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2006.01.29

朝まで生テレビ

「朝まで生テレビ」
起きている自信がなかったので、DVDに録り、半日かけて観た。
そこまでして観たのは、もちろん、板倉雄一郎氏が出ているから。

ところが、彼が何か発言しようとすると、司会者に遮られる。
「難しいから・・・」という理由で。
呼んで置いて発言させないって、虐めに近いと思うけどなあ・・・

板倉氏は難しい話をちゃんと噛み砕いて説明できる。
司会者ならそう言う風に持っていくことも出来たのでは?

まあ、菅直人氏と平沢勝栄氏の喧嘩腰のやり取りをあんなに延々と観せたように、番組の思惑は違うところに有ったのだろう。
堀江貴文の栄光と挫折を論って楽しみむためにこの番組があったのだとしたら、ホリエモンを攻撃せずに本質の話を始めた板倉氏は筋違いと言うことだ。

マスメディアの功罪のような話も有ったけど、そう言うテレビ局の姿勢こそ問題だ。
マスメディアの長たるテレビが、本質の話を難しいと切り捨てているから、今度のような事態が起こったのだ。
ホリエモンがどんなことをしているかなんて、私ら一般ピープルには判るはずも無かった。

一番近くにいて、ほとんど同じ敷地にあったテレビ朝日は、こんなことになる前にどうしてそのやっていることの危うさを追求しなかった?
ホリエモンに10回以上インタビューしたと言う司会者は、そのインタビューの中で、どうして、彼の欺瞞に気づかなかった?
もし、気づいていたのなら、どうしてそれを報道しなかった?
彼らが「難しいことなんか理解できない」と馬鹿にしている大衆に、どうして教えてくださらなかったのだ。

――大衆は難しいことなど理解し得ないと、本質の話を真面目にやらなかったあんたらに、一番の罪が有ったんじゃないのか?


司会: 田原 総一朗
進行: 長野智子、渡辺 宜嗣
パネリスト:
平沢勝栄 (自民党・衆議院議員) 菅 直人  (民主党・衆議院議員)
板倉 雄一郎(板倉雄一郎事務所代表)奥村 宏(経済評論家)
小飼 弾 (オープンソースプログラマー、元オン・ザ・エッヂ役員)
スコット・ハーズ(経済ジャーナリスト、「ホビーリンクジャパン」社長)
須田慎一郎(経済ジャーナリスト)永沢 徹(弁護士)
樋口 恵子 (東京家政大学名誉教授)本間正明(大阪大学大学院教授)


それにしても、尻尾が犬を振っている――名言だわ!

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2006.01.27

営業

060127xここ数日、日中は陽が差し込んで暖房が要らないような陽気だったけど、今日は曇り空で寒かった。
昨日は豊橋のY子と名古屋のMちゃんが見舞いに来てくれた。
彼女達は家の掃除やキッチンの片づけをしてくれた。
助かったけど、ちょっとショックなことも。

「あれ~、もっと痩せているかと思ったのに~」
――悪かったね、デブのままで。

「なんか前よりも顔色もいいし、前よりもコロコロしているよ」
――ドキ!

そう言えば、この前買い物に行ったときに知り合いに出会ったけど、病気と気づいてくれなかった。
夫が「朝、起きなくていい」と言ってくれたのを良いことに、サクラと朝寝をし、一日、ゴロゴロしていたせい?
ど、どうしよう・・・

いやいや、そんな安楽な生活も昨日まで。
今日のレッスンを皮切りに、また、忙しい日々が始まる。
寝ているわけには行かないから、なんとかなるって。

仕事が入るたびに思い出すことがある。
それは去年の10月頃のこと。
ある日、花の仕入れに行ったら、白に微かにサーモンピンクのボカシが入った、それはそれは上品で可憐なカーネーションがあった。
注文用の花はすでに購入している。
でも、その花に魅入られてしまい、つい、大きな束を買ってしまった。
家に帰り、床の間にその大きな束を投げ入れし、「ばば(母のこと)、この花、ばばに上げるね」と心の中で呟いた。

