏が毎週交代で執筆されている。
今回は米原万里氏だった。
ちなみにこの方は以前ロシア語の通訳をされていた方で、今は作家をなさっているらしい。

「癌治療本を我が身を以て検証」と言う題の日記には、米原氏の癌との戦いが書かれていた。

彼女は二年半前に卵巣ガンになり、患部の摘出手術を受けた。
最初の手術後、彼女は転移の恐れのある卵巣残部、子宮やリンパ節、腹膜を全摘出し、抗癌剤治療を行うと主張した医師と決別し、「何もせずに様子を見る」という選択も与えてくれた別の医師の下、三ヶ月に一度の内診、超音波、血液などの検査を受けていた。
「肉体のダメージが大きい手術と放射線と抗癌剤治療だけは避けようと、癌治療に関する書籍を読みまくり」、手術、放射線、抗癌剤と言う三大療法ではなく、第四の、代替療法と呼ばれる療法に挑戦されてきたらしい。

私は同じような経過で、あるサプリメントに縋っている。
米原氏は活性化自己リンパ球療法を選ばれたそうな。
活性化自己リンパ球療法とは、自己のリンパ球を取り出し、培養し、また体内に戻すと言うものらしい。
二週間に一度通院して血液を採取し、培養されたリンパ球を静脈に注射。

――これはこれで痛そうな・・・それに何、この金額?

一回の費用が26万?
1クール6回・・・3ヶ月で156万!

――なかなかでごんす。でも、これで直ると思えば・・・

ところが、治療の初日、米原氏が読んだ本の著者・東京大学名誉教授、日本免疫治療学研究会会長、江川滉二氏は、「できれば」最初の病院の医師が言ったように転移の恐れのある子宮やリンパ節、腹膜を全摘出し、抗癌剤治療を行ってから、この治療を受けるようにと勧めたと言う。

――それをしたくないから、この治療にしたのにねえ・・・

読んでいて私は思わず、声に出した。
米原氏も
「これは『第四の選択肢』ではなかったのか。
単なる三大療法を和らげ補佐する副次的療法に過ぎないのか。
それにしては高すぎるのではないか」
と思われたらしい。

不安と懸念は、一年四ヶ月後の左鼠径部への転移で裏付けられた。

再発が判明した時点で、その活性化自己リンパ球療法を受けていたクリニックの院長に熱心に手術を勧められたという。

――なんなの、それ・・・

数日前にもアガリクス茸の発がん性についての報道があったばかりだ。
あれも癌に効くと言うふれこみだったけど、効くどころか、発がん性を持っていたんだものなあ・・・

米原氏の話には続きがある。
その後、彼女が読んだ近藤誠著「がん治療総決算」という本には、驚くべきことが書いてあったという。
「癌細胞は遺伝子の変異により正常細胞が変化したもので、決して『非自己』でも『異物』でもないので、リンパ球が非自己と認識して排除してくれると考えることには、出発点から無理がある」

――あらら・・・

米原氏は今、抗癌治療を受け、後遺症にかなり苦しんでおられるらしい。
それでも、こうやってご自分の状況を克明に書かれたのは、これを書くことが使命と思われたからだろう。
多くの、命の狭間で迷っている人々にとって、欲しいものは金でも名誉でもなく、自分の肉体を救う情報なのだから。
その勇気に感謝を・・・


私の主治医もホルモン療法をせずにサプリメントを飲むと言う私を心配してくれている。
「なにかあったら、よろしくお願いしますね」
「まあ、乳房のほかのところに癌ができたのなら、取って上げるし、治療もしてあげるけど・・」
どこかに転移していたら、致命的らしい。

人は何れ、何らかの理由で肉体を失う。
失う時期は決められている。
どんな悲惨な状態になろうと、時期が来なければ死は訪れない。
健康であろうと無かろうと、それは変わらない。

病は孤独だ。
肉体の痛みは誰とも分かち合えない。
孤独なのは魂でなく肉体なのだと、病によって思い知る。
医師は常に必死に最善を捜し求めているが、何が最善なのかは、予測できない。
それは病の問題ではなく、死の問題だからだ。

私も一時、ホルモン治療を考えた。
だが、それはやめることにした。
私は今、自分にとって最善と思う道を選ぶ。
私がこれで死を迎えるのならば、それが私の寿命。
そう、思うから・・・


