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2005.12.12

世界はゲームの中には無い

呆れるくらい子供に対する犯罪が起こっている。

人は傷つくことにより成長するものだと思っていたけど、どうも、そうではない人種がいるらしい。
自分が傷ついたときに、自分を傷つけた相手の真意や痛みに思い至らず、このオレ様を傷付けやがってと、憤る彼ら。
彼らは自分を傷つけた屈強な相手には戦いを挑まず、自分よりも弱いものを虐めいたぶることで鬱憤を晴らす。

昔、ロールプレインゲームに嵌っていたことがある。
朝から晩までゲームをしていたのだが、なかなかクリアできなかった。
だから、腹いせに言うのではないが・・・

ゲームは、主人公は愛と正義のために悪を倒すと言う建前で始まる。
だが、やっていることといえばよその家に勝手に上がりこみ、宝箱を開けてアイテムと金を奪い、出てきた怪物を倒すことにより、金を得、レベルを上げる。
仲間が死んだら、呪文をかけるか、教会に行き金を払えばすっきりと生き返る。

「さあ、また正義の旅に出ようぜ。
まず、あそこの街に行き、家捜しして使っちゃった金を補充しよう。
荒地を彷徨って怪物をやっつけて体力アップしよう」

まるで、これは、犯罪者の世界だ。
それが、愛と正義だと教えていたんだから、今の惨状は宣(むべ)なるかな。

このゲームの世界では、戦いの勝利には金がついてくる。
金さえあれば、強力な武器を手に入れられるし、体力回復もできるし、永遠の死でさえも回避できる。
それを得るには、ただただ他者をぼこぼこにやっつけるだけ。
やり返されることもあるけど、自分が痛みを感じるわけでもないし、動けなくなることも無い。
電源を切れば、何度でもやり直せる。

桃太郎が鬼の側から見れば、とんでもない殺戮強奪者であるように、ゲームの中の怪物たちから見れば、主人公ご一行はとんでもない奴らだ。

そんなゲームを与え、ろくに会話を交わすこと無く放ったらかしにして育てた子供が、世間に適応できるはずが無い。
世間に出た彼らはこう思うだろう。
自分に歯向かう相手(=換言する者)はすべて悪=怪物。
見つけた宝箱(他人のバックや金庫)は自分のもの。
得た金で遊んで暮らし、金が無くなればまたどこかの家の家捜しするか、道で脅しや引ったくりをすればよい。
オレ様がこの世界の正義なのだから。

――え、そんなことを思うはずがない?

そうだろうか?
大人はそうではない世界を知っていて、それが虚構でありファンタジーだと理解できるが、子供はそうではない。
子供はそうではない世界を知らない。
記憶を持って生まれないのだから。

そうでない世界を教えていくことが今は必要なのだ。
勝手に他人の家に入って物を持ってくるのは泥棒だし、人を叩いたり刺したりしたら犯罪者になるだけでポイントは上がらないし、弱者はいたぶる者ではなくは守らなきゃいけないもの。
他者を大事にすることによって、皆が良くなっていくことでしか、真の幸せは得られない。

現実の世界では、誰もが生まれながらに勇者ではないし主人公ではない。
だけど、日々、小さな気遣いや思いやりを積み重ね、自分に出来ることを少しずつしていくことによって、人は自分の世界の勇者にも主人公にもなれるのだ。

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