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2004.10.31

ハロウィンは静かに

空は薄曇。
地上ではいろんなことが起こっている。
悲しいこと、理不尽なことがいっぱい。
でも、今日はその話はやめます。冷静には語れないので・・・

さて、最近、私のブログに来てくださる方がかなり不特定多数になってきているようです。
検索ワードというアクセス解析を調べてみました。
ここにたどり着くのに、どんなキーワードを使ったかと言うやつですね。


1  地震 (26)
2   田中真紀子 (24)
3   郵政民営化( 14)
4   葛葉( 11)
    炊き方( 11)
6   佐藤愛子( 10)
    マツタケご飯( 10)
8   瀬戸物祭り( 9)
9    真紀子( 8)
10   京唄子( 4 )
     講演会( 4 )
12   猿沢の池( 3)
13   脾臓( 6)
     先祖( 6)
15  江戸川乱歩賞( 5)
    王様( 5 )
    金( 5 )
18   サザエさん( 4 )
    胡蝶の夢( 4)
20   葡萄月( 3)
    横真紀子( 3 )
    熊野古道( 3)
その他、東京、気温、高学歴、衣服、子? etc.

どうしてこれでたどり着けるのか、不思議??
と言うものも多くあります。

で、このキーワードでググって見ました。

10/31現在のデータです。

「地震」では100件内に入っていません。
でも、それに、「田中真紀子」を加えると、36件目にヒットします。

次に、「郵政民営化」83500件中の30件目。
「郵政民営化って」にすると501件中のトップになります。

「葛葉」では3件目。まあ、これは納得。

「炊き方」では100件内に入っていない。これも当然。
美味しいご飯の炊き方が軒並み並んでいます。
ですが、それに「マツタケご飯」を加えると6件目にあります。
ただしそれは13件と少数派。
でもねえ、マツタケご飯の炊き方を求めてきた人には何の役にも立たない記事なんで、怒って帰った人もいるかも・・・

「瀬戸物祭り」ではトップ。

「京唄子」「講演会」とすると8件目にヒット。
これは「齋藤孝」氏の講演会の話なんだけど・・・
ちなみに「齋藤孝」「講演会」でも15件目に入っていました。
でもさすがに「齋藤孝」では100件内に入っていません。

ひえー、「真紀子」では133000件のうち、16件目に入っている。

「金」「王様」では89400件中3件目。

「東京」「気温」「衣服」とすると35件目。
「衣服」「気温」「東京」では26件目と微妙に違います。

「雅子様」「高学歴」では8件目。

「胡蝶の夢」では12件目。

「猿沢の池」は87番目なのですが、これに「手」を加えると15番目になります。
さらに「茶店」を加えると、トップに躍出!

「葡萄月」では見事224000件中のトップ、凄ーい。

ただ、「子?」ではどうしてもたどり着けなかったんですが、どうやって来たんでしょ?
良かったら、教えてください。

でも、こんな回りくどい検索しなくても、「葛葉真紀子の棚」で検索すればオッケーじゃ無いの?
と言う疑問は残ります。
100件近くなった過去の記事を探してくれているのかな?
それとも、ブログ名を忘れた?

それにしても、HPで同じことを書いていても、ぜんぜん検索には引っ掛らなかったのに、ブログに移した途端、上位になれるなんて・・・やはり、ブログの力は素晴らしい!
ココログ様ありがとう!

さて、本日0時、新作小説「満月伝説」をアップしました。
神楽坂史記の世界」と言うブログです。
「光溢るる野辺に」と同じURLですから、ブックマークされている方はそのまま行けます。
お暇な方は、ぜひ読んでくださいね。
今度のは、なんともお気楽な話で、本格好きとかスプラッタ好きの方はきっと腐ってしまうでしょうから、オズズメしません。
和みを求めるメルヘン好きな方向きです。

さて、今日はハロウィン。
お化けや魔法使いの日。
人間は大人しく、家に閉じこもって本でも読みましょう。


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2004.10.30

キダムの時代

毎日、私は板倉雄一郎氏のブログを覗いています。
前にも書いたけど、私は彼の大ファンなの。
彼の書くものには、少年のような純粋さが透けて見える。
長年積もった人生層(地層のようなもの)の底にあるものが、ほんの時々だけど垣間見えて、嬉しくなってしまう。

それから、週一回、室井祐月さんのブログも覗きます。
楽しい文章が室井さんらしくて良いんだよね。

でも、最近、板倉雄一郎氏はコメントを公開しなくなった(もともと、トラックバックは受け付けていなかった)し、室井さんはトラックバックやコメントに傷ついているらしい。

そう言えば、私は板倉氏のブログに「何をしない人?」とコメントに書いて騒動を起こしたわよね。
室井さんの記事にもあの前にトラックバックを送っていたわ。
――もしかして、悪いのは私? 
な~んて、思い上がってはいけませんね。


キダム(QUIDAM)とは「名も無き人々」 
去年、私は ”シルク・ドゥ・ソレイユ”の公演を見て、身体が持つ表現力の凄まじさに圧倒され感動したのだけど・・・
今、インターネットの世界でも「キダムの時代」が始まっているのだと思っています。
その勢いは、やはり、凄まじく他を圧倒するようです。

これまで、作家は一方的に自分の思いや感情を発信してきました。
それは本と言う媒体がそういうものなので、読者は各々の感想を作家に発信するすべが無かっただけのこと。
ついでに言えば、作家とは書いたことに責任を持つ人。
書いた作品にどんな反響があろうと人生が変わろうと自分で受けて立たなければならない。
その責任に印税が払われるのです。
ただ、今までは、そんなに過激な反応は無かったのかもしれない。
発信の方法が一般ピープルには分からなかったから・・・

だけど、インターネット、特にブログは、良くも悪くも双方向の発信を可能にしてしまった。
作家が書いた文章のその下に、断りもせずに様々な思いを込めたトラックバックが送り込まれる。
今までは耳に届かなかった悪口が、どうどうと書き込まれる。
あやふやなことを書けば、それに対する反論が即座に書き込まれている。

書くことを生業にしている者に、書くことを趣味にしている者が、ダメだしするのが可能な世界。
作家にとっては、なんともはや・・・の世界なんだろうなあ。
でも、これからはそういう時代になると思ったほうがいいかも・・・


そう言えば、以前、私の記事にも、ある反論のコメントがあったっけ。
こんなマイナーなブログにコメントを頂いたのは嬉しかったけど、ちょっと、ドキドキ。
感情についてなら、「自分が思ったことだから他人にあれこれ言われてもな」と開き直れるけど、事象のことで間違いをするのは、やはり困る。
幸いにして、そのときは向こうが思い違いしていたようで助かったのですが・・・

でも、そのコメントをした人はブログを閉じてしまいました。
別の事情だったのかもしれないけど・・・
もし、ブログを閉じた理由が私へのコメントのせいなら、それは、ちょっと・・・

――あなたは自分の憶えていることが正しいと思って、コメントしたんでしょ?
だったら、いいじゃん。
ブログを閉じたり発言を消したりしないで、「え~私ってば、ずっとそう思っていたよ。ごめんごめん」
で、済んだんじゃない?
恥なのは間違ったコメントを書いたことじゃなくて、自分の書いたことに責任を持たないことなんだと思うよ。

こんなことを書いて、気分を悪くするかもしれないけど、でも、これは大切なことなの。
「気分悪いから、このブログは閉じよう」とか、「別のを立ち上げよう」ではなく、
「今度はちゃんと調べてから書こう」と言う方向に行ったほうがいいと思うの。

誹謗中傷する人は、ネットでは匿名だから勝手なことを書いても良いと思っているかもしれないけど、匿名性と言うのも怪しいもんで・・・
ネットに繋がっている以上、どこかに、自分の情報は提出しているはず。
つまり、完全な匿名などありえない。
他人を誹謗中傷するときは自分の素性が知られるのを覚悟したほうが良いかも。
本人は自分と相手しか見えていないけれど、そのやり取りは多くの人の目に晒されてジャッジされているのだから・・・

ブログ人はブログを書くことによって、名も無き人(キダム)だが作家にもなっている。
自分で費用を払い、書き込み、トラックバックやコメントで読者を増やし、何の見返りも無いかも知れないのに頑張っているのは、発言する喜びを知ってしまったから。
その発言を封じることはもう出来ない。
だから、自分のブログで悪意ある発言をされたくなければ、トラックバックもコメントも封じるしかない。
それはそれで、自由だし、それに対し、あれこれ、言うのも自由。

あまり、ねばならないとか、であるべきだとか考えずに、他人の考えも尊重してブログを楽しもうよ。
このキダムの時代は、今までになかった時代なんだからさ。
私たちは先駆者。
匿名じゃなければ言えないような悪口雑言のために、大切な自分の思考や時間を使うのは辞めよう。

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2004.10.29

救援物資

「したいけど、今の私は無理ね」
私が救援物資を送ったことを話したら、友人が言った。

自営業の彼女の家は今はとても厳しいらしい。
彼女は阪神淡路大震災のとき、グループで古布団を打ち直して座布団を作り、送ったと言う。
「でも、今はそんな余裕が無いの」
夫の仕事がうまくいかないこの時期、彼女には金銭的にも精神的にもそんな余裕は無いと言う。

――いいんだよ、やれるときにやれるだけのことをすればいいんだから。

私も阪神の時には母の病気や自分の病気やら何やらで、被災者のことを心配するどころじゃなかった。
私のことも助けてよと思うくらいだった。

その経験があって、辛いときに手を差し伸べてくれた人に対する感謝を私は持てるようになった。
お金のことじゃない。気持ちなのだ。
自分の生活を危うくしてまでの援助は、援助したほうの気持ちが次第に恨みに変わってしまう。
自分を保てる範囲で何かをするということが大切なのだと思う。

今日行った美容院の先生も何か送りたいけど、送っていいものか悩んでいると言っていた。
阪神のときの報道で、援助物資の仕分けに困っているとか古着が溢れて困るという報道があって、二の足を踏んでいるらしい。

彼女の娘にはもうすぐ孫が生まれる。
彼女にとって二人目の孫だ。赤ちゃんのことが気になるらしい。
「服を買ってまで送れないけど、オムツとかお尻吹きとか哺乳瓶はどうかな?」
と言う彼女に、郵便局で無料で送れる方法を教えてあげた。

まず、送るものを衣類と食料品に分ける。
箱の外側に中身を詳しく書き、援助物資と大きく書いておく。
郵便局に持って行き、援助物資ですと言うと、無料で送ってくれる。
ただ、送り先には指定があるので、それは調べていくか、郵便局で聞いたほうが良いかも。
今必要とされるものについてはこちらで確認したほうがいいかも・・・