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2006.02.15

今更ながらホリエモンに

去年の日記を読み返してみると、ホリエモンのことがいっぱい書いてあって、そうか、私は彼に期待していたのだといまさらながら気づいた。
彼に対する大人たちのやり方に義憤を感じていたし、彼の発言が捻じ曲げられて伝えられていたときにはそれに怒っていた。
彼が自分や会社を大きく見せようとし始めたのは、そんな所にも原因があったのではと思わないではない。

今度の事件を見ていて、連合赤軍のリンチ事件を思い出した。
連合赤軍のメンバーが群馬の山の中を転々としながら、次々と仲間を総括(吊るし上げ)し、粛清(殺人)して行ったというなんとも陰惨な事件で、永田洋子と言う女性の歪んだ個性が生んだ悲劇だった。
そういえば、切込隊長はオウム真理教を持ち出していたが、あれも、麻原彰晃の歪んだ個性が閉塞した集団の中で増幅して行った悲劇だった。
今回のライブドア事件も、閉塞した集団の中で、堀江貴文の歪んだ個性が生んだ悲劇のような気がする。
卓越した個性は人を惹き付けひれ伏させるが、それが歪んでいると集団そのものがレミングのように破滅に向かい暴走する。

昔、東大に行っている友人が、金持ちでなければ東大には入れない。
入ってもエリートにはなれないというようなことをこぼしていたことがあった。
どっかの大使の娘と言う知人もいたが、彼女と私では生まれながらに身に付けているものが違っていた。

どこで生まれるかで、歴然と差は付いている。
人は平等の場所には生まれない。
その違いこそが人生のレッスンの前提なのだから。

ホリエモンは自分の能力を信じ、そう言う格差を縮めようとし、ある時点まではそれに成功したのだろう。
だから彼は金さえあれば、この世の中はどうにでもなると思い込んでしまった。
それゆえ、もっと、金を集めようと必死になり、不正をしてしまった。
不正をしようと計画して不正をしたと言うよりは、その時その時、目の前の状況に対処するために自転車操業のように不正を重ねてしまったということだろう。
といっても、不正は不正、彼はそれを償うしかない。

さて、それでは、今の彼は不幸だろうか?
決してそうではない。
金を追いかけ、どんなに持っていようと買えないものが有ると、金を持ったからこそ、彼は気づいていたはず。
そして、その金では買えないものを、今の彼は欲しているはず。

エリザベス・キュブラー・ロスの著書にこんな記述がある。

フロイトはかって、貧乏な患者と金持ちの患者を選べるとすれば、私は金持ちの患者を選ぶといったことがある。
なぜなら、彼らはお金さえあれば問題が解決すると考える段階を卒業しているからだ。
もちろん、私たちの大半は今でも金持ちになりたいと思っている。
しかし、大金を持つことも、一つの経験に過ぎない。他の経験とは違うかも知れないが、より良い経験と言うわけではないのだ。

堀江貴文は今、一つの経験を得た。
私は罪を償った彼がどう生きようとするかに興味がある。

こんな何の力も無い私でも、彼のために出来ることは無いかと、つい、思ってしまう。


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2006.02.14

妄想のバレンタイン

060214-1x
私は結構惚れっぽいのだ。
しかも見かけに騙される。
ハンサム(死語?)だったり、成績が良かったり、運動が出来たりと、はっきり見えるものに惹かれやすい。

だけど、私は飽きっぽい。
観察しているうちに、ハンサムな人は人の気持ちに鈍感のように、成績の良い人はなんかやることが小ずるいように、運動が出来る人はなんか馬鹿みたいに見えてくる。
自分を省みずにアラさがしばかりして、厭になってしまうのだ。

むこうにしてみたら、良い迷惑。
自分の知らないところで持ち上げられたり腐されたりされているのだから。

きちんと話し、付き合いをしたら、ハンサムでも思いやりがあったかもしれないし、頭が良くても正義に燃える人だったかもしれないし、運動できても頭が良い人だったかもしれない。
そんな人は世の中にいっぱいいるのだから。
きっと、向こうに選ばれなかったというのが本当のところだ。

でもまあ、誰かを熱烈に好きになるということはかなり自分が不自由になることなので、それが私は厭だったのだろう。
調子の良いときはとっとと一人で歩いているけど、倒れそうになったときには手を差し伸べてねと言う勝手な人間だった私。
そんな私が結婚できたのは、奇跡に近い。
夫に感謝しなければ・・・

