« バーストだった | トップページ | 田舎モン? »

2005.09.30

名残の季節

Ca322540x
2005年の九月が終わると、つい、さっき、気づいた。
今月は万博やら祭りやら、毎週ドタバタしていて、あっという間に終わってしまった。

9月が終わると言うことは、当然ながら、10月が来ると言うことで・・・

10月はお茶で言えば、名残の季節。
侘びの極みの季節。

五月に摘まれたお茶は壷に入れられ封印される。
夏の間に涼しい場所に置かれていた茶壷は、十一月に口を切られる。
これが「口切」。
ゆえに十一月は「茶人の正月」とも呼ばれる。

10月は、去年口切した茶壷のお茶が残り少なくなり、一掬いごとに残りを惜しむ季節。
朝夕の冷たさが増し、秋の花が咲き始め、木々が紅葉するこの時期、お茶席の花は種類もボリュームもいっぱいにいける。
これが「名残」の季節の慣わし。

ひやっと冷たい風に暖かいお茶が恋しい季節になったので、今日のレッスンの後のティータイムはお薄。
まだ、和室の炉を開いていないので、ポットからお湯をいれた。
情緒無いけど・・・うーん、美味しい!

そのお茶を飲みながらの話。
今日レッスンに来た子は、「斜陽」を読み始めたと言う。

「なんか、作家とか芸術家って、面倒な人種ですよね。
あんなに鋭敏な神経を持っているのって、あまり、幸せには思えませんよね」
と感想を語る。

「そうよ、芸術家って、見なくてもいいものを見ちゃうし、感じなくて良い物を感じちゃうし、辛い人生だと思うわよ。
でも、今の教育って、そんな子供をせっせと作ろうとしているのよ。
個性的であることを求める教育ってそうでしょ?
みな、芸術家のように鋭敏な神経むき出しで生きるしかなくなるの」

――それは、とても辛い道。
芸術家には、打ち込む芸術がある。
どんなに鋭敏な神経を持っていようと、寝食を忘れ、いやなことも辛いこともすべて忘れて、打ち込むものを与えられている。
悲しいことに、才能はごく希な人にしか与えられていなくて・・・
そういう特別なものを与えられずに、感じやすい自分を抱いてサラリーマンや店員になるしかなければ、何時もいやなこと辛いことに苛まれる人生になってしまう。

そんな話をしながら訊いてみた。

「ね、高価な食材で物凄く手が込んでいる物しか美味しいと思えなくなったらどうする?」
「うーん、そうなったら辛いかも・・・」
「あれもこれも美味しい、でも、これが一番! くらいに思って生きたほうが幸せでしょ?
神経質にばい菌を除菌するより、ちょっとのばい菌には負けない身体を作ったほうが健康的でしょ?」
頷く彼女。

この前まで、彼女は自分の生きる方向に迷っていた。
今でも悩んでいるようだが、今まで続けてきた仕事を、とりあえず、続けることにしたらしい。

「どんな人でも、誰かの影響や作為と無縁には生きられない。
まるで洗濯機の中で回されているように、人は周りの多くの他人に、引っ張られ、放り出され、絡め取られる。
その中で、自分の求めるものを手に入れようと努力しても、自分の意思だけでどうにもならない。
向こうからも選ばれなければならない。
選ばれたかどうかは、それを続けられるかどうかで解るのよ」

彼女が転職しようとしてもなかなかできないのはそう言うことなのではと私は思っている。
少なくとも、今がその時期ではないのだろう。

女の子はあっという間に変容し、まるで違う人生を歩み始める。
来年の今頃にはお母さんになっているのだって可能。

そうやって、多くの生徒達が結婚し母親になり、教室から離れていったように、いつか彼女も往ってしまうのだろう。
でも、いつか、彼女が子育てに悩んだときにこの話を思い出し、子供に非凡であることを強要しない親になってくれれば良いのだけど・・・

c-rawumber ←さて、今日のブログランキングは?
 ポチっとしてね

|

« バーストだった | トップページ | 田舎モン? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 名残の季節:

« バーストだった | トップページ | 田舎モン? »