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2004.11.16

痩せたら幸せになれる?

――容姿の優れた女性が真に幸せになれるか?

私のようにチビ、デブ、ブーの負の三拍子揃った凡人は、つい、痩せたいとか、もう少し身長があればとか、もう少し顔が引き締まればとか、あらぬ欲を出して無駄な努力をしがちだ。
が、果たして、背が高く細くて美人であれば幸せなのか?

長年の観察の結果だが、そんな格別の美人ではないほうが、それなりに幸せそうだ。
美男美女ではないある夫婦の喧嘩の話を聞くと、「おいおい、そこまでのことを相手に言っても大丈夫か?」と思うような言葉をお互いに投げつけあっている。
でも、そこの夫婦は何十年もその調子で、別に離婚しようとも思っていないらしいし、結構楽しそうだ。

これが、芸能人のように、正の三拍子揃ったような人たちなら、さっさと離婚するところだろう。
だが、嫌なことを乗り越えずに逃げていると、その繰り返しをして、最後は孤独な老後と言うことになりかねない。
喧嘩する相手がいるだけ幸せと言うもんだ。

楊貴妃やクレオパトラ、小野小町といった歴史上の美人の最後も、かなり悲惨だ。
殺されたり、自殺したり、行方不明。
美人に生まれたからこそ歴史にも名が残るポジションを得たわけだが、あまり嬉しい結末ではない。
美人が幸せであるとは限らない見本のような人たちだ。

私も含めて、世の多くの女性は美しいことが幸せで有ると思いがちだ。
そして、美しいこと=痩せていること。
今の自分の問題が痩せることですべて解決するような「幻想」を持っている。

痩せるということは、簡単なことではない。
ちゃんと痩せられた人は、かなりの努力をしたことになる。
それだけの努力をしたからには、きっと幸せになれるに違いない。
そうでなければおかしい!
と言う論理なのだろう。

しかし、いったい、いつから、太っていることが醜いと定義づけされたのか?

で、考えてみた。

日本の歴史の中で、ついこの前までは、痩せている人が多数で、太っている人間は圧倒的に少なかったはずだ、
食料に不自由する生活が、太古から続いていて、餓死者まで出ていたのだから。

その中で太っていられたということは痩せている多数から搾取する者だったはず。
そこで、平民はそういう相手を醜いと侮蔑することで、憂さを晴らしたのではないか?

その「太っている=醜い」という過去の思い込みが、今の豊かな人間を居た堪れなくさせている。
そんなに太っているように見えない人が、まるで荒行のように痩せようとするのはそのせいかもしれない。
そうやって考えれば、自分は個としてここに存在していると思いがちだが、たかが体型にしても、自分の記憶には無い過去の呪縛から、抜け出せないでいる。
過去の記憶に支配されて、拒食症や過食症に陥る人間がこんなに多いとしたら、皮肉なことだ。

身体機能も太っている状態に慣れていないから、それに耐え切れず機能不全になって、私のように医者に痩せろと言われたりするし・・・
まあ、しばらくは「痩せている=美」の状態が続くのかもしれない。

だが、アメリカでは今ふくよかであることが美とされかかっていると、この前、ある人から聞いた。
もしそれが本当なら、今、「痩せるためには金がかかる=金持ち」と言う構図が出来ていて、ビンボーな平民が、妬んだ結果?

幸せはたかが体型に左右されるようなものではない。
が、見えるものにしか感心が無い間は、流行の体型に右往左往するしかない。


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