衣類は下着・靴下は新品のもの、上着も出来れば新品、古着ならちゃんと洗濯したもの。
食料は保存の利くレトルト食品などが良いみたい。
赤ちゃんのオムツ、ウエットティッシュ、使い捨てカイロなどが不足しているとのこと。

それにしても、あちらでは水害、こちらでは地震、その上イラクでは誘拐・・・
改造したばかりの内閣でこれに対処するのは大変だろうなぁ。

私は小泉さんに不満が無いわけではない。
だが、この国家的危機に面しては、あーだこーだ、言っている場合じゃない。
野党も総理をこの機に引き摺り下ろそうなんて姑息なことを考えず、この危機に対応する方法論の論議をちゃんとするべきだと思う。

ある友人は、来週、カニの食べ放題旅行に行くと言う。
「こんなときに、そんなことしていていいのかなと思うのよね」

――いいんじゃない。
自分の生活は普通どおりしたほうがいいよ。
大変な人がいるからと言って、皆が何もしなくなっては、旅行業者だって困るし、経済活動も縮んでしまう。
普通の生活をするのもひとつの救済なんだって。
そのかわり、いつか、自分が災害にあったときに、普通の生活をしている人たちを妬むのは辞めようね。

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2004.10.28

オカルトな話

今日、週刊誌を読んだら、地震を予知していた女性の話が載っていました。
実は私も、あの地震の3日ほど前に、インターネットのどこかで、新潟で地震が起こるという記事を読んだ記憶があったのですが、さっき探したけど見つかりません。

その掲示板には、多くの人からの地震の夢を見たという書き込みがあったように思います。
雉やカラスが地震の前から騒いでいたとか、犬や猫がいつもはしないことをしたとか、いろんな宏観異常があったそうですから、人間だって、夢くらい見ても不思議はないように思います。

でも、問題なのは、それが後から「そういえば・・・」になることで、政府はそういうのをオカルトとか気のせいとか決め付けず真剣に取り上げたほうが良いように思います。
陰陽師を重用した朝廷は正しかったのかもしれません。

最近、「テレビの力」など見ていると、超能力の持ち主って本当にいるのだと思ってしまいます。
そんな根拠の無いものをどうして信じられるのだと馬鹿にする人もいますが、地球は平らだと思っていた時代もあるのですから、今はそういうものの根拠は見つかっていないけれど、ちゃんと、科学的にも証明される日が来るのではないかと思います。

もしかしたら、死者には交信する力があるのかもしれないと思うときがあります。
少なくとも、霊能者といわれる人たちにはそれが出来るらしい。

さて、もしも、ですよ。
人間は死んだ後、霊になってそこらにいるとして――

あるとき、その霊たちと交信出来るようになり、死者の霊が生者の生活に口を挟むようになったとしたら?

死んだひい祖父さんから突然電話があって、「ああ、お前、今日はあっちの方向は行くな、事故があるぞ」とか、
朝、枕元に死んだおばあちゃんがいて、「お前は三日後に死ぬことになっているのよ。ついては今のうちに遺言書を作りなさい。そうしないと5年後に長男が次男に財産争いで殺されることになるわ」とか、
亡くなったお母さんの霊が現れて、「あんたの旦那、仕方ない人ね。だから結婚反対だったのよ。あの人には愛人がいて、今夜は残業ではなくて、その愛人のところよ」とか、
言い出したらどうします?


だが、死者は沈黙しています。
あの原爆ドームの階段で影になってしまった人でさえ、不平不満を言ってきません。
といっても、彼らにも何らかの意思はあるに違いないのです。
少なくとも、人の怠慢や強欲の結果の災害や戦争には、NOと言いたいに違いない。
人の命、肉体を伴う短い時間を、悪意で過ごす事の無いよう彼らは願っているに違いない。

地球が悪意で汚され、自然が破壊され続ければ、電気エネルギー体の霊もデリートされるのではと思います。
人として生きた記憶すべてが消去され、人間どころか霊の存在も終わる瀬戸際に来ているのでは無いでしょうか?

最近、スピリチュアルと言う分野の専門家が出ているのは霊の危機感の表れなのかもしれません。

などと、ちょっと、話題は怪しい方向に飛んでしまいましたね。
でも、私たちのしていることを、「まるっと、すきっと、ずらっと、お見通しの存在がいる」と考えれば、今の行動を少しは反省したりしますので、霊や神を信じない人も、少しは、自分の目に見えないものもあるかもしれないと思ったほうが良いと思いますよ。

そういえば、父が死んだとき、彼は病院で夜中になくなったのですが、その前の巡回に来た看護婦さんに、
「今日は人がいっぱい来て、部屋に入りきれないなあ。見たこともない人もいっぱい居るなあ」
と言ったそうです。
「ま、このじいちゃんたら、ボケちゃって」と看護婦さんが思ったかどうか分かりませんが、次の巡回のときには、もう脈は無かったそうです。
死因は老衰でした。外傷も無く、これと言った病気も無く、衰弱して死んだので、そういう死因になったのだそうです。

で、彼は、我が家に在る自分が作った水屋に置いてあったお塩の入った皿を真っ二つにしてくれました。
次の日、葬式のために、お数珠を取り出したときにそれに気付き、私は震えたもんでございます。

季節外れの怪談になってしまいましたね。

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2004.10.27

届けたいもの

新潟の地震は収まらない。
今日もかなりの余震があったようだ。
行方不明のお母さんと子供の救出の報道を見ていた。
お母さん、残念だった。あの子・・・助かって欲しい。

昨日、知人たちと(男性・70歳代と女性60歳代)、それぞれに地震の話になった。
彼らは新潟のことを心配しながら、つい、「それにしても」と言う。
男性は、「あんな揺れじゃ、寝たきりのばあさん置いて逃げにゃ行かんなあ」と苦笑いし、女性は「家の中に非常用のものを置いたって無駄ね。私、早速、いろんなもの畑の倉庫に入れたわ」と言った。
どうも、こういう場合、女性のほうが建設的らしい。

私は自分の家が地震に堪えられないのではと、ずっと、不安だった。
だが、変な話だが、その不安は無くなった。
あんな地震が来れば、耐震だろうが免震だろうが百年住宅だろうが、持つものじゃない。

――壊れるのは皆同じだ。心配するだけ無駄ってもんだね。

どんな頑強な地盤だろうが、杭を百本打ってようが、地盤自体がずれれば何の役にも立たない。
家は倒れるものと思って備えたほうが良い。

神戸のときに、あれだけの犠牲者が出たのは、あそこが住宅密集地だったせいだと思っていた。
鳥取の地震が起こったとき、それは確信に変わった。
鳥取ではほとんど被害が無かったから・・・
それで、私は自分の住んでいる土地は大丈夫だろうと判断していた。
なんといっても、かなりの田舎だ。
住宅は神戸ほど密集していないし、ビルも無い。
最初の地震で外に出ることさえ出来たら、後は何とかなると暢気に思ったのだが・・・

今度の地震でそれは甘い考えだと分かった。
知人の女性の言うとおり、家の中にいくら備蓄しても、家が倒れたり入られない状態になれば、食料も無く着の身着のままになってしまう。
うちの辺りは、下水を完備したが、川の水は飲めるほど綺麗ではない。
水にも困るだろう。

新潟のような地震が東海地方で起これば、たぶん、東京も無事ではないだろう。
救援はどこから来るのかしら?
この東海地方(愛知、静岡、三重、岐阜)の人口は約1500万人。
約1億2000万人の日本人の一割強が住んでいる。
しかも、この地方には日本経済の牽引役の企業の主力工場がある。
うちを中心に考えても、うちの後ろの山にはソニーの工場があるし、向かいの山にはデンソーがある。
こんなところが、皆、あのがけ崩れ現場みたいになっちゃったら、どうする!?

日本経済はがたがた。
終戦時の状態に戻ってしまう。

で、私はいろいろと考えた結果、救援物資を作ることにした。
今日はそのために買出しに行き、自分が、そういうときに貰えば嬉しいだろうと思われるものを、詰め込んだ。
高価じゃないし、ささやかな物だけど、これから一ヶ月、少し、うちの食費を切り詰め嗜好品を我慢すれば良いくらいのものを用意した。
そのショッピングセンターで募金もしてきた。

今まで募金はしても、物を送ると言うことはしていなかった。
迷惑になってもと思ったからだ。
古着が溢れて困るとか、いらないものがゴミになったとか報道されていたので・・・

でも、今回はどうしても何か直接送りたくなった。

たぶん、そんなに遠くない将来、私や家族があの体育館にいる人になる時が来るかもしれない。
そのときに、今、何もしないでいたら、私は配給されるものを後ろめたく思わずに受け取れないだろうと思ったのだ。

その分もお金にしたほうが、本当は嬉しいと言われるかもしれない。
でも、お金の心配は国がすればいい。
そのための税金なんだから。

私はあの人たちに例え一枚の下着、例え一個の飴玉でも、自分の手で選んで渡したかった。
「私が今日出来るのはこれだけです。ごめんなさい。
どうか、こんなものですが受け取ってください」
そういう気持ちを届けたかった。

明日、一番で発送するつもり。


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2004.10.26

霧月の始まり

この前、齋藤孝氏をぐにゃぐにゃと表現したのは、あの方の身体がとても柔らかく、なおかつ、それを使って講演なさったから。
まるで落語を聴いているかのような話言葉の技術には、ぐいぐい引き込まれ、皆、思わず笑顔でした。
さすが、「上機嫌を作る」ススメをなさっている人らしい牽引力!