なのに、昨日の朝、私は結婚式の夢を見た。
な、なんと、花嫁は私。

ドレスを選び、式場の食事を選び、招待客を選んでいる。
なんとも幸せな気分で目覚めた。

――ああ、世の中の母親が娘の結婚式に頑張るのってこういう気持ちなんだろうなあ・・・

人を好きになりたいとか、愛する人と結婚したいとか、そんな若い頃の思いを、きっと、いくつになっても女は心の奥底に抱いていて、娘や息子の結婚に夢を見るのだろう。
その娘や息子がいないので、私は図々しく自分を主役に夢で欲求を解消したんだわ。

別に不倫をしたわけでもないのに、夫に申し訳ないような気分になって、今日のバレンタインのためにゴディバのチョコレートを選んだ。
といっても、釣った魚になんとやら・・・たったの6粒だけどね。


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2006.02.13

皇のことは皇に

皇室典範の改正(悪?)がこの国会では見送られることになったらしい。

いつも思うのだけど、あの方々の存在はあまりにも痛ましい。
何回も皇后や皇太子妃が病に倒れられるのは、尋常ではない。

もっと、皇族がご自分の時間を持ち、そのプライバシーが守られる様な体制を作ることが大事なのではないだろうか。
「天皇は国の象徴である。象徴にはプライバシーは無い」
なんて、そんなの奴隷に等しい扱いだ。

公務にしても、あれは昭和天皇が敗戦後の国民を想われて行幸をなさっておられただけで、それを公務と称してお出かけになるのが当然のようにしたのは、その威光を利用した時の政府だ。

戦後、天皇は単なる一つの地位として扱われている。
天皇が国の象徴であれば良いだけの話ならば、男系であろうが、女系であろうが、男子であろうが、女子であろうが良いと言うことになる。

だが、なぜ、この国は二千年もの長い時間、特別な一族を長に頂いてきたのだろう?
それは天皇家が日本の魂の根源である宗教、神道の祭祀者だったからだ。
そのことに目を瞑って、現在の天皇家を語るのは間違っている。

天皇家には祭祀を司るという天皇家の事情があるはずだ。
なぜ、天皇家の後継者は天皇陛下が決めるとしないのだろう?

天皇家はいつの世も政争の具にされてきた。
誰を後継者にするかもいつもその時の権力者に決められていた。
人間天皇であることを押し付けたのなら、人間としての権利も認め、意思を尊重するべきなのでは?

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2006.02.11

ソフィーな出来事

ああ、どうしよう~落ち着かなきゃ~。

これは「ハウルの動く城」でソフィーが荒地の魔女に呪いをかけられ、自分が腰の曲がったおばあさんになっているのに気づいたときの台詞。

実は今日、私もソフィーばあさんになってしまった。

朝から、姉と携帯電話でおしゃべり。
すると、なんか調子が悪い。
途中で、ぶつっと切れてそのまま、どこにも繋がらなくなった。
この携帯って壊れた?
おかしいと思いながらもそのままネットを彷徨っていると、携帯が鳴った。
――なんだ壊れて無いじゃん・・・

出ると、いつも花の注文を頂くところ・・・
調子よく、「明日ですよね、用意していますよ」と言うと、一瞬、相手が黙り込んだ。

「あの、今日なんですけど・・・1時に開場なんですけど」
――うわぁ::::::::::::::::

時計を確認すると、12時23分・・・・12時23分ってことは、あと、30分ほどで・・・開場?
すぐに行きますと答えたのだが、人間、驚きすぎると何も出来なくなるようで、ソフィーばあさんになってしまったということで。

とりあえず、花を持って急いで駆けつけ、何とか開演には間に合った。

――ふう。あんなに夢で警告されていたのに・・・

仕事をすっぽかす夢を何回も去年から見ていた。
気をつけようと思っていたのに、つい、油断をしてしまった。
危ういなあ・・・私。

忙しいからではない。
ボーっとしているからだ。
精神がたるんでいる。
(肉体はもっとたるんでいるけど)

スリッパで自分の頭を叩きたい気分。(ハリポタの屋敷僕の気持ちも理解できたかも)
ちょっと、滝に打たれに行こうかな。

ご心配とご迷惑をおかけした皆さま、本当に申し訳ありませんでした。

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2006.02.09

犬にはガンを発見する能力があるらしい

060209-1xさて、今日はいい天気だった。
朝のレッスンも終わり、一昨日、名古屋で買ったパンを食べることに。
ナッツとドライフルーツがぎっしり詰まったフランスパン、絶対に美味しいに違いない。
っと、パンに齧り付いた瞬間、テレビには可愛いワンちゃんが・・・続いてナレーションが流れる。
それを聞いて、思わず、パンの欠片が口からこぼれ落ちた。

――ぬあに~、ガンを匂いで嗅ぎわける犬がいるだと~?

