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2004.12.26

12月26日の思い

今日は薄曇りの空から光の筋が落ちている。

昨日、夕方、田んぼの中の道を歩いた。
冷たい風が、歩いていることでホカホカしている身体に心地よかった。
群青色の空に星が散りばめられていて、黒く空を切り取る山の麓に家々の光があった。
その風景に感動して、生きていることに思わず感謝していた。

もう、15年ほどになるが、私は病気だった。
子宮筋腫。
ありふれた病気だ。
一度手術をして筋腫は取ったのだが、取りきれなかった部分から再発するかもしれないと、医師には宣告されていた。
その言葉どおり、5年も立つと、前以上に状態が酷くなってきた。

貧血と低血圧でふらふらになりながらも、再手術はしなかった。
前の手術で懲りたのだ。

夜、眠る前に、明日の朝、私は目が醒めるだろうか・・・
来年、私は生きているだろうか・・・
そう思いながら、暮らしていた。
あの日々、私はいつも死と隣り合わせに生きていた。
幸いなことに、私にあったサプリメントが見つかり、ここ数年はその症状は改善され、100まで生きられそうな気がするおばさんになったのだが・・・

実はどんな人でも死と隣り合わせに生きている。
たとえば、今、赤信号になったので交差点で立ち止まった人が止まらずに歩き出したら、その人は生きてはいないかもしれない。
ほんの数秒待てば、無事に渡り終えることが出来る。
その数秒の違いを、繰り返して、人は生きている。
急に事故や事件で亡くなる人は、その数秒の違いで死に向かったのだ。
人は本当に危ういバランスで生きている。

こんなことを私が考えたのは、いつも行く「俺様キングダム」でクリスマスシンドロームが起こっていて、その中で、山本一郎氏が、

そもそも、私は誰かの親になってその未来を見届けられるほどの時間を持っていない。

と書かれていて、その頃のことを思い出したからだ。

私もあの頃、そう思っていた。
それは今思うと、孤独で冷たく色の無い世界だった。
人間は自分の経験知でしか世界を見られないから、のんびりと生きてきた私には、アレくらいのことがとても深刻だったのだと思う。

この前、利子の返済の三万円のために、人を殺した元プロ野球選手の事件が報道されたとき、たった三万円でと言う人が多かった。
だが、その三万円を払えない結果、起こることへの不安と恐怖が、彼にとっては人命よりも重かったのだと、私には理解できた。
彼自身が理解を超える事態に面して、死にかけていたのだ。

これからも、あんな事件は多発するだろう。
人間が生きる意味を取り違えているのは、事件を起こす当事者ばかりでなく、その回りの人もだから。
つまり、今の世の中がそういう世の中なのだ。

まあ、とりあえず、生きられるだけ生きる。
自分から死を求めない。
それに尽きるような気がする。
人は自分でいろんなことを選んでいるような気がしているが、本当に自分で選べることなんかない。
周りとのバランスで、開ける道は自ずと決まっている。

0082918llさて、想像を絶する人生を経験してそれをバネに生きている12月26日生まれの知人に、この場で、

ハッピー・バースディ! まだまだ若いんだから、楽しんで生きて!

c-rawumber
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