聴衆にも立ち上がれ、小刻みにジャンプしろ、声を出して文章を読めと、次々に要求します。
(居眠りする間もありゃしない)

齋藤氏によると今の人間は不機嫌=身体が固い。
身体が固いと笑えない――笑いは身体能力のひとつなんだそうな。

そこで、身体を揺さぶり液体化すると、不機嫌になりようが無いとのこと。
ああ、分かるなあ。
液体化した身体では、顔の筋肉も「だ~よん、だよ~ん」になって、しかめっ面なんて維持できないもの。

「イジメは虐める側の人間が自分に未来を感じなくなったときに起こる。
つねに「何かへの憧れ』を持って生きていると、それに夢中で、他人の小さな欠点やしていることに興味が持続しない。
つまり、他人をイジメている間が無い。
先輩や先生が何かに憧れていると、後輩や生徒はそれに巻き込まれて、良い連鎖が生まれる」
そんなことも仰ったように思います。

この前、私のつたない言葉で書いたことを、見事な表現で話されていて、「凄い!」と私は「憧れ」を持ってしまいました。
もうしばらく、私の周りは安心地帯です。
とりあえず、私にイジメを受けることは無いかも・・・

今年のまとめに入るのはまだ早いのですが、今年の私の目標は、
「外観を整えること(綺麗になること)、尊敬できる人に出会うこと、出かけること」でした。

綺麗になることは案外簡単です。
私も化粧をちゃんとしただけで、姉が私を妹と紹介した人に、姪の妹(姉の子供の妹)と誤解されました。
つまり、年齢よりもかなり若く見られたわけです。
(かなり嬉しかったです)
外観を整えるのは、化粧や着る物に気をつければ簡単。
ちょっと、費用は掛かりますが・・・

難しいのは尊敬出来る人に出会うこと・・・
なるべく講演を聴くように心がけていて、今回の齋藤氏のように直球で飛び込んでくる言葉に出会えました。
それと多くのブログを訪ねて、明らかに私よりも年下らしい人の言葉に感動したりしています。
私の心が開いたせいで、それまでも存在していたのに見過ごしていたことに気付くようになったのだと思います。

出かけることはちょっと足りないような気がするので、後2ヶ月で、もう少し頑張りましょう。

「たそがれの国」もあと少しで終わり。
葡萄月が終わり、22日からは「霧月=ブリュメールBrumaire」が始まっていたらしいです。
革命月は始まりも革命的なのね。

さあ、何があっても、上機嫌でいられる霧月になりますように・・・

 
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            講演会の花です。

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2004.10.25

私に出来ること

地震の被害を報道しているテレビが、次の瞬間、グルメ番組になっているというのは仕方ないことです。
それをするなと言うのは、ファッショに近いものがあります。
でも、朝から冷たいおにぎりしか食べていない(自分の選択で無く)という人たちを見た後で、それを見ると、なんだか申し訳なく後ろめたくなり、ついチャンネルを変えてしまいます。

一昨日の朝、いつも行くAコープに行くと、祭りを開催していて、キャベツ1個98円で売っていました。
開店前だと言うのに何百人もの行列!
主婦としては並ぶべきなんだろうけど・・・やめました。

昨日、そのAコープでキャベツを買いました。
うちは少人数ですので、いつも半分しか買いませんが、今回のキャベツは半分で198円でした。
確かに・・・高い・・・でも、

――私は雨の被害にあった方たちに、直接何が出来るわけでもない。
・  せめて、その人たちの作った農作物をいつもより高く買っても、
・  バチは当たらないよね。
・  募金をするつもりで高い野菜を少しでも購入しよう。

我々が高いキャベツやトマトを敬遠して、それが売れなければ、次回、同じような災害があった時、農家は買い叩かれます。
やっていけなくなる農家も出てくるでしょう。
日本の農業をこんなことで見捨てては、この国に未来はありません。

日本の食糧危機はもう始まっています。
見掛けの良い作物、季節外れの作物を作る農業は災害には弱いのです。
今はまだ、外国からの輸入で急場を凌げるでしょう。
ですが、それが無くなったら?
この異常気象は常に日本にだけ起こるとは限りません。
日本が災害にあったときに、輸出国が食糧危機になれば、我々は、それこそ庭の雑草を食べなければならない時が来るのです。

ここで問題なのは、除草剤を撒いた後に生えた草を食べることが出来るか?
ダイオキシンで汚染された川の水を飲むことが出来るか?
と言うことです。

すべては連鎖しています。

今、何気なくやったことが、後日、どんな結果を生むか分かりません。
一番心がけて置くべきことは、周りの土地を汚さず、清浄にしておくことです。
それさえしておけば、川の水も飲めますし、草も食べられます。
生きていくのに不足することは無いのです。

今度の地震は田舎だからと安心できないということを教えてくれました。
都会も田舎も関係なく、災害は人を襲います。
ほんの少し地球が身震いしただけで、あの被害です。
地球にとって、我々人類など蟻と同じ存在なのだとつくづく感じます。

餌を求めて里に出てくる熊のように、日本人が放浪することの無いよう、今、高い野菜を買うぐらいのことを(出来る人は)したほうが良いように思います。
トマトひとつ、キャベツ一個、きゅうり一本、確かに高くなっていますが、神戸牛に比べれば安いもの。
ちょっと贅沢したと思いましょう。

――さて、今日は鍋にしよう
・  災害地に行ってボランティアは出来ないけど、
・  日々の暮らしの中で出来ることをするのだ。

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2004.10.24

10月23日に起こったこと――予測出来ない未来

昨夜の齋藤孝氏の講演会は、とても、楽しかったです。
昔、京唄子氏の講演会で、老若男女を問わず、おいおい、泣いたのを思い出しました。

で、昨日の齋藤氏は、うーん、と、一口で言えば、ぐにゃぐにゃ!?☆

その話の内容については、少し、私の中で熟成させてから、書くことにします。

講演は8時過ぎに終わり、花束を入れていた籠を引き取り、ロビーに出て、あの事態を知りました。

大きな液晶画面に映し出されたニュース、その内容は衝撃的なもの。

――新潟で大地震

一昨日のブログで、私は予測できない未来について書きましたが、まさに、誰も予測し得なかった未来が、そこにありました。

家に帰り報道を見ていても、暗い中では報道をしている方も全容が分からないようで、もどかしい。

朝、起きて報道をみると、被害の全貌が明らかに。
ヘリコプターからの崖崩れの映像や壊れた民家の映像には、息を呑むばかりです。

震度6であんなにも、家が壊れ、道路が陥没し、山が崩れるなんて・・・しかも、新幹線まで脱線している!
鳥取の地震も確か震度6だったと思うけど、この差はどうして?
やはり、あの豪雨のせいで地盤が緩んでいたのかしら。

いまでも、次々と地震が起こっているようです。
被災地の方たちはどんなに怖く心細いことでしょう。

心配をしていても、現地にいる人とテレビ画面を通じてしか見ていない者との間には大きな断層があります。
でも、せめて、亡くなった方々を偲び、あの地にいる人々の無事を祈りましょう。

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2004.10.23

リッツの報い?

一昨日、非常食用のリッツを盗み、極楽を決め込んでいた私ですが、その報いは思いもかけない形でやってきました。

――報いその1
一昨昨日の時点で入荷しているものと思った花が、なんと「トカゲ」のせいで入荷していなかった!
それを知ったのは一昨日の夕方。
得意の農家周りも今回は台風の後だから出来ないし、極楽のはずがいつの間にか崖っぷちに立っていたの。
とりあえず、金曜の朝の生け込みはあるものをかき集めて、完成。
金曜日の昼からの発表会の準備は、時間をずらして午後の入荷を待ち、水揚げも出来ていないものを、その場で選んで構成するという荒業に出ました。
企画していたものはやめて、ブーケにして、何とか、完了です。
ああ、あの時休まなければ・・・
いいえ、あの時休んだから何とか出来たんだと思うことにしましょう。

――報いその2
作家志望なら他人の日記を揶揄せずに創作に励めと書かれたこと。
私にそのつもりは無くても、相手がそう受け取るのなら仕方ありません。
人は何を感じ、何を言おうと自由ですものね。
ま、その点で言えば、私が何を書くのも自由ですので、これからも自分の責任でいろんなことを書くかもしれません。
それに、こうやって書いていることも、本当は全部創作だったりするかも・・・

まあ、楽しく気楽に生きていると見えても、人はそれぞれ何かを抱えているものです。
その何かは人によってそれぞれ。
人生は、思わぬところで落とし穴に落ちてしまいます。
今度のことはそれぞれ今後の教訓に致しましょう。

さて、今日は斉藤孝氏の講演会。
さっき、生けこみに行ってきました。
このあと、少し、オシャレして講演を聴きに出かけます。
ホワイトボードが用意されていましたので、メモも持ってっと。
お馬鹿な私も今夜は少しは賢くなれるかも・・・

それでは、行ってきま~す!

皆さんも楽しいサタデーナイトをお過ごしくださいね!

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2004.10.22

予測出来ない未来へ

今朝、忙しい中、テレビを見ていたら、「とかげ」の去った後の特集をやっていました。
その中で、自宅が水に浸かって亡くなった方の報道があり、思ったことがあります。

――自分の家で溺れて死ぬなんて、この人は思いもしなかっただろうなあ。
その家が完成したとき、彼はどんなにか嬉しかっただろう。
その家で子供を育て、定年を迎え、穏やかな老後を送り、家族に看取られて亡くなると信じていたに違いない。
将来の不安と言えば、ボケて家族に迷惑をかけないかとか、年金が少なくなったら困るとか、そのくらいのことで、突然、そんな最後を迎えるなんてことは、彼にとって思いかけなかった事態だった。
だからこそ、水に浸かりかけた家に帰ってしまったんだろうなあ。


今、たいていの人間にとって、予測出来ない未来が始まっています。
それは、日本が転換期に来ているからだと漠然と思うことがあります。

幸せな一家が惨殺されたり、穏やかな老夫婦が世話をした外国人に殺されたりするこの時代。
今度のように、不意の災害で何もかも失くしてしまい、人生が変わってしまうような目に遭うこの時代。
――なぜ、こんな世の中になってしまったのか・・・

漠然とした思いの中で思いついたことがあります。
物事の因果関係についてです。

――何故、普通に真っ当に生きてきた人に災害が降りかかるのか?
・  そういう人に殺意を抱くものが現れるのか?