しかもその発見率は乳がんや肺がんなら99%・・・・
振り返るとさっきまで隣の椅子に座って「それ欲しい」と吠え続けていた犬がいない。
捜すと私の足元で、こぼれたパンの欠片を盗み食いしようとしている。
口の中にそのパンの欠片を入れた犬を抱き上げ、

――サクラ!
私って臭かった?
乳がんの匂いがした?
でも、あんた、何も教えてくれなかったじゃない!

と、八つ当たりする。
えらく迷惑そうだった。

で、夕方、ネットで調べたところ、その話は結構有名らしく、もう、何年も前からのエントリーが・・・
アンビリバボーは2004年に放送しているし、こちらでも紹介されている。
そっか、ガンになるなんて私の予定には無かったものね。
気にしてもいなかったんだわ。

どの記事を見ても犬のガン発見率は凄い。
犬って凄い動物だ。
そう言えば、サクラは夫がドアを開ける5分くらい前から尻尾振って待っているし、誰かが訪ねてくるのも判るらしく約束の時間の2.30分前からそわそわしている。
でも、問題は我が家の犬に何かとんでもない能力やガンを発見する能力があったとしても、こっちに犬の訴えを知る能力がないことよね。
能力の無い私にあの子は何時もイライラしている?

それにしても、私のガンは5年も前に出来ていたらしいので、サクラは私に抱かれているときに、ずっとがんの匂いをかいでいたのかなあ・・・
それ以降、出会ったワンコ達はみな、私のこと臭いと思っていたんだろうなあ・・・

ちょっと、落ち込んだ。


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2006.02.08

私的胡蝶の夢2006-3

明け方に夢を見た。

私は見知らぬ家にいる。
山の斜面にそって段々に家が建っている新興住宅地。
その中の一軒だ。

和室を開けると、腰高窓から水が流れ込んで畳に沁みこんでいる。
慌てて窓を開けると、この家よりも高台の隣の家の石垣から水が溢れてこちらに流れ込んでいる。
何とかしなくてはと外に出ると、どういうわけか、家の前が大きな川になっている。
大きな音を立てて流れている川に、隣の家がそのままの形を保って転げるように落ちた。

落ちた家の分、水量が増えた。
その水が私のいる家に流れ込んでくる。
そうしている間にも山の上のほうの家が次々と流れに転げ落ちていく。

――ここまで書いて、下書きにして保存したつもりだったのに~
公開されていてびっくり!
何のことやら分からんぞとお怒りの方、お許し下さい。
こんな夢を見ちゃったって、ただそれだけのことなんで。

明け方の夢はまるで現実のように生々しく、目覚めた瞬間、身体が緊張している。
こんな夢を見てもどうすることも出来ないのに、なぜ私は見るのだろう・・・

今年は初めから災害の夢ばかり見ている。
私の体調のせいなら良いのだけど・・・


追記:
2006年2月18日  地滑りで二千数百人死亡か フィリピン・レイテ島

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2006.02.07

お仕事バンザイ

060207-1x今日は名古屋まで花の配達。
とある有名企業主催のコンサートの花束とアレンジメント。
有名なピアニストと指揮者、コンサートマスターへの花束と、世界でもトップの財界人の控え室のアレンジメント。
変なものは作れない。
緊張したけど、とても楽しいお仕事だった。

配達を終えて、サプリメントを購入しに行き、ある方のお話を拝聴した。
話が終わってサプリメントを頂き外に出ると、もう暗くなりかけている。
そこで倒れそうなほど空腹だということに気づいた。

そう言えば、朝はお雛様のお菓子(ポン菓子?)を一個食べて、昼も時間が無くておにぎりを齧ったきり。
そこで、手伝ってくれた生徒達と「矢場とん」に行き、早い夕食をとることに。