ところが、花束を組んでいるうちに、どうしてもそのカーネーションの色が欲しくなり、床の間から少し失敬した。
思ったとおり、花束は一段と良くなったのだが・・・

その夜、母が夢に出てきた。
「なんで、私の花を盗った?」
怒っている。
夢の中の私は必死で言い訳している。
「ごめん、だって、あれが入ると良くなると思ったの。
私の仕事だから、評判が良くないと困るのよ」
怒っていた母は、ちょっと考え、
「そうか、お前の仕事なのか・・・判った。
じゃあ、お前の仕事を売り込んであげるわ」
「え?」
「みんなにあんたの花を買うように言ってあげる!」
「そ、それは・・・どうも。 よ、よろしくです」

目覚めて、ベッドで笑い転げた。

ところが、去年の暮辺りから、結構忙しい。
思いがけない注文を頂くこともある。
そんな注文を頂くたびに、あ、これも母が営業してくれたんだわと可笑しくなる。

母は私と違って、初対面の人とも打ち解け、とても他人に可愛がられる人だった。
――あの愛想の良い笑顔で、あちこちに売り込んで、仕事を取ってきてくれているんだわ。
そんなことを思うと、とても幸せな気分になる。

そんな母なので、いつか、あなたのところにも営業に行くかもしれません。
その時は、よろしく!!

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2006.01.26

私的胡蝶の夢 2006-2

明け方、夢を視た。

団地ではないが、同じような建物(マンションだと思った)が立ち並んでいる。
高さはせいぜい10階~15階くらい。

私はその一室で、「崩れるぞ、早く外に出ろ」と誰かに言われる。
慌てて何も持たずに外に出る。

外に出て、薄曇の空を切り取る建物群を眺め上げると、一つの建物に窓から外を見ている人たちがいる。
外に出ている人々は、危ないから早く出るようにと彼らに叫ぶが、彼らは哂っている。

その時、彼らの棟の向かい側の棟に異変が・・・
建物の5・6階部分から、大きなコンクリートの塊がぼろっと剥がれ、下に落ちた。
次の瞬間、その建物の一階がぼろぼろっと崩れ始め、上の部分は、くしゃくしゃと折れ曲がったり、あるいは縦に割け、崩れ始めた。
上階はほとんどそのままの形でどしんと投げ出された。
塵がもうもうと上がる。

それを見て、哂っていた人々が慌てふためき窓から離れたが、時すでに遅く・・・
彼らの階は、ぼろぼろに崩れ、そこに折れ曲がった上の階が重なり、やがてその部分を覆い隠すように、一番上の階が落ちてきた。

そこまで見たと言うのに、私は何も持っていないことに気づき、自分のいた部屋に戻ろうとする。
私のいた建物はまだ壊れていない。
一階の部屋に入り、小さなバッグに手当たり次第、押し込んでいると、部屋の壁がゆらゆらし始めた。
ギギと不気味な音もする。
慌てて部屋から出て、振り向くと、そのドアの枠組みがグニャグニャになっていた。
危ないと誰かが叫び、迎えに来てくれる。
慌てて道路に飛び出し、懸命に走る。
後ろで建物が大きな音を出して崩壊していく。

――と、そこで、目が醒めた。

構造偽造マンションの話ばかり聞いているからこんな夢を見るのか知らん?
それとも、どこかでこんな事態が起きるのか知らん?

いずれにせよ、危ういぞ、私。
夢では逃げられたが、かけっこでは何時もビリのその足じゃ、絶対助からないって。

(私的胡蝶の夢2006-1はというと、お正月に視た火事の夢。
今年も災害だらけの私の夢)

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2006.01.23

果報は寝て・・・

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――果報は寝て待て?

 
 
 

寝ていたのに、仕事の話が舞い込んで来た。
アクセク働いている間には来なかった話。
――楽しい仕事になりそう。

私の仕事は受身だから、あいつを使ってやろうと思って下さる方がいないと成り立たない。
寝ていてそんな話を頂けるって本当にラッキー!

考えてみれば、もうすぐ、私の「健弱」の年が終わり、節分過ぎたら「達成」だ。
健弱の年は、蜂に刺されたり、ガンになったりと健弱そのもの、病関係目白押し。
こんな私なら、達成の年には当然――成功するに決まっているって!
(でも、細木数子氏はホリエモンにドンドン成長するとか言っていたわよね?
軽く、ヤバい?)