私たちはこの日本の今の時代の生活が普遍のものと思いがちです。
が、実は、この生活は世界的にはとても特殊なもの。
日本は、食うに困る国や戦渦の中に在る国が多い中で、突出した平和と富を得ている稀有な国なのです。

つまり、これは、他国の恨みを買って当然の生活。

では、いかにして、私たちはこの生活を手に入れることが出来たか・・・
それは、戦争と原爆投下の結果による敗戦によってです。

――この生活は多くの悲惨なまま人生を終えた先人たちの命で購われたもの。

それを忘れ、役人は自分の利益を追い、企業は環境をないがしろにし、夫婦は背を向け合い、子供は先人を馬鹿にし、それぞれが自分の役割を自覚しなくなり、この状況が生まれています。

台風の多発と強大化の理由は、はっきりしています。
地球温暖化のせいです。
私たちが我慢せずに使うクーラーや排気ガスやフロンガスや、人口増加による二酸化炭素が原因です。

殺人は我の張り合いと貧富の差が原因です。
今、世界中で、貧富の差が大きく開き始めています。
「幸せな隣人ほど癪に障るものはいない」のです。

とはいっても、日本でも、今までのように、全員、中級の暮らしをしているとは言えなくなりました。
たとえば、ニュータウンなどでも、入居したときには、ほとんど変わらない年収、家族構成だった家々が、次第に、リストラや破産などの社会の波を受け、経済状態にはかなりの差がついているはずです。
何百億の資産を手に入れる人もいれば、すべてを失い、路頭に迷い、人の物を盗むようにならざるを得ない状態になる者もいます。
何かを手に入れた者は手に入れたことを当然と思いがちで、手に入れられない人は努力していないと決め付けますが、たぶん、どちらも幸せを願い、努力したのは同じ。
でも、残酷なことに、結果は常に平等とは限りません。

願ったことを適えられなかった者は、それを手にした者を妬み憎みます。
それは当然の心の動きです。
妬みを無視する平等教育は、その妬みをきちんと昇華する方法を教えません。
表には出せない妬みは悪意となり、人を傷つけるのです。

天災にしても、ほとんどが人災です。
河川を都合の良いように改修し、水に浸かるような土地を売り、手抜き工事の家を建てることに何の痛痒も感じない人間が、災害の真の原因なのです。

この変革の時代に、日本がどの方向に向かうべきか、各自がしっかりと考えなければいけないと思います。

私が考えたって世の中変わらないもん――
と思われるかもしれませんが・・・

わかりませんよ。結構、変わるかもしれませんって。
 


 

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2004.10.21

カボチャの妖精より

心地よい風も入ってくるし、陽射しは暖か。
怪鳥ノックテンがこちらに向かっているようだけど、とりあえず、今日は平穏。

日中、家でゆっくり出来るのは久しぶり。
昨日の緊張のせいか、少し疲れ気味、夜のレッスンまで、うだうだしましょ。

明日から日曜日にかけては発表会がひとつ、会場装花が二つ、ブーケ作成ひとつとかなりのハードスケジュール。
いかに体力アップしたとは言え、精神的に持たない・・・

この精神的に持たないというのが私の弱いところで、まあ、前は虚弱体質がさらに足を引っ張っていたわけですが、ひとつの型には嵌められると息苦しくて死にそうになります。

ねばならない――と言うのが大の苦手。
つまり、わがまま!

そんな私は、今回の室井祐月さんのブログを読んで、うんうんと頷いてしまいました。

私も要請になりたいです。 
――あれ、陽性に、養成に、妖精に、ようやく変換できたわ。
あまり使われない言葉なのね、妖精って。

ところで妖精っておばさんでもなれるんですかしらん?
なれるとしたら、何の妖精かしら?
カボチャとか大根?
カボチャの花って、ちょっと見はハイビスカスに似ている(朝顔タイプだけど)し、大根の花は良い香りなんで、ま、いいか・・・

室井さんは見かけはとても可愛い。でも、精神的には骨太ですよね。
フェミニストみたいに肩肘張らずに、自然と自分の性を楽しんで生きている感じがして素敵。

さて、時代遅れのカボチャ妖精はテレビでも見て・・・
あら、スカパーで「ミス マープル」やっているわ。
なんと次は「ポワロ」じゃない!
紅茶を用意しなきゃ。
夫が避難用に用意した缶入りのリッツ、食べちゃおっと!

などとやっていたわけで・・・
夫をはじめ、世の働いている人には袋叩きにされそうなお気楽時間を送っておりますです。

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2004.10.20

トカゲの尻尾

無事生還!

救助犬やら、援助物資を用意してくださったあなた(いるわけ無いだろ!)、がっかりさせて申し訳ありせん。
不要です。

トカゲちゃん、今はどこかな?

うちの辺りは、今、なまぬるくゆる~い風が吹いています。
時々、突風もあり、とりあえず、トカゲの尻尾くらいが残っている感じ。

今回、かなり覚悟していたのですが、思ったよりも風は酷くなかったようです。
うち的には、いつもの台風と同じくらいだったような・・・

でも、うちはそんなに揺れてもいなくて、隣の家はちょっと問題かも。

実はあれから用事で出かけたのです。
四方八方からの風で雨が飛ばされて車にぶつかって来て、洗車機の中にいるみたいな感じでしたよ。
(あれでしばらく洗車の必要はなさそう)

用事を済ませて帰ってきて、車を降りた途端――
べリべりとものすごい音がして、どこから聞こえたのかと振り返ると、トタンが目の前に飛んできたのです。
隣の家の物置のトタン屋根が捲れて飛んだということで・・・
「ひぇー、この台風は侮れない」
と、家に入るなり、避難バッグを用意したもんでございます。

テレビで見るとあちこちにかなりの被害が出ているようですね。
進行先の関東地方、水害の被害などはこれからが大変ですものね。
眠れない夜をお過ごしの方も多いでしょうね。

そんな方には申し訳ないのですが、なんか、緊張の糸が切れて、眠い・・・

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救援頼む――かも

「とかげ」が近づいている・・・

台風に名前があるというのはこの前から、ちらほら聞いてはいたのですが、今日、田口ランディさんのブログで「とかげ」と言う名前を知り、調べてみました。

北西太平洋領域で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国の言葉で動植物や自然現象に関係する名前)をつけることになりました。  平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は26.7個ですので、おおむね5年で台風の名前が一巡することになります。
          ――台風のアジア名より

三重に大被害を与えた21号は115番.北朝鮮の命名の「 Meari、 メアリー」 やまびこと言う意味です。
静岡に大被害を与えた22号は116番.香港 の命名の「Ma-on マーゴン」 山の名前(馬の鞍)
今回の23号は117番.日本が命名した「 Tokage トカゲ」 とかげ座。
日本は星座の名前をつけているようです。

ちなみに次の台風は、118番.ラオスが命名した「 Nock-ten ノックテン」 鳥です。

わあ、なんかこうやっているうちに、風が強くなってきました。
雨は朝からかなり降っていて、風もそれなりに吹いていましたけど、なんか、それどころじゃない感じ。

え~と、今は台風どこにいるのかしら?
今、四国辺り?
そんな、もう、十分台風モードなのに・・・

これ以上酷くなったら、避難が必要かもしれない――荷物まとめなきゃ!
と言うことで、台風が去ったら、この結果を報告しましょう。

報告が無かったら、飛ばされたものと思ってください。
救援物資、待ってます。

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2004.10.19

サプリメントサプライズ

・・・雨だわ。
久しぶり降ったと思ったら大雨かよ(マサカズ風)――と言いたくなるような雨の日。
花の仕事の後、コンサートの装花を配達して、ずぶ濡れになりました。
あのコンサートにちゃんとお客様が来てくださると良いんだけど・・・

今度のは「超大型台風」らしい。
大型と言う言葉は聞き飽きたわよね。

屋根、飛ばされたらどうしよう・・・
「毎度、こんなことを書いていないで、いい加減引っ越せよ」
と思ったあなた、ご愛読ありがとう!

でもね、今年のお正月、近所の神社で引いたおみくじも、この前、尾鷲の尾鷲神社で引いたおみくじも、
「家移り、悪し」
「待ち人、来るが遅い」
「願い事、叶うが時間が掛かる」
判で押したように同じことが書いてあるの。
今年は今の状態で停滞するようにと言う神様の思し召しらしいです。

――なんて言うのは言い訳で、ここにいるしか無いと言うのが現状・・・

でも、今回の台風は、まだ、私の低気圧センサーに引っ掛ってないようで体調は万全です。

そうそう、今日、熊野古道に一緒に行った友人と彼女のご主人に、ショッピングセンターで出会い、
「あなたってホントに元気なったよね。どうしてそんなに元気になったん?」
と驚かれました。
体力が無くて、何一つまともに出来なかった私が、あんな急な山登りしたと言うのにピンシャンしているんですものね。
そりゃ、驚くでしょう。

昔の私を知っている人は、一様に今の私の状態を信じられないと言います。
子供の頃から病弱だった私、これと言う病名が無かったのですが、とにかく、起きていると息が切れて苦しかったのです。
走るなんてトンデモありませんでした。

姉は、父が原爆が落ちて二日後に広島に行ったせいで、私たちは病弱なんだと怒るのですが・・・
とにかく、子供の頃から丈夫だった記憶がありません。
病弱な山猿・・・?
成人してからは成人病の巣窟みたいになってしまって、今でも、少し、後遺症がありますけど・・・

そんな私を立ち直らせた健康法はいたって簡単。
毎日、あるサプリメントを飲んでいるだけ。

あのサプリメントに出会えて、私の人生は激変したような気がします。
人間って心だけで生きているものではないから、どんなに気力を振り絞っても、身体の調子がよくなければ、生きている実感なんて味わえませんものね。

私の場合、運動なんか出来る状態じゃなかったから、サプリメントと言う安直な方法で良かったけれど、人それぞれ、自分にあった健康法ってあると思います。
体操したり、泳いだり、サプリメントも自分にぴったりくるものがあると思います。
まず、身体にあった健康法を見つけて、健康になるのが一番。
そうすれば、毎日が楽しくなりますって。
 
ただ、脳天気になりすぎると言う副作用はあるかも・・・

**ブログランキング、ご協力くださいね!**


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2004.10.18

アダブラカダブラ

この前、熊野古道に一緒に行った年若い友人からメールで、面白いHPのアドレスが届きました。

「あなたのお肉の値段鑑定します」

早速やってみました。

――さて、私の結果は・・・


品質は輸入冷凍ビーフクラス。
(納得いかないわ。純国産和牛でなきゃ、BSEが心配じゃないの!)

100グラムあたり800円。
(微妙な値段。うちなんかだと高価な肉だけど、金持ちには安い肉よね)

低予算でかつ高級な料理を出す必要のある場合に重宝な栄養価も高く総合的にバランスが取れた肉。
(なるほど!そう来たか)

ぴったりの料理は
地中海風カルパッチョのバルサミコソース和え。
(もろ簡単な料理!)

