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2004.08.30

虹の始まり見たことありますか? 2004.8.30

虹の始まるところを見たこと、あります?
昨日(0時過ぎていますので)、花の仕入れのために車を走らせていました。
バラの生産地で有名な隣の市との境に住んでいるバラの生産農家に分けていただいているのです。
そこに行くのには一面の田んぼの中を抜け山を越えて行きます。
だだっ広い田んぼの真ん中の信号で停まり、ふっと横を見ると、遠くの山の麓から大きな虹が空に向かって伸びていました。
あんなにしっかりと色の着いた太い虹を見たのは生まれて初めて。
こんな年になっても「生まれて初めて」っていうのはあるもんなんだ・・・と感心。
こちらが移動するにつれて、虹の始まりの場所も移動していきました。
虹と言うものは、始まる場所が固定されているものなのだと思っていたのですが、どうやら、そういうものではないようですね。考えてみれば、虹は光の屈折で見えるのですものね。視点が移動しているのですから、移動してもおかしくないのでしょう。
最後にどうなるのか見届けたかったのですが、約束の時間が有ったので山を越えてしまい、見届けることは出来ませんでした。
自然からご褒美を頂いた気分・・・って何に対して?と言われそうですね。
そうですね、きっと、何があってもめげずに生きているから。

そうそう、午前5時にいつも見に来てくださる方・・・その時間があなたにとってどういう時間なんでしょう?
ちょっと、不思議な時間帯ですよね。
今日も着てくださるでしょうか?
この一日があなたにとって最良の日でありますように。

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2004.08.28

私的胡蝶の夢 2 2004.8.28

明け方、夢を見ました。
金色と黒の靄が掛かる黒い山並み、その手前の草原に大木の黒いシルエット。
空は金と黒の靄の向こうに群青色に透けて見えます。
一瞬、爆風のような風――大木はなぎ倒されるように傾き、消えてしまいました。
燃えずに消えた・・・どこかの国の原爆の実験?

こういう明け方の夢は、結構、馬鹿に出来ません。
一昨年の秋、明け方、夢現の中で「東北で地震」と言う声を聞きました。
そのことは、知人にも話したことがあるので、証言してくれる人もいますが、7ヶ月後、あの東北の地震がありました。

「私的胡蝶の夢」の飛行機事故は、今回のチェチェンのテロによる事故がどういう墜落の仕方をしたか分からないので、これだとはいえません。
夢の飛行機は空中の爆破ではなく、ふわっと落ちるような感じでした。
それに今度の飛行機はブルーの文字でしたし・・・
私の見た夢が実現するときには半年から一年の時間差があるようです。
あの夢は今年の春。実現するとなると、11月から来年の6月の間。
今日見た夢が実現するとなると、それは、来年の春以降。

不吉な夢を視た朝は気分が優れません。
たぶん、少し体調を崩して、変な夢を見るのでしょう。
今までは、誰にも言わなかったのですが、これからはここに書いておくことにしましょう。
1年たって、何も無かった、と喜べるように・・・

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2004.08.27

なんといつのまにか 2004.8.26

なんと、気がついたら10日間で、500カウントを超えていました。
ブログって凄い!
来てくださった皆さん、ありがとうございます!

今日は秋のホームページ・リニューアルのために一日篭る予定、だったのですが、つい、ふらふらと隣の中核都市にある友人の美容院へ。(といっても、車でたったの5分ですが)
長くなりすぎた髪を切ってもらい、お客さんたちと雑談。

あるお客さんの洗濯機の中になぜか蛇がいた話に始まって、動物談義。
うちの生徒が自宅の部屋にお菓子の缶を置いて、少しの間、部屋から出て戻ると、そこら中にお菓子の包み紙が散乱していて、隣の部屋にいたおばあちゃんを疑っていたところ、実は猿が入り込んで食べていたとか、
家の前に来る鹿や猪、猿を見て育った隣の町の小学生が、移動動物園に連れて行ってもらったときに、うちのほうが動物いっぱいだねと母親にささやいた話だとか、
狸を轢いた人が死骸を道端に置いていたところ、次の朝、無くなっていたので、誰かが狸汁にしたと疑っている話。
もちろん、うちの大蛇も登場。
思いっきり笑って帰ってきました。
彼女の美容院に来るお客さんは、みな明るくて元気。
(たぶん、そんな人じゃないと、店主の明るさがまぶしくて辛いのかも・・・)
そして、もちろん、おばさんばっかり!
あそこに行くと、正しいおばさん道が見えて楽しいです。

それにしても、私の住んでいる中部地方の町は、まだまだ、自然がいっぱいの良いところなんですねえ。
あ、そうそう、世界的な企業の工場もいっぱいありますよ。
猿はあの工場を見て、何を思っているんでしょう?

(これ、26日の夜にアップしたつもりだったんですけど、なんだか、反映されていないみたいなので、再度、送信しました)

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2004.08.25

創作 アカエキ様 2004.8.25

その日、近畿地方の小さな村落の中心を通る県道の拡張工事は、いよいよ大詰めを迎えていた。
川沿いに造られた道路はくねくねと曲がり、見通しが悪く、事故が多発していた。
見通しの悪い道路を直線にし車道を広げようという工事は、その大きなカーブを余儀なくさせている丘を崩せば、完了するのだが、地元の老人たちの反対により立ち往生していた。
その丘には、小さな古ぼけた祠があり、そこには「アカエキ様」が封印されている。
それを壊せば、アカエキ様が世に戻ってくるというのが、彼らの主張だった。
若い村長は、老人たちがその祖父母に夜なべ仕事をしながら聞かされたアカエキ様の話を、延々と聞かされて、辟易していた。

その話とは……
戦国時代、ある女が戦を逃れ村にやってきた。
美しい彼女に、村の男たちは夢中になり、彼女を庇護した。
彼女は何か病のようで寝込んでいることが多かったのだが、ある日、高熱を出して寝込んでいたところを、村の男に襲われ、そのまま死んでしまった。
可哀想に思ったある村人が彼女の遺体を丘に運び埋めた。
数日後、、彼女を襲った男が、まっ赤に顔を腫らし、高熱に悩まされ、次第に衰弱して死んだ。
村人は彼女の祟りと考え、彼女の遺体の埋まっている丘に祠を造り祀った。
だが、その病は収まらない。次々に、村の男たちが罹患していった。。女たちの看病も虚しく(なぜかこの病に女達は罹らなかった)、男であれば、よぼよぼの老人であれ、生まれたばかりの赤ん坊あれ、すべて、発症した。
赤黒くなる病と言うことで赤疫(アカエキ)様と名づけられた病に、男たちは斃れ、最後は女たちだけが残った。

男手を失った村の女たちは、村を離れ、近隣の村々に助けを求めようとしたが、近隣の村民たちは、流行り病を恐れ、彼女たちを殺して焼いた。

数年後、長旅に出ていた男が村に帰ると、もう村人は死に絶え、村は廃墟となっていた。
近隣の村民たちが、すべて焼き払ってしまったのだ。
帰ってきた男は、話を聞いて、もと有った村の場所を恐れ、そこから離れた川沿いに住み着いた。
そして、アカエキ様を祀った祠を守ることを心に決めた。
――これがアカエキ様の言い伝えだ。

「アカエキ様の祠を壊せば、また、アカエキ様が出てくる。出してはならない」
それが老人たちの一貫した主張だった。 
だが、その反対も老人たちが一人死に、二人死にして(もちろん、高齢による病や、老衰のためだ)、反対の声は次第に小さくなっていた。
なにより、その丘を迂回することにより、車の通行にかなりの不便が生じているのは誰の眼にも明らかだった。
不便な山奥の村であるからこそ、車は必需品で、車のために道路整備は当然のことだった。

その日、反対派の老人たちのリーダー、その丘の持ち主の大楠家の孝太郎翁が、最後の時を迎えようとしていた。
彼は座敷の廊下の向こうに広がる杉山を眺めながら、そのさらに向こうにある祠のある丘を見透かしているようだった。
「あの丘を壊せば、アカエキ様がやってくるぞ。恐ろしいことが起こるぞ。あの丘を渡しちゃなんねえ」
孝太郎翁はそう繰り返していたが、当主の孝彦は、孝太郎とは違う考えを持っていた。
町の会社に勤め、通勤で車を運転する彼は、そのカーブがいかに不便かということ、そのために少なからず事故が起っていることを知っていたので、道路を拡張し、あの丘を壊して直線にすることで、村人が受ける恩栄は計り知れないと考えていた。
小さな朽ちかけた祠ひとつのために、反対する父親の気持ちが理解できなかった。
何より彼は、アカエキ様などという前近代的なものも信じていなかった。
子供の頃、その祠の近くで遊んだが、何の病気にもならなかったと心の中で確認する。
(なあに、ひどい風邪でも流行ったんだろうさ)
涙を流し、反対運動を続けるよう懇願する老人の言葉に頷きながら、彼は山を手放す決心をしていた。

幸太郎の死の半年後、祠は壊され、工事が始まった。
祠の下には何も無かったが、少し離れたところで、ミイラが見つかった。
そのミイラはまるで生きているように瑞々しく、美しい女性だった。
晴れ着のような着物を着せられたミイラは、新鮮な空気に触れると、あっという間に黒ずみ、数時間もするとぼろぼろの土塊になった。
そんなものが出たと知ったら、村人が動揺するという村長の意向で、その遺体のことは村人には知らされなかった。
孝彦はひそかにその細かい土塊を貰い受けた。
父親の言ったことを信じてはいなかったが、もし、何かの病原菌でもいては大変と、触らないように皆に言い聞かせ、自分もそれをスコップですくい、ビニール袋に入れた。残りの土塊は、深い穴を掘って埋めた。
孝彦はビニール袋に密閉して運んだ土塊を、新たな祠を造り、祀った。
せめてもの、孝太郎翁への詫びのつもりだった。

二年後、道路は完成した。
功労者として孝彦はその完成祝賀会に出席した。
海の側の温泉ホテルでの一泊の祝賀会を終え、帰宅した孝彦は、同居している孫、十歳になる和彦の様子がおかしいと言われ、彼の寝ている部屋に向かった。
妻の話では、風邪を引いたのか、少し熱があるということだった。
熱で真っ赤な顔をして、病床で祖父の帰りを待っていた和彦は、祖父の顔を見ると、涙を流し、謝りはじめた。
3日前、彼と彼の友人の啓太は祠を開け、中を見たのだと言う。
「昨日、うちのばっちゃんとママが話してたんだけど、あの祠にはミイラが祀られているんだってさ」
「へー、うちのじっちゃん、そんなこと言っていなかったぞ」
「開けてみようか?」
「うん」
だが、祠にはミイラなど無く、骨壷のような壷にビニール袋が入っていた。
何かと思い、開けてみると乾いた土が入っているだけだった。
「ちぇ、嘘か」
がっかりした彼らはその土を投げあい、泥まみれになって遊んだ。
和彦はその話を、息も切れ切れにする。
そう言われれば孝彦は、泥だらけの彼を叱って、一緒に風呂に入った覚えがあった。 
孝彦は、あわてて、啓太の家に電話する。
「あれ、和彦ちゃんも? うちの啓太も同じ、真っ赤な顔して寝込んでいるよ」
啓太の親は能天気な声を出した。
急に力が抜けて、孝彦はその場に崩れ落ちた。
全身が熱っぽく、手足が震えるのを感じ、彼は悲鳴を上げた。

和彦は、その三日後、緊急入院していた隣の市の病院で亡くなった。
孝彦はその葬儀には出られなかった。彼自身が真っ赤な顔をして死の床についていたからだ。
その頃には、大楠家は言うに及ばず、啓太の両親、和彦たちの学友、孝彦が出た祝賀会のメンバー、彼らが祝賀会で泊まった旅館の従業員、病人を看た医師、県庁の関係者と、その真っ赤な顔と高熱の病はどんどん広がっていった。
ただ、不思議なことに、その病に女性は罹患しなかった。
女性たちは必死になり、看病をしたが、男たちを救うことはできなかった。

病はやがて、全国に広がった。そして、程なく、外国にも患者が出始めた。
その頃には、その病は、アカエキ病と呼ばれるようになった。その祠を壊したことで、アカエキ様が世に出たのだという村の女たちの告発があったからだ。
確かに、高熱、赤黒く腫れた顔、という症状は、語り継がれていたアカエキ様による病と同じだった。

やがて、多くの学者や研究機関の研究の結果、アカエキ病がウイルスによるものとわかった。
そして、アカエキウィルスは女性に感染しても発症せず、男性に感染すると劇症になり、死んでしまうということがわかった。
そのことにより、人類の女が、もともとのアカエキウイルスの宿主であると考えられた。
つまり、あの近畿地方の村に、ある日やってきた女性の中で起こった突然変異で、アカエキ病は始まったのだ。
酷い話だが、近隣の村民の処置は間違っていなかったのだ。

 アカエキ病は新種のインフルエンザウイルスということがわかり、そのもともとの宿主が人間の女性だということがわかったが、それにどう対処するかという問題は残った。
アカエキウイルスは空気感染はしないというのが唯一の救いだった。

鳥インフルエンザが発生すれば、鳥を抹殺し、豚がそれに罹患すれば豚を抹殺し、サーズがハクビシンによるものと推測されれば、ハクビシンを、狂牛病だといって牛を、どんどん抹殺していた人類が、その対処に悩むのは当然だった。
ウイルス感染症を発症したものを根絶することで解決してきた人類は、皮肉なことに、人類を生み出す女性により、絶滅の危機を迎えていた。
だが、女性たちはすぐに気づいた。今の科学技術をもってすれば、男などいなくても、子供を生むことは可能だ。
そして、男たちも気づいた。今の科学技術をもってすれば、女はいなくても子供を作ることは可能だ。
 全世界は男と女の戦いになった。宗教も人種も国も超えて・・・

 などという近未来のホラーを考えました。

 これは、今年の春、鳥や牛やハクビシンの惨殺の映像を見ていて、あまりの酷さに考えたものです。
彼らはただ、自分の生を全うしているに過ぎないのに、それを害あるものとして惨殺し、子供も見るニュースで報道する残忍さ。それが怖くて、その頃、ニュースを見ることができませんでした。
「世界のどこか、人間との接触がなかった地に入り込んだ人間が原因で、今、この瞬間に、絶滅しようとしている種が居るかもしれないということには思い至らない。
自分が罪ある存在だと考えない傲慢な人間に、この先の未来があるのか・・・」
これは私がある人に、SARS騒動の頃に送ったメールの一節ですが、世界が繋がってしまった今、未知の病原菌が続々と出てくるかもしれません。日本人が原因の伝染病さえも起こりえるのです。
それでは、お前はどうすればいいと思うのだと訊かれても、何の手だても持たない私ができるのは、こんな物語を作ることだけでした。
           

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2004.08.22

ダイエット 2004.8.22

子供の頃から固太りだったとのと、10年ほど前、医師に「ダイエットなんかしたら死にますよ」と言われたの幸いに、自分はダイエットしてはいけないのだと言い訳して、食べたいままに食べていたら、「千と千尋の豚小屋」に飛ばされそうなほどになってしまいました。

医師にそう言われた頃は、このままでは長生きできないと言うくらいの貧血で、一日の起きていられる時間が数時間と言うような状態だったのですが、いまや、朝はすっきり目覚め、体操したくなるほどの健康さ。
それなのに、何も考えず、バカバカ食べていた報いなんですかしらん。トホホ……

今流行の、体重だけでなく体脂肪やら何やら測れる体重計を買ってびっくり。
だって、実年齢よりも10歳も年上の身体年齢。そのうえ、人間ドックの診断結果まで「痩せないと病気を誘発します」だって。

えー、十二指腸が変形するくらいすぐに潰瘍になるピロリ菌持ち、それでも痩せない私って……

とにかく、これは何とかしなくてはと言うことで、ダイエットをしようと決心しました。
とりあえず、食べなきゃいいっしょ!

でも、2,3日食事制限をすると、もう、頭の中は食べ物のことばかり。ダイエット前は食べたいと思わなかったケーキが目の前にちらついて、一日中、そのことばかり考えている始末。
お腹のピロリ菌もひもじいのか、胃がしくしくします。

で、私のように意志薄弱な人間は、自力でダイエットは無理と思い知りました。
友人にそう話したところ、「とても優れもののダイエットサプリメントがあるよ」とのこと。
「私はそれで10キロ痩せたよ。ほら、Hさん、あの人って2瓶で5キロ痩せた」
それって凄い効き目。
その上、話を聞くと、普通に食事している間にそのサプリメントを数粒飲むだけと言う簡単さ。
目の前の彼女は、つい一年前までは私よりもパンパンだったのに、15号のサイズがいまや9号、すっきりした体型になっています。
しかも、そんなに効き目が顕著なのに、とても、安い!
その気になって、早速、注文しました。

ところが返事は――「その商品は製造中止になりました」。
えー、なんで? なにか事故でも? 痩せすぎた人が死んじゃったとか?
説明によると、「もっとよい製品が出来たので、そちらをお買い求めください」
でも、そのもっとよい製品は、先のものの2倍の価格。
しょげている私に友人が、「私、これ以上痩せなくていいから、余ったのあげるよ」
貰ってしまいました。
この1瓶半で、どのくらい痩せられるか楽しみ!

