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2005.10.13

既得権益

昨日の板倉雄一郎氏のブログを読んで思ったこと。

どう考えても、「その方がよいでしょう」と思うことでさえ、既得権益の前に、それは実現しない。

確かにそんなことは多い。

実は親戚があるベンチャーに関っていて、何年も苦労している。
燃えるものは何でもセラミックに変えてしまい、ダイオキシンも出ないという夢のようなその機械は、売り込み先では好評なのだが、結局は断られ続けている。
良いものと認め検討するものの、そこにはもう利権の構造が出来上がっていて、食い込むことが出来ないようだ。
その会社は当然のことながら、大変な状態。
もちろん、親戚はただ働きで終わりのような・・・

今、上手く行っている人たちにとって、今の状況を変えることは死に値する。
誰かが状況を変えようとするとき、変えられる側から見れば、それは敵。
全力でそれに対抗するのは当然。

だけど、良いもの(と彼らが思うもの)を手にした人は、それが相手を傷つける武器なのだとは気づかず、ひたすら、自己実現のために努力する。
結果として、相手が自分のものと思っていたものを奪う結果になる。
そう言うことではないかと思う。

今、良いもの(物であれ、制度であれ)と思われるものが未来永劫良いものではない。
今はつまらないものと思われるものも、いつかは認められるときが来る。

板倉氏のところに来られた5人衆は、理想のものを手に入れたことで有頂天になり、それが世に受け入れられるほど時期が成熟していないことに気づかなかった。
それが彼らの失敗だったのだろう。

こんなに良いものをどうして世は受け入れないのかと彼らは憤慨したことだろう。
だが、私は思うのだ。
私が知らないだけで、世の中には、数多くの素晴らしい発明があり、それがあればきっと世界は変わるというものもあったのだろうと。
どんなに良いものでも、それを見出す「心」が育たないうちは、見過ごされていく。
そんな多くの先駆者の屍の上に、現在の文明は築かれている。

失敗を許さない今の日本の状況では彼らの発明は永久に陽の目を見ないだろう。
その発明は他者の失敗を暴くものだから。
だが、成功を得られなくても、それに向かって努力したことは魂の歴史には刻み込まれている。
それが真理に適うものなら、未来にはきっとそれが認められ使われる。

一人一人の善なるものへの努力は、今生では認められなくても、あの世では認められ、天秤にかけられる。
そう教えることによって、この世では不遇だった人々に未来への希望を持たせたのが宗教だった。
その宗教が単なる利益団体になり下がったことが、今の世界の不幸に繋がっている。

宗教団体を通じなくても、人は一人一人、ちゃんと神と繋がっている。
私が去年の10月13日の出来事や自分の心情を鮮明に覚えていないように、ただ、今は忘れているだけ・・・

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コメント

板倉様 リンクを許可頂いただけでなく、コメントまで頂いて光栄です。

「人が人である所以は、自らの行動が社会に対してどのような作用をもたらすかを想定できること」
本当にそうですよね。

でも、人間は目の前にあるものすべてを手に入れたがる。独占しようとする。
自分で食べ切れない食料、使い切れないお金なんて、無いのに等しいのに・・・

なんて、私が言っても野良犬の歯軋り程度にしか受け取られませんけど。(笑)

ありがとうございました。

投稿: maki kuzuha | 2005.10.13 17:46

(メールアドレスは、スパムを受けたくないので、インチキです。)

「すべての存在は、全体の一部に過ぎません」よね。

つまり、あらゆる事象は、独立して存在することが出来ないわけです。
たとえ、ある人がくしゃみをした程度のことでも、その影響は長い時間の中で、くしゃみをした人だけではなく、社会に対して何らかの影響があるのです。

人が人である所以は、自らの行動が社会に対してどのような作用をもたらすかを想定できることです。

昨今の「経済価値の奪い合い」を行う人たちは、自らの行動によって何が起こりうるのか、あまりよく考えていないようです。
残念なことです。

投稿: 板倉雄一郎 | 2005.10.13 14:29

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