「矢場とん」と言うのは名古屋では有名なとんかつやさんで、味噌ダレがなんともgood!
二十年ぶりの「矢場とん」は細長いビルになっていた。凄~い!
昔は小さな店だったのに・・・

とんかつが出てくるまではブーブー、飢えた豚のように騒いでいた私達。
食べ始めると途端にシーン・・・
そっか、みな、食べるのに夢中なのねと大笑い。
「美味しゅうございました」

気心の知れた仲間と、緊張感のある仕事。
心身ともに栄養を頂き癒された日に感謝。

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2006.02.05

縮む

昨日は内田樹教授のブログにわが意を得たりと思わず以前に少子化について書いたエントリーをTBしてしまった。
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その中の文章。

キャリング・キャパシティに余裕があるときは、「金」は「生物的リソース」と相関しているから、金を求める行動を最優先することは生物としての生存戦略と背馳しない。
しかし、リソースが限界に近づくと、「金」はもうリソースの分け前を「兌換」的には表象しなくなる。
それは、「タイタニック号沈没間際」になると、札びらを切ってももう誰も「ボートの席」を売ってくれなくなるという状況と類比的である。

これと同じような文章を故エリザベス・キュブラー・ロス氏の「ライフ・レッスン」で見かけたような気がして探してみた。

無数の人たちが死の床で後悔のことばをつぶやいている。「夢が実現できなかった」「本当にしたいことをしてこなかった」「お金の奴隷だった」。
しかし、死の床でこんなことを言う人はだれもいない。「もっと仕事がしたかった」「あと一万ドルあれば幸福になれたのに」
この二つの文章が私の中で結びついていた。
キュブラーロス氏は「金を力とみなし、その力で他者をコントロールする」ことの無益を説いておられる。
内田教授も同じようなことを述べられている。
私がエンゼルプランや男女共同参画社会の基本的な発想に対して懐疑的なのは、これらの施策がその根本的な人間観として、「人間は金で動く」ということを自明のものとしているからである。
エンゼルプランというのはひとことで言えば「金をやるから子どもを産め」ということである。
男女共同参画社会の基本にある人間観は、「男も女も要するに金が欲しいんだろう」ということである(「金」のかわりに「個性発現の機会」とか「潜在可能性の開花」とか、言い換えても構わないが)。
そして、「私たちが選択できるのはスマートに『縮むこと』だけである」と結論付けられている。

――「縮むこと」は簡単だろうけど、そこに「スマートに」と言う条件が付くとなれば、それは難しいかも・・・

スマートに縮むためには、自分が今どこにいるかを知る必要がある。
ライブドアの事件でもわかるように、日本人はまだまだ「金は力」と言う幻想から抜け出していないし、自分がそんな生存の崖っぷちにいるなんて自覚も無さそうだ。

そういえば、みずほの社長が今日のサンデープロジェクトに出ていた。
一時は倒産を噂されるほどの凋落振りだったみずほは、去年は黒字に転換したという。
約二兆円の不良債権処理を認め、一兆円の増資をして、騒がれていたっけ。

――みずほは失敗を認め、思い切って縮んだのね。
そっか、どこまで縮むことが出来るかが、次の膨張に影響するんだ。

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2006.02.03

恵方はどちら?

朝、4時過ぎに起きて花の仕入れに名古屋まで。

――大丈夫か私、運転できるのか?

名古屋のMちゃんから、「帰れなくなったら、運転代行して送ってあげる」と励ましの言葉を頂き、とりあえず、行けば何とかなるさ、と出かけた。

今日から来週初めにかけて、いろいろと注文が入っているので、その分の花材。
たくさん並んでいる花を見ると、どれも欲しくなってしまい、ついつい予算オーバー。
週末はチョコレートコスモスをおやつに、クリスマスローズをおひたしにするべか・・・

060203-1x
帰って花を整理し、今日発送のアレンジ作成。

その後、テレビを観ながら、恵方巻きを作成した。


 
 
亡くなった母は節分にはちゃんと太巻きを作り、軒先に鰯の頭とヒイラギを飾っていたけど、それはちょっとね。
ご近所の猫ちゃんたちを騒がしても悪いし。

そういえば、我が家は滅多に魚を焼かないのだが(夫が臭いと怒るので)、随分前に、どうしてもシシャモが食べたくなり、お昼に一人で食べようと焼いた。
のどかな春先だった。