昔、ある人に言われた。
――そんな話は私には来ない。なのに、どうして、あなたには来るの?
普通に有る話だと思っていたので、そのときには、その言葉の意味を理解できなかった。

だが、どうやら、私はラッキーな人間らしい。
何の後ろ盾も無い上に失敗までしたのに教室を続けていられるし、病を得て手術しても、こうやって生きているしね。

一人ぼっちの子供の頃、春先に一斉に燃え出る生命を求めて、山を彷徨っていた。
遊ぶ相手もいなかったけど、毎日が楽しくて楽しくて幸せだった。
――あの素晴らしい自然の記憶・・・
私に何かプラスアルファがあるとすれば、その記憶なのだと思う。

だから、何があろうと花の仕事で辛いと思ったことは無い。
もちろん、ああすれば・・・とか、こうしたら・・・という、反省はいっぱいある。
だが、私の未熟を花たちが補い助けてくれた。

樹木や花の美しさ、その存在の有り難さを、誰かに伝える使命を果たすために、私には他人から見れば身に余るラッキーが来るのかもしれない。
それに全力を尽くすことが、助けてくれるかれらへの恩返しであり、私の生きる意味なのかも・・・

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2006.01.20

ライブドア事件に思ったこと

今度のライブドア事件の波紋は、日本の経済全体に大きな影響を及ぼしている。
挫折を味わい、経済的にも精神的にも大変な状況になっていく人が多いだろう。

どうしてまっとうに生きてきた自分が、正当な労働で得た収入で株を運用した自分が、こんなことになる?
どうして誰もこんな自分を助けてくれない?

彼らは世を怨み呪うこともあるだろう。
でも、どうか、道を踏み外さないでほしい。
金が無いこと、払えないことは悪ではない。
それを払うために正当ではない手段で金を手に入れることが悪なのだ。

持っているものをすべて手放し、話し合う。
それしかない。
弁護士を頼む前に、まず、裁判所にいき自分の状態を話したほうが良い。
弁護士費用をかけずに解決する道はいくらでもある。

私の知人に、小さな会社で40年間働き、ようやく定年を迎えた人がいる。
倹しく暮らしある程度まとまった貯蓄も出来、ようやくこれからと言うときに病に倒れ、入退院を繰り返している。
その人は何も悪いことをせず、せっせと働き、子供の成長とタバコを吸うのだけが楽しみだった。
その人が病に倒れたときに、妻と旅行を楽しんで暮らそうと計画している彼にどうしてそんなことが起きるのか、神の裁量は不公平だと思った。

だが、最近、気づいたことがある。
彼はそうやってまっとうに暮らすことにより、これまで人生の何たるかに触れずに生きてしまったのだ。
何にも関らず煩わしいものを遠ざけ、自分を真綿に包み、他人との軋轢から身を守っていた彼は、人生のレッスンを病気と言う形でやらされることになったのだ。
彼が病によって人の情けを知り、人のどうしようもなさを許す境地に達するまで、彼の試練は続くのかもしれない。

もし、今、ここに苦しんでいる人が来てくださっているのなら・・・
自分を許し、他人を許し、過ちを受け止めることから始めなければ、未来は開けないと思ったほうが良い。

失敗をいくつも重ねて人生は織りあがっていく。
試練を与えられ、それに対処していくうちに今生の個性は生まれる。

たとえば、Aさんが金銭的に失敗して、保証人のBさんが負債を被ることになったとして――
それはAさんのせいだとしても、それ自体はすでにBさんの試練になっている。
それにどう対処するかはBさんの人生の問題。
Aさんを呪うことも、Aさんと励ましあってそれを乗り越えようと力を合わせて努力することも、どちらもBさんは選べる。
選択の責任は、Bさんにある。
その選択の結果はAさんの人生ではなくBさんの人生に織り込まれるのだ。


思い出して欲しい。
――超えられない失敗はこない。

失敗の後にはそれを癒す穏やかで幸せな日も来る。
そして、その日々の中で、新たな試練に立ち向かう勇気が自分に満ちるのだ。

今、ここで生が終われば失敗者で終わる。
だが、10年も立てばそんなことはきっと笑い飛ばせる。

金の話ではなく、人生の話をできるようになる。

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2006.01.19

復活!

