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2004.11.08

国の象徴

昨日から、各局で流れている天皇皇后両陛下の新潟ご訪問の映像。
被災地の方々は「ありがたい。勇気付けられた」と口々に述べられている。

天皇が「人」になられて60年。
それでも、その存在は天皇が神とあがめられた時代を知らない世代にも感動を与えるらしい。
それは、発しておられるオーラのせい?
天皇と言う肩書きのせい?

最近、折に触れ感じることがある。

国の象徴という幻のような存在は国の中にあるものではなく、国を外から見ている傍観者だ。

そういうお立場にありながら、対外的には国を背負わされている。
一人で外出も出来ない不自由な生活を強いられている。
国政に不満があっても、口に出すことさえ許されない。
職業選択の自由と言う国民の権利を与えられていない。
そもそも彼の方々は国民ですらない。
もし、あなたがそういう立場になったら、どうします?
いくら衣食住に不自由しなくても人権侵害だと思いませんか?

つまり、私たちは天皇を敬うことで、排除している。
それでいながら天皇は国民を心配して当然だと無意識に思っている。

だが、彼の方々にはそんな義務は無い。
象徴とは、ただ、いるだけでよい存在なのだから。

天皇制を容認できない人には、私の言っていることは理解できないかもしれないが、現に私たちは天皇やそのご一家に特別であることを強いていると思う。
嫌なら辞めれば良いって?
そんな自由を、憲法上の主権者たる我々は彼の方々に与えていないのだということを忘れないで欲しい。

そんなお立場にありながら、ご自身の存在の不条理を訴えもせず、ただ、民を労い、心からの同情を寄せることができるそのお心のまっすぐな美しさに人は感動するのではないか?

私は戦後の自由教育の中で生まれ育った人間で、彼の方々も一人の人間だと思っている。
だからこそ、人間としての自由を本人の意思ではなく、その家に生まれたことにより奪われている彼の方々に、申し訳なく思うのだ。
一般人なら、せいぜい親が煩いくらいだが、彼の方々にとって、国民全員が小姑みたいなものなのだから、その圧迫感は比べようも無いだろう。

このまま「善なること」を押し付け続け、新しい精神の契約を結ばないならば、その存在を失いかねない。
今が真の転機なのだと思う。

私は今の状態で、天皇ご一家に私たち庶民が返せるものがあるとするなら、それは「存在に感謝し、言葉に感動する」ことなのだと思う。
もしお目にかかれることがあれば、心置きなく感動しよう。
それはささやかながら、国民の私が出来るたった一つの罪滅ぼし、たった一つのお返しなのだから・・・

ああ、でも、その場ではこんな理屈など必要ないんだろうなあ。
きっと、自然に涙が流れるのだ。
でも、そのせいで、国民は彼の方々に甘え、向こう側の不条理に思い至らなくなってしまうのだろうなあ・・・

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