他の肉との相性
年増の肉と一緒に調理すると旨みが増すが、プライドの高い女性の肉との調理の場合は、お互いの旨みを打ち消しあう。(やっぱり・・・)

この肉を食べる運命の人は
ロンドンで紙芝居やっている57才のパソコン好きなオカマさん。
(ロンドン、そういえば行きたかったんだわ)

――簡単な設問に答えるだけで、ここまで分かるんかい?
と言う疑問は置いといて、結構、楽しめました。

良かったら皆さんもいかがです?
こちらです。


今日は、来週作るブーケの薔薇見本を取り寄せました。

クリームの混じったクリムゾンレッドのバラはアダブラカダブラ。
小豆色のバラはハロウィン。
(漉し餡の色と言って、顰蹙を買いました)
シックな薔薇たちです。

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アダブラカダブラ、アダブラカダブラって歌ったのはシルヴィ・バルタン。
なんて言っても、知らないわよね。

魔法のじゅうたんも飛ばせる呪文なんだけど・・・


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2004.10.17

生きる目標

昨日は熊野古道の山を登ったと言うのに、今朝はすっきり目覚めて仕事に行きました。
ホントに元気になっちゃって・・・この元気が10年前にあったなら、わたしゃ今頃月まで行っていたね。

昨日、坂道を登りながら、生きると言うことはこの坂道だと思った瞬間がありました。

この先に何があるのだろう?
もっと急な坂があって辛いんじゃないだろうか?
石畳で足を挫いたりしないだろうか?
熊に遭ったりしないだろうか?
と、足を踏み出さずに道の始点で悩んでいれば、永遠に向こう側にはいけません。
坂が急だろうが、何が起ころうが、歩かなければいけない――それは人生ですよね。

あの古の道を、歩くと言うよりは這うように登りながら、喜びを感じていました。
清浄な空気や、山から流れ落ちる沢や深い杉木立が、私に歩く元気を与えてくれました。

人生も同じなのだと思います。
排気ガスだらけのゴミが散乱する道を選ばずに、清浄な空気や水や緑のある道を歩けば、きっと楽しく終点に辿り付けそうな気がします。
あの集団自殺をした人たちにも、この道を歩いて欲しかったとふと思いました
今の教育はカタログを与えて、どれでも好きに選びなさいと言うだけです。
自分の力で歩き始める前にどの道が良いかを見極める力を与えてくれるものなら良いのですが・・・
そのくせ、競争のための目標を持ちなさいと教えます。
それでは、道に迷う子羊が増えるばかりです。

食べ無ければ生きていけない動物の身体と、罪や悪を知っている心、人間は生まれながらにして引き裂かれた存在です。
そのバランスが崩れたときに、人は死ぬことですべてを解決しようとするのでしょう。

自分の存在に悩み迷って死を選ぶ人の気持ちは分からないではありませんが、「死」は取り返しのつかないもの、死を選ぶ前にもっとたくさんの選択肢があることを教える教育をしていかない限り、この不幸な連鎖は断ち切れないように思います。


この前から、若い生徒が悩んでいます。

「私には目標が無いんです。
目標ってなければいけないんでしょうか?」

彼女の友人たちは
「自分のやりたいことが見つからない」ので、転職を繰り返している人や、
「自分探しをしたい」ので、留学する人や、
「自分に何がむいているのか分からない」ので、何もせず、親に食べさせてもらっている人がいて、
その人たちを見て、彼女は考えるのだそうです。

「将来のことあまり考えずに、毎日、仕事して、のんびり生きている私って間違っているかしら?」

で、私は彼女に聞いてみました。
「毎日、楽しい?」

「別に何か辛いとか苦しいとか無いし、結構、楽しい」

「それって、最高に幸せなことだよ」

毎日、楽しくも無く、何とはなしに身の置き場が無く、息苦しさを感じて、彼女の友人たちは何かを探そうとしているのではないかと思います。


――で、私の答え。

「ついこの前まで、人間は食べることがまず生きる目標だった。
今でも、たいていの人は、自分にあった仕事なんて考える前に、まず、自分を養うために出来る仕事をしている。
自分が生きていなきゃ仕事もへったくれもあったもんじゃないものね。

不幸なことに、今は何かするときには目標や理由が無きゃいけないと教え込まれている。
でも、人間の一番の目標は幸せに生きることであって、何か仕事をすることじゃない。

イエスがある家を訪れた時、その家の一人はイエスのために必死にもてなしの用意をした。
一人はただイエスの側に座り、イエスの話を聞いていた。

もてなしの用意をした者は話を聞いている者よりも自分のほうがイエスを愛していると自負していたが、イエスは話を聞いていた者を褒め称えた――と言う話を読んだことがある。

その話のように、本当に大切なのは、今、目の前にあるものをゆったり楽しむこと。

必要のないことに心を囚われ、今日の一日を悪意や怨念でいっぱいにしていると、明日はさらに暗く辛いものになる。
目の前にあることを楽しんで、目の前にある仕事をしっかりしていけば、道はいくらでも開けていく。

いくら今日、明日のことを考えたって、明日になればまたその明日のこと考えているんじゃ、永遠に明日を考えて何もしないうちに人生が終わる。

人間にとって確かなのは、今のこの一瞬しかないんだから・・・」


さて、私の言葉は彼女の心に届いているでしょうか・・・


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熊野古道へ

昨日(10/16)は早起きして、熊野古道へ。
この夏からの念願がようやく適いました。

予定日を決めた後、あの台風21号。
大雨による洪水で石畳の古道のある三重県海山町は大被害。

でも、全員の日程の合う日はこの日だけ。
ま、何とかなるでしょという結論で決行!
豊橋の友人に7時に迎えにきて貰い、彼女の車で名古屋へ。
名古屋の友人二人を拾い、東名阪高速で海山町へ向かいます。

紀伊長島から先の国道沿いのかなりの店が休業中。
秋晴れの今日、人々は畳を干したり、掃除をしています。
流れてしまった紀勢線の橋脚はまだ補修中。
大きなクレーンが見えました。

まだまだ、災害の爪あとが残る町々を通り、海山町の道の駅に着きました。我が家を出て4時間ちょっと。

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 お弁当を買おうとしたのですが、洪水のせいで休業の店が多く、
 品物がないとのこと。
 ここにも影響が出ているようです。
 そこで早い食事を済ませ、ジャスト12時古道へ出発。

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 馬越峠を通り尾鷲に降りる石畳の古道の入り口。

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 うっそうと茂る杉林の中の石畳をひたすら登ります。

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 清浄な山の風が吹き抜けます。
 細胞の一つ一つに染み付いた不浄が消えていくみたい・・・

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 道筋にはお地蔵様や小さな滝があり、
 マイナスイオンいっぱい!

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 苔むした巨石に歴史を感じます。

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 二時間の辛い登りの後には、こんな絶景が・・・

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 ――今日の花たち――
 
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        萩            センブリ

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 野いちご             尾鷲の町の金木犀の大木 

04101148x.jpg 狂い咲きの桜。


 一時間半足場の悪い坂を下って尾鷲に到着!
 尾鷲の大きな神社と社前の大木です。

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  尾鷲からバスで海山町に戻り、帰途に――

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 帰りに見た海の夕暮れ・・・楽しい一日でした。

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2004.10.15

犬の話3

穏やかな秋の日。
天高くという言葉がぴったり、大気の向こうに宇宙が透けて見えそうな空・・・

今朝はかなり寒くて、上着が必要でした。
あんなに毎日暑くて、これはもう永遠に続くと思われるほどだったのに、涼しくなり、寒くなっていく・・・ちゃんと秋は来て、冬に向かうようです。

さて、うちのサクラは暑がりで寒がり。
冬になると朝寝坊になります。
私たちが起きても、起きてこず、しばらくベッドルームでうだうだしています。
で、私たちが居間の暖房をつけ、温まった頃、そろそろ迎えに来るようにと階上から顔を出して吼えます。
迎えに行き抱き下ろしてやると、まず、ご飯を要求し、食べ終わると二階に行き、また寝ます。
朝寝は寒くなるにつれ、時間が延びていき、一月二月は11時くらいまで寝ています。
もちろん、それは私が家にいるときで、私が朝早く出かけるときは二階から顔を出し吼えて、「いってらっしゃい」
その後は、きっとずっと寝ているのでしょう。

ぜーったい野良になんかなれない!

それなのに、奴は、つい最近、早朝、庭に出していたら脱走してしまいました。
部屋にハエが入ってきたのを追い出そうと私が窓ガラスを叩いたのに怯えて、柵を乗り越えて逃げたらしいのです。
でも、うちは東と西に2mほどの段差があるし、なおかつ南ときたら6mは高くなっている崖の上の家。
こんなところで落ちたら、キャインとも言えない。そう思うと全身から血が引きました。

そのときの私と言えば、化粧もせず、寝巻き姿。
とりあえず玄関を開けて大声で呼んでみたのですが、姿が見えません。
こりゃ、探しに行かなきゃと着替えしながら、もし、このまま彼女がいなくなったらどうしよう。
あんな病み上がりの身体で誰かに連れて行かれたらどうしよう。
――とネガティブな妄想でいっぱい。

わがままで性格が悪くて大食漢(つまり私そっくり)のサクラだけど、あの子は我が家の花。
こんな形で失うなんて・・・

着替えて外に出ると、門扉の隙間からなにやら毛むくじゃらなものが・・・

サクラは門の向こうでへこへこしながらお座りしていました。
何度も頭を下げ、足をじたばたさせています。
唯一の芸、お手もしています。
「ごめんごめん、つい、出ちゃったのよ。入れてくれる?」
と、縋るような目。

抱き上げると顔を舐めて、親愛の情を示してくれます。
「あんた、そこら中、ふんふんしたその鼻を私に擦り付けるんじゃない!」
すぐにシャンプーされても文句を言わなかったサクラ。
どうも自分がやっちゃいけないことをやってしまったと言う自覚はあったみたいです。

そのサクラが朝、起きなくなりました。
うちの秋は深まっているようです。


 *ランキングを踏んでくださると嬉しいのですが・・・

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2004.10.14

ブログについて

ブーケの相談と花の仕事――朝から忙しい日。

帰って、ブログをチェックすると昨日の「葡萄月に思う」にトラックバックが・・・

highbiscusさん、トラックバック、ありがとうございます。
でも、私、堀江さんのこと「偉い」なんて書いてませんよー。
私のこの騒動に対するスタンスは「サザエさんな私」に書いてありますので、ご参照くださいね。

司凍季氏にもご迷惑掛けたかも・・・
新しい企画のためにブログを改装されたようで、あの文章は無くなっていました。
ご参照くださいとはいえませんので、司氏の件については弁明いたしません。
これ以上私の言葉で誤解されたのでは申し訳ありませんから・・・

ブログについて、この前から考えていたのです。
ブログって、どんな有名な人にも無名の人にも等しくトラックバック出来る、とても優れものの形態なのですが、ひとつ間違えば、際限なく誤解されていく可能性があるものなのだと思います。