ホ~ホホ。
やっぱ、私って不死身でしたわ。
敵も門番(センチネル)までは行き着いておりませず、無事、本日、退院いたしました。
ご心配くださった皆様、ありがとうございます。
――え?
心配していない?
なんて薄情な・・・

でもまあ、私よりも世の中のほうが大変そう。
ちょっと世俗から離れている間に、あれやこれやが・・・

良き隣人を選ぶことは大切。
悪巧みを一緒にしてくれる隣人は、その時は調子の良いことを言っても、自分の保身のために簡単に裏切り、逃げていく。

何時、どんな状態でも、善でいられる人が真に強い人間。
何かを成し遂げるのに間違った方法を選ぶと、間違ったものにしか行き着けない。
そして、どんなに年月が掛かろうと、悪巧みは必ず露見する。

――最近の世の中を見ると、それが如実に現れていて、なんとも・・・

ぎりぎりのところで生を繋いでいる人間は生の意味を実感しているけど、自分の命に限りが有ると気づいていない人間は、ある日、ふっと死に引き寄せられる。
どんなことをしようと、死んでしまっては自分の生の意味を極められない。
自分のしたことの責任を引き受けるのも生の意味なのに・・・
これ以上、自分の生を見限る人が出ないことを祈らずにいられない・・・

それにしても、毎朝のように生命を見送らなければならないガン病棟の看護士さんたちの笑顔はとても美しいものでしたよ。

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2006.01.12

実践

「う~ん、これは・・・」
「どうなんでしょうか?」
「わかりません」
「はあ?」
「何がなんだかさっぱり解りません」
私のMRI画像を前にやけにきっぱりと断言する医師。

「写っていないんですか?」
覗き込んでも何のことやらさっぱり。
「これがそうだと思うんだけど・・・」
白い点を指差す医師。
「たぶんここがそうですよねえ」と知ったかぶりをする。
「でもね、これがどこに続いているのかわからないんだよ」
「はあ・・・」
「もっかい撮って良い?」
「えっ、MRIをですか?」
一昨日、そんなやり取りがあって、今日はかなり鮮明な画像が撮れるという高性能MRIのある名古屋の病院へ。

遠かった・・・
結婚式の装花の注文が入っていて、昨日の朝はまた市場へ行ったし、病死の前に過労死が待っていそう。
早速、超優れ物と評判のサプリメントを購入し、グビッと飲む。
――ま、不味い。

とはいえ、このサプリメントが私の命綱。
この前の韓先生の講演以来、ガンになったら抗がん剤も放射線治療も断り、これで自分の免疫力を高めて病気と闘うと決めていた。
――こんなに早く実践することになるとは思わなかったけどさ、トホ。

今度の病院の医師は私の方針を何とか認めてくれた。
暮に、間違ってガンではない人の乳房とリンパ腺をすっぱり切り取ってしまったという医療ミスをやらかした病院なので、考え方が柔軟になっているらしい。
そんなところで大丈夫? と夫をはじめ友人知人は心配するけど、乗り越えられない試練は来ないのなら、大丈夫だよ、きっと。

最近、生きるということを考える。
人は明日目が醒めるのを当然と思っているけど、そんな保証はどこにもない。
死なない人間はいない。
死は生きているかぎり、常に身近に在る。
病はそれを思い知らせてくれる。

それにしても人は自分の望んだものになるらしい。
失敗した頃、何時も思っていた。
このまま消えてしまいたい。
ここで、ばたっと倒れれば、誰かが何とかしてくれるんじゃないか?
こんなに苦しくて辛いのに、どうして自分は健康で生きていられる?