それにしても、世界には飢え死にする人もいるというのに、痩せるためにサプリメントを必要とする私って、ほんとにトホホです。

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2004.08.20

年齢制限 2004.8.20

オリンピックは良くも悪くも波乱万丈。その中でも山本博選手の「銀」には、おばさんとしては感無量です。
私はスポーツについてちょっと誤解していたようです。
身体能力は若いうちにピークがあるから、人生の早い時期に栄光を手に入れたスポーツ選手は、その後の長い人生を、その栄光の残滓とともに生きなければならない――それは辛いことなのではないかと思っていました。
でも、そんなつまらない妬みと独りよがりの憐れみの混じった私のスポーツの概念を、彼の奮闘は見事に叩き壊してくれました。
スポーツは数値で結果がはっきりと見える、他の職種(?)よりも人の思惑を排除できる公平なものだったんですね。
身体能力のピークを過ぎても、ひとつのスポーツに精進している人には、結果がついてくるようです。

この前、求人広告を見ました。上限は40歳くらい、まれに45歳。そのときは50歳は見かけませんでした。
女性の場合、もっと、制限年齢は下がります。35歳くらいで働き口が無くなる国って、どうなんでしょう?
文学賞でも、最近は30代前半までしか対象としていないと、公言しているところもあります。
その線は何のために引くのでしょう?
読者は若者だけではありません。今の日本で40代以上の人口が占めている割合を考えれば、そういう世代も考慮して行くほうが、ずっと、正しい戦略のように思えるのですが……
「冬のソナタ」があれだけの社会現象を巻き起こしたのは、そういう世代が求めているものが、今の日本のドラマには無かったからではないでしょうか?
「古臭い=次の新鮮さ」なのですよ。ファッションなど20年もたてば、同じようなものが流行っているんですもの。
人間は記憶を持って生まれてこないのですから、若者にも受けるかもしれませんよ。

さて、リストラ世代は年金がどうなるか分からない世代。
でも、リストラ世代の親世代で厚生年金に入っていた者たちは、月に20万ちかくの年金を貰えます。
もっとも、国民年金だとかなり小額になりますし、議員さんや公務員はもっと高額になるらしいですけど。
私の親戚の娘(22歳)はフリーターで、一日8時間、月に23日くらい働いて、15万そこそこの給料をいただきます。
彼女の友人の多くはフリーターで、彼女と変わらない賃金で働いています。
もちろん、一人暮らしは無理です。親と一緒に住み、生活費のほとんどを親に頼っています。
その彼女も厚生年金に加入していて、彼女の給料から差し引かれる厚生年金が、20万貰える世代を支えているのです。これはおかしいと、彼女が思ったとしても仕方ありませんね。彼女が自分の年金を受け取るときには、今の金額にして20万は貰えないと決まっているのですから……
もし、彼女が65歳になったときに、必ず、今の受給世代が貰えている額に換算した額を貰えると分かっていれば、彼女は喜んで払うでしょう。だって、今の給料よりいいわけですから。
ところで、この構図の中で一番気の毒なのは、彼女ではなく、もちろん、彼女の祖父母世代でもなく、彼女の親世代です。
彼女の親世代=リストラ世代は、年金は上がるばかりなのに、自分はその恩栄にほんの少ししか与れない。
そして、フリーターの子供世代をいくつになっても扶養していかなければならない。
こんな踏んだり蹴ったりの世代なんですから、せめて、生活の基盤になる仕事くらい、線を引かずにさせて欲しいものです。
人生80年の今、40、50歳なんて折り返し地点、信長の時代(人生50年)に換算すると、25歳くらいなんですよ。
どの世代の人間にも、等しくチャンスが与えられ、どの世代の人間も、将来に希望を持てる国、が活力に溢れた夢のある国だと思うのです。
もし、この文章を読んでいる経営者の方がいらしたら、ぜひ、明日から、年齢条項は募集要項から外してくださいね。
もし、あなたの会社が潰れて、どんな仕事でもしようと悲壮な決意をし、ハローワークに行って、端末を操作して探しても、年齢条項で面接にもいけなかったら、どんなに腹立たしいか……想像してください。

ところで、公務員って、体力が無いと出来ないんでしょうか?
もし、そんなに体力が要らないのなら、60で定年になった人にボランティアをしていただけばいかがでしょう?
学校の先生とか、国や地方の公務員とか、みな、ボランティアにして、年金+交通費+昼ごはんくらいで、雇用期間一年ごとに更新…責任者のみ、専業者を雇用する。
大切な仕事をそんな人たちに任せられないって?
でも、彼らは、まじめに何十年も勤め上げ、自分の職務を全うしてきた苦労人ですよ。
大学を出てすぐに、えらいさんになっちゃった人たちよりも、ずっと、真面目に、国のために汗を流してくれると思いますけど。
じゃあ、今まで公務員を目指して努力してきた人はどうするって?
何のために公務員になろうとしたんですか?
将来の生活を豊かにするためだったら、民間企業に行けばいかがでしょう?
団塊の世代が、全員、定年を迎えたら、働く人がいなくなってしまうから、みな、正社員になれますって。
もしくはベンチャーを起こしてもよいでしょうね。
公務員になろうとするくらい優秀な人たちですもの。きっと、素晴らしい発明をすることでしょう。
せっかくの頭脳を、国民の血税をいかに掠め取るかを考えるために使うなんて、もったいないじゃありませんか。

構造を改革すると、小泉首相は公約しました。それは、社会の矛盾を解消すると言うことではなかったのかと思うのですが、いまや、構造改革はどこに行っちゃったんでしょう?


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2004.08.18

オリンピックを見て 2004.8.18

プログを始めようとデザインをあれこれしているうちに、公開されていることに気付き、冷や汗!
仕方なく、過去の記事をアップしました。
まだ、デザインも変更します。次、いらしたときにはどこのページと思うほど変っているかもしれません。

さて、オリンピックは花盛り。今回は楽しいですねえ。
メダルを取ったアスリートの表情も自然で……今までのメダリストって、いまいち感情表現がぎこちなかったけれど、今回は本当に自然体だと思いません?
私はミーハー人間なので、何回も金メダルのシーンを見てはニタニタしています。
一緒に喜ぶくらいしなければ、血と汗にまみれて努力し、あの場に立っている彼らに申し訳無いじゃありませんか?
こっちは冷房の効いた部屋で、ビール片手に見ていたりするわけですものねえ。
屋根無いんですよ、あのプール!

と言いつ……喜びに水を差すわけではないのですが、彼らには成功者の義務を考えて欲しいと思います。
彼らよりも才能に溢れ、身体能力に優れた人間がいたとしても、それを発揮できる環境に無ければ、あの場にはに出て行けない――そういう人が世界にはたくさんいるのではと思うのです。
日本の選手たちには、あの場に立てた喜び、メダルを取れた喜びを味わいつくした後、競技に打ち込める「富める平和な国」に生まれた幸せ、それがほんの一握りの人間の特権なのだということを理解して欲しい。
夢を見て、夢を適えていける国に生きていることの幸せに感謝して欲しい。
それは自分のいる位置への感謝が、いつか、自分を、日本を、世界を救うことになると思うからです。
この国に生まれたものは、私のような無名のものであろうと彼らのように世界に知られた者であろうと感謝を持つべきなのです。
この前、ある成功している方と話していて、彼が、日本人の金で東南アジアを救っているのだと思っていることに気付きました。彼が言うには、日本人が彼らの生産物を買ってやるから彼らは生きていられるのだと……
いいえ、それは反対です。わずかばかりの金で農産物や製品を差し出してくれる相手がいるから、私たちは生きていられるのです。
彼らが手を組んで、日本には日本で流通している以上の金額でしか物を渡さないと決めたら、どうなりますか?
今の生活は明日にも出来なくなります。私たちは他国に縋って生きているのです。その生活をさせてくれる相手に、感謝しなくて、どうします?

今、五木寛之氏の「大河の一滴」を読んでいます。
私の書いた「砂漠の森ー木を植える人」も、同じような気持ちで書いたのですが、いまいち、私の筆力が足りなくて、落選してしまいました。
私は本当にぼんやりと自分の好きなことをして、自分の範囲で生きてきました。
人についてとか、人生についてとか、考えたことが無かったのです。
多くの人は、たぶん、私と同じように、日々、自分の範囲の幸せを追って生きているのだと思います。
でも、その幸せは本当に狭い峰の上にあるのです。
一歩、踏み間違えると、深い谷底に、思いも掛けない闇が待っています。
私がそれを覗くきっかけになったのは、母親の病でした。
アルツハイマーと言うのは本当に悲しい病気です。
精神が失われていくその無残さには目を覆いたくなります。
そして、現にそれに目を覆ってしまう人も多いのです。
中には放り出された者を救うために、立ち上がる人もいます。
でもそのために、さらに多くの人が傷つき、心身を病んで行くことになります。
暗闇の中にあっても、雄々しくまっとうであり続けるのは、本当に難しいことなのです。
誰にも助けてもらえず、誰にも縋れず、自分を傷つけることでしか立ち上がれない、そんな状況に陥った人にしか理解できない思いがあります。
それを表現する言葉は、絶対に冷たい言葉ではない。
温かく慈愛に満ちた言葉です。
その言葉を、闇の中で聞けたらどんなに良かったかと思える言葉です。
だから、私はヌルイと言われるような物語を書くのです。
これ以上、どんな相手にも、冷たく寂しい言葉を投げかけたくは無いから……
でも、それは、成功している人には通じない言葉のようです。

セミは、10年暮らす土の中で、空を理解できているのでしょうか?
私たちは、死後のことを知りません。
でも、最近、もし、私が死んで肉体を失っても魂が残っているとしたら、きっと生者を羨むだろうと思うことがあります。
それは五感。
味や匂い、暑い寒い、痛みや痒みすら、懐かしいだろうと思います。
だから、生きている今、それを楽しんでおこうと思っています。

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不思議な体験   2004.8.11

お盆前にお墓参りに行きました。
両親の墓は、先祖代々の墓とは離され、三重の山中にあります。
義姉の宗教の新しい霊園は整然と管理された墓が並んでいます。父も母も、自分が信仰していたわけではない宗派に祭られて、困惑しているかもしれませんが、人間、死後のことは決められないのです。
親戚の者と行きました。その人は何回も行っているというのに、なぜか道に迷ってしまい、青山高原に登ってしまいました。
その道すがら、家を出るときから痛かった肩がどんどん痛くなり、胸が苦しくなり、吐き気がして、どうにも辛かったので、大きな風車がいくつも並んでいる雄大な光景も心から楽しめませんでした。
高原から降りて方向がようやくわかり、霊園に向かおうとトンネルを抜けると、にわか雨に遭いました。
大粒の雨がぼたぼたと落ちてきたかと思うと、ワイパーが間に合わないくらいの土砂降り。
でも、上空は青空。――狐の嫁入りか?
その状況に驚いているうちに、急に体が軽くなりました。今まで苦しんでいた、肩や胸の痛み、吐き気もおさまり、すっきりした気分。信じられないくらいの急変です。
「わー、私、すっきりしちゃった。ものすごく爽快な気分」そう言った途端、雨が止みました。
降っていたのは1Kmに満たないくらいの道程、そのあたりには一粒の雨も落ちた様子がありません。
同行者と首を傾げながら、霊園に着きました。
きれいに芝生の張られた霊園はその一角だけでも同じ形のお墓が何百と並んでいます。そういう区画がいくつもあるのです。空は青く、遠くの山並みが綺麗。
お墓を水で洗い、花を飾り、お線香を取り出しとところで、供え物を忘れたことに気付きました。
母が大好きだった納屋橋饅頭。
一人で車に取りに戻ることにして歩き出した途端、また、雨がぽつぽつと落ち始めました。
あわてて取って戻ると、墓の側で待っていた同行者があせっています。
雨のせいでろうそくが消え、一人では線香の火を点けられなかったらしいのです。
二人がかりでようやく点けたのですが、手を合わせていても、雨はますますひどくなり落ち着きません。
早々にお参りを済ませ、車にもどりました。水桶を水屋に戻しているうちに、雨は小止みになり、車を走らせる頃には止んでしまいました。
そして、500mも走ると、道は乾いていました。それからはどこも濡れていないのです。
霊園の入り口の管理棟で車を降りて、周りを見ても、どこも濡れていませんし、私たちのようにびしょ濡れの人もいないのです。
不思議な経験をしました。

八月は夏休み気分でのんびりしているせいか、あまり、何かをやろうという気分になりません。
でも、花の仕事は結構忙しくて、遊んでいるわけもないのです。
と言うわけで、更新がなかなか出来ませんでした。
今、書き始めている小説も、なかなか、捗りません。
書きたいとは思うのですが、急な仕事が入ったり、花火があったり、急に出かけなければいけなかったりして、書けない日が続いています。
この八月は、少し、立ち止まりなさいということなのかしら。

そうそう、まだ、先になると思うのですが、プログを始める予定。
申し込みは完了して、あとは書くだけなのです。
でも、方向が決まらなくて・・・
エッセィはプログに移し、このホームページは花関係に戻すつもりですなのですが・・・
あと、落選続けている小説をアップするか、このままエッセィにするか、少し、悩んでいます。
で、八月は立ち止まり中なので、出来上がるのは、多分、秋。
涼しい風が吹き始めた頃には、私の頭も、少しすっきりして、がんがん書き始める・・・かも。

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図書館へ  2004.8.2 

週末、台風前の悪天候の中、ある本を探して、図書館に。
わが町の町民会館と図書館は、なかなかのものです。小高い丘にどーんと立った大きなピンクに輝く会館と対になった図書館。もちろん、バブルの頃に計画されたものです。
会館には三つのホールがあり、1000人入る大ホールにはかなり有名なアーティストも来ますが、彼らは声を揃えて、こんなところにこんなホールがあるなんて、と言います。こんな田舎町にこんな立派なホールがあるのは変と言うことでしょうね。
図書館もかなり贅沢なつくりです。図書館付属のギャラリーで一年に一回、花教室の作品展をします。
時折、強風と大雨の波が来る、そのピーク時についてしまいました。
これはかなり濡れるに違いない、その後、冷房が効いている図書館に入るのは危ないぞと思いながらも、読みたいと言う欲求に負けて、走りました。
予想通りずぶぬれになってしまいましたが……

 私が探していた本は、佐藤愛子の「私の遺言」
作家・佐藤愛子氏が北海道に別荘を造った後の25年間、悪霊に祟られた体験を書いた本です。
なぜ、その本を読みたくなったかと言うと、インターネットで調べものをしていて、その本の記述を見たから。
出版されたときの広告で知ってはいましたが、その記述でどうしても読みたくなりました。
調べていたのは「二酸化炭素」だったのですけど、どうして、繋がったんでしょう?
こういうことってよくありますよね。知りたいことが次々に派生していき、思いがけないことに辿り着く……
で、本は有ったことはあったのですが、分類は文学ではなく、心理学でした。
こういうのって、心理学なのか? と疑問に思いながらも、快適なイスに座り、熟読。
25年間のご苦労を一時間半で読み飛ばしてしまいました。
感想は{ああ、わかるなあ」
前にも書きましたが、私が店を作ったところも、いつも、ギシギシ、ピシピシ、ラップ音が聞こえ、気持ちの休まらないところでした。幽霊を見たという人もいました。
そこが古戦場の跡だからと、ある人は言ってくれましたが、多くの人は、この人ってオカシイんじゃないの?と言う目でしか見てくれませんでした。
でも、同じような経験をした人がいて、本に書いているんですから、あーすっきり。
佐藤愛子氏の別荘は、アイヌ民族の祭祀場の跡で、それが原因と、霊能力者たちは視たそうです。
25年間のさまざまな出来事、それに対する愛子さんの対処には涙ぐましいものがありました。
でも、「戦いすんで日が暮れて」の愛子さんです。とうとう、霊との戦いに勝ったようです。
「苦難はそれを乗り越えられる人のところにしか来ない」んですね。
昔、「戦いすんで日が暮れて」を読んだとき、こんな凄まじい人生を送るのは、さすが作家、特別な人なんだと思ったのに、「私の遺言」はそうだそうだと頷きながら読み終えたのは、なんだかねえ、あんたも苦労したんだねって、自分を抱きしめたくなるような感じ……ですかね。

 佐藤愛子氏には親切な霊能力者が次々と現れ、お払いをしたり、相談に乗ってくださったようです。
その中の一人が、美輪明宏氏。
去年、その町民会館で講演がありました。私は会場の花を担当させていただいたので、袖でお話を聞きましたが、黄色の髪、濃い紫のストール、濃いピンクのロングドレスにミュールと言ういでたちの美輪さんはかなり辛口なお話をなさいました。
美輪明宏氏は、電話でも佐藤愛子氏の周りの悪霊が視えたそうです。
あの時、すれ違った私に憑いている霊も視えたんでしょうか?
呼び止められもしなかったところをみると、私に憑いている霊が居るとしても、どうやら、私にふさわしい 小物のようです。

 ところで、今朝、面白いものを見ました。小さな、まだ子供のようなスズメが、小ぶりの白い蝶々を追いかけて、道を走っているのです。蝶々はふわふわしているくせになかなか捕まらなくて、小さな口をパクパクさせ、飛んだりはねたり、必死。
私は運転していた車の前で繰り広げられたその光景を見ていたのですが、つい、
――雀の子、そこのけそこのけ 御馬が通る という俳句を思い出していました。
馬が車になっても、事象ってあまり変わらないものなんですね。
考えてみれば、聖書なんか、不可思議の塊。
あれを信じるのだったら、ポルターガイストや悪霊なんてあって当然、居て当然。

え、なぜ、、二酸化炭素を調べたか、ですか? ……それは、ヒ、ミ、ツ

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暑夏   2004.7.28

なんとまあ、毎日、毎日、暑いことでございましょう。
36度以上の気温って、あなた、頭のてっぺんまでお湯に浸かっているようなものじゃございません?
しかたなく、うちのサクラ(11才 ヨーキー・♀)を丸坊主にしてあげました。
チワワのようでまた可愛いです(←親ばか)。
本犬(?)もお気に入りのようで、ブーブー言わなくなりました。

暑いのは苦手だとしても、夏って何とはなしにウキウキしますよね。
子供の頃の夏休みの記憶が全身に染み渡っているせいか、遊んでいてもいいような気がします。
まあ、これだけ暑ければ、しゃかしゃか何かをやる気にはなれませんし……
勉強するのが嫌いで遊んでばかりだった子供の頃の夏休み。
トンボが羽化するのを見に行ったり、蛍を追いかけたり、好きな本や漫画を読んで、枝豆やスイカをお腹いっぱい食べて、昼寝(あまり、今と変わらないかも)
そんな夢のような二十日間の後に、宿題をこなすのに必死の一週間があったんですけど……
先にやればいいのに、毎年、苦しんでいました。
大人になってもあまりその点では成長していません。いやなことを先延ばしにして、後で苦しむと言う最悪のパターンを、今も繰り返しています。
ところで、こんな暑い日本で、長袖のスーツを着て、夫は会社に行っています。
テレビの中でも、皆、スーツ、女性も長袖の服を重ね着しています。
この前、ライブドアの社長がTシャツでテレビに出たのを、礼儀知らずと罵ったお偉い方がいましたが、気温を基準に考えれば、あんたが変、ライブドアの社長のほうが正しいと思うのですが……

