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2005.12.05

生命の希望

ずっと、言い続けている。
子供は記憶を持って生まれないと。

だから、人は人になるために努力しなければならない。
獣は生れ落ちた瞬間に起き上がり歩きだすことが出来るが、人は何一つ自分では出来ない。
ただ泣き叫ぶだけだ。
だが、何一つ自分では出来ないことで、誰かの手の温もりや、糧を与えられる喜びを知る。
誰かに何かを与えてもらえなければ生きて行けないと思い知らされるのだ。

子供にどうしたいと聞く前に、理想を語る大人にならなければならない。
自分がそれを実践できていないからといって、決して恥じることは無い。
実践できないからこそ、大人も日々、それに向かって歩いているのだから。

生まれながらの悪人も生まれながらの善人もこの世にはいない。
人を愛し献身することも、人を陥れ殺すことも、すべてはこの世で習ったこと。

長い箸を渡されるのは、天国の話でもなく、地獄の話でもなく、この世の話。

あなたの手の長い箸で、あなたの向こうにいる人に糧を与えれば、あなたは飢える心配は要らない。
あなたはたった一人の口に糧を与えられるだけかもしれないけど、そう言う人が10人いれば10人が、100人いれば100人、1000人いれば1000人が飢えなくて済む。
そしてそれぞれがお返しを貰える。
世界中の人間が自分の口に入れることだけを考えていれば、世界中の人間が飢えに苦しむことになる。
自分のものは自分で、強いものが独り占めしても良いと教えることは、いつか自分が、自分の子供が苦しむ原因を作っているなのだ。

怠けて遊んでいる人にも、必死で働いて手に入れた人が分け前を与えなければならないのかと憤るかもしれないけど、人はそれぞれ違う使命を持っている。
逆に考えれば、彼が遊び暮らしているからこそ、あなたには仕事があるのかもしれない。
彼があなたと同じように必死で働くようになったら、あなたは仕事を追われ生きがいを失うかもしれない。
あなたは生きがいを失い、彼は自由な人生を失う。
それはどちらにとっても不幸だ。

犯罪を犯すものは、この社会の歪みに嵌ってしまった者。
長い箸で取ったご馳走を他人が食べさせ合おうとするのを払いのけている彼らは、この世では裁けないかもしれない。
せいぜい隔離して刑務所に入れることくらいしか出来ない。
だが、心配は要らない。
彼らは人間ではなく真理に裁かれる。
その証拠に、どんな栄華を誇ったものも、何れは滅び忘れ去られる。

自分が今まっとうな生活をしているとしても、それではあなたの先祖に悪人はいなかったのかと問われると答えられないように、今、すさんだ生活をしている者にも、いつかは素晴らしい善行を為す子孫が生まれる可能性がある。

命は今ここに在る私だけでなく、あなただけでなく、善も悪も呑みこみ連綿と続いて生きたのだ。
それを繋いでいくことこそが、希望なのだ。

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先週はフラワドームの打ち合わせに名古屋に行ったり、例年のおばさんたちとのしめ飾り作成会をしたり、ラグーナマーケットのイルミネーションを見に行ったり、結構楽しく暮らしました。
でも、毎日の報道には気が滅入りました。

日本全体が病んでいるのだと思います。
それは倫理を国の基本から外したことの弊害が、戦後60年、三・四世代目に現れてきているということなのでしょう。
自分が何故ここにいるのか?
自分が生きる意味は何なのか?
日本人はもう一度考えなければ行けないのだと思います。

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