それは自分が加害者ではなく犠牲者でいたいという心の弱さだった。
だが、助けてくれる人は現れなかったし、病気で倒れもしなかった。
仕方なく、私は粘り強く交渉し、放り出すものは放り出し、最後には自分の望んだ解決が出来た。
自分の失敗をきちんと受け止めることが出来た。

そのときに漸く、本当は多くの手が差し伸べられているのに気づいた。
夫や友人知人はちゃんと手を差し伸べていてくれたのに、それを見ようとしなかったのは私のほうだったのだ。

人は自分のなりたいものになれる。
だから、私は自分の未来を考える。
今日、MRIの中で思ったこと。
あら、私ってラッキー?
これで医療関係クリアじゃない?
小説書きには万々歳だわ。

戦後、封建制が崩壊し、「個」の重要性が説かれ、現代は個人を尊重する時代になった。
個である私はこの上なく大切な存在だと私も思っていた。
だが、「個」の集まりである社会においては、「個」の上に別のコンセンサスが無ければ、弱肉強食にならざるを得ない。
今の世の迷走はそのコンセンサスが無いからだ。

そのコンセンサスを作ることが、次の段階になるのではないかと、最近、考えている。
それは、誰かが作ってくれるのではなく、今の「個」がその苦しみのうちに編み出すものなのだ。
私の「個」の苦しみはささやかでも、きっと、何かの役に立つだろう。
だから、ここで肉体を手放すわけには行かない。
どんなに良いことを思いついても、この世界にいなければそれを主張することは出来ないんだし。

ということで、今度の更新は、手術後の予定。
ごきげんよう。 


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2006.01.08

いずれにせよ、人生はきついらしい・・・

最近、病の身だと言うのに、三時間しか眠らないで市場に行った後、洗面所のリフォームを始めたりと、結構、無茶をしていて、夫から叱られている。

今までは、花屋さんに注文を出したり、栽培農家から直接仕入れたりしていたので、市場に行くのは今年が初めて。
なぜ、そんなことをする気になったかと言うと、年末に花の価格のあまりの高騰ぶりを感じたから。
たしかに例年、年末は価格が上がるものなのだが、去年は何時もの年末の2倍になっていた。
そんな価格で、今年の初仕事、成人式の花を一般の花屋さんで買うにはちょっと辛い。
カトレアやグロリオーサを作っている生産者は知らないし・・・

ということで、相対と呼ばれる花卉市場の側にある市場に買いに行くことにした。
(市場で競りに入るに資格が必要)
4時半出発と言う過酷な条件に耐えうる友人に付き合って貰い、暗いうちに出かけた。
着いてもまだ暗い。
暗い中、大きな花の束を抱えた人たちがきびきびと動いている。
なんか、いい感じ。

さっそく、あちこち覗いて買った。
価格は、普段、花屋さんや農園から仕入れる額とほとんど変わらない。

市場で仕入れた花屋さんは、仕入れ値の2倍から3倍で売らなければ合わない。
それは店を維持し従業員を雇う経費を計算すると、適正な掛け率だ。
だが、その掛け率で値がついた花となると、大変な高値。
(ちょっと遠かったけど、寝不足だけど、来てよかった)

そして、今日。
いけ込みの後、何時も行く農園で同じものを見たら、やはり、何時もの2~3倍、高いものでは5倍になっている。

高値の理由はもちろん、異常気象による生産減と輸送減および原油高。
世の中、好景気とか株高とか言っているけど、そんなのは一般ピープルにはまだ好影響を及ぼしていない。
なのに、物価高は瞬時にやってくる。
――まったく、どこまで不公平なのかしら。

と怒っていた私だけど、さっき、年末のジェイコム株の発注ミスで20億儲けたと言う青年がテレビ出演して言っていた。

常に資産が減るリスクを抱えながら人生を歩んでいるのはきつい・・・

――なるほど、金持ちには金持ちの悩みがあるのかぁ。

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そうそう、真夜中までかかって岐阜にも行って来た。
私の感謝が足りないから病気になったんだそうな・・・命には関らないから心配要らないといわれた。

霊に叱咤激励されるのも、なかなかにきついものがあるよね。

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2006.01.04

正月のまとめ

正月から良く夢を見る。
去年の後半は全然夢を見なくなっていたのに・・・

結構、楽しい夢が多い。
亡くなった両親が仲良く遊びに来てくれ、旧知の人々、見知らぬ人々と、笑いながらご馳走を囲んでいたりする。
驚いたのはなぜか母が胸を見せてくれたのだが、そこには豊満な乳房が三つもあったこと。
凄い迫力だった。

災害の夢も視た。
今年は火事に注意らしい。
大きな通りに面した建物が何棟も燃えたらしく、燃え落ちたコンクリートの廃墟の中を歩く夢を視た。


元旦は遅く起きてデパートの初売りへ。
福袋ゲット!

