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2004.12.18

月を見ると思うこと

私が幼い頃、人間は月に降り立った。
(どうもこの点は怪しいと思っている人が多いが・・・)

私は月着陸が物凄い偉業だと思わなかった。
反応の無い私に両親は呆れたが、小説や漫画では月に行くのが当然だったので、そんなことは当たり前のような気がしていたのだ。

子供の頃、何かを成し遂げることはあまり難しいことではないような気がしていた。
だから、一人暮らしをするときに、食べる物に困るなどと思いもしなかった。
もう、何十年も前の話。

いざ、一人暮らしを始めると、母親を手伝ったことも無ければ、寮で三食与えられていた身では、何一つ作れず、ご飯を炊いたことも無く、味噌汁を作ったことも無い私は、毎日、はんぺんを齧っていた。
今と違って、コンビニや手軽なファーストフード店が乱立しているわけでもなく、ビンボーな学生では毎日外食するわけにも行かず、少しずつ、野菜炒めをつくり、鮭の切り身を焼いて食べられるようになっていった。
私にとって都会での一人暮らしはサバイバルに等しかった。
のんびりと生きていたツケをそのときに払わされたようなものだ。

頭でっかちで、すべてに不遜で、でも、何一つ自分では出来ない人間だった私。
いまでも、その傾向は大いにあるけれど、人間が出来る範囲と言うものを少しは理解できるようになっている。

だから、今の映像を見るときに、不安を感じずにはいられない。
たとえば、「クリフハンガー」や「ホワイトアウト」
あんな下着一枚や、水に濡れた服で何千メートル級の山や雪山を歩けるわけがない。
何も鍛えていない人なら、数メーターも歩けば寒さに凍えて、倒れてしまうだろう。
だが、映像でしか知らなければ、あの軽装で山に行ってしまう者も出てくるかもしれない。

今さっきスカパーでやっていた「ポケットモンスター」
一人ぼっちの女の子が結晶の世界を作ってしまうのだが、主人公達が救い出す。
本来なら悪役が主人公を助ける。
人生には、そんな都合のよいことは、まず起こらない。
まず、世の中の悪役は悪役の顔をして近づいてこない。
優しい人のよさそうな笑顔で近づいて、何かあれば知らん不利をするのが、現実の悪役だ。
その悪役にしても、自分の中では正義で動いているので、世の中もアイツが悪役だと認定してくれず、下手をすると自分が悪役になっていたりする。

現実の世界に早く触れるのは辛いことかもしれないが、人間としては大切なことだ。
若いうちなら、軌道修正は容易いし、周りもそれを許してくれるが、ある程度の年になっての、軌道修正はかなり難しいし、痛みが酷い。
まず、頭の中の自分ではなく、現実の自分を知ることを早くやったほうが良い。
自分で歩ける歩幅、自分の両腕の長さ、自分で作ることの出来る食べ物、自分の体力の限界、自分一人で出来る仕事量、そういうものをしっかり知る。
それを知ることは今の自分にがっかりすることでもあるのだが、それにより今の自分の立ち位置や範囲が分かる。
そうすれば、次の現実的な目標設定ができるし、誰かのやっていることの凄さがわかる。
誰かに対する尊敬の念も生まれてくる。

月を見るたびに、あそこに人間が立つためには、どれだけの技術とどれだけの努力とどれだけの身体能力とどれだけの運が、そこにあったことかと思う。
これが、私が何十年もかかってようやくたどり着いた実感だ。

イラクに行った青年は、取り返しのつかない場面で、それに気付いたのだろうと思うと、辛くてならない・・・

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