たとえば、私がAさんの日記を読んで思っていたことは、Aさんの意図するものとはまるで違っていた。
私は自分の主観を交えてある文章を書く。
その私の文章を読んだBさんが、「へー、Aさんってこういう人なんだ」と思ったとする。
そして、私のAさんへの誤解に基づき、Bさんの誤解により作成されたトラックバックを私が貰ったとする。

私はとりあえず、そのトラックバックに反応できるし、自分の思いを伝えることは出来きます。
けれど、Aさんは私のしたことで、Bさんから誤解を受けていても、それを知らないので誤解を解けないわけです。
この連鎖はちょっと困るかもしれない・・・

いかに、相手に誤解されない文章を書くか、が、とても重要になるのだと思います。
ブログは日記といっても、全世界に発信しているのですから・・・
誤解が重なり、あの小学生のように相手を殺したいと思うようになる可能性もあるわけです。

で、私は自分のネタ元を出来うる限り、リンクしていこうと思います。
「なんだ、よく読むと、この人の書いていること、あいつが書いているのと違うじゃん」
と、読んだ人の検証が出来る状態にするためです。

インターネットの世界では検証するといってもクリックひとつです。
そこにリンクが貼っていなくても、検索すればすぐに分かります。
どうか、億劫がらずに検証してください。

これからのブログ世界ではこの検証するという行為がとても大切なものになると、今日、改めて実感しました。


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2004.10.13

葡萄月に思う

葡萄月の今朝。
窓を開けると、流れ込んできた風の中に、うん、この匂い・・・
金木犀――どこかで咲いている。

この前からの雨のおかげで空気の中の埃が払われたようで、金木犀の濃厚な香りだけが際立ち漂っています。
この機会に「光溢るる野辺に」の最終章をぜひお読みください。
金木犀の香りが呼び覚ます記憶について書いてありますので。
それにしても、「光溢るる野辺に」は連載を終えても、読んでくださる方がいらっしゃるみたいで、日々、アクセスがあります。
ブログランキングにも何とか入っていますし・・・
本当にありがたいことです。

次の連載を考えているのですが、
クリスマスシーズンに合わせて短い新作を書こうか、
いや、年末までの三ヶ月、そんな時間はないから、旧作にしようか、
いや、旧作は全部長い、読む人は着いて来てくれるのか、
などと迷って検討中。
発表会やブーケ作成、会場装花、秋は予定が詰まっているので、どうなるやらです。

さて、作家の司凍季氏のブログ「司凍季のミステリー日記」を拝見させていただいているのですが、氏は朝日新聞の島田雅彦氏のエッセィに怒り、新聞を解約されたそうです。
お調子者の私としては、ぜひとも、その内容を知りたかったのですが、昨日、その文章が掲載されていました。

私は以前、楽天とライブドアを仁義なき戦いと評しました
その点については今でもそう思っています。
プロ野球組織との関係はちょっと違うような気がします。

あれは戦いをしてくれない壁、特権意識丸出しの鼻持ちならない奴ら。
でも、そこにある壁に、いくらこの壁は変だといっても、あるものはあるわけです。

堀江さんは壁を壊しに掛かった人。
先駆者は常に誤解を受け、叩かれ、傷つきます。
時にはそこで打ちのめされ動けなくなるかもしれない。
だが、彼が壁を壊すことにより、次の人はらくらくとその道を歩くことが出来る・・・
その犠牲になるのが嫌なら、壁の向こうで指を咥えているしかないのです。

堀江さんは壁に穴を穿つ鑿を持ってしまった。
いわゆる「出る杭」になってしまったのです。
今回の島田氏のエッセィにしても、一振りの金槌に過ぎません。

たぶん、堀江さん自身はこの文章に何の痛痒も感じないのではと思います。
起業家とはもっとタフで冷徹な人でなければなれないのでは思うのです。
そんな周りのチャチャに怯えるようでは年商何百億と言う企業を支えられません。

ただ、文章すべてを読んでいないのでなんとも言えないのですが、司氏のブログに掲載された文章のみから感想を言わせていただければ、島田氏は間違っていると思います。

女は顔の美醜や、富の有無だけで男に惹かれるのではありません。
その闘志や気力・オーラに惹かれるのです。
タレントや銀座の女うんうんに関しては、堀江さんにと言うよりも彼女たちに失礼です。

――もう、島田さんってば、女心が分かっていないんだから!
というのが、私の感想。

葡萄月と言うのはフランスの革命月のひとつ。
昨日、川原教授の「ヴァンデミエール」を読み返していて、ああ、あれに嵌った時期もあったなと思い出した次第で・・・

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2004.10.12

幸福の形

最近、日暮れが早くなりましたよね。
一日が短くなったような気がするのは私だけ?

今日は花の仕事の後、「まるごと川原泉」ともみじ饅頭を手に入れ、ルンルンな私。
えー、ルンルンと言うのは、たぶん、もう死語だと思うので、説明すると・・・嬉し楽しということですね。

川原教授の漫画はありえない設定、ありえない展開、なのにほろ苦い。
甘そうに見えるのにビターな味わいってところでしょうか。

もみじ饅頭は胡麻あん、パスコの量産品、これまた優れものなの。
胡麻あんともみじ饅頭の皮は長年連れ添った夫婦のような阿吽の呼吸。

これで幸せになれずに居れましょうかっての。

あ、あの人のこと思い出しちゃった。
超一流ブランドの服を着て、最新の高級車に乗って、高そうな店に食事に行って、いつも文句言っていた人。
あそこのサービスが悪いとか、あの味が落ちたとか、彼女の話はいつも否定的で、いつも不機嫌。
私には、十分美味しかったんだけどなあ・・・

あの人は三流品の私のこと、きっと忘れている、間違いない!

良い物を知ると言うことは大切なことだけど、最高級の吟味されたものしか受け付けないのは、却って不幸なのかもしれませんね。
超一流じゃなくても(川原教授は超一流です)量産品でも、それなりに良いし美味しいと思えば、幸せが増えるもの。
(あ、でも、ブーにはなります=不幸かも)

幸せも不幸も、誰かや何かに与えられるものじゃなくて、自分の中にあるもの。
幸せを日々探したほうが良いと思うの。
不幸を追求していくと、どんどん不幸になっちゃうから。

で、私は好きな読み物やちょっと美味しいと思うものがあれば、いつだって、幸せになれる――これは、自分で探し出した幸福の形です。

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2004.10.11

責任の取り方

最近の日本人って顔が変わったみたい・・・
F1の佐藤琢磨クンを見た感想。

ああいうウルトラマン型の涼しい目元の顔、最近の若者には多いと思います。
前に花の講習をしていただいたテレビチャンピオンの玉井さんもそうだったし、あのイラクで人質になった青年もあんな感じ。
有名な写真の坂本竜馬みたいなゴツゴツ顔の人、若い子にはいないような気がしません?

琢磨が4位になっても、みな、不満げですが、中島悟ならどうよ?
号外くらい出ていたんじゃないかしら?


さて、今日はNHKアナウンサーの松平定知氏の講演会。

会場の花のチェックに行き、そのまま、講演を聞かせていただきました。
最初の挨拶の後に出た言葉は例の不祥事のお詫び。

――売れっ子だからこそ、あちこちの講演でお詫びの言葉を言い続けなきゃいけないのだろうなあ。

あの会長が責任を取らずに居座る限り、部下は頭を下げ続けるしかありません。
ああいうところの会長って、辞任をして世論を鎮めるためにいるんじゃないの?

オーナー企業でない限り、今の日本の組織のトップってそういうものだと思うのです。
挿げ替えの利く顔なのですから。
その屈辱のために高額の給料が支払われているようなものです。

もちろん、これがオーナー企業なら話は別です。
たとえば、ライブドアは堀江さんが作った会社。
もし、不祥事があれば、彼自身も被害者です。
彼の株主への責任の取り方はその会社を立て直すことにあります。
不祥事の起こらない体制を作ることはオーナーにとっても必須なのです。
それに失敗したり、株主が離れていって会社が潰れたときには、すべてを投げ出し、自己破産までしなければならないのですから。

それに比べ、NHKの会長はどんなに受信料を不払いされても会社が潰れることもなければ、すべてを投げ出して自己破産することもありません。
それなのに、オーナーと同じ言い訳をして居座り続けるのは図々しいというものです。

企業が大きくなれば、ふさわしい社長を選ぶために、どうしてもサラリーマン社長になっていきます。
辞めれば責任を取ったことになってしまう今の責任の取り方では、どこまで信頼してよいのか迷います。
少なくとも、サラリーマン社長であっても、そのサラリーに見合った責任の取り方(オーナーと同じくらい)を定義してくれなければ、株式投資など怖くて出来ません。

すべてを保証しろと、悪徳金融のようなことを言っているのではありません。
株主は社長やその会社の方針に共感して、あるいはその投資によって自分に益があると信じて投資しているのですから、その投資した責任は株主自身にあります。
株主になるときには腹を括らないといけません。

相手の責任を論うばかりではなく、お互いに、責任も義務も引き受けるのが成熟した民主主義社会だと思うのですが、企業や金融機関がそれを受け入れません。
大岡裁きの三方損のために、政府は企業を救っているのかと思いきや、自分だけ生き延びようと言う輩がいるようです。
日本の自殺者がいかに多いかで、それは明らかです。

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2004.10.10

台風の魔法

今日は台風が去ったはずなのに、突然の豪雨。
車に乗って出かけるときだったので、びしょ濡れ。
――昨日より酷い。

今日は「裏、21世紀の歩き方」さんにトラックバック!

確かに台風の前ってドキドキしますよね。
台風が来て大変とか、困るとか、そんなことでは言い表せないドキドキ。
あれは、そう、ワクワクと言うものに近いような気がします。

太古の昔、人は森や野で台風を迎えたのでしょうが、その恐怖は私たちが想像すら出来ないものだったのでは・・・
台風がどこから来るかとか、どれくらいの規模なのかとか、ぜんぜん知らなかったのですから。
ただ、長老が予言するのを聞いて備えていたのでしょう。
(その頃なら、低気圧ガールな私は優秀な巫女になれたかも)

日本人なら、だれにでもその恐怖の記憶がDNAに刻み込まれているはず。
気圧が下がり、雨が降り始めると、その記憶が、たくさん食べなさい、子孫を作りなさいと身体に要求する・・・それが、あのワクワク感なのだと思います。

私たちはまだ、そのワクワク感を持っている!
それは幸いなことですよね。
それを失くした時、天災に立ち向かう気力も失くして、人間は滅亡に向かうのではないかしら?