皆、スーツを着てネクタイを締めるから、必死で冷房しなければならないのです。
その結果、日本は熱帯並みの気温になっている、皮肉ですね。
沖縄では、「かりゆしウェア」なるアロハ風のシャツがあって、冠婚葬祭もこれでオッケーなのだそうです。いまや、東京よりも涼しい沖縄、暑さに抵抗しないことによって、温暖化から逃れているようです。
いっそ、石原都知事あたりが、「TOKIOウェア」でも提案して、自ら、半袖アロハを着て、都庁職員に徹底すればいいのに。(甚平さんあたりも、お似合いかも)
そういえば、半袖スーツなどと言う中途半端なものを着ていた羽田元総理、今年も着ているんでしょうか?とんと、テレビに出ませんね。
38度なんぞと言う気温になっているのですから、もう、衣服における礼儀基準を変更する時期に来てしまったと思うのです。
熱帯でスーツを着て働いている人がいたら、馬鹿じゃないのと思うはずなのに、同じ気温の東京ではそれを求められるというのは変じゃありませんか?
といいつつ、クーラーをつけて寝て、風邪を引いた私、人のことは言えません。
クーラーの無い生活を出来なくなっている自分が怖い……

さて、夏はサザンです。今年もまた、ヒット曲を出していますね。中年の星です。
どの曲も良いのですが、今は「愛の言霊」に嵌っています。
あの詞と曲、たまりません……と、ここで、CDをセットして、うん、やっぱり、素敵!
リストラ世代の彼らが頑張っているのは、心強いし、世の中に良い影響を与えていると思います。
サザンもそうですが、宮崎駿監督や、ハリー・ポッターのJ.Kローリングも、子供では描けない世界を創り上げています。
ともすれば薄っぺらになってしまう美や、正義感や理想を、経験や思想が裏打ちして、陰影を付けています。
大人の悲しみを含有する瑞々しい感性――それはどの世代でも共感できるもの。
だからこそ、彼らの作品は世代を超えて受け入れられるのです。

年を取ることが不幸なことでは無く、年を取ることに付加価値があると思える社会が健全な社会です。
あんな大人になりたいと思うようなカッコいい人、もっと、たくさんいると良いのですけど……と他人事のように言っていますが、努力はしてはいるんですけどね。なかなか・・・…・ね。

――と、ここまで書いたところで、雷が鳴り始めました。
うちは崖の上にあるので、雷が落ちるのが丸見えなのです。そこで電源を切って、しばし、休息。
    


何本かの雷が落ちるのを見ましたが、今日は少し遠くに落ちたようです。
西尾か吉良、もしかすると、知多のほうかしら。
大きな被害が出ていなければ良いのですが……

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七不思議 2004.7.22

さて、今日はうちの元気な花たちのことをお話しましょう。
私は花の教室をやっているにもかかわらず、うちはガーデニングなど一切しておりません。
というのには、いろいろと事情があるのですが……それもついでに。

 我が家の七不思議のはじまりはじまり――

その1
うちの庭には悩みの種のノウゼンカズラがあります。
あのオレンジの花が遠めに見ると綺麗なので、家を建ててすぐに、苗を植えました。
ひょろひょろの苗でしたので、何とか根付いてよかったと思う間もなく、そいつは権力闘争に打って出ました。
とにかく、伸びようと努力して、家の壁に這い上がろうとするし、延々と伸び、隣にまで行き、それに飽き足らず、とうとう、駐車場の舗装を破って出てきました。
もちろん、気がつくたびに切っていたのですが、切っても切っても、そこここに、根をつけ、今では、多分10数株になっているはずです。
そのうえ、許せないことに、こいつは花をつけないのです。
やたら、青々した葉っぱばかり茂らせて伸びる、とんでもないやつでした。
ところが、今年はどういうわけか、数個の花をつけました。
10年来咲かなかった花が咲くと言うのは、少し、怖いものがありますが、とにかく咲いたことで、今年こそ、根絶やしにしてやろうと思っていたのを、懐柔されてしまいました。

その2
9月にしか咲かない百日紅
百日紅って、7月くらいに咲くものなのですが、うちの百日紅は9月から咲き始めます。
しかも、子供を山と作ってくれます。
毎年、気がつくと小さな百日紅が2.3本出来ているのです。
ほとんど根元まで切られたこともあるのですが、それでも、すぐに5メートルくらいの木になります。
その百日紅が、今年はなぜか、7月に蕾をつけ、もう満開です。
つまり、今年のうちの庭には異常がいっぱい、と言うことなのです。
ほかの家では正常なんでしょうが……

その3
切っても切っても伸びる何だかわからない木。
その種類の特定が出来ないのです。榊のようで榊でなく、ヒサカキのようでヒサカキでもない木。
葉っぱのギザギザが無いので、たぶん、榊だと思うのですが……
もう、5回は切られていると思うのですが、(うちには鬼の剪定係がいます)、今は3m程の高さになっています。
青々した葉の立派な常緑樹です。ひらひらした落葉樹のお供もついています。
それが、うちの東北の隅に生えたのですが、うちは造成地なので、どうしてそこに来て、そんなに強情にそこに居るのか不思議。
そのほかにも、植えた覚えが無いのに何時の間にかいるものばかり。
表紙の黄色い花や、鉄砲ユリ、ノバラ、南天、ついでに松。いったいどこから来るのやら。
そんな脈略の無い植物に占領されているので、うちはガーデニングどころではないのです。

その4
二年ほど前、5mほどの大蛇が出ました。アナコンダではありませんよ。
隣のおじいさんによると、たぶん、青大将だろうと言うことでした。
5mって測ったのかと云われそうですが、うちの横の道幅が5mなので、その、道幅いっぱいの長さの蛇は、5mということです。
一番太いところの直径はバイクのタイヤくらいでしたね。
その蛇が伸びに伸びたノウゼンカズラの影に居たとき、私は誰がタイヤを捨てたのかと、一瞬、疑いました。
それが、ずるっと動いたとき、思わず、悲鳴をあげたのはいうまでもありません。
その蛇はうちが気に入ったようで、しばらく、うちの前に居ました。
出かけようとドアを開けて、蛇の尻尾の先が見えたときには、心臓が止まりそうでしたよ。
怖くて出られなくて、仕事に行けませんでした。
蛇は数日後にはどこかに行ってしまいましたが、後日、近所の奥さんに言われました。
「お宅、蛇飼っているの?」
うちの二つの門柱とその間の門扉に、まるで、あの幼稚園の折り紙を丸めて繋げたガーランドのように、蛇飾りがあったそうです。(あー、見なくて良かった)
昔、子供の頃、早春、花を探して山道を歩いていて、ふっと気配を感じて振り返ると、何十、何百と言う蛇が、塊になっているのを見たことがあります。
悲惨なことに、それは一本道で、帰りもその横を通らなければならなかったので、息を止めて走り抜けました。
そんな私ですから、蛇の夢など、数え切れないくらい見ています。
が、少しもいいことは無いし、お金持ちにもなれません。蛇の夢は縁起がいいと言うのは嘘です。

その5
ある朝、新聞を取ろうと、門に作り付けのポストに向かって歩いていました。といっても、狭い敷地のこと、歩いて3.4歩です。
なぜか、そこで、視線を感じました。見回しても誰も居ません。
でも、なぜか、ぞわっと寒気がして、ポストの新聞を取り、ふっと、視線を落とすと、なんと、そこには……
門のタイルの隙間ごとに、カエルが入っていました.。
豆粒のように小さなカエルが、数えることも出来ないほどびっしりと……書いていてもぞっとする光景です。
もともと、小さな丸いものがたくさんと言うのは気持ち悪いのです。筋子も時々、いやな感じがします。
そんな人の家に、何で来るんだか……で、数時間後、恐る恐る覗くと、もう、一匹も居ませんでした。
あれはいったいなんだったんでしょう……ってか、どこに行ったの?

その6
うちの時計は、すべて違う時間を示しています。どんなに合わせても、半月もすると4.5分進んでいきます。
もちろん、携帯の時計も例外ではありません。
ですから、私はいつも、今は大体何時何分頃だなと思いながら、行動するわけです。
結構しんどいです。

その7
うちは道路から見上げる崖の上に立っています。でも、みな、道に迷いたどり着けません。
以前、とうとうたどり着けなかった運送屋さんを、迎えに行ったことがあります。
一時間もぐるぐる回ったんですよと泣きつかれました。
その人は何回もうちの前を通っているのに、どうしても、わからなかったらしいです。そういう人は多いんですよと慰めておきました。

まあ、たいしたことの無い不思議ですし、どんなうちにも探せば、不思議の一つや二つあるものです。
書き出してみると、結構、お宅もワンダーランドかも……

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深夜営業    2004.7.22

日曜の夜、急に思い立って、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を見に行きました。
自宅から20分ほどのシネマコンプレックス.
18時過ぎに着いて、20時40分からの放映を見ようと、先にチケットを買ったところ、なんと、深夜料金とかで半額。その上、その回の最後のチケットでした。
時間があったので、食事をし、ついでにその敷地内にある温泉にまで入ってしまいました。
映画は前二作とは、少し、趣が違いました。内容も原作とはかなり……原作を読んでいるので、物足りないところは多かったように思います。とくに、ヘドウィッグの扱いには不満があります。
が、別物と思えばそれなりに楽しめました。
で、その20時40分開始23時過ぎに終了の回には、小学生やそれ以下の子供が山ほど……
なんで? あの年頃、私なんか午後9時までおきているのがやっとだったのに……
それくらいの時間から映画を見ることのできる子供たちが、世の中には山といるということを知り、愕然としました。
眠くないんですかね?
私なんかいまだに、9時くらいになると、うとうとしてしまうときがあるんですけど。
その割りに子供の体力低下って騒がれていますよね。どうなっているんでしょ?
親たちはどういう感覚であの回を選んだんでしょう? やっぱり「安いから」かしら?
もう、20年ほど間の話になりますが、一度、オールナイトというものを見ようという話になり、女友達と待ち合わせたのですが、怖くなり、食事だけして、映画を見ずに帰った記憶があります。
日本って、変わってしまったんですね。
そういえば、近くのスーパーが10時までの深夜営業を始めていますし、隣の市では、24時間営業のスーパーもあります。
体調が悪かった頃、日中、出かけるのがつらくて買い物できず、コンビニで買える食材で食事を作ったことがあります。そのあと、店をやらなければならなくて、さらに買い物に苦労していた時期、10時まで開いている店があったら、どんなに助かったことか……
つまり、私のような主婦が増えて、店として成り立つような社会状況ができたからこそ、そういうスーパーが生まれているのでしょう。
食材を買いに行くと映画を見に行く、深夜出ることに慣れれば、何と言うことの無いことです。
でも、子供は少し違うのではと思うのですが、ま、子供の居ない人には云々と言われそうですので、辞めて置きましょう。
トヨタが蒲郡市に全寮制の中高一貫教育ができる学校を作ろうとしているのは、そういう親や社会情勢への懸念によるものかもしれません
子供をある程度の時期に親から離し、共同生活させることで、他人との協調性や、社会道徳を教えようと言う試み。言い換えれば、親と言う孤独な王の独裁から子供を救済する目的なのではないかと思います。
私がやりたかった学校に近いものがありますが、私は無名の一個人でしたから、誰の賛同も得られませんでした。大きな企業がどういう学校を作るか、楽しみです。
あの映画館で、私の前の席の小学校低学年の子供は、一緒に来ていた父親に向かい、「そっちのほうが見やすそうだ。換わってよ」と要求していました。
甘えていった言葉かもしれませんが、それは、自分が一番いい席に居るのが当然と言っているように聞こえ、私は怖くなりました。そういう子供が増えて、自分が一番と主張しあったら、世の中はどうなるのでしょう。
兄弟が無く、競争も遠慮も無く育った子供たちを、大勢が共同生活する環境に慣れされるためには、中学からでなければと言うのは当然です。本当は小学校高学年には始めたほうがいいかもしれません。(そういえば、ハリー・ポッターは11歳の誕生日にホグワーツの入学許可証を受け取りますね)
寮生活経験のある私から云わせていただくと、悪い経験ではありませんでしたよ。
私が家から通える地元の高校ではなく、寮のある学校に行ったのは、自分に絶対的に不足しているものがあると、その頃から思っていたからです。
私の両親は、私にあまり関心がありませんでした。
三歳の頃、「三歳になったので、今日から一人で寝ます」と言って、一緒に寝ていた母の布団から出て行ったという私を、母は何でも自分で決め、自分の好きなように行動する強い子供と信じていましたが、私は家族に相談しても自分の悩みは解決しないと絶望し、別の世界を求めたのです。
高校で私は私の知識欲を満たしてくださる先生に出会いました。
本当の私を見つけたような気がしました。
ですから、私はあの不自由な寮を懐かしく思えるのです。
楽しい事ばかりではなく、寂しく辛いこともありましたが、それはその寮の全員が感じていることでしたから、ひとつの共感がありました。
といっても、もう、何十年も前の子供のこと、今の子供たちがどう思うかはわかりませんが……

孤独と言うのは、大勢の人に囲まれていれば無いというものでも、誰かに愛されていれば無いというものでもない……本当の自分を見つけられず、常に、今居る場所に違和感を感じていることとなのだと、最近、気がつきました。

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天災    2004.7.15

 新潟方面が大変なことになっています。
あんな住宅地が、水浸しになって、家からヘリコプターで救出されるなんて、あそこに住んでいる人たちは考えたこともなかったでしょうね。
新しい各戸の敷地があまり大きくない整然とした町並みから推察するに、あのあたりは、新興住宅地なのでしょう。
ローンを抱えている人も居るかもしれません。
水に浸かった家をどうするのかと思うと、なんともいえない気分になります。
私は、あれを視ています。
それはゆっくりと、川が堤をえぐり溢れていく様……不思議と危機感なく、「あー流れちゃった」くらいにしか思えない光景、大きな木や住宅に一部が流れていく光景……あれは「私的胡蝶の夢」で描いたとおりの状況です。
私はあの夢の中で当事者として、あの場に居ました。

 私の視る怖い水の夢には理由があると、最近、思い当たりました。
それは私の生命が母の胎内に宿った頃の話です。親が住んでいた村が洪水に遭いました。
家も家財道具もすべて流され、多くの死者や行方不明者が出たそうです。
上流のある村は全滅して、そのあと、そこには土砂や倒木で自然のダムができました。
多くの学者たちは、このダムは決壊しないとお墨付きを与えたそうです。
が、数ヵ月後、やっとの思いで父が家を再建し息をつく間もなく、大雨でそのダムは決壊しました。
そして、下流に建てた新しい家は、前よりひどい洪水に襲われたのです。
狭い山間の川の川幅を超えて、山幅いっぱいにまるで壁のように押し寄せる水を見て、母は幼い姉の手を引き、身重の身で、必死で山に駆け上がったそうです。
足元ぎりぎりまで、水が来て、死ぬかと覚悟した時、目の前を、前の水害で流され、見つからなかった遺体が、パンパンに膨れ上がり、何体も何体も流れて行ったそうです。
自分の身が危ないのも忘れ、思わず手を合わせてそれを見送ったと、幼い私に、何度も母は教えてくれました。
幼い私はその光景を想像し、体が震えました。
母はなぜ、そんな話を幼い娘にしたのかと、疑問に思うときもあります。
川の側には住んではいけないという戒めのつもりだったのかもしれませんが、たぶん、母にとって、恐ろしい忘れられない光景で、自分ひとりで持つのがいやな記憶だったのかもしれません。
水害はすべてを流しました。財産も、先祖の残した書置きも、兄や姉たちの写真すら……
まったくの無一物で、生活をやり直さなければいけない困難な状況の中で、生まれたのが私です。
赤ちゃんの写真が残っているのは私だけです。(流れたほうが良かったと思えるほど、不細工な赤ちゃんの写真ですけど)
父が国から国有林伐採の権利を貰い、東北で事業を始めたのにはそんな経緯がありました。
人生は思いがけない要因で転機を迎えます。
あの洪水に遭った人々は、よもや、自分があんな目に遭うとは想像もしなかったはずです。
でも、人生とはそんなものなのです。
どんなに自分が正しく、引け目なく生きてきたとしても、天災は人を選びません。
良い行いをしていようが、酷い事をしていようが、天の行いは平等なのです。
でも、それが過ぎたときに、それまでの人生が問われるのです。
他人を許し、愛した人にはそのように、苛斂誅求に他人に臨んだ人にはその人の行いに応じた手が差し伸べられることでしょう。
いま、私は明日にも地震が起こってもおかしくないと騒がれている地域に住んでいます。
阪神淡路大震災のときのような地震が来れば、果たして無事で居られるかどうか……
でも、これはすべての人に言えることなのです。
明日、どうなるかわからない――それが生きているということなのです。

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山頂    2004.7.6

すぐに顔色を変え、ぶーぶー文句を言うやつを、ついにリストラしてしまいました。
……って、パソコンの話ですって。
画面の色が黄色から緑に変わり安定しないので、その都度、プラグを触るという危ない作業をしなければならなかったし、騒音もひどくて落ち着かなかったのです。
でも、長年頑張ったカレ(私にとってパソコンはhe)ですから、行く末が心配です。

先日、知人と話していて気がついたことがあります。
彼女の娘さんは人と会うのが怖い病に罹って、引きこもりに近い生活をしています。
で、彼女曰く、
「いろいろ有って、今はあんなに元気をなくしているけど、あの子は本来あんな風になる子じゃないから、きっと、立ち直れるわ。
だって、あの子の姓名判断をすると、太陽のように周りを照らす、とてもいい運勢なんだもの。あの子は今はああやっているけど、そのうちに世界を変えるほどの凄い運を持っているんですって」
「なんだかな」というのが私の感想でした。
この上ないほどの姓名運に恵まれた人を知っています。
彼は失敗を繰り返し、とうとう、借金を他人に押し付けて夜逃げしました。
押し付けられる他人がいたところが、彼の運勢の良いところかもしれないのですが……以来、私はあまり姓名判断を信じません。
知人がそう思っている間は、娘さんは立ち直れないのではと私は恐れます。
なぜなら、知人の言葉は今の娘さんを否定しているから……
「太陽のように周りを照らす明るい自分、世界を変えられるほどに特別な自分」
そう言われ続け信じてきた娘さんは、社会に出て、いろいろな出来事に思うように対応できず、自信を失い、自分を否定し、閉じ篭るしかなかったのではと私は推察します。

  で、娘さんに伝えたいこと――
確かにあなたは特別な人です。自分にとっての自分は常に特別なものです。
ということは、あなたの周りにいる人すべてが特別な人なのです。
人はいろいろな面を持っていて、何事にも明と暗、表と裏があります。
そして、世の人はあなたの努力を認めるとは限らないのです。
人生は例えていうと、山登りのようなものです。
長く険しい坂道を登り、山頂に辿り着き歓声を上げても、一生そこには留まれません。
山頂は人が住むには適さないのです。
人生の山頂も同じです。孤独で、人はそこに住み着けないのです。
で、また、坂道を下ることになります。
その繰り返しをするのが生きているということです。
今、あなたは登りたい峰に登れずに自信を失い、閉じこもっている……
あなたはなぜその峰を選んだのかしら?
自分がすぐにそこに到達できると思ったから?
でも登れなかった。
ということはその峰は今のあなたには高すぎたのです。
登る苦しみが強く長いほど、高い峰に挑んでいるということです。
どんなに優秀な登山家でも、最初からエベレストに登ろうとはしませんよ
少しずつ標高を上げ、体を慣らし、それでも、失敗するときもあります。
でも、失敗したからと言って二度と登るものかとは思わない……
あなたは人生の初心者、まずは近くの山から始めなさい。
そして、山に登る苦しみと、その山頂に立ったときの幸せに慣れなさい。
あなたが今、崖から落ちて、蹲っているなら、まず、裾野に下りて自分を癒すことから始めなければ……
人生の目標を10代や20代で手に入れなくても良いのです。
だって、人生は80年以上続くのですよ。
後の50年以上、孤独な山の上で暮らすのは、辛いと思いませんか?
小さな登山を繰り返し、いつか、大きな山に登れる日まで、自分を鍛え、自分を愛し、信じ、歩いてくださいね。
こんなおばさんでさえ、自分の夢を育んでいるのです。
あなたには、未来がいっぱい有るのですから、いつか、自分の望む峰に立てればそれでよいでしょう?
もし、峰に立てなかったらって? 
それならそれでよいではありませんか。
あなたの努力はその峰に届かなくても、そこら辺の小さな峰なんか軽々と登れる体力をあなたに与えたはずです。
あなたはその体力で自分にできることをその時点でして行けばよいのです。
そして、望みの山に登れなかったことを悔やむのはやめましょう。
高く険しい山に登るのだけが素晴らしいことではないのですから……

夏風邪を引いて、さらに頭がぼんやりしています。
なんだか、いろんなことを忘れていそう……怖い!

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ハリー・ポッターを読んで 2004.6.28

 この週末、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を読みました。今更と言われそうですが……
ちなみに、前二作はまだ読んでいません。なぜ、今回、読む気になったかというと、今、CMで流れている映像を文章でどう表現しているかを知りたくなったから。
読んでみると、避ける二台の二階建てバスの間を「ナイト・バス」がすり抜けていく時の文章は本当にあっけないものでした。
映像は文章の何倍もの表現力を持っているが、そのために、真に作者の意図するものは見えにくくなっていると気付き、映像の怖さを思いました。
ハリー・ポッターの物語は映像化される前に、全世界でベストセラーになっています。
この本を読んだ子供たちは、ナイト・バスを避けて飛びのく家も面白いと思ったでしょうが、それ以上に、ロンやハーマイオニーとの友情、フクロウとの心の交流、ポッターを取り巻く大人たちの善意や悪意を面白く感じたのでは……
文章とは心を表現できる唯一のもの。
文字表現の素晴らしさは、人に与えられた目に見えるものではなく、文章の内容は自分の想像力で心に描かなければいけないということに尽きます。
最近、漫画などの表現に比べ、文章は力が弱いのではと思うときもあったのですが、今の時代を救えるのは、文章しかないと改めて思いました。
言葉の持つ限りない力、「始めに言葉ありき」の意味がわかったような気がします。
そして、この時代に、小説を書く若い人たちが増えている理由もわかったような気がします。
理解されたいと願ったとき、それを真に表現できるのは文章しかないのです。
ただ、文章表現をしようと思えば、多くの「言葉」を身に付けなければいけないし、人との会話も必要なので、閉じこもっていては難しいと思いますが……

 きっかけはイラクで人質になり殺された韓国人の映像を見たことでした。
「死にたくない」と訴えている映像が何回も放映されたのに、私達は彼を救えなかった。
そのことは、とても辛く、ご飯を食べながらそれを見ている自分が、とても、残忍な人間であるように感じました。
私のようなおばさんでさえ、そんな罪悪感と挫折感を持ったのですから、子供たちには、どんなにこの事が大きく作用するかと、ぞっとしました。
報道の自由はもちろん有ります。
悪いのは誘拐して人殺しをする人たちです。
でも、それを見せられた瞬間、私達は当事者になってしまうのです。
見ながら、何もしなかったという…… 
映像の怖さを、もう少し、自覚するべきではないかと思います。
映像は想像力を働かせるまもなく、それを事実として見せます。
あれをやっているのは本当に反米勢力なのでしょうか?
あんなことをして、それを映像で配信して、自分達の主張が正しいと認められると思うのでしょうか?
為政者は自分が正しいと信じ、その信念で悪を行うことがあると、私達は知っています。
少しは、あの映像の意味を疑わなければならないのかもしれません。
「華氏911」というマイケル・ムーア監督の映画が全米でヒットしているようです。
あの「9.11」の映像を見て、テロリストに対する憎悪からブッシュを支持した人々が、この映画を見て一連のテロとイラク戦争への疑念を持つというのは皮肉です。
「目に見えるもの」に振り回されるのではなく、それを疑うことも、これからは重要になるでしょう。
それにしても、いつも、犠牲になるのは、名も無き民なのです。
いつ、自分がその役を押し付けられるかは判らないのは、恐ろしいことです。

 「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」は想像以上に楽しい読み物でした。
内容を書くと顰蹙を買いそうなので、楽しいとしか書けなくて残念です。
私はフクロウが欲しくなりました。うちにはサクラという愛犬がいますが、彼女はメールを届けてくれないので……
メールを届けたい相手がいるかって?
おばさんだからといって馬鹿にしてはいけません。
人はいくつになっても、優しい気持ちを届けたいと願うものです。優しい気持ちを受け取りたいと思うものです。
それが強すぎて、ストーカーになったり、脅迫状を書いたりしてしまうのです。
でも、人に嫌がらせの言葉を書き綴っても、心は晴れないでしょう。
そんな人に伝えたいのは、あなたは今そこに存在しているだけで、十分に愛されているということです。
あとは、あなたが人を愛すれば良いだけの話。どうか、たくさん、人を愛してください。
その愛は相手を潤おすだけでなく、あなたの心の砂漠にも降り注ぎます。
人を愛するのには、何の経費も行動も必要ない。ただ、あなたが愛していると思うだけでよいのです。簡単なことでしょ?

 ハリー・ポッターの物語は、私を少し優しくしてくれたような気がします。
まだ、お読みで無い方は、一度、目を通してはいかがでしょう?
映画とは違う世界があるかもしれませんよ。

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江戸川乱歩賞  2004.6.23

第50回江戸川乱歩賞が史上最年少24歳の神山裕右さんに決定したのは5月。
がっくりした乱歩賞応募者たちにとっては、6月22日はもうひとつの山です。
(去年はそんなことも知らなかった初心者の私)
この日発行の「小説現代」7月号号には、1次通過、2次通過の作品名と作者名が載ります。
で、行ってきましたよ、近所の書店に。 
900枚のものを550枚に圧縮したのが間違いだったよなとか、最年少流行の昨今、最年長を争うに違いない私に誰も目を留めてくれないだろうなとか、言い訳をしながら覗きました。
で、結果は……一次予選通過に止まりました。残念です。
……というのは嘘。一次予選でも十分にうれしいというのが本音です。
私は大層な賞が欲しいと思っているわけではないのです。ただ、自分の原稿を本にしたいだけ。
では自費出版でも考えればと言われそうですが、原稿料を頂ける原稿を書くのが夢なので、それは論外です。
よく言われる乱歩賞の傾向を研究して書いているわけでは有りません。
自分の書きたい物を書きたいように書いているので、それが需要に合うかどうかは難しいところでしょう。
文章を生業にした経験もありませんので、文章が下手なのは当然です。
そんな私の文章に目を留め、残してくださった方がいたという事実だけで、もう、幸せ。
私の幸せは至極単純なのです。
なぜ、作家になろうなんて現実味のないことを考えるのと訊かれることが有ります。
実は、私にとって、作家になることは人生の目標では無いのです。
ただ、書き続けていくための原資と環境が欲しくて、それを得るための一番簡単な手段が作家になることというだけなのです。
とはいえ、書くことが職業になったら、それがストレスになるでしょうから、今のポジションが一番幸せなのかもしれません。
花の仕事をしながら、一昨年の秋から書き始めた原稿は3000枚に達しました。
史上最高齢の新人作家を目指しています。(目指さざるを得ないというのが本当です)
作家になりたいと思っている限り、私は作家の卵。(永遠に孵化しない無精卵かもしれませんが、卵は卵です)
さて、それでは、どの話を書き始めましょうか……書きたいことが一杯あるので大変です。

 ところで、私の尊敬する作家はアガサ・クリスティ様。
現代でも、新鮮な人物像・トリック。感心するばかりです。
映像化も多くされていますが、私にとってのポアロはデビッド・スーシュしかありません。「おしゃれな小男」そのものです。
熊倉さんの声も良いですよね。あの「ボン!」という声を聞くと嬉しくなってしまいます。
そして、優美なアールデコの装飾品。豪華な避暑地、煌びやかな宝飾品が似合う女性たち。
そんな小説は今は持て囃されませんが、殺人が別世界の話だった頃に、もう一度戻ったほうがよいように思います。
近所の中学生の犯罪では、あまりにもリアル過ぎます。
そうそう、私の好きなもう一人の作家パトリシア・コーンウェルの「検視官シリーズ」が次第に崩れていくと感じているのは私だけでしょうか?
「そんなことがあるの?」と読者を驚かせてくれていたコーンウェルが、現実のすさまじく残酷な事件に負けないように、どんどん、挑発的になっていくのは残念です。
死体の悲しみを語っていた文章は、今では、ドブネズミや異常人格者に占領されています。
それでも、それを上回るような事件が、現実に起こるのです。、残忍な描写を読みたければ、新聞の3面記事を読んだほうが良いような時代です。
そんな時代の推理小説についての私の思いが、理解される日が来るのでしょうか……
 
 以上、乱歩賞の結果報告でした。
 ふと思ったのですが、私が作家になるのと、老衰して書けなくなるのと、どちらが先なんでしょうね?

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台風と花と脾臓  2004.6.21

 今日は台風。
大雨や暴風雨が好き、という人、結構いるんじゃないかしら?
私も自分に被害が及ばなかった頃は、荒ぶる気象が好きでした。
でも、10年ほど前に家の屋根瓦が、ガラガラと崩れるという恐ろしい目にあって以来、風は苦手。風速30メートルを超える風と、滝のような雨の中、仕事に行きました。
うちの辺りは田んぼが多くて、国道沿いの田んぼには看板が多く建っているのですが、突風でも吹いたのか同じ方向に一直線に倒れていました。
犬小屋が田んぼの中に落ちているのも見たのですが、犬はどうしたんでしょう? 
今回の台風では波に攫われて亡くなられた方が多いようです。痛ましい話ですが、暴風波浪注意と予報されているのに、なぜ、海辺に行くのかという疑問は残ります。
私たちは、自然の恐ろしさに少し鈍感になっているようです。人間は建造物を造り、自然から身を守れるようになったことで、安心しきって、自分がとても傷つきやすい、まるで桃のような肉体を持っていることを忘れています。それはとても不幸なこと、怖いことです。

 さて、私はもともとナマケモノなので、ボーとしているのが好きだったりします。
日がな一日、誰とも話さず篭っていても平気。でも、最近、その性格を変えようと「一日一会話」を心がけています。去年の人間ドックで、いくつか駄目出しされたのですが、そのひとつに「脾臓の腫れ」がありました。脾臓なんてマイナーな臓器がどうして悪くなったのか、理由は不明のままです。
お医者さんからは脾臓の説明がなかったので、脾臓について調べようとインターネットで検索し、「心の解剖生理学」というサイトにアクセスし、驚きました。
このサイトでは、その名の通り、心のあり方で障害が出てくる臓器を特定しています。
たとえば、「小腸=愛の栄養不足」「腎臓=優しさと優柔不断」など、むむっと思うような項目に分かれているのですが、それによると、「脾臓=心の免疫力」。
脾臓に溜まる感情は心配、憂い、妬み、不信感、拒絶、無関心など。つまり私は、それらの感情で一杯になって、脾臓を腫らしているというわけで……
愛情を拒否されていて、心を開けなくなっている――これは一大事。
一人でいることが結構平気で、自分の好きなことに没頭している人に多い――ああ、納得。
確かにこんな文章を書くことに没頭している……というわけで一日一会話です。
それにしても、結構、おしゃべりが好き、人と会うのも好きなのに、どうして、こんな病を持ってしまったのか不思議。「心の解剖生理学」は面白いですよ。ぜひググってください。

 おしゃべりで思い出しましたが、花の仕事をしていてありがたいのは、いろんな出会いがあること。
生徒や花を通じて知り合った人たちがいろんな話をしてくださるので、私の世界は膨らみます。
中にはミニスカートをはいてお店に来るおじさんとか、部下にセクハラしている上司とか、とんでもないものもあるけれど、いつも新鮮な話題を供給してくださるのでとても楽しい。
それとなんといっても花の持つ癒しの力は絶大です。花を触っていると自分の体調や精神状態が良くわかります。心が騒いでいるときは、花も纏まらない。体が不調なときは出来上がりに迫力がない。植物にはテレパシーがあるという説が本当なら、そんな状態のとき、花は「わあ、触らないで」と言っているかもしれませんね。
それにしても、花店をやっていたとき、花を家に飾るのが苦痛でした。あの頃は、花に触るのが辛く、花を楽しめなかったのです。あれはどういうことだったのでしょう?
花店を辞めてからは、家に花を絶やしたことが有りません。花を見、花に触るのがとてもうれしいのです。そんな私の気持ちを感じているのか、うちの花瓶に入れた花はとても長持ちです。不思議なことに、切花はたいてい二番花(出荷時に咲いていない花)は色が薄くなり、白くなっていくのですが、ある花瓶に入れると、一番花よりも鮮やかな色に咲きます。
それは、花を習い始めた二十年以上前に買った量産品の花瓶なのですが、なんとも優れものの花瓶なのです。今も、ピンクのオリエンタル・ハイブリッドリリーを入れていますが、一週間以上、鮮やかな花を次々と咲かせています。出かけていることが多いので、部屋は締め切った状態なのですが…… 
 
 そうそう、花の仕事をしていると「うらやましい」とよく言われます。「きれいな仕事でいいわね」
とんでもない。結構な肉体労働です。体力がなければ花とは付き合えません。
花は生き物だから、手をかけないとすぐに枯れてしまうし、水は腐って臭くなるし、農薬の二次被害だってあります。それでも、花の仕事をしているのは、只々、花が好きだからということに尽きます。
長持ちしないからと生花を嫌う人もいるけれど、長持ちしないからこそ、生花は愛しいのです。
蕾の可愛いさや満開の豪華さはもちろん、色褪せ枯れてていく様も決して汚いばかりではなく、滅びの風情を感じさせてくれる素晴らしいものです。命の状態をまざまざと見せてくれるのですから……
で、花の世界を目指す方に一言、花は癒しの力を持っている。間違いない!(長井なんとか風に)
でも、花の仕事に「癒し」を求めるのは間違っています。仕事である限り、それはストレスを伴います。仕事とは利益のためにするもの、利益は必ず他者との摩擦を産むからです。
ただ、ストレスは悪いばかりとは限りません。プレッシャーやストレスは、次の目標への起爆剤にもなります。花の世界で行き詰まりを感じたとき、花が好きなら、花があなたを力づけ次に進ませてくれます。

 ということで、私は花に力づけられ、毎日、歩いているのですが、この道の先を不安に思うのは脾臓のせい?
そんな脾臓に溜まった不安や、妬みや、不信感を、どうしたらよいのかと考え、気がつきました。
そんな負の感情を吐き出すために、私は文章を書いているのかも……

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孤独 2004.6.13

何を言っても理解されず、あなたの考え方がおかしいといわれる。
今まであなたが得てきた常識やキャリアを認めず、裏ではあざ笑っているくせに、誰もが一歩引いて、本音を言わない。慇懃無礼に拒否している。
会ったことも見たこともない人たちが、本人を差し置いて、あれこれといかにも理解者の振りをして、毒を含ませた表現で話し合っている。
あなたさえ、きれいで可愛い人形であることを飲み込めば、すべてがうまくいくと押し付ける。
かつて、心身を痛めながらも、姑もそうやって堪えた。あなたに出来ないわけがない。
出来ないとすれば、それがあなたが我儘だからだ。と、陰口を利かれる。

そういう思いをしている人は、結構、世の中には多いのではないか?

自分を自分として受け入れてくれる人と出会えるのは奇跡に近い。
そして、もし、あなたが100%正しいとしても、それを声高に言ったところで、相手が知らん振りを出来る人なら、周りがそういう相手に追随しているなら、それは自分の刀で自分が傷つくだけという結果になりかねない。

そういう絶望を見た人は引き篭もるか、相手を抹殺するかしかなくなる。
で、今の日本では、引き篭もりと殺人が増えている。

あの御手洗氏が咽喉の奥が熱くなり、腹の中をボールが転がると表現した想い……あれを加害者の女児は経験したことがあるのかもしれないと、最近思っている。
彼女は絶望し、もう、どうでもよくなってしまったのだ。
そういう子供の思いを、たいていの大人はたいしたことないと考えてしまう。
あの、イラクの時の自己責任論にも有るように、日本人は最近、他人に対して冷たい。
失敗した人や、挫折した人にたいして、「あんたの責任」で切って捨てるその冷たさは、自分の子供の苦悩も、そんなのは一時の気の迷いと歯牙にもかけない態度になってはいないだろうか?

失敗や挫折をした人は二つに分かれる。
ひとつはその痛みを知ったことにより、人に対して誠意を尽くし、真心で接するようになる場合。
こういう人は周りに助けられ、癒されて、立ち直った人が多い。
もうひとつは、他人が自分に対してしたように冷たく省みない態度になってしまう場合。
確かに、高度成長時代のように活力のある社会ではなんとか自力で立ち直れたことが多いだろう。そういう人は自分もそうだったから、お前も大丈夫と思いやすい。
でも、今の社会はそうではない。
自力で立ち直ろうとしても、その道筋を見つけるのは、精神的にも、経済的にも難しい。
それなのにそういう人を、冷たく突き放し、あまつさえ、足を引っ張る人のなんと多いことか……
情けは人のためならずという言葉を、情けを掛けることは相手が人を頼るようなって、その人のためにならないと解釈する人が多くなっているのがその現れだ。
本当は情けを人に掛けるのは、相手を助けることにより、自分も助けてもらえるようになるし、お互いがよい方向に向かい、社会が潤い、結局、自分のためにもなるということなのだが・・・

 ご自身で乗り越えられない挫折を知らず、キャリアを積んで来られた妃殿下は、ご自分のお言葉の通じない世界に傷つかれ、閉じこもられた。
だが、その挫折の痛みと他人への無理解社会への絶望を乗り越え、新しい皇室やご自身のあり方を構築されていかれることを、お祈りしたい。
妃殿下が公務で慰問なさる人々は、皆、その絶望や痛みを抱いて、それでも頑張っている。
美智子皇后のお言葉に人々が涙するのは、そのお言葉に痛みに堪え、乗り越えられたご自身の感慨が込められているからだ。目の前の苦しみに耐える人々に真の励ましを送ることが出来るのは、ご自身も痛みを知っておられるからだ。
妃殿下は今、ご自分のために苦しんでおられる。思い通りにはならないご自分の人生を嘆いておられる。
傷つき、迷い、悩み、嘆く……そういう負の感情は人間として当然のこと。
私達国民はそういうものと無縁のロボットを国民の象徴に欲しているわけではない。
皇室は祈りの家。国民のために祈りますと天皇陛下は常に言われる。
だが、健やかな心がなければ、人のために涙することも祈ることも出来ない。
だから、妃殿下がお健やかになられるよう、周りの条件を整備していくことは、当然、重要なことだ。
周りの条件のほかに、迷いからに抜け出すには優しく差し伸べられる手が必要だが、その手はすでに差し伸べられている。
あとは、その手を掴む握力を妃殿下ご自身でつけられるしかない。
妃殿下は今の負の感情を昇華なさることによって、さらに、高みに上られ、私達は世界に誇れる次の皇后を得られることだろう。
それが、妃殿下にとって幸せであるかどうかは、また、別な話なのだが・・・
それにしても、存在がすでに仕事であるというのは、辛いことなのではとお察しする。

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2004.08.17

私的胡蝶の夢 2004.5.31

  時々、絵葉書のようにはっきりとした夢を見る。

最近見た夢――
強い陽射し、真っ青な空、銀色の滑走路、そこに飛行機が、着陸するようにふわっと墜落する。
落ちた瞬間に白い煙が機体の下から雲のように湧き上がり、機体を包み、空を隠していく。
飛行機は白く窓の辺りに赤の英字がかかれていた。
空は青く雲ひとつなく、滑走路のような銀色の空き地には陽炎がゆらゆらと立っていた。

私はよくそんな脈絡のない、鮮明で極彩色の「災害」の夢を見る。その一部を書いてみよう。

私は山の上の大きなホテルのようなところにいる。
山の下には、大きな湾が広がり、その湾に沿って、弓なりに街が広がっている。
私は大きなガラス窓から眼下の街と向こうに広がる海を眺めている。湾に打ち寄せる波は穏やかだ。
のんびりと眺めていると、沖から、壁のように津波が押し寄せてくる。夢の中の登場人物の私は、「この場所は山の上だから大丈夫」と判断し、逃げもせず、それを眺めている。
津波は街を呑み込み、山裾を上がってくる。
次第に不安になり、それでも動けずにそれを見ていると、津波は山を駆け上がり、やがて目の前のガラスに波が押し寄せる。
その時点で逃げようと走り出す。
廊下に逃げ、大きな木のドアを閉めたが、その向こうに水が……

高いビルの屋上から、飛ぶ。
手を広げて、ゆっくりと落ちていく。やがて地面に叩き付けられ、全身がばらばらになるような痛みを覚え、気を失う。

他のビルより突出した高いビルが二つあり、そのビルのかなり高い階(同じ高さの隣のビルを見上げるくらいの階)で、下を見ると、真下には通りが見え、通行する車や歩いている人が見える。
目を上げると隣のビルがゆっくりと傾いて崩れていく。
眼下の人や車が蜘蛛の子を散らすように逃げているのが見える。
やがて、自分のいるビルも傾いていくのが判る。
床が斜めになり、崩れ、大きな穴が開き、その穴に吸い込まれ下に落ちていく。

自宅と思しき家で一階の居間にいると、突然、嵐になった。
二階の窓を閉めたかと不安になり、階段を上ると、二階は屋根が飛ばされ、雨がシャワーのように降り込んでいる。
そこから外を見ると、真っ暗になった家の前の空き地に布団や洗濯物、クローゼットの中のものが投げ出されていて、水浸しになっている。
雨はどんどん酷くなり、家の周りの土地が流され、土台が見えるほどになっている。大きな穴が開き、そこに轟々と音を立てて、水が流れ込んでいる。

穏やかに流れる大きな川の側の家で、川の流れを見ていると、上流から大きな木や石が流れてきて、水量がどんどん上がり、川辺の家を次々と呑み込んでいく。

広い平原で夜空を見上げると、真上の空は大きな宇宙船で覆われていた。
かなりの数の宇宙船が交戦している――らしいと思ったところで、夢は終わった。
なぜ宇宙船かと思ったかというと、停止していたからだ。飛行機なら、飛び続けていなければ落ちてしまう。

もっと、多くの夢を見ているが、書き出していたわけではないので、忘れているのも多い。

胡蝶の夢というのをご存知だろうか?
荘子は夢の中で蝶になり、百年間、花から花へ飛ぶ夢を見、目覚めた。
そして、自分が蝶になった夢を見たのか、蝶が荘子になった夢を見ているのか疑った。

私の場合、夢の中の私はいつも災害に遭遇している可哀想な人だ。
できれば、今の私が真実であることを願ってしまう。
現実でも、結構、苦労しているのに、夢の中ではもっと苦労しっぱなし。
つくづく貧乏性なんだなあ……と思う今日この頃である。

 

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今日、考えたこと 2004.6.2

 今日はとてもよい天気で、爽やかな風の吹く一日だったが、世の中は悲しい事件が続いている。
相変わらず、うすぼんやりといろんなことを考えてみた。

1)本を読めない。
 ミステリーを書いているくらいで、私は推理小説が好きだ。
だが、私は最近、本を買わない。私の読みたい小説が無くなったから。 
悲惨な快楽殺人、意味のない殺戮を描く小説が多くて、読んでいて苦しくなるから読めなくなってしまった。
確かに罪を描かなければ、罪の恐ろしさ、罪の空しさ、罪を犯す人間の心の闇を描けない。
それを描く手段として、殺人を書いているのだとは思うし、自分もそうしている。
でも、面白いから、 うけるからという観点で、殺人を扱うのは危険だ。
子供は、記憶を持たずに生まれるから、目の前にあるものを素直に受けてしまう。
その危険性について、私は以前に書いた。それが確かな形で始まっている。

2)佐世保の殺人事件の報道を見て
 今の子供たちはバブルの崩壊の後、すさんでいく時代に生まれ育っている。
大人は自信を失い、自分のことに必死になり、余裕のない社会生活をしている。
子供はその社会のすさみをもろに被って、夢のない不安な子供時代を過ごしているのだ。
彼らに、生きている楽しさ=悲しいことや苦しいことを含めた人間に生まれた喜び、を教えるのは大人の義務だと思うのだが、こんな状況になっても、大人は国会で意地の張り合いをしている。
あんな姿を子供に見せて、子供がどう受け取るのか考えていないのだろうか?
そんなものを見て育った子供に立派な大人になりなさいと説教できるのだろうか?
私達はテレビやインターネットといった、今までのどの文明も持ったことが無い文明の利器を手に入れた。だが、もしかしたら、パンドラの箱を開けたということなのかもしれない。
映像は残酷なまでに真実を語る場合がある。
あの乱闘をしている国会議員たちが尊敬すべき人間には到底見えないだろう。
そして、そんな人たちが運営をしているこの国に、幻滅するのは無理は無い。
今の日本は足の引っ張り合いや、相手を落としいれようとする大人の姿を映像によって、子供にも見せている。醜い大人の争いを見て、子供たちはののしりあい争うことを当然と受け取る。
だから、それがわかる年代になった中学生や小学校高学年の子供たちに問題が起こるのだ。
つまり、大人の社会の歪みによって、子供がさらに酷く歪んでいると言う事になる。
子供はいつの世でも、ラディカルなものだ。
いろいろ考えたのだが、今日はこれ以上書くのは辞めよう。
あの子がああなった理由について、思い当たる節が山ほどあって気が滅入る。

3)個人保護法
 最近、我が家の近くを、明らかに日本人ではない人が多く歩いている。
世の中にホームレスが増えているというのに、3Kの仕事につく外国人は増えている。
ホームレスになるより、きつい仕事でも仕事に就いたほうがいいのに、どうして就こうと努力しないのかと不思議だったが、ある人の話を聞いていて、その訳に気付いた。
働きたくても働けないのだ。
たとえば、ある人が事業に失敗して、夜逃げする。
昔は夜逃げして、住民票を移せないような人でも、建設現場やパチンコ店などが受け入れてくれた。
そこで、住み込みで仕事をし、また、社会復帰するものも多かった。
ところが、今や建設業界は公共事業がなくなってそれどころではないし、パチンコ店は大卒が就職する花形企業だ。
で、仕事を探しに行くと、住まいはどこですか?と聞かれる。
住まいがはっきりしていなければ、面接もしてもらえない。
そこで、アパートを借りにいく。そうすると、保証人やクレジットカードが必要だという。
夜逃げした身では保証をしてくれる人もカードもあるはずがない。
ということで、一度落ちこぼれた人は社会復帰のしようがない。
すべて、信用審査という名目でネットワークが張りめぐらされているせいだ。
何か事故(払えなかったり、払いが遅れたり)を起こした人は、ブラックリストに載っている。
夜逃げをしたような人が載っていないわけが無い。
そのネットワークはすべての業種に浸透し、社会の活性化を阻み、企業の首を絞め、個人を圧迫している。
つまり、皆が、転ばぬ先の杖を求め、その杖で落ちこぼれの弱者を払いのけているから、弱者はホームレスになるしかないのだ。本来、まじめに働いて自分を立て直す可能性のある人間が、就労の道を閉ざされ、冷たい路上で生活するしかなくなるのだ。
企業にしても、リスクを負うことを恐れ、安全な道ばかり模索する結果、再起の可能性のあるものをも、不良債権にしてしまう道が出来ているのだ。
優秀な金融界や経済界のお歴々はどうしてこのことに気付かないのか……
ま、ホームレスになったことも、経済的に困窮したことも、想像力も、 無いのかもしれないが……
まず、夜逃げしなきゃいけないほど、個人を追いつめるのは犯罪だと法で認めるべきだ。
個人を保護する法律はそんな観点から論議して欲しい。

4)天国の話
 何かで読んだのだが、天国と地獄は同じだという。
素晴らしいところで、人はご馳走を囲んでいる。箸はとても長く、向いに座った人に届くくらいだ。
テーブルは遠いので、長い箸は丁度よいのだが、自分の口に入れるには長すぎる。
天国ではその長い箸で互いに食べさせあって、皆、満足している。
地獄では、その長い箸で自分の口に入れようとして、食べられずに餓えている。
はたして、あなたは、長い箸を持ったときにどうします?

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土地と人の関係 2004.5.23

雨が続いている。台風までやってきた。
こんな日には、必ず、体調が悪いという知人がいた。
「頭が痛い」とか「めまいがする」とか言う彼女に、同感し、私も頷いていたものだ。
気候が体調に関係すると最近言われているが、それに加え、いる場所というものの影響も有るような気がする。
私はある土地を借りて、店を作り、4年間、ほとんどその店に縛られていたが、あの場所が私の体調にかなり影響していたように思う。
新しく出来た大きな通りに面した商業地だったが、そこでの経験は不可思議というしかない。
最初、私はそこに花屋を作るつもりはなく、親戚の仕事の手伝いくらいのつもりだった。
それが、名義人であったために、そこを残され、孤軍奮闘する羽目になった。
そのいきさつもかなりの物語だったが、その後がまた凄かった。
何とかしようと、アルバイトを雇ったのだが、長続きする人がいない。
ある人はノイローゼのようになり、ある人は髪が抜け落ち、病に倒れ、ある人は交通事故に遭い、癌になり、最後の一人が、三人目の交通事故にあったときに、私はその店の存続をあきらめた。それ以上続けるのが怖くなったのだ。
泥棒に二回も入られ、オートバイが一回突っ込み、雨よけの庇(ひさし)が飛んだ。
自動ドアは人も来ないのに開き続け、最後には電源を切らないといけないくらいになり、パソコンは壊れ、電話は混線し、よその電話の会話が聞こえた。車は急に動かなくなり、人間で言うと心臓部が壊れていると言われた。建物は常に、ギシギシピシピシ、音が聞こえ、いつ倒れるかと気が休まる間がなかった。

 そこを出るについてはいろいろ問題があり、大家さんとも何回も話し合ったのだが、大家さんは更地にすると言い張った。
そんなことをして大丈夫かと心配していたのだが、この前、噂で聞いたところによると、大家さんの奥様は急な発作で亡くなられ、大家さん自身も病に臥せっていらっしゃるそうだ。
そういえば、その前に、その場所を紹介し、不利な契約の元を作った建設会社の営業の方は脳梗塞で倒れている。
つまり、そこに関係したもので、心身と経済状態が無事なものはほとんどいないという状態なのだ。

 その土地を離れてから、ある人にあそこは戦国時代の古戦場、多くの血が流れた場所で、数々の怪異があるという話を聞いた。
そのことは有名な話なので知らなかったわけではないが、そんなことが、今生きている人間に作用するとは信じられなかった。
でも、今、私は土地の持つ力というものはバカに出来ないと、身に沁みて思っている。
私はあそこで死に掛けた。写真を撮ると、私には色がなかった。
紙のようにぺらぺらになっていくと自分でも感じていた。
心身経済共に傷ついたが、命があるうちに、あそこから抜け出られたことを幸運だったと今は思っている。
あの場所にいて、私はなんとなく感じていた。ここは人の悪い面を増幅してしまうところだと…
人間は善のみではないし、悪のみでもない。普段は隠している人間の欲が出てしまう場所。
私は本人すら、自覚していない本音を申告され続けたような気がする。
そして、私も、自分では自覚していなかった自分を見た。
といって、誰もがあの場所で、傷つくと言うわけではないだろう。
私があそこでうまくいかなかったのは、私とあの場所の相性がよくなかったからだ。
相性の良くない私を追い出して、あの場所も今頃はほっとしているのかもしれない。

 そういえば、幽霊を見たことがあるという人に、その店で何人も出会った。
影のようにぼうっとしたものを見たとか、手だけ見たとか、落ち武者の格好をしていたとか、普通の人のように道を歩いているのを見るとか、そんな話を聞いて、私はこの人たちを信じていいものかと悩んだ。皆、嘘などつきそうもない人に、見えた。

 「目に見えるからと言って、すべて真実とは言えない。目に見えないからと言って、すべて嘘とは言えない」と、あの店で学んだ。
あそこに行かなければ、私は文章など書けなかっただろう。
私の関心は人間には向いていなかったから、書くべきものがなかったのだ。
文章とは人間が読むもので、どんな美辞麗句が並べられようと、人間に対する愛や好奇心がなければ、読む人を納得させることは出来ない。
長い目で見れば、あの場所は私にとって、最良の場に変わるかもしれない。
失敗を失敗のままにしてしまうか、次へのステップへのジャンプ台に出来るかは、私の行き方の問題で、誰かや何かのせいではない。
幸せは目に見える金や地位とは限らないと言うことは判った。
それでは、私の次のステップにある幸せは、どんなものなのだろう?

 さて、あの場所を離れ、私はめきめき元気になった。
朝起きると、思わず、体操したくなるほどだ。健康であると言うことは本当に楽しい。
この前、免許証を失くし、再発行をしてもらったのだが、その前の免許証の写真とは別人のようだった。
この年になったときに、こんなにわくわくしながら生きられるとは、若い頃には思ってもいなかった。

人生は面白い。

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2004.08.15

少子化 2004.5.11

福田さんが辞めて、菅さんが辞めた。
年金を払っていなかったのが原因だという。
そんなことが原因で職を辞さなければならないのなら、1000万人近い未納者はどうする?
確かに、年金を議論する立場の人たちが払っていなかったのは問題だが、そんなことを言えば、ホームレスだった人が奮起して、国会議員になったときに、どんな役職にもつけないことになってしまう。
声高に彼らに辞任を迫っていた人たちは、何の破綻もなく、経済的に困窮もせずに暮らしていた者しか受け入れない社会を作ろうとしているのか?
問題なのは、複雑な年金制度のせいで、自分の状態を把握していない人間がいるという現実だ。辞めろ、辞めないの問題ではない。
ま、今度の騒動は、相手の足を引っ張ることしか考えていない政治家が、引っ張るつもりで一緒に転んだようにしか見えないから、呆れてものが言えない。

皇太子殿下が怒っておられる。
雅子妃殿下を守ろうと必死で戦っておられる。
結婚のときの約束など、けろりと忘れてしまった男たちに、皇太子の爪の垢を飲ませて上げたい。
(多分、貰えないだろうけど)
宮内庁という大姑にいびられて、傷ついた妻を必死でかばっているあの姿は、誤解を呼ぶかも知れない。が、誰に誤解されようと、雅子様にはその心は伝わるだろう。

じつはこの皇太子一家の問題と、年金問題は同じ根っこだ。
キーワードは「少子化」
人格やキャリアを損なう発言についてはなんとなく察せられる。
東宮家には愛子様しかいない。女帝の可能性もある。
皇太子妃が外国にばかり行きたがって、子供を生む努力をしないのが問題だ。
宮内庁の役人はそう思ったのだろう。
そして、厚生労働省の役人は、少子化のせいで、将来の年金収入が危ういから、何とかしなきゃと思ったのだ。自分達がいろんなモノを作った結果、年金が危ういことを棚に上げてね。

 私は子供を生めなかった人間だから、何を言っても、あなたは子供がいないから、で済まされることがある。だから、この発言もそう思っていただいて結構だが……
自分達のシステムの失敗を、子供が少ないことや、子を持たない夫婦のせいにしないで欲しい。
子供がいない、あるいは少ない、のには、それなりの理由があるのだ。
それは病気だったり、経済的な事情だったり、個人の信念だったりするが、いずれもどうにもしがたい事情なのだ。
子孫を残すというのは、生き物の一番の欲求で、ウィルスでさえ、そのために生きているのだから、事情がなければ、皆、ぽこぽこ子供を生んでいるよ。そうでしょ?
それなのに、子供のいない夫婦からは子無し税を取れとか、遊びたくて子供を作らんのはけしからんとか、新聞で発表している老人がいる。
もしかしたら、役人にはあの手の男達が多いのかもしれない。
成績優秀で人に叱られることもなく、高学歴で裕福な実家。
今はそんな人しか官僚や政治家になれないらしいから。

 皇太子殿下には、くじけることなくがんばって欲しい。
天皇制を論ずるつもりはないが、外国の要人をお招きして、そのときの総理がどんな総理であろうと、恥ずかしくないのは、あの方達のおかげだ。
総理大臣は誰がなろうと構わないが、皇太子はあの方しかいない。
今度の発言は今までの皇族では考えられない発言だと関係者はインタビューに答えている。
それは当然だ。あの方は美智子様の子供なのだ。母親の挫折し、苦悩する姿を見て育ったのだ。
幼い時にはかばってあげられなかった母の代わりに、雅子様のためには手段を選ばないだろう。
だから、宮内庁の役人はこの発言を甘く見ないほうが良い。
表現が柔らかいから、多分、今まではその怒りを理解できなかったんだろうけど……

 さて、少子化している国は、日本・ドイツ・イタリアだそうだ。
つまり、第二次世界大戦の敗戦国。敗戦と少子化の問題について考えてみよう。
うちの母は大正十年生まれ、一番下の弟は昭和16年生まれの、9人兄弟だ。
母の母は、いわゆる、「産めよ増やせよ」の時代に乗ったおばあちゃんだった。
彼女は子供を一人も失わずに済んだが、手塩に掛けた子供を失った母親は多かった。
それなのに、国は敗戦し、子供の死は報われぬ死になった。
「血と肉を分けた」子供を、戦争の道具にされた母達には、それはトラウマになったことだろう。
そういうのが、じわじわと浸透し、今の少子化に結びついているような気がする。
しかも、世界では確実に戦争状態が広がっている。
こんな中で、不安を持たずに子供を産めというのは無理というものだ。
もっとも、人間も動物だから、種の絶滅の不安を覚えると、急に出生率が増えるかもしれないが……
でも、願わくば、そんな事態にはなって欲しくない。
 


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魂の研鑽 2004.4.29

福田官房長官のプライバシー発言をテレビで見て、この人は今でも総理大臣を目指しているのかと訝しく思った。あの不遜な態度は、ある意味、凄い。どんな編集が為されているにせよ、一瞬の彼の表情・彼の言葉への反感を、国民が持たないと思っているのだろうか?
この前、京都の嵐山を歩いていたとき、「年金基金センターらんざん」という立派な施設があった。私はなんとなく足が止まり、「年金基金センターだって」と同行者に言った。すると、同行者二人は、「ほう、こんな物立てているから、年金がなくなるんだがや」「こんなもん、絶対赤字だわ」と口々に言った。農家のおばさんと自営業者の奥さんの彼女達、サラリーマンの奥さんの私でさえ、そんな感想を「年金」という文字を見て持ってしまう。私達が立ち止まって見ていると、他の観光客も歩きながらその建物を見て、「あら、年金基金センターだって」「まあ、年金で作ったのね」「こんなもん作って…」口々にそう言いながら歩いている。私達が歩き始めてからも、後ろで「あら、年金…」という声が追いかけてきた。
こんなにも、一般ピープルは関心を持っているのですよ、福田さん。プライバシーなどと強弁した後で、自分も払ってませんでしたなんて言った日にゃ、袋叩きです。

田中康夫長野県知事のお言葉ではないが、上に立つものはノブレスオブリュージュ(高貴なる者の義務)ということを、少し考えたほうがよい。「公平高潔であろうとしない人」は、人の上に立ってはいけない。政治は職業ではない。政治は使命なのだ。
だが、今の日本の政治のシステムは、そういう人が政治家になれないシステムのようだ。どんなによさそうに見える人でも、永田町に行くと、どんどん理解しがたい変な人になってしまう。
年金も、問題は複雑な年金制度にあるのだが、今回の改正(悪?)でもそのままになるらしい。
組織というものはどんな組織でも、それを運営する人たちは、制度をどんどん複雑化していく傾向があるようだ。私の属している小さな組織でも、なんだか、制度がはっきりしていない。そのうえ、私などには決まったことも一切連絡が無い。だから、何かやるたびに私は右往左往するハメになる。そんなところに属するのを選んだのは私なので、(自己責任だから)私は出来る限りのことをその都度やっていくしかない。でも、かなり、精神衛生にはよくない。ストレスの基になる。最近、眉間に縦皺が出来た。

うちの父親は小さな鉄道会社で、日本でも初めての労働争議をやったというおっちょこちょいの人だ。その後、町議会議員になって、町長になろうとして挫折した。私の生まれる前の話だ。
私が知っている限りの父は、燃え尽きた灰のような人だった。戦争中、部隊で生き残ったのは何人もいなかったとか、前後にハンドルのあるリムジンを香港で運転したとか、モンゴルの平原で敵の部隊の巻き起こす砂塵が見えて二日後にようやく到着したとか、そんな話しかしない人だった。
子供の頃、私は父の話が嫌いだった。子供がそんな昔の話をされても、面白いはずが無い。
だが、今になって、もう少し父の話を聞いておけばよかったと、後悔している。父が生きたことを覚えておいてあげるのが、子供たる私の勤めだと思うからだ。父に私を育てる責任があったように、子供の私にも、あの人の子供に生まれた義務がある。
村始まって以来の天才と言われた父は、栄光と挫折を繰り返し、最後は何一つ残すことなく病院で死んだが、彼の人生が示唆するものは大きい。それは、人間はこの世で得たものをすべて置いていかなければならないということだ。何も持たずに生まれたように、何も持たずに去らねばならない。そのとき、持っていけるものがあるとしたら、それは魂だけなのだ。記憶でさえ、母のようにアルツハイマーになれば奪われてしまうのだから…
魂の研鑽こそが、人生の意味なのだと、私はぼんやりと考えている。日々起こる出来事は、その研磨剤のようなものだ。削られる痛みに堪えてこそ、人生は円く美しいものになる。
どうやら私には棘が多いようで、まだまだ、かなりの痛みを感じているけれどね。

さて、栄光や富を求め、システムを都合の 良いように変えようとしている人たちへ訊きたい。
そのシステムは自分の子供に住みやすい社会を残せるシステムなのか?
そのあなたの行為はあなたの魂を磨くのものなのか?

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スプリングエフェメラル 2004.4.29

私にとっての春の特別な花、それはキクザキイチゲ。
スプリングエフェメラル(春の儚い命)と呼ばれる春の花のひとつ。
我が家の庭に流れる小川や、近くの小川の側の日当たりの良い場所に、群れて咲いていた。

すき透る花びらのその花は春の到来を伝える妖精だった。
毎年、消え残る雪の間を、その花の咲くのを待ち侘びて彷徨った。
水野英子・西谷祥子・わたなべまさこの作品に出会い、漫画家になることが夢だった。
長い冬の間、家の中に閉じこもる日々には、きらきらした瞳のひらひらのドレスの少女を描いていた。
若い漫画家達の描く海の向こうの物語は、山奥の村に住んでいる女の子にとってバイブルになった。
ドレス姿の八頭身の自己実現していく女性達の姿に憧れ、私はその村を出る気になったのかもしれない。
 
カトリックの高校に入って、私は修道院に併設された寄宿舎に入った。
朝6時からの御ミサ(週一回)、6時半~7時は掃除、7時から食事して、7時半からは学校に行く前の自習時間、8時に学校に行き、夕方5時半から7時までに食事、7時から9時まで自習。
9時消灯。11時までは勉強するものは食堂に集まるのだが、たいてい私は9時に寝ていた。
そんな生活を3年間送った。

キクザキイチゲを探しに行くことも無くなり、私の生活から花が消えた。

山の中でたった一人で遊んでいた子供が、そんな生活をするのが苦痛なのは当然だ。
だが、朝、眠い目をこすりながらの祈りの言葉や賛美歌には、あの少女漫画の世界を連想させられたし、集団生活のおかげで少しは基本的な生活習慣が身について、それからの人生に役立った。

あの高校の3年間は、私が社会に出るために必要な修行の時代だったような気がする。
山猿のように野放しで遊んでいた子が、そのまま社会に出ても、きっと、すぐに挫折していただろうから…

その頃熱中していたのが、「ポーの一族」。萩尾望都のバンパネラの物語。
望都様は「11人いる」のイメージが強いかもしれないが、私には「ポーの一族」のほうが印象深い。抑圧された修道院の中でシスターの目を盗んで読んだ緊張感のせいかもしれない。
目を盗んで読んだ漫画、目を盗んで食べたお菓子、今思えばあれも楽しい経験だった。
 
同じ寮にいて少し変わっていた同級生は、ふわふわした印象の人だった。
彼女は大学紛争をしている学生たちともどこかで会っていたようで(私には寮を出てそんなところに行けるという事が想像もつかなかったのだが)、オルグする高校生のリストを見て、あなたの名前があったと言い出した。

私は、高校の文芸誌にある文章を発表して、知らない人から手紙が届いたりしていたので、そのせいかと思う程度だったが、彼女はとってそのリストに名前があることは特別な事だったらしい。
それで興味を持ったのだと思う。私達は良く話すようになった。

やがて、私は大学に入り、彼女は浪人して、東京でも何回か会ったが、彼女は夏休み前に田舎に帰ってしまった。夏休みにも、結局会えず、電話で話しただけだった。
そのときのもう大丈夫という言葉を私は信じた。

それなのに、その秋、彼女は自殺した。
焼身自殺だった。

望んだ大学に入れなかったとか、働きながらの勉強に挫折したとか、失恋したとか、理由をあげることは出来るだろう。
私が彼女の力になれなかったのが原因だと私を責めた級友もいた。

だが、「この世には長生きできない人がいるのだ」
それは彼女の運命で、彼女が選んだ道だ。(そう、私が言える様になったのはつい最近だが…)
 
彼女こそ、スプリングエフェメラルだったのかもしれない。
冷たい空気に震える、すき透った花。
暖かい空気に触れることも無く、散ってしまう花…

私はいまだに彼女の笑顔を忘れられないし、折に触れ、彼女のことを思う。
人生の入り口で人生の何たるかを知らないままに、逝ってしまった彼女に、私は寿命の尽きるまで生き抜いて、天国で話してあげよう。
彼女のいなかった夏や秋や冬の話、そして、めぐり来る新しい春の話を…

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風邪を引いた 2004.4.25

ずっと咽喉が痛くて腫れているような気がしていたのですが、ついに、寝込んでしまいました。
最近、忙しくて、食事が不規則になったり、抜いていたりしたのが効いたようです。
私が寝ていると、サクラも一緒に寝ています。手術から無事生還し、前よりも甘えん坊になった彼女は、私が家にいる間中、抱っこしていてもらえると思い込んでいて、こうやっている間にも、抱かれたがります。手術の後、傷口が開くといけないからと抱いていたのですが、それで、彼女は抱かれているのが当然と思い込んだようです。まだ、庭にしか出していないので欲求不満なのかもしれません。隣の奥さんに言われました。
「お宅のサクラちゃん、木の陰からうちのほうをじーと覗いているわよ」
どうやら、「家政婦は見た」犬になっているようです。

イラクで人質になった人たちに対する「自己責任」についての論議が喧しいようです。
私も三人の親族の方達の初期の記者会見を見て、「自分の勝手な行動で窮地に陥ったからといって、居丈高に政府に要求するのはいかがなものか」と思った人間ですが、それでも、自己責任だから、死んでも仕方ないとまでは思いませんでした。なんとか助かって欲しいと願いました。
自己責任を言った人もたいていはそうだったのだと思うのですが、マスコミは過激に報道しました。海外のメディアの反応もそうです。この前の文春事件のときもそうでしたが、少し、世の中が窮屈になっている、それは良い傾向とは言えないように思います。
人質事件について言えば、この根本的な問題は、私達は今まで、自己責任などというものを考えいない人種だったということだと思うのです。そんなの考えれば当然だという意見もあるかもしれないけれど、そんなことを考えない人だって、世の中には当然多くいるのです。、今までの日本では自己責任を問われるような危機的状況はあまり無かったのですから…しかし、これからの日本はそうではなさそうです。私の住んでいる地方でも、スーパーの駐車場で攫われて金を奪われたり、家まで連れて行かれて強盗されたりする時代です。自己責任で自分を守るということを真剣に考えねばならない時代になってしまったようです。
今度の事件は不幸なことで、彼らは本当に恐ろしい思いをしたと思うけれど、彼らは少なくとも、あんな行動をすれば、自己責任を問われますよという警告を社会に与えました。その点では、私達は彼らに感謝すべきでしょう。これから私達は自衛隊のいる海外に行くのは、とても危険なことだと認識し、なおかつ行くのなら自己責任、死んでも仕方がないと腹を括り、家族にもそれを徹底しましょう。

さて、戦火はどんどん大きく広がっています。その上、スペインを始め、多くの国が撤退を検討中のようです。争いごとは双方が各自の主張をしている間は、収まることがありません。どちらか片方が相手のルールで、もしくは両方がひとつのルールで話し合わなければ、言葉は通じません。
イラクのことはイラクのルールで話し合うべきです。宗教のために死ぬ覚悟をしているものに、別の宗教の倫理を押し付けても、聞いてもらえるはずもありません。この戦争を終結させるには、イスラムの教えに従う解決策を模索すべきです。イスラム教とキリスト教は同じ聖書の教えに始まっています。教義はそんなに変わらないでしょう。この仲裁を出来るのは、どちらでもない、八百万の神を信ずる日本しかないように思いますが、小泉さんはそれを出来るか…どうでしょう?
もうひとつ、問題は、終結させたいという意思がアメリカにあるかどうか…予定の弾丸を使い果たしていないのかもしれません。
いずれにせよ、アメリカはベトナム戦争の轍を踏んでしまったということは確かなようです。彼らは日本で成功したことが忘れられないのです。 だが、ベトナムもイラクも日本のようにはなりえません。良くも悪くもそれらの国には天皇はいないのですから…
御所に行ったせいか、天皇という不思議な存在について、考えています。まだ、文章に出来るほどの気付きが無いので、今は辞めておきましょう。
  
そうそう、小林よしのり氏がテレビで、話し言葉と文章について述べられました。
今回の人質事件について、感情をすぐに言葉にして出す危険性を言われたように思います。文章にした時の推敲された言葉なら、あんな個人攻撃はあり得ないと…
 話し言葉は録音でもしない限り、残ることはありませんが、文章は残ります。思うままに書いた文章を私はたいてい書き直して(それでも誤字脱字はあるんですよ)います。
読み直すことで、かなり最初とは違う文章になっていることも…でも、それにより、私は自分の中の自分でも気がつかなかった感情を見つけることがあります。素のままの自分を推敲することにより失くしてしまう、という人もいるかもしれませんが、素のままの私は、とても人様の前に出せるような者ではない。推敲してもこの程度の人間ですから…

そう言えば、 「いかがなものか」という言葉、結構、使い勝手のよい言葉ですね。この言葉が印象的だった北海道のODAおじさんは今どうしているのでしょう?


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いろんなことを考えた 2004.4.17

ある人が鬱状態からなかなか抜け出せなくて、親御さんが別の医師に相談に行ったところ、カウンセラーとの相性が悪いのではと指摘されたという話を聞いた。
カウンセラーにもかなり差が有るらしい。人の悩みや苦しみを聞くという仕事は難しいものなのだろう。技術や知識と共に、その人の人間性が問われるような気がする。苦しみや悲しみの度合いはその人の立場や生い立ちで異なるから、これくらいでということで、死んでしまう人もいるし、こんなことによく堪えていられると感嘆するような悲惨な状況でも笑って生きている人もいる。
最近、その違いが少し判ったような気がする。
それは、固執=こうでなければならないという思い込み、の深さに違いない。
理想とする自分、理想とされる人間像、理想とされる組織、そういうものに対する思い込み、それが人を苦しめ、他人との対立を生む。
人間はもっと、弱くていい加減でちゃらんぽらんなものだと思えば、楽になるだろうに、そうは思えないからこそ苦しんでいる。自分で自分を追い詰めている。
だが、そう他人から言われても、真の理解は無い。自分がそれに気づくまで苦しむしかない。
ただ、その泥沼から出たいと願うようになった時には、引っ張っり上げてくれる手が必要だ。
カウンセラーというのはそのために居るのではないかと思う。この手はいつも差し出していますよということを、相手に伝えられる人が優秀なカウンセラーなのだ。

イラクが大変なことになりつつある。3人の人質の方達は帰ってこられて本当に良かった。
あの人たちに対して、私はあまりよい印象を持てなかった。ニュースを聞いたとき、そんなところに行くなよと思わず叫んだくらいだ。その後の家族の言い分にも呆れた。
だが、人質になった女性が「いろんな目にあったがイラク人を嫌いになれない」と言った言葉は、立派だと思った。彼らを助けるために多くの人が、それこそ命がけの交渉をしていただろうに、それに感謝もせず、自衛隊は日本に帰れだのイラクに残りたいだのと能天気なことを言っているとしても、その彼女のイラク人に対する気持ちが真実なら、それも、彼らが助かった一因なのかもしれないと思う。
そう言う相手を、殺すのはイスラムの教えに背く事になるだろうから.……
私は自衛隊だって、たかが職業じゃないかと思うことがある。
職業のために、命を落としてはいけない。
テロリストは信ずるものを守るために、命を落としても、使命を実行しようとする。
自衛隊員はそんなことをしてはいけない。危なければ逃げて、身を守るためには武器も持って(緊急避難では人を殺すのも仕方が無いと認められている)、とにかく生きて帰ってきて欲しい。
他国の紛争に派遣されて死ぬことは無い。
たかが職業ではなく、自分は信念のために、他国の紛争で、死ぬ覚悟をしているという人は、ま、それはそれで好きにしてくれれば良いが……
だが、忘れないで欲しい。
その信念は立派だが、その信念こそが戦争を生んできたのだということを……
第二次世界大戦は、国の利権のために一部の人間が始めたが、それを泥沼化させたのは、純粋に国を愛し、愛する人達を守ろうとした普通の人々なのだ。そういう人々が国や人を愛するがゆえに、戦争によらない平和の維持の方法を模索する間も無く、勝利に固執したのだ。
私は戦後に生まれ、戦後に育った。戦後に年老いているのだと信じたいのだ

2004年の4月17日、いろんなことが起こっている。
だが、来年、私はそのほとんどを忘れているだろう。
そういう点では、人は日々死んでいるに等しい。日々死んで、日々生まれているのだ。
今日の、この一瞬限りの自分を愛し尽くし、今日の悲しみは今日忘れよう。
明日はまた、新しい自分が生まれるのだから……
今日、近くの里山を散策しながらそう思った。

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先祖のこと 2004.4.9

桜を見ることが多い春です.。 近くの山の桜を楽しむのに飽き足らず、京都に行ってきました。
京都御所と嵐山を巡るバスツアーです。
京都は桜の最盛期、バスの車窓から、京都中の桜を見たような気分です。そうそう、京都大学の入学式なんていうものもやっていましたね。学生に混じって母親と思しき人たちが大勢いました。
京都は修学旅行以来、何度か行きましたが、御所は初めてです。歴代の天皇がお住まいになっていたにしては、御所は倹しい。
太い柱や形式美という点では贅沢だし美しいのですが、インドのマハラジャの宮殿などに比べれば、豪華絢爛とは程遠い…
それは天皇が神であったからかもしれません。神社はお寺に比べれば格段と質素ですから。

御所といえば、私の先祖は5位職に任ぜられた検知という神道の職業で、西暦1002年、200名ほどの家来を従え、和歌山県の野上神社に下ったそうです。その前は和泉佐野の葛葉神社にいたと言われていますが、葛葉神社は明治期に一度消失していて、詳しい資料は有りません。岩清水八幡宮との関わりで葛葉家はそこに住まうことを決められたと、葛葉家文書にはあります。 家系図は武内宿禰を祖とし、岩清水八幡宮の創祀者行教の三男紀の今守の子孫が葛葉氏を名乗ったのだとされています。その文書や家系図・資料は、今でも野上神社に残っています。葛葉家は1000年のうち、850年は野上神社に、後の100年ほどは高野山の近くに、そして、父の代以降の50年は東北と東海地方を放浪の生活です。御所を見物しながら、先祖もこの場に来たことがあったのだろうかと考えました。5位の位にあったとすれば、一度くらいは御所に参内しているかもしれません。そう思うと、1000年後の我が身は、ご先祖様には不甲斐ない子孫だと反省しきりです。
 最近流行の陰陽師・阿部晴明は架空の人物とも言われていますが、葛葉神社は阿部晴明の母と伝えられる葛葉狐を祭っています。私の実家の葛葉という苗字は1000年続いています。この名前はどういう意味を持っているのでしょう? 少なくとも、「葛葉」は実在していたのですから、何らかの伝説を生むような人はいたのではないでしょうか…
 葛葉神社を何年か前に訪ねました。その時、ここでは今でも不思議なことが起こると、神主さんは仰いました。私にも多くの不思議が起こります。葛葉という名前の下に生まれた業なのかもしれません。
 
若い頃、とてもよく当たると評判の占い師に占って頂いたことがあります。その占い師は、一緒に行った私の同僚に、「2ヶ月前に知り合った男性は、あなたにはとても相性の良い人、あなたは彼と結ばれ子供が二人できる」と占いました。 その占いのとおり、彼女は彼と結婚し、母になったそうです。
私の番になり、その老占い師は、相談の内容を何も聞かないうちに、「あなたには天職がある、あなたには使命がある」と言い出しました。「いますぐ、父親の元に帰れ。あなたは父方の先祖から受け継ぐものがある、父親と一緒にいなければならない」  私はその頃結婚願望が強かったので、「結婚はどうでしょう?」と訊ねました。返事は、「あなたは結婚しないほうがよい。結婚しても子供は出来ない」と言う恐ろしいものでした。
 声も出ないほど愕然としている私に、その占い師は当然のように言いました。「あなたには普通の女性の幸せは無い。成さねばならぬことがあるから…」
私は、やはり、普通の女性の幸せとは縁遠い人生を歩んでいます。占いというものは、ひとつの呪で、それに縛られることもあるのではないかと思いながら…
最近、テレビで占いの番組があり、それを見るたびに、その呪が占われた人に悪影響を与えることが無いようにと他人事でなく、願います。あの時、女性として幸せな人生を送るという呪を掛けられたら、私はそのように暮らしていたのではと思うからです。 
桜は過去と未来を繋ぎます。桜の古都を巡り、つい、自分の人生を考えてしまいました。
天職とは、そこにしか行き着けないとても不自由なものというのが、私の得た結論です。天職のある者は、その閉ざされた狭き門からしか真の人生に入れない。狭き門を見つけられない者は、真の人生を見つけられずに多くの広く開放された門の前で野垂れ死にするしかない…
そして、私はまだ、自分の門を見つけていないようです。

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雛菊 2004.2.

花の自然の姿を楽しんでいた私に、花を飾る楽しみを最初に教えてくれたのは母親だった。
庭の花を摘んで、ままごとをしていた私に、母はある手法を教えてくれた。
庭の土を掘り、色とりどりの花の頭だけを、その土の上に並べて置き、その上に透明なガラス板を乗せ、周りを土で囲む。そうすると、土の額縁の中に、花の絵が現れるのだ。
母はそれを「のぞき」というのだと教えてくれた。のぞき……覗きのことだったのだろうか?
私はそれを母に確認できなかった。その年から、母は様々な症状に悩まされ、私が小学校から帰っても憂鬱そうにしていたり、寝ていたりする時が多くなった。
今、思えば、更年期だったのかもしれない。 そして、高校入学と同時に寄宿舎に入った私が、母と一緒に暮らしたのは本当に短い間だったのだ。

母は去年、9年間の長い病から、ようやく開放された。
私は10年前に、母親からひとつの遺言を預かっていた。それは、自分の葬式は白い花をいっぱいに飾ってほしいということだった。
その遺言を自分の手でかなえられたのは、娘として幸せなことだった。
母はアルツハイマーだった。彼女の病で、私たちはそれまでの、人生に線を引かれてしまった。私たちは母の病が巻き起こした人生の荒波をもろに被った様な気がする。
そして、何もできない自分の後ろめたさと、あまりに変容してしまった母への恨み。
それは私を苛んだ。 

最後のときを、家で迎えるよう、実家に帰された母を、時間があれば、看に行った。
だが、私にできることは何も無く、食事も採れず口も利けない彼女と、ただ、同じ空間にいるだけ。
私は母と向き合い、平坦ではなかった彼女の人生を思い、昔の歌を歌い、昔話をした。
もう、何も感じていませんよと医師に宣告されている母はそれを聴いてうんうんと頷いている様な気がした。
そして最後の瞬間、母は、私の腕の中ですうっと息を吸い、それきり息を止めた。
その時、これが母の最後のプレゼントなのだと気がついた。
その時間が無ければ、私は母への恨みと後ろめたさを、この先の一生、抱えていくことになっただろう。

最後の時間を共に過ごしたことで、私は母への素直な愛情と感謝を再び持てるようになった。
あの庭で、母の作った「覗き」に心から感動したときのような、母への尊敬を取り戻すことができた。
人は生き続けるべきだ。命の限り、どんな状態であろうと生き続けるべきだと、私が思えたのは、あの母の命を送った瞬間だった。
病の始めに母を失っていたら、私はその心を取り戻せなかっただろう。

あの庭に咲いていたのは雛菊、オシロイバナ、マリーゴールド、一重のバラ。
あの真っ黒な土の中の花たちを思い出すとき、若い頃の母のはにかむような笑顔が思い出され、私はまた涙を抑えることができない。

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エゴノキ  2003.3.15

ダム湖の側から引越しして住んだ家は、築100年も経つ古い茅葺屋根の家で、とても住み辛い家だった。
だが、周りには畑があり、敷地を小川が流れている、夢のような家だった。

その家の隣、といっても30メートルくらいは離れていたような気がするが、の家は豚を飼っていた。 
小学生の頃のある朝、学校に行こうと裏口を開けると、二頭の豚と鉢合わせした。
今なら豚に負ける私ではないが、その頃はその豚が巨大に見えて、腰を抜かしたのを覚えている。
その家の老夫婦は、趣味で杜若を育てていて、大きく立派な花を惜しげもなく私に与えた。

私はその家の前の坂道を降りて、小学校に行ったが、その坂道の途中に、初夏になると白い花をつける木があった。
この世のものとは思えないほど、清々しい良い香りの花をつけるその木の名前を、私はその地を離れてから知った。その木は「エゴノキ」というおよそその花に似つかわしくない名前だった。
 
さて、ネットで、「エゴノキ」の名前の由来を調べてみよう……
いくつかのホームページによると、その名の由来は、その実や木自体にある毒のせいらしい。 
有毒物質のサポニンを含んでいて、その味が「えぐい」ので、エゴノキと名前がついたのだという。 
誰が食べたのか知らないが、どうやらその効用は知られていたようで、実や根を水の中で叩き潰して、魚を麻痺させて取る漁法もあった!(この漁法は、現在では禁止されているとのこと)
 
なんということ! こんなこと知らなかった。
私は長い間エゴノキを探して、我が家の庭に植えている。
この話によると、私は毒を育てていたの…ね。

そういえばうちの母が東北に行った頃の話だが、母は山でシイタケを見つけ、喜んで採って干していた。
それを見た地元の人が驚いて、これはツキヨダケだといった。
ツキヨダケという名前はロマンチックだが、間違って食べて、年に数人は死ぬという恐ろしいキノコだった。
ツキヨダケの名前は月の夜に青白く光るから…闇夜にこれを持って歩くと提灯がいらないからヤミヨダケとも呼ばれたそうだ。あな、おそろしや…
 
これを書きながら、ふっと自然の世界は美しいだけではなく、とても危険で、とても、恐怖に満ちていたのだと、今更ながら気がついた。
私はあの頃、目に映るものの良い面しか見ていなかった。
もし、あの頃、エゴノキの名の由来を知っていたら、私はきっとあの木に興味を失っていたに違いない。 
善と悪は表裏一体、見る方向の違いだと知った今、それを知っても、エゴノキに対する感情は変わらない。
 
今日のワイドショーで、奥さんを毒殺しようとした外国の科学の元教授が、大学の倫理学の教授になるというニュースがあった。
そんな人をそれと知っていて雇うのかと言う意見が多かった。どうやら、自分が絶対に正しいと思い込んでいる人が多いらしい。

それは有りだと私は思う。
人は変わることが出来る。
本当に彼が自分の犯罪を悔い、なぜ、それがいけないのかを学生に教えるというなら、それほど説得力のあることは無い。

この国は人の失敗を許さない。だが、人はロボットではない。
私がエゴノキの花の姿と香りに騙され、あの木を初夏の清々しい思い出に分類していたように、あなただって自分の五感が何かに騙され、思い込まされて行動し、罪に陥ることがあるのかもしれないのだ。
かの国の社会は、罪を犯した人、失敗した人を受け入れる成熟した社会だと褒め称えるべきだ。
 
エゴノキから、変な方向に向かってしまった。
この文章を読んだからといって、エゴノキを嫌いにならないで欲しい。
あの濃厚でうっとりとする芳香と可憐な花は、本当に素晴らしいのだから…

ちなみに、ツキヨダケは嫌ったほうが良いと思う、ほんとに危ないから。

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辛夷 2004.3.13

3.4日前から、うちの前の藪の白梅が咲き始めました。
梅が咲き、桜が咲き、連翹が咲き始めると、春本番です。 
すこしずつ、春が近づいてくるのが判ります。
東北に住んでいた子供の頃、春は一気にやってきました。
梅も桜もある日いっせいに咲きだします。
その中で、一番早く、まだ雪が舞うような時期から咲き始めるのが辛夷(こぶし)と満作(まんさく)。
冬枯れの枝の間に白い大きな花をつけるのが辛夷。
満作は目立たない黄色の花。
深と冷たい空気の中で、花の香りを聞くと、全身が温まるような気がしたものです。
辛夷が咲き始めると、フキノトウも咲き始めます。
その時期は、まだ、グリーンや白、薄い茶黄色の花たちです。
それから、桜が咲き始めると色とりどりの花たちが競って咲き始めます。
もうひとつ、私には特別な初春の花があるのですが、その話はまた…
 
花の起源について調べてみました。前に、何かで花の出現は唐突で一気に広まったと聞いたことがあり、それについて詳しく知りたかったのです。
何件かのホームページをたどり、花の化石が1億4200万年~1億4600万年くらい前のジュラ紀の地層から発見されていることを知りました。そして、その花は木蓮の種類だということも…
きっと、最初の花は白や葉の色を薄めたような黄色だったのではないでしょうか。
最初の花の出現いらい、あっという間に植物は花をつけるようになります。
私たちが花と呼んでいるのは被子植物の生殖器。昆虫との連携で被子植物は勢力を広げます。
 
二つの面白い話を見つけました。

その一、恐竜の絶滅の原因は花。
恐竜は花を食べなかった。それなのに植物は次々と花をつけるようになり、花をつけない針葉樹を求めて、恐竜は寒い地方に移動して行き、数を減らして絶滅したという説。 
恐竜のように大きな動物が花を嫌いというのは可笑しいですね。
恐竜が花粉症だったらさぞかし大きなくしゃみをしたことでしょう。
この話には大きな教訓があります。被子植物は恐竜に食べ尽くされないために花を作り出した可能性がある。
それが被子植物の戦略だったとしたら、今、植物は勝手な人間に怒って、人間に食べられないための対策を考えつつあるかもしれません。
ある日、動物に食べられない毒をもった植物が現れ、ほかの植物もそれに習ったら、われわれは恐竜の二の舞です。
 
その二、ミツバチは花が出現する前から、地球上に存在していた。
もちろん、蜜は吸っていなくて、樹液なんかを吸っていたのでしょうが…
そうそう、四億年以上前に水の中から最初に地上に出たのは昆虫だったのではと言う説もあります。私たちは地球の支配者のような顔をしていますが、昆虫が私たちに無関心なおかげでこんなに威張っていられるのかもしれません。
私たち哺乳類は地球の新参者。今日からゴキブリに気を使いましょう。

ミツバチは蜜という餌で花とは共生関係にありますが、私たちは花の持つ癒しの力という精神的な餌で、すでに花と共生関係にあるのだと思います。
希少な花を山で盗ってしまう不埒な人も、実はいろいろなところに勢力を伸ばしたいという、花の策略に嵌った人なのかもしれません。
 
今、ガーデニングに夢中で、庭を花いっぱいにしているあなた、もちろん、あなたはどっぷりと策略にはまり込んでいると思ったほうが良いでしょう。

ほんのちょっと、調べただけで、いろんなことを知ることが出来、インターネットって本当に便利。
でも、このページを参考になさっていらっしゃる方、私は古生代にもジュラ紀にも生きた経験がないので、これを参考になさるのは危険ですよと申し上げておきましょう。

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A君の話 2004.3.11

酒鬼薔薇聖斗が出所したというニュースを見ていて、6年9ヶ月という年月の重みを考えた。

 彼がしたことは決して許されることではない。だが、彼は許されなければならない。
罪を憎んで人を憎まずということはそういうことだ。
彼は自分の才能と状況が許す限りの可能性を探り、自分の幸せを見つける機会が与えられる。
彼に殺された少年にはもう無い未来を彼は持っている。
それを不公平だという人もいるかもしれない。だが、彼が本当に自分の犯した行為の恐ろしさに気づいたのなら、生き続けることは死刑以上に残酷な刑になる。
その恐ろしい行為をやったのが自分だということは、常に彼を苛むだろう。
そう思わないのなら、彼は自分の罪を悔いているとはいえない。

 罰は他人が与えようとして与えられるものではない。
罰は自分の中の神(のようなもの)が下すものだ。
どんなに過酷な状況に落とされようと、どんな肉体的な痛みを与えられようと、その神に彼が気づかないうちは、真に罪に目覚め反省しているとはいえない。
自分に罰せられた罪人は自分の人生を自分で縛り、常に善なるものを欲求する。
彼がこの先どういう人間になっていくか、今は想像もつかないが、常に他人に見張られ、目を背けられる人生は、さぞかし辛いことだろう。
保護施設の中にいた時のように、彼に理解を示す人間ばかりが周りにいるわけではない。
心無い言葉や態度に傷つき、一人涙することもあるだろう。
だが、彼はそれを甘んじて受け止め、それでも、善であることを目指さなければならない。
ほんの一時の快楽を得るために、彼が失ったものは大きい。
彼はこの先の一生を酒鬼薔薇であったことを背負って生きていくのだから…

 さて、彼の罪はなんの教訓にもならず、特異な一個人の問題にされたが、彼がこの時代の犠牲者であり先駆者であったことは、最近の多くの事件が示している。
人は野菜と同じと彼が看破した感覚で、いかに多くの者が、人を殺していることか……
私たちに彼を攻める資格は無い。彼を生み出した社会を作ってきたのは私たちだからだ。 
まずは、私たちが変わらなければいけない。
まっとうに自分の力で生きている人をちゃんと評価し、どんな相手にも敬意を払う態度を、私たちは子供の前で見せるべきだ。
不正を憎み、善なるものを求める社会を作ると宣言するべきだ。

 私たちは皆、罪人だ。社会的に生きるということはそういうことだ。
すべてのものによく接しようとすれば、誰かを犠牲にするか、自分を失うことになる。
だから、先人はそれを礼儀というバリアーで守っていた。ぶつかり合わないように適度な距離を、礼儀によって保っていた。それはすべての生き物の存在の意義を認めるということだ。
その礼儀を教える家庭が無くなり、各自が勝手なことを言い出している。都合のいい解釈で、礼儀や法律を適用しようとする人間が、それを武器に人を追い詰め傷つけている。

 過酷な競争を子供にさせることで、儲けようとしている大人たちの戦略に嵌り、何かを得るためには何かを失わなければならないと思っている子供たちに、すべては無償で与えられているのだと私は教えたい。
 その眼も手も足も頭脳も、最初から無償で与えられたのではないか。
 その眼と手と足と頭脳で出来ることをすれば良いだけだ。難しいことは何も無い。
 私たちは裸で生まれ、裸で死ぬのだ。砂漠の中に一人で放り出されたときに、やんごとなき人々も、アメリカの大統領も、世界的な富豪も、一国の独裁者も、持っている肩書きや名誉がなんの役に立つだろうか?
自分の知恵だけでそこから抜け出す方法を考えなければならないという点では、彼らも私のように何の名誉も地位も金も無い人間と変わりない。
その知恵を手に入れるために人間は努力するのだ。
何かの職業につくために努力しているのではない。

 一人一人が自立して、誰にもおもねることなく、誰をさげすむことも無く、自分の人生を生きられる知恵を手に入れられたら、酒鬼薔薇など出現しようはずが無い。
たぶん、今、一番それを願っているのは、A君本人なのではなかろうか…

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混乱=バラル   2004.2.2

人間にとって言葉とは何か、考えている。 思考は言葉により明確になり、そして限定される。
問題なのは、私の言葉とあなたの言葉は違うものを指している可能性があるということだ。
そのことを考えるようになったのは、この数年、トラブルがある度に、あの時こう言った、いや、ああ言ったということで揉めたからだ。 
私が話している言葉は、誰にも通じないと絶望し、そして、気づいた。今の世の中のトラブルは、すべて、これと同じだと。
 
親しい友人知人・親兄弟の間でさえ言葉が通じないのなら、言葉も環境も思想も人種さえ違う相手には、間違いなく、通じて無いと思ったほうが良い。
アメリカにアメリカの正義があるように、イラクにも北朝鮮にも、日本にも、それぞれの正義がある。それを一国の正義で括ろうとするから、窮屈で苦しい関係になってしまう。
 
旧約聖書のバベルの塔の話を思い出す。 ノアの箱舟の後、水が引いた地に戻った人々は、地に満ちよという神の言葉に従い、数を増やし、バベルの塔を建て始めた。
 

11ー5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11ー6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11ー7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
11ー8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11ー9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

世界はテクノロジーによりまた繋がってしまった。
長い年月を、共通の言葉も持たず、遠い地に散らばされ、互いを敵として戦った後で……
そのことを念頭に置き、それでも理解し合える道を探さなければならないのに、その道を見つけようとしないのは、まだ我々はバラルされたままだからだろう。

さて、神は、国と国、民族と民族に分けた言葉を、今度は個人別にバラルしたのかもしれない。
友人知人・親兄弟が殺しあう今の時代は、そうと思わなければ納得できない。 
個人が各自、マスメディアやインターネットから情報を受け取る今の情報化の時代では、親よりも子供のほうが、先に情報を得ることも可能だ。
そのことは親や先人の言葉の概念を受け継がずに、言葉を知ることを意味している。
そうして、人々は自分だけに通じる言葉を話し始めている。

私は「私の真実とあなたの真実は違う。私は正しく、あなたも正しい」と思っている。
そう思うと、トラブルが起こった時、「私はこう思っているけど、あなたがそう思うのは仕方ないよね」と言える様になり、相手を許し、先に進むことが出来るようになった。 
私のように徹底的に言葉を疑わずに済んでいる人には、なんといい加減な考えの人だと言われるかもしれない。 
だが、過去のある時点の発言や行動に拘り、相手を攻め立てても、益は無い。
相手と自分を許し、双方が今の時点で出来る最善の方法を考えた方が、建設的だ。

で、そんな膠着状態に陥っている人に伝えたいこと――自分の力だけで実現できることだけが、自分の真実だ。誰かを当てにしなければ出来ないことは、自分の真実ではない。
自分の真実を追究し、今の自分に出来ることをしよう。

次の私の言葉の真意をあなたは理解してくれるだろうか?
幸せは一定量を奪い合うものではない。 
私の幸せは、私の中にあり、あなたの幸せとは何の関係も無い。
そして、たとえ、どんな悪人であろうと、幸せになることを恐れることは無い。  
罪人こそ真の善を知ることが出来る、と多くの宗教の祖は、すでに、語っている。
 

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2004.08.14

犬の話  2004.2.21

 我が家の愛娘、サクラ(桜・ヨーキー・10歳)が手術入院中です。
彼女のいない家は寒々しく、色褪せています。
今まで、3頭の犬との出会いと別れがありました。どの犬も一筋縄ではいかない変犬でした。
類は友を呼ぶとか、割れ鍋に綴じ蓋とか、そんな言葉が思い浮かびます。

 私が小学生の頃、うちに来たチビは、ポインターとスピッツのハーフで、サングラスをかけたように目元から耳全体が黒い、精悍な顔つきのナイスガイでした。
彼はなかなかの色男、太い綱を切って脱走し、あちこちのお嬢さんの元に寄宿し、子供を作っては帰ってくるという繰り返しで、小さな村のそこら中に、ぶちの雑種が生まれていたそうです。 私は世の中のことに興味の無いぼんやりとした子供だったので、後から、うちの犬がそういう犬だったと聞き知り、驚いたものです。

 その後、うちに来たのはトイプードルの花、根性のある女の子でした。
彼女はなかなかグルメで、刺身にわさびをつけないと食べないとか、ビールを飲んで酔っ払ったりとか、食べ物に関しての話がいろいろあるのですが、極め付きは妊娠中の話でしょう。
ある蒸し暑い夏の夜、部屋の戸を開け放して寝ていると、台所から ゴロンゴロンという何か重いものが転がるような音が響いてきて、泥棒かと恐る恐る覗くと、その日、お土産に頂いた梨の籠(よく、直売店などで売っているグリーンのビニールの籠)がひっくり返り、中の梨が辺りに散乱し、後ろ向きの犬が、ふっとこちらに顔を向け、「見たな」という表情をしていました。
よく見ると、梨は全部少しずつ齧られていて、ハナの前の梨は半分ほどになっていました。

 そうして、生まれてきたのがムーミンです。この子のエピソードは多すぎて書き切れません。
扁平な顔がムーミンそっくりだったのでムーミンと名づけた彼は、才能に溢れた犬でした。
彼はサッシの鍵を開けて勝手に外出したし、5回以上呼び出し音が鳴ると勝手に電話に出ました。
掛けた人に聞くとごそごそという音が聞こえ、ワンという吼え声が聞こえたそうです。
それが、楽しくて、私のいない時間にわざと電話してきた人もいました。
私の作るものは何でも食べられると信じていた彼は、ある夜、ゴキブリ団子を作っていると、それを貰えるものと思い、ずっと台所で待っていました。
それが、貰えないとなるや、夜中にゴミ箱漁りして、捨てていた残りを食べてしまいました。
結果、血尿を出して寝込んだというとんでもない奴でした。

 彼らとの出会いとすごした時間を思うと今でも楽しく、別れを思うと今でも悲しい。
 でも、彼らと過ごした濃密な時間は、私の宝物。
 会えなくなった今でも、彼らは私の中では消滅していないのです。
 で、私は神頼みするよりも、犬頼みで、彼らに祈っています。
 サクラを私の元に返してください。
 あの子との時間をもう少し私に与えてください…と。

 幸い、麻酔が覚めた瞬間から、吼え続け、お医者さんを悩ませているほど、元気らしいので
(里心がついてこれ以上吼えられたら困るということで、合わせて貰えないのです)大丈夫とは思っているのですが……
彼女の体温は何にも勝る薬で、病気のとき、辛いとき、彼女を抱くと、また、生きる力が蘇りました。
険しく辛く冷たかった十年を、彼女の存在が暖めてくれました。
だから、元気になった私が、今度は年老いていく彼女を暖めてあげたい。
そう思いながら、彼女の帰りを待ちわびています。

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野花菖蒲2004.2.

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その時、私は4歳だった。
そのあまりの美しさに見とれ、色というものの迫力を初めて感じたのだと思う。
名前も知らないその花は、ダム湖のほとりに、一面に咲き乱れていた。


そのダムはその年、水力発電用のダムとして完成したばかりで、湖底には、まだ、立ち退いた家の土台が残っていた。
私はその花の美しさに引かれ、毎日のようにそこに通ったが、すぐに大人たちに連れ戻された。
どんなに叱られても、私はその色に引かれ、その花のことばかり考えていた。

花の時期は6月くらいだったのだろうか?
その花が野花菖蒲と呼ばれるもので、今、栽培されている花菖蒲よりも小振りで、その原種に当たるものと知ったのはずっと後のことだ。 

私が兄姉と別れ、そのダム湖の側にいたのは4歳の春から7歳の春まで。
父が始めた山の仕事のためだった。

その前の記憶は、写真のようにワンシーンずつで、前後のつながりが無い。
自分の行動や、行動の意味の記憶があるのは、そのダム湖のほとりに住み始めてから…
私が人間になりつつあった頃なのだろう。
そして、その時期、たった一人で、花を探して山を歩いていた私が、花の仕事をするのは必然だったのかもしれない。

私にとって、紫はあの花のための色。
紫という字を見ると、あの野花菖蒲とダム湖の震える青い湖面と短いズボンをはいた4歳のおかっぱの私が思い浮かぶ。

花にまつわる話を始めようと思う。
こんな調子で、人の興味を引く話ではないかもしれないが、私にとっての花の話だ。

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2005.5.14 花の写真を追加

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理想の人 2004.2.12

私が、おばさんだからといって、理想の男性がいないわけではない。
たとえば、最近、ドラマで江角マキ子の相手役をしているジャニーズの彼なんか、とても、素敵でため息が出るくらい。
だが、彼は私の理想ではない。
遠くで見ていて、ああ、綺麗だなあと鑑賞するには良いが、彼や夫があんな人なら、どきどきし過ぎて、きっと、早死にしてしまうだろう。
ここだけの話だが、実は最近、理想の男性を見つけた。どんな人かというと、頭が良い癖に誠実な人なのだ。
皆さんも気づいていると思うが、たいてい、頭のよい男は誠実ではないことが多い。
それは頭の良さがそうさせているので、仕方ないのだけどね。ちなみに、頭の良い人が汚職をしたり、犯罪を犯すのも仕方ない。
頭が良いからこそ、楽な道を思いついてしまうのだ。
彼の話に戻ろう。 彼は、謙虚な努力家、他人を愛し、欲をかかず、飄々と生きている。
なにより、彼は運が良い。
これは、大切なことで、どんなに良い人でも、運の悪い人は一緒にいると、大変な目に会う。
容姿がまた、素晴らしい。大きく濡れた黒い瞳、短い手足、長い胴、ふかふかの毛皮。
そう、彼はとてもラブリーなネズミ。厳密に言うと、半人半獣。
中肉中背の普通の青年の姿と、それより背が低い、二本足で立つネズミの姿を自分で選べる。楽俊は半分ネズミというハンデを持ち、貧しい家庭に育った。
そんな彼があんなにまっとうな考えの人に育ったのはちょっと不思議…

ここまでの話で、彼の正体に気づいたあなた。
あなたも嵌っているのね。十二国記の世界に…
何がんだかわからない人は、リンクを貼っておきましたから、後で見てくださいね。
さて、楽俊大好きで、十二国記大好きな私だが、あの世界には行きたくない。
人間を食べる妖魔は出るわ、王侯貴族でなければ食べるにも事欠きそうだわ、とんでもない世界だ。
とても、寝転がって、せんべいを食べながらテレビを見る生活なんて、考えられない。
そもそもテレビが無い。それどころか、文明の利器などひとつも無い。
それよりなにより、耐え難いのは、あの原作にも、テレビアニメにも、花がまったく出てこないことだ。
花の色や香りの無い世界など考えられない。

 だが、花に満ち、富める国に住んでいながら、私たちは、あの世界に惹かれる。
それは 文明の利器が何も無い危険に満ちた国に住み、理不尽に耐えているあの世界の住人たちが、真剣に自分の存在の意義を追求しているからだ。
十二国記の世界には、唯一絶対の神が在る。。だが、誰も見たことが無い。
そのくせ、天命には、王も、王を選ぶ麒麟も逆らえない。
彼らは目に見えない神の存在を疑い、それを疑うことにより、また、神の目指すものを理解できないことにより、失道する。
見たことの無いものを信じる難しさ、空しさ。
間違っていない間は、無事に暮らせる。間違いがどういうことなのかは、間違わなければわからない。 褒美はもらえない。まあ、おめがねにかなっている間は死なないということが王への褒美かな? 
今のところ、王になった時点の姿で800年くらい生きているものがいるらしい。
12歳の子供は12歳のまま、50過ぎの中年男は中年男のまま、何百年も生きるのだ。
それはそれで、拷問に等しいと思うが…

 私たちの世界には神がいるのだろうか?
その神はどんな意思を持っているのだろうか?
この国は金貸しと売春の国になってしまった。それが、人間の一番の欲求だからだ。
目新しい職業ではなく、原始の職業が幅を利かせているだけだ。
私たちはやがて死に、次の時代が来る。 この世界の生きとし生きるものは、死から逃れることができない。
どんなに優秀な人にも、どんなに良い人にも、どんなに悪い奴にも、貧乏な人にも金持ちにも、死は平等にやってくる。
だから、どんなに今が困難で、苦しい時代であろうと、嘆くことは無い。
未来は今と同じであるとは限らないのだから。
今の現実が、今生きている私たちの責任であると同じように、次の時代を作るのは、これから生まれる子供たちの責任だ。
我々は、現状への反省を残しても、教育という名目で、自分たちの価値観を彼らに押し付けるのは辞めたほうが良い。
それよりも、心を癒す自然や食べていけるだけの作物を育てられる国土を残してやったほうが、よほど、彼らのためだろう。そんなことを、思っている。

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なまはげと留学 2004.2.3

小説を書いていると言うと、変な人のように思われるかもしれないが、世の中に実際に起こっていることのほうが、よほど、変で、恐ろしい。
毎日のように、親が子供を、子供が親を殺し、兄が弟、カレがカノジョを殺している。
私は推理小説を書くので、殺人は必然のようなものだけど、人を殺そうとは、まだ思ったことがない。人を殺すのにためらいがない時代。
そんな時代になってしまったのは何故だろう?
ホームレスさえ飢えていない時代なのに、子供が餓死するなんて…

そう考えていて、海外留学する女性の特集をテレビで見た。
多分、今、日本はあらゆる点で世界のトップクラスにいるに違いない。
なのに、彼女たちは日本にいることに飽き足らず、海外で学ぼうとしている。何を?

その前にニュースで、北海道でなまはげ(秋田の男鹿半島の風習。鬼に扮した大人が子供のいる家を回る)が、子供に良い子になりますと誓わせるのを見ていて、なぜかその二つの報道が私の中でリンクしてしまった。

多分、私たちは明確な恐怖がないことを恐れている。

なまはげは子供たちに恐怖による服従を強いている。
泣き叫びながら、彼らは「良い子になります。好き嫌いせずになんでも食べます」と誓っている。
明確な恐怖が明確な目標を与えている。

留学する彼女たちの家庭は、彼女たちに留学を許せるほどの環境だから、食べるのもままならないということは無いだろう。
理解ある家族と、食べることに汲々としていない外国語が話せる能力がある自分。

だが、未来には、この生活の果てには、自分の知らない何かがあるのではと漠然と感じ取っている。
今の生活からは窺い知れないそれを、何とかして、見ようとしている。
そんな感じがする。

別に留学をする人のことだけでなく、私たちはこの国に満ちている、見せ掛けの自由見せ掛けの平和、見せ掛けの平等に疲れている。
戦後の自由教育で、私たちは平等で自由で平和に暮らすのだと教えられてきて、その見せ掛けを一生懸命作り上げて来たけれど、でも、それが見せかけであるということ知っているし、見せ掛けを繕うやり方も知っている。

でも、子供は真にそれを信じて生きてきたのだ。
なぜなら、彼らにはその見せ掛けを作ってきた過程の記憶がないから。
そして、自分の信じてきたものが、社会に出た途端に、幻だったことを知るのだ。
どう考えても、男性と女性は平等ではない。
留学するのが女性なのはそういうことだろう。

私は、今の文明が壊れるとしたら、その原因は子供は記憶を持たずに生まれてくるということだと思っている。
そして、多分、今まで地球上に生まれたすべての文明の崩壊も、それが原因なのだろうと最近、思っている。

だが、記憶をもって生まれないからこそ、私たちには可能性も残されている。
それは忘却による許しという希望だ。
過去にとらわれず、過去の過ちを回避しながら、生きていくためには何をしていくべき
なのか、今こそ、私たちは考える時期に来ているのではないか?
私たちの国は、自由な国でも、平和な国でも、平等な国でもない。
それを目指して努力している国なのだという世代を超えた共通認識が必要だと思う。

 

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最近、私は……   2004.1.30

 日々、忙しく暮らしていると、空を見上げることがなくなります。
花店をやっていたころは特にそうでした。
店を閉めて、何がうれしかったかというと、空を見上げる時間をとり戻したことです。
空を見上げる幸せに思い至ったのは、失敗したから。
自分や人生について考えるようになりました。
流されるままに生きていた自分から、少しはものを考える自分に進化したのかしら。
そう思えば、失敗も悪いことばかりではなく、私の人生には必要なものだったと思えます。
 そんな私の今のお気に入りは、山に囲まれた小さな池のほとり、海のそばの階段状になった防波堤。
そんなところで、ぼーっと空を見上げ、季節の移り変わりを感じているのがなんとも幸せ。
傍目には、おばさんがぼーっと海を見ているというおよそロマンティックではない絵なんでしょうけどね。
でも、いくつになろうが、容姿が醜かろうが、綺麗なもの、美しいものに感動できるのですよ。人間は・・・
去年の秋、例年よりも赤の紅葉が美しかったのに気づけたのも、そんな時。
探さなくても、幸せはどこにでもあります。
幸せを感じることのできる自分がいれば、何にでも感動し、幸せを見つけることができます。

忙しい日々をお過ごしのあなた、ほんの一瞬でもよいから、何も考えず、空を見上げて御覧になれば? 思いがけない気づきがあるかもしれませんよ。

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