もう少しで焼きあがろうかと言うとき、突然、ぎゃおーと言う声が・・・
驚いて、声のした方向を見ると、開け放していた吐き出し窓の向こうに――親猫と子猫三匹が並んで・・・
真剣な表情で4匹はぎゃおー、にゃおーと叫んでいた。
寝ていたサクちゃんが慌てて起き、ウオンウオン吠えたので、猫たちは逃げてしまった。

悪いことをしたと思ったけど、捜しても猫たちの影も形も無い。
その騒動で、シシャモは黒焦げになり、パサパサの苦いシシャモをサクちゃんと齧ったっけ・・・
あらら、鰯の頭からとんだ脱線。

さて、我が家の恵方巻の中身は、いたってシンプル。
ほとんど精進料理に近いようなもの。
玉子焼き、かんぴょう、ごぼう、ニンジン、シイタケ、高野豆腐――少々甘めかな?

これを子供の頃は、母が巻いてくれるのを待ちかねて、一本丸ごとぺろり。
あの頃は、恵方巻なんて言葉も知らなかったので、好きなほうを向いて食べていたけど・・・

それではこれから、いただきま~す!(●^o^●)
今年は南南東だったよね。

追記:2006.2.4
恵方巻って七種類の具を巻くらしい。
そう言えば、母の巻いたのには蒲鉾が入っていたんだったわ。
やっぱ、今ひとつ足りないのね、私って・・・

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2006.02.01

レッスン中

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家に閉じこもっていてもストレスってやってくる。
今朝は少々いやな感じの電話が来て、人間が出来ていない私はムカムカ。
気晴らしにデパートへ行ってきた。

厭な事が有ると、ずっと、そのことばかり考えるのが私の困ったところ。
聞こえが良いように言うと「集中力ありすぎ」。
身も蓋も無く言うと「しつこい」。
以前は、自分ではどうしようもない他人の気持ちや言動についても、あれこれと考えては心身ともに疲れて果てていた。

だけど、去年からいろいろ有る中で、気づいたことがある。

――人はそれぞれに神(霊的世界)に繋がっている。
霊は誤魔化すことは出来ない。
どんなに巧妙な言い訳をしようと、本音はばれている。
だから、人は常にこれは本当に正しいと言い切れるのかと自問しながら生きなければならないのだが、そんなことを教えてくれる先人は今はいない。
なので、自分の都合の良いことばかりを言い、利益を追求して行動してしまう。

そういう人のしていることについて、周りがあれこれと考えても、その人自身が気づかなければ、どうにもできない。
個人が何を選択するかは自由だし、「何を選択するか」こそが人生のレッスンなのだから。

「いや、そんなこと言っていられないよ。
不利益はこっちに掛かってくるんだから」
と言う人もいるかもしれない。

だけど、自分に不利益なことを誰かがしたとしても、それを甘んじて受け、その事象に自分に出来る限りの力で立ち向かい、乗り越えればよいだけだ。
それは自分のためのレッスンで、そのレッスンを成し遂げた成果は誰でもない自分の霊性を高める。
乗り越えれば、それは自分にとってラッキーな出来事になる。

ここで忘れていけないのは、乗り越えられない課題は与えられないということ。
乗り越えられないとしたら、それは自分があきらめたと言うことなのだ。
あきらめると言う選択をしただけなのだ。
もちろん、その選択の責任は必ず自分に掛かってくる。

誰かに傷付けられた人よりも可哀想なのは、それをした相手だ。
他人を傷付け自分の霊性を貶めるとんでもない役割を自ら買って出たことになる。
彼の人は他人を傷付けたと言う報いを、傷付けた人からではなく、霊的世界から受けるのだ。

傷付けられた人がしてはいけないことは、自分を傷つけた相手を憎み復讐すること。
それをしてしまったら、今度は自分がその報いを受け取ることになる。
人を憎まず妬まず、日々、何があっても楽しく生きていれば、ご褒美はちゃんと用意されている。
だから、人は本当は何も心配する必要がないのだ。

――と、そんな風に考え生きるべきと判っている。
だが、ムカつくことも、呪いたくなるほど怒りが湧くことも、次々と起こる。

つくづく、私って人間が出来ていないと思う、今日この頃・・・

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