若者が嵐の前にそわそわし、いつもより動物的な行動をとっていたら、まだ大丈夫と安心したほうがよさそうです。

ついでの話。
少女の頃、台風の直後に兄に連れられて、山の中の村へドライブしたことがあります。
道には水が流れ、小枝や木の実が散乱し、小さな崖崩れもありました。
ススキの野原は風の通ったまま、なぎ倒されていました。

その野原の一本道で、自転車に乗っている白いセーターを着た少年とすれ違いました。

ほんの一瞬すれ違い、顔も忘れたその少年のことを、それからも、折に触れ思い出しました。
もしかしたら、あの瞬間、恋に落ちたのかもしれません。
台風と白いセーターが掛けた魔法・・・?

あれから長い年月が過ぎました。
あの野原も今ではダムの底。

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2004.10.09

ふう。

さて、忙しい日でありました。

台風だというのに、町の合併50周年記念の会場装花の生け込み。
会場の都合で使えるのは、まさに、台風がこの辺りを通過する予定の時刻。

――果たして、私は行けるのか?

今回のは「とんでもない強風が吹く大型台風」とテレビで報道されています。
でも、朝から雨は強いけど風は吹いていない、これならOK。
そんな私の感想を見透かしたかのようにアナウンサーは突風が吹くので注意と言っています。

今回はこの前の台風のときのように苦しくて動けないということはない。
私的には大丈夫な予感。

で、2時過ぎに出かけました。
確かに雨脚は強いけど、風は吹いていません。
うちは風さえ吹かなきゃ心配いらない。

大雨の中、注文していた花を受け取り、町民会館へ・・・

会場の装花は楽しい。
思いっきり花を使えるし、多くの方に見ていただけるもの。
1000人入るホール、明日はいっぱいになるのかしら?

生けている最中に、会館のスタッフから台風の情報がいろいろ入ってきます。
スタッフの方の家がある辺りに冠水の恐れがあって避難勧告が出たとか、山のほうで土砂崩れが起こったとか・・・大丈夫かなあ?
――っていうか、土砂崩れなんかで犠牲者が出ていたら、明日の式典が出来るの?
などと心配しつつ、2時間。

生け上がって帰るために、搬入口の大きなシャッターを開けて、びっくり!

――あ、青空が見える!

台風はとっくに遠ざかって行ったようです。

帰って、テレビを見るとあちこちに被害が出ているようですが、我が町はそんな酷い状態ではないようです。

さて、今晩はブーケの作成を頼まれていたわ。
夕食を食べて行かなきゃ。

ブーケは白とオレンジのキャスケードブーケ。
お嫁さんは身長が高いということで、うんと長くスマイラックスとぺラを垂らして・・・あまり見かけない大きな白薔薇が素敵!

2時間で完成。
それから、おしゃべりして帰るともう10時になっていました。

明日は今日生けこみした式場装花のチェックの後、花の仕事。
行けないけど、F1日本グランプリ、テレビで見るのが楽しみ!

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2004.10.08

バチかも

――田舎の朝は早い。

 今朝は6時からの神社の掃除で始まった。

宵っ張りの私は寝るのが1時くらい。
目覚まし時計に起こしてもらい、ぼーっと支度して、6時少し前に家を出た。
神社から500メートルくらい離れた農道に車を置き、箒を手に歩き始める。
なんでそんなに遠くに止めるって?
もう、そんなところしか駐車できるところがなかったのさ。

神社は15のブロックに分けられて各組で掃除している。
うちの組でも、30人近く出席する。
狭い農道に溢れる車、100人以上の人間がみな一台ずつで来るんだもの。

遅くなっちゃったかな?
とは思ったんだけど、でも、まだ、私の後ろに車を止めている人もいる。
きっと、大丈夫。

100メートルくらい歩いたところで――あれ、あの人たち・・・

向こうから歩いてくるのは隣の奥さん&6件先の奥さん。
「終わっちゃったよ」
「今日は狭い範囲だったからすーぐ終わっちゃった」

「キャー、どうしよう?」

うちの組の分は終わったらしい。
すごすごと車に戻った。

そういえば、そうだった。
引っ越してきたばかりの頃、6時といわれて6時に行くとすっかり綺麗になっていた。
お元気な老人たちが5時くらいから来て、いまどきの若いもんはと言いながら掃除していた。
仕方なく、5時半くらいに行ったことがあったなァ・・・

最近、夫が出てくれていたので、その辺の事情を忘れていた。

今日は一日レッスンの日。
休む間もなく隣の町へ。
レッスンをしていると、ドンと窓ガラスが揺れた。
見ると、ベランダに小鳥がひっくり返っている。
どうやら、窓ガラスにぶつかって脳震盪を起こしているらしい。
見ていると起き上がり、こちらを見上げた。
目が合うと急いで視線をそらすが、逃げたくても動けないようでじっとしている。

鳥に詳しい生徒がいて、あれはウグイスだと言う。
小型の可愛い鳥だ。

三十分くらいたって片付け始めたときにまた覗くと、彼(なぜ彼?)はこちらをチラッと見て一歩横に動いた。
生徒の一人が獣医さんに連れて行くといい、それではとベランダを見ると、もういなかった。
ようやく飛べたらしい。


その後、明日の花の仕入れに行き、家に帰って食事。
すぐに次のレッスンへ。
大雨が降ってきて、台風の話をしながらレッスン。
また、来ているし、しかも直撃コース。
どうなるんだろう、我が家。

レッスンが終わって帰ろうとして傘立てを見ると――傘が無い!

多くの人の出入りするショッピングセンターにある教室。
どうも、誰かが持って行ったらしい。

今日は散々。
「早起きは三文の得」なんて嘘だわ!

――まさか、掃除に間に合わなかったから「バチ」が当たった?


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2004.10.07

だって・・・

うちは会話のない夫婦。
でもなんとか、平成の年数分持っている。

夫は背が高い。
知り合った頃、彼は身長180センチ、体重は60キロを切っていた。
私はチビデブなので、彼のような容姿に憧れていたのだが、何年かで熊に育ててしまった。
考えてみれば、デブの作る料理を食べるのだから、デブの道は当然。

彼は無口なくせに結構考えていることがあるらしい。
油断ならない奴だ。

私は花粉症なので、外に洗濯物を干さないし、布団も干さない。
幸いなことに、うちは陽射しをさえぎるものが何一つない崖の上に立っている。
だから、部屋の中に朝日も西日も遠慮なく差し込むので、窓を開けてさえいれば、外と変わらない。
布団も洗濯物もふかふかに乾く。

ある日、外出から帰ると、夫が上機嫌で「おいおい」と話しかけてきた。
言われるままに二階についていくとベランダを指差す。
そこには・・・

一本の物干しロープが張られていた。
そのロープはベランダの柵に取り付れた金属製の金具に張られている。
結構、考えて作られたもののようだ。

「あれ使えよ」と得意げな表情の夫。

――ああ、そうか、彼は外に干さないことが不満だったのね。

その場ではありがとうと答え、使うつもりではいた。
だが、次の日、洗濯物を干そうとして、愕然とした。

――届かないじゃん!

どう頑張っても、そのロープに私の手は届かないのだ。

洗濯物って、テレビのCMでもそうだけど、自分の背丈よりも高いところに干してあるイメージ。
彼もきっとそのイメージで高さを設定したのだろう。
でも私は彼よりも30センチ近くチビ。
届くはずがない!

で、私はそれを使わなかった。

一年ほど後、彼は何かの折りにそれを使わないことに文句を言ってきた。
自分の誠意を私が踏みにじっていると思っていたらしい。

「だって、あれ届かないんだもん」

私の言葉に口をつぐんだ夫。

以来、6年近く、ロープは一度も使われることなく張られたままだったが、最近、強い陽射しによる劣化のために、切れた。
でも、切れたまま、まだ、風にそよいでいる。

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2004.10.06

里山へ

こんな気持ちの良い晴れた秋の日に、家の中にいるなんてもったいない!
と言うことで、サクラと一緒に生き物の里へ。
家の近くにも桜の名所の公園はあるのですが、そこはワンちゃんたちの散歩コース。
落し物がいっぱいで、病み上がりのサクラを連れて行くのは危険なのです。

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いつもながら気持ちの良い公園です。

朝、西武百貨店に出かけて買ってきたお弁当を持って行きました。
食いしん坊のサクラなのに、今日はお出かけの興奮の余り、食べ物をねだらないので、アキアカネを見ながらゆっくりと頂きました。
アキアカネを写真に撮りたかったのですが、うちのデジカメはノロカメで、ピントを合わせているうちに逃げてしまい、撮れませんでした。残念!

04100632x.jpg  04100618x.jpg
                          実りの秋です
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秋の陽射しにススキは揺れ、湖面は光を反射します。

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途中、車椅子の方たちとすれ違い、可愛いねと誉めて貰って、サクラもご満悦。
自然からもお土産を貰ったようです。

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で、現在はへたばっています。

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今はこんな夕焼けが・・・

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2004.10.05

寝坊した日

寝坊してしまった!

今日は朝一番の配達があったので6時に起きるつもりだったのに、どういうわけか、目が覚めたのは7時半。
ひえーどうしよう。
あわてて準備しても、朝の時間はいろいろあって忙しい。
それに花束四つをラッピングするのは結構な時間が掛かります。

結局、約束した時間よりも30分遅れてしまいました。
でも、タイムリミットよりは30分早かったので、何とかセーフ! 
ふう・・・。

今月は結構注文が入っていて、朝早いものが多いので、気をつけなきゃ。
でも、最近、布団の温もりがなんとも心地よいのよね。
目を閉じるとあっという間に朝が来ます。
で、明け方、うつらうつらしながら夢を見ます。

朝だと言うことが分かっていても、そのときには絶対に起きられなくて、ずーっと、ああこれは夢だなあと思いながら、見ています。

今日のは、どこかの会議風景。
ワイシャツ姿の男の人たちが話し合っているようなんだけど・・・
何なのかしら?
オレオレ詐欺にでも遭う知らせ?
でも、うちは私が店を潰したせいで、ビンボー。
誰かが事故を起こして示談金が要るなんて言われても出せないわ。

オレオレ詐欺って、考えてみれば凄い詐欺。
その家族は果たして仲が良いのか悪いのか判断がつきかねます。

会話のある家庭なら、声や話し方で分かるだろうし、仲が悪いなら、泣きついてきてもすぐに金を出したりはしないだろうし、現代の複雑な家庭事情ならではの犯罪ですよね。

この前、生徒のおじさんのところにも掛かってきたと聞きました。
事故を起こしたと言う電話にびっくりしたけれど、声がぜんぜん違っていて、「お前、誰だ?」といったら電話を切ったそうです。
そのおじさんは、子供の行動を把握していたので、そんなことになるはずがないと確信したそうです。

たぶん、そういう風にばれるほうが多いのでしょうが、めげずに繰り返しているんでしょうね。
その努力を別のことに使えば、まっとうな商売でも成功できると思うんだけどなあ・・・
彼らには普通であるとことのほうが居心地悪いのでしょうね。

最近の犯罪者の話を報道で見聞きすると、彼らの世界は普通人の世界とは別の論理で動いているみたい・・・

犯罪脳と言う脳があるのだと思います。
世界を悪意で見る脳。
すべての行為が悪意によってなされていると確信している。

田口ランディ氏のブログに、虫(ウィルス)のことが書いてあったけれど、それが虫のせいなら、まだ良いのだけれど・・・

えー、もののついでにブログランキングにご協力を!

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2004.10.04

郵政民営化って

小泉内閣の次のターゲットは郵政民営化。

で、私があったらいいなと言うサービスを考えてみました。

山奥の過疎の村に住んでいる人たちにとって、郵便配達員は、外界からの唯一の生身の連絡係。

テレビ電話やインターネット、携帯電話がいくら普及しても、テレビや携帯から実物が出るわけではないのだから、需要がなくなるということはない。

でも、郵便を届けるためだけに山奥や数人しか住んでいないところにに行くのは採算が合わない。
この点が、反対派が弱者切捨てと叫んでいるところよね。

でも、発想を転換して、そんなところに住んでいる人たちの地域サービスを考えればどうかしら?

寝たきりの老人を配達途中に訪問して、ついでに介護サービスするとか、お弁当の宅配するとか、買い物を代行したり、必要そうなものの情報を届けるとか、企業努力をするのです。

コンビニを経営できるのですから、そこからの配達と考えればオッケーでしょ?

ただ、手紙や小包の配達をするだけの今までのやり方を貫こうとするから、採算が合わないということになるのでは?

ヘルパーの資格が必要だとか、どうしてそんなことしなきゃいけないんだとか言うのなら、そういうサービスをする企業に負けて倒産すればいい。
多くの企業が今の郵便事業に参入したときには、きっとそういう付加価値をつけてくるはず。

たった一件の振込みをするのに30分も客を待たせているのに、局員同士おしゃべりをしているような局は、潰れたって仕方ないわ!(←思いっきり私憤)

郵便局が潰れても、郵貯・簡保は分離されるので問題はないし。

そうそう、簡保や郵貯ってどういう風になるのかしら?

郵便局が扱うのでは、今までと変わらないよね。
きっと、既得権益の取り合いで凄いことになるんだろうなあ。

ああ、でも、政府は簡保と郵貯に何か問題があると考えているのかしら?
こんなに民営化を急いでいるということは、平成の大改革でもやるつもりかな?

今の自殺者の多さから考えると、やらなきゃいけないと思っているんだろうな、借金の棒引き。
それをするためには郵貯や簡保を手放さないと諸刃の刃になってしまうものね。

でも、郵貯もなければ簡保にも入っていないビンボー人にはどうでもいいことだけど・・・

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2004.10.03

雨の日の思い

何年かに一度、夫は力なく蒼褪めて帰ってきます。

「猫がいた」

ああ、また捨て猫についてこられたのね。
この前のときはずっと着いてこられて、振り切るのが辛かったと力なく言っていた・・・

「何匹?」
「ミーミー鳴いていただけで、姿は見えなかった・・・」

彼はその子を連れてこれなかったことに罪悪感を感じている。
大男の彼がチビ猫の鳴き声に怯えているのは可笑しいけれど、その気持ちは良く分かる。

昨日、雨の中、何気なく玄関から庭に通じる東側の通路を覗くと、いつもうちの周りで遊んでいる猫が寝ていました。
小雨だったので、どうやら、そこでも雨が凌げるらしい。
私の出現に驚いたのか、目がまん丸。
白地に黒のぶち猫。
よく、白地に雉トラ色の猫と遊んでいる。
その猫は逃げようか迷っているようで、じーっと私の様子を窺っています。

――私のほうが逃げた。

あの猫たちは毛艶も良いし、栄養状態もよさそうだから、どこかの飼い猫なのだと思うけど、一日中、うちの周りにいます。
寒いときの昼寝はうちの西側の通路。
そこだけ雑草が生えないのですぐ分かります。
ちょっと暑いときはうちの車の下。
時々、玄関でも日向ぼっこしていて、出かけようとドアを開けると、ぱっと逃げていく後姿を見かけます。

え?もしかして、世間的にはうちの猫?

でも、何もしてあげていない。ご飯とかもねだらないし・・・
あの子達、私に何かして欲しいのかしら?

――と私も悩んでいたところ。

夫婦してそんなことを心配しているの、馬鹿みたい。


今日の雨は結構な降り。
気になって探したけど、あの子達は家の周りにいないようです。
昼過ぎ、近所に用があって出かけたら、ある倉庫の軒下に猫が5匹、大きいのも小ちゃいのも適度な距離をとって並んで雨宿りしていました。

黒ぶち君も、雉トラぶち君も、どこかでああやって雨宿りしているのかしら?
それとも、正規のねぐらに戻って、座布団猫しているのかしら?

ソファで鼾をかいているサクラ(ヨーキー・♀)に猫の話をしたのですが、何のことやら分からないようで、あくびをされてました。

夫はきっと、今日一日、昨日の捨て猫のことが気になっているでしょう・・・そういう人です。

秋の雨は好きだけど、少し、憂鬱。

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2004.10.02

初恋

さっきから「冬のソナタ」のコンサートが放映されています。

実らなかった恋は、いつまでも、心に残ります。
まして、初めての恋ならそりゃあもう、ダイヤモンド並みの輝きで残るってもんです。

初恋の人と夜行列車で向かい合わせに座ったことがあります。
私はその頃、男の子と話すのを禁じられているカトリックの学校に行っていて、その人とも話せませんでした。
冬の平野を走る列車は、暖房が効きすぎていて、満員で、それでなくてものぼせているのに、さらにぼうっとなってしまい、一時間がとても辛かったのを憶えています。
その人とは、それきり、会っていません。

この前、同級生と会ったときに、同級会の集合写真を見せてくれました。
中学時代そのままの顔、なんとなく面影がある顔、その中央に先生たち・・・あれ、見たことのない先生がいる。
でっぷりと太ったツルベ似のおじさん。
「こんな先生いたっけ?」

私の問いに彼女は無常にも、「○○クンだよ」と答える。

ひえー、うそ、でしょ?

同級会には、誘われていたけど出られなかった。
あれは正解だったのね。
ブーな自分を省みず、そんなことを思った私。

だって、初恋って冬ソナみたいに美しい場面だけで構成された御伽噺。
その中では私だって、初々しい少女。
相手だって、爽やかな少年でいて欲しい。
ツルベじゃ、魔法がとけた自分に気付いてしまうもの。


――で、私の中の彼は、今でもほっそりしたハンサムな少年。
勉強も運動も出来る優等生。
風のうわさでは、有名なお医者様になったとか・・・

あの写真のことは忘れよう。
もう、一生、会わなくてもいいわ。

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2004.10.01

何をしない人(?)のトラックバック

昨日、お気楽な一日の終わりに、いつも行く板倉雄一郎氏のblogに出かけてびっくり!
この前の私の書き込みへのお返事・・・

あの書き込みで私は、
「ミイラ取りがミイラにならない・・・では、板倉さんは何をしない人なんでしょう?
それで、板倉さんの正体が分かるんですね?」
と書いてしまいました。

私はこんな性格なものですから、何気なくこのコメントを書いたのですが、世間的には驚きだったようで・・・あちらから飛んでくるアクセス数の凄いこと。
新記録樹立でしたよ。
私が名前を出して書いたせいで、懲りない君交友を想像した方が多かったのでは・・・
みなさん、がっかりさせて申し訳ありません。

で、板倉氏は
講演を聴きに行かない=講演をする人。
起業をしない=起業を助ける人。
読書をしない=文章を書く人。

と言うご自分のスタンス(正体)を明らかにしてくださったわけです。
板倉さん、こんなお馬鹿な読者の疑問に答えていただいてありがとうございました。

自分が「何をするか」「何をしないか」をはっきり知ることは大切なことだと思います。
無限に時間も資金もあるわけではないのですから・・・
でも、自分が何をしたいかは分かっていても、何をしないのかを分かっている人は少ないと思うのですよ。
そして、その選択の理由も・・・

「何事かをなす人」はある事をしようとしたときに、あなたは我儘で独断的だと言われることが良くあります。
彼としては、ある目標を立て、その目標を遂行するために動くだけなのですが、周りの人は、他の要素を持ち出して、ああだこうだと言い出します。

――待ってよ、やりたいのは「これ」でしょ?
――どうして、「あれ」のことを気にするの?
――「これ」を遂行することで「あれ」の問題も解決するじゃない?

彼には到達点へのまっすぐな道が見ていて、それを批判する人にはその道程に無数にある迷路が見えている。
周りの人たちは自分たちの「したいこと」は分かっていても、自分の「しないこと=する必要のないこと」を分かっていないのです。
それは、もう、才能の問題なので、どうしようもないのです。

ライブドアの社長によると
「(何かを短期で成し遂げようとするときには)周りの人間関係すら崩壊させてもいいという覚悟で、取り組むこと」
彼も我儘とか独断的とか、きっと、言われているはず。

板倉雄一郎氏には、たぶん、あの時、まっすぐな道が見えていたはずです。
でも、彼の事業は失敗した――何故?

まっすぐな道が見えない人が圧倒的に世の中には多いのだという事実に気がついていなかったから。
もしくは気がついていても、そういう人の総意が自分のまっすぐな道を閉ざすのだとは思えなかったから。
などと考えてみました。
当事者ではないので、まったくの想像ですけど・・・

でも、板倉氏や初期のベンチャーの多くの成功と失敗で、日本にはベンチャーが少しは根付いたようです。
つまり、その成功と失敗を見て、国民の総意が変わったのです。

ライブドアの社長や楽天の社長が多くの資産を誇っていられるのは、先駆者たちの犠牲があればこそ。
そして、彼らは今のステージへの先駆者になっている。
彼らの成功と失敗が国民の総意になった今、彼らが次の時代を呼び寄せるのですが、どんな時代になるやら。

楽しみなような、怖いような・・・などと考えました。

トラックバック風な今日のblogです。
板倉さん、読んで下さるかしら?

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