2日は伊勢神宮にお参りに行った。
行く途中、こんな雲が神宮の方向を示していた。
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途中でお約束の清めの雨がぱらぱら。

朝、10時に出て、伊勢のサンアリーナ駐車場についたのは12時半。
渋滞は全く無かった。
パーク&バスライドで、この遠くの駐車場からシャトルバスに乗り内宮に向かう。
この時期、伊勢はバス専用ラインが出来ていて、すぐに到着。
後で知ったのだが、私達が着く直前まで雨が降っていたらしい。
幸運にも私達は雨にあわずに済んだ。

正宮のお参りには2時間の行列と聞き、先におかげ横丁に向かう。
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凄い混雑。

土産物屋さんを冷かし、小物を買い、赤福ぜんさいを食べ――よし、お参りするぞ!

買ったものをコインロッカーに預け、正宮に向かう。
時間をずらしたのが幸いしたのか、1時間もかからずにお参りできた。
後は伊勢うどんを食べて帰ることに。

帰りは渋滞のせいで3時間半ほどかかってしまったけど、結構順調な旅だったような・・・


3日は夫が実家に食料を運んでいったので、私は家でゆっくり。
正月前に夫の実家の分のお節を夫に持っていってもらったのだが、無くなったらしい。
私はその間、「ハウル」とデート。
夜は21.5%の高視聴率だったという「古畑任三郎」を見た。

それにしても、古畑任三郎・・・
どう見ても全体に老齢化している。
1943年生まれの田村正和・・・今年の8月で62歳だ。
定年しているよ、とっくに。

この際、金田一耕助みたいに、いろんな人が古畑任三郎役って云うのも面白いかも。
(たぶん、キムタクは狙っていると思う)
田村正和でしか古畑任三郎の面白さは成立しないのか、
それとも、あの脚本ならば、誰でもが古畑になり切れるのか、
知りたいと思わない?


知りたいといえば、切込隊長が誰についていくのかも知りたいなあ・・・
去年、大変な嵐に襲われた緑のブログ。
暮に宣戦布告のようなことも書かれていた。
エリザベス・キュブラー・ロスもNOははっきりと言うべきと書かれている事だし、良いんじゃないの。

私があなたを尊重するように、あなたも私を尊重すべきだ。
あなたと私は一個の人間として平等であり、等しく生きている責任を負っている。
と相手に伝えることは、今の時代、必要かもしれない。

などと考えつつ、ぬくぬくとした部屋でお気楽な日々を満喫しておりますです。


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2006.01.01

Happy New Year !

Happy New Year !

サザンの年越しライブを見ていたら、二曲目が「My Foreplay Music」
なんとも思わせぶりなタイトルなんだけど、大好きな曲。
もう、二十年以上前の曲(?)なので、この曲をサザンがライブで演奏するとは思わなかった。

見つめあって髪にtouch 両手で君の背にscratch

――思い出が蘇る一瞬。

私のように昔を思い出す者もいれば、今夜、この曲を初めて聴き、思い出の曲とする人もいるだろう。
曲はただそこに在るだけだが、人はそれに自己の様々な感情を投影する。
それはすべての現象にいえることなのだが・・・

ある現象・物をギフト(祝福)と捉えるか、何も感じずに終わるかは、それを与える側の問題ではなく、受け取る側の問題。
どんなギフトも受け取る側の用意が整わなければ無になってしまう。

新しい年を前に、私は若かった日々の思いを受け取った。
あの未熟で孤独だった日々の切なさを思い出した。

その後、カウントダウンの声を聴きながら、デッキに出てキャンドルの光の下、2006年を迎えた。
夫と腕の中の小さな犬と。

何よりのギフトを受け取った。

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