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2005.10.21

エリザベス・キュブラーロスとの出会い

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今日も作品展の準備。
朝9時半には生徒達が来た。
お昼を挟んで作業。
2時過ぎにある会場へ行って小さな作品の生け込み。
そこで解散して帰ってきたら、もう、6時。

体力は付いたとは言え、これくらいが私の限度。
今から倒れる予定。

そういえば、2階への十数段の階段を登り、息が切れて倒れこんでいた頃もあったなあ・・・
自分はこのまま消えるように死んでしまうのだろうか?
明日の朝、果たして目が醒めるのだろうか?
頭がぼおっとして、眠りたいのに眠れない長い夜、時計を眺めて時間が過ぎるのを待っていた。
自分は何者なのか?
何故ここにいるのか?
自分の存在する理由は?
そんなことを考えていた。

腫れ上がっている脾臓も肝臓も、元には戻っていないけど、日中起きていられて、夜はぐっすりと眠れるだけでも今は本当に幸せ。

そんなことを思いながら、さっき、2ch巡りをしていて、「エリザベス・キュブラーロス」と言う名前が目に飛び込んできた。
何の説明も無く、その名前が記されていただけなのだが、どういう人か知りたくて堪らなくて調べると、とても有名な人のようだ。
人生は廻る輪のように」という自伝を書かれているらしい。

ネットのあちこちの情報によると、エリザベス・キュブラーロス氏はターミナル・ケアの世界的権威だったが、去年の8月、この世を去られている。

彼女の文章を「viper's blog」というブログで拝見した。

地球全体が苦しみにあえいでいる。 地球が生まれてからこのかた、いまほど衰弱した時期はない。 あまりにも無思慮な搾取によって、地球は長いあいだ虐待されてきた。

間もなく地球がこの悪行を正す時期がくると、わたしは信じている。
人類の所業に報いる大地震、洪水、火山の噴火など、かつてない規模の自然災害が起こるだろう。
わたしにはそれがみえる。
わが亡霊たちからも、聖書に描かれているような規模の大異変が起こると聞いている。
それ以外に、人びとが目ざめる方法はないのか?
自然をうやまうことを説き、霊性の必要性を説くためにとはいえ、ほかに道はないのか?

どうか、恐れないでほしい。
死が存在しないことを想起さえすれば、恐れる理由はなにもない。
恐れることなく自己をみつめ、自己について知ってほしい。
そして、いのちを、やりがいのある課題だとみなしてほしい。
もっとも困難な選択が最高の選択であり、正義と共鳴し、力と神への洞察をもたらす選択なのだ

私は眠れない夜に「死」とはセミが羽化するようなものだと思うようになった。
肉体が消滅しても、「私」が消滅するのだとは思えなかった。

そして、愛した犬達や、両親と死に別れて、その思いはもっと強くなった。
体調が悪かった頃実家に預けていた犬は、私が実家に帰るのを待って私の腕の中で死んだ。
胸に抱いたその瞬間、彼女の体の力が抜け、ふっと軽くなったのを憶えている。
私はそのとき、この犬は違う次元に行ったのだと解った。

長く病んでいた母も、私が首を持ち上げた瞬間にすうと息を吸って、そのまま息を止めた。
私には彼女が病んでいる肉体から解放されたと言う感じのほうが強かった。

愛するものの死を腕の中で迎えたとき、死が怖いものではなくなった私は、今は毎日めいっぱい与えられた恵みを受け取ろうと心がけている。
幸いにして自然がいっぱいの田舎に住んでいるから、それは向こうから飛び込んでくる。
空も山も空気の中の香りも、野辺の花も、動物も、皆、素晴らしい。
もちろん、人間も、こちらが心を開けばちゃんと答えてくれる。

どんな大都会にあっても、心配は要らない。
その恵みはちゃんと受け取ることが出来る。
この前東京に行って、そう感じた。
あそこにもちゃんと自然は息づいていた。

ブランドの服や光り輝く宝石や、それらを手に入れるための札束にしか価値を見出さないと、都会はとても悲しいところで、自分を常に飢えさせることになる。
だが、太陽の光や見上げる空の雲や星、季節の移り変わり、季節ごとの植物達は、どんな大金持ちでも独り占めには出来ない。

流れていく雲や、街路樹の緑や、アスファルトを破って出てくる野の花。
どんなところにも、神の意匠は現れている。
どんな宝石も、タンポポやスミレの花の輝きを表すことは出来ないし、どんな衣装も自然の織り成す色彩には勝てない。
そう言うものに、価値を見出せるようになれば、どこにいても自分に与えられている恵みに気づく。

死ねば無になるのだと信じる人は、死を身近に感じたことの無い人だと思う。
自分の死を身近に感じたことのある人は、必ず、死の先を信じるようになるのではないだろうか?
見えないものの存在を感じるようになるのではないだろうか?

そして、その見えない存在に、何時も見張られているのだと気づいたとき、人は自分の好き勝手には生きられないと知る。
自分が大きな存在の一部だと知ることが